第四章 偽悪×偽善=照応依存 7
「──ご苦労だった。礼を言う」
「いえ……
ノイエから預けていたタブレットを受け取って、すみません、と返した。
返せるものがなくって、すみません、と。
「人がああも変わってしまうのは、おぞましいものだな。理解しがたい──癌兵器だと言ったな? あれは、ヒトの業か?」
ノイエに問われて、シャルロットはちらりとドミニクを見た。
癌兵器を業と呼ぶなら、その始まりにして集大成のような男がここにいる。
「……そうだな。自然発生したものではない。意図的に機能を付与されている」
「主もか、星の子」
小さくドミニクの肩が跳ねた。緊急で収めなければならない事象が解決すれば、問題が次に向くのは道理であろう。
「ネル・ブライアンではよくよく確認できなかったが……見間違えるはずもない。主であろう、我らが神体の一つを葬ったのは」
パムリコ島のラクナ・クリスタル。ポントス島にも多大な影響を与えていた、信仰の在り処にしてポントス人の神とも称される巨石。現在機能不全に陥っているのは、紛れもなく過去最大級の癌災害が発端である。
「直接俺が手を下したわけではない、が……関わりがあるのは事実だ」
「ちょっと、そんなあっさり認めなくても」
「ポントス人は魔力の識別能力が高いらしい。こうなることは分かっていた」
「だからって……ちょっとは隠す努力くらいしたらどうなんですか」
「お前の台詞が肯定しているようなものだぞ」
「元はと言えばドミニクさんですよ、言ったの」
ぐ、とお互いに押し黙る。余計なことを言ったのはお互い様のようだ。
パムリコ島のラクナ・クリスタルは、癌化したドミニクの魔力放出に対抗するため、魔導機器による偏属性化が為された。これまでの情報を踏まえれば、主導したのは予知夢で癌災害を予見していたジオの采配だろうが──葬送庁の内部事情など、ポントスに住まうノイエ達には些末なことだろう。
貴様、とノイエの部下がドミニクに詰め寄る。シャルロットはドミニクを庇うように割って入り、ノイエもまた部下の肩を掴んで引き留める。
「下手に刺激するな、アレハンドロ。分かって居よう」
「しかし……! 姉御の言う事が確かならこいつのせいなんですよ⁉ 責任もって大陸人が葬ったって聞いてたのに、どうして生きて立ってやがるんです⁉」
「葬送庁でもトップシークレットの情報なので。そちらの憶測がどうあれ、上から許可が出ないと詳細は話せませんね」
視線はノイエの部下──アレハンドロに向けたまま、シャルロットはドミニクの胸を軽く押して更に下がるよう指示を出す。
振り返らずとも分かる。今、相当に居たたまれない顔をしているに違いない。
「当事者だとしてもか⁉ 俺達の居場所を奪っておいてその態度か⁉ あそこには俺の知り合いが居たんだぞ、大陸の文化も知りたいって、好奇心旺盛だった奴がどうして死ななきゃならなかった⁉」
「──俺は」
「ドミニクさんはちょっと黙っててください。お口にチャックです」
話がややこしくなる。シャルロットは軽くドミニクに向き直って、彼の口を縫い留めるように、虚空を指でなぞった。
「私がそんなこと二度と侵させない。罪になることは絶対にさせないし、発作が起こりそうなら力づくで止めるし、他に危害を加えそうならぶん殴ってでも正気に戻します。これでは駄目ですか」
納得、できませんか。
ドミニクよりも背の高いアレハンドロを見上げる。彼は目玉が飛び出るくらいに見開いて、若干血走った眼をドミニクに向けていた。意識はこちらにないようで、今にもドミニクに飛び掛かる勢いである。
いくらポントス人とはいえ、一回の魔法士風情が、ドミニクに一矢報いれるはずもないだろう。彼はドミニクがパムリコ島の癌災害の元凶だと分かっている。魔力に根付いた生活をしているからこそ、力量差も感じとれているだろう。
その上で、敢えて噛みついてくるのなら。
きっと、義憤だ。八年間、感情の行き場がなかったに違いない。
でも、今喋ってるの私なんだけどなぁ。無視された気がしていい気分ではないが──ドミニクに思いのたけをぶちまける権利を、アレハンドロはもっている。
さてどうするべきか。
「納得できるわけ──」
「アレハンドロ。それはかの魔女の転生体だ」
以外にも、助け船を出したのはノイエだった。
「そ奴らは魂の分け身であるとも聞く。真実であらば、パムリコ島の事象は魂の均衡がとれていなかったが故に起こったものと考えられる。二つが一所に集まったのであらば、そこまでの心配は要らぬであろうよ」
〝魔女〟のフレーズが出た途端、ドミニクを殺戮者として非難していた一行の視線が一気にシャルロットに向いた。
余程恐れられているようだが、はて。やはり実感が湧かないのは、自分の魔力制御が不自由だから──他人よりも劣っている自覚があるから──だろうか。
「こいつがあの魔女の……?」
「先ほどの魔法障壁を見ただろう。紅紫の魔力といい、黒く滲んだ粒子といい、間違いない」
「でも半身がいるなんて聞いたことないですぜ?」
アレハンドロが興味深げにシャルロットに顔を寄せた。物珍しさに興味が湧いただけだろうが、顔が近い。ドミニクならこのくらい近くても問題ないが、他人は嫌だと思った。
「近いんですけど」
唾でも吐いてやろうかと思ったが、あまりに品がなさ過ぎるのでぐっと我慢。しばらくシャルロットを観察したアレハンドロは、おもむろにローブの裾を捲って腕を出した。
「こんな嬢ちゃんが? あのおっかねぇ今代の魔女で? しかもパムリコ島を殺った奴の魂の半身? そんなできた話がありますかねぇ?」
できた話があったんだから仕方ないだろう。シャルロットは内心でぼやいた。
というかここで喋っている場合か? この後もやることが山ほどあるのだが。
「見た目はこんなだが間違いなく魔女だ。傲岸不遜でふてぶてしいにもほどがあるぞ」
「ほーん……失礼、ちょっと手を触らせてもらうぜ」
「えっ、嫌なんですけど」
肌を出した腕で手を握られそうになったので、思わず身をよじって避ける。
「なんだよ、確認するだけだろ? 嬢ちゃんに後ろでヤバい顔してる奴を任せていいのかをな」
不満げに口を尖らせたアレハンドロの反応に、思わず後ろのドミニクを振り返った。
目が据わっている。光が反射しやすく煌々と輝く蒼玉は、今は金剛石と見まごう程に色を変えていた。
瞳孔が開いているのだ。にもかかわらずこの感情の沈みっぷり。分かりやすくて助かるものの、もしやこれは、機嫌が悪いのか。
「あの、顔怖いんですけ──」
「知らん」
言い切る間もなく、ドミニクが言葉を被せてくる。頭に来ているのが丸分かりだというのに、知らん、だなんて他人事みたいに言って。
もしやドミニク。自分が他の男に触られているのが嫌なのか? つまりは、嫉妬か?
そしてそういった生々しい感情を持つのは初めてで、気づいていないのでは?
「なんだよこえぇな……んな顔しながらパムリコ島の奴らを殺ったのか?」
「──ノーコメントだ」
「あんだよ、別にお前の彼女を取って食おうだなん──」
「それ以上は黙った方が身のためだぞ」
「……あの、手は貸しますから。ほんとにそれ以上は控えた方がいいと……」
「断言するが彼女ではない。こいつは仕事上の相棒で付き合っているわけじゃないからな」
苛立ったようにドミニクが言うと、さっとその場が静まり返る。
うん。シャルロットとしても認識はそうなのだが。うん。
やはりそう見えるか。
どちらかと言うと、ツインレイ由来で距離が非常に近いだけで。それも分かっているが自然体で付き合うとこの距離感になるだけなので。
ドミニクは背中を預ける相棒であって、別に恋してるわけではないし。
そもそも恋愛とかお付き合いするとか、そんな簡単な言葉で言い表せる関係じゃないし。
「……この人たらしめ」
ノイエが肩を落とした。指摘に同意してなんども頷く。自覚がないのが尚更厄介だ。
「まぁ、何かするならとっととやっちゃってください。後ろがつかえてますんで」
シャルロットに何かしたいらしいアレハンドロに対して、彼女が掌を差し出した。
アレハンドロが己の手を重ねると、露になっていた腕に回路のような文様が走る。色はシャルロットの魔力と同じ、紅紫色。
ほんの僅かだけ、魔力を吸い取られる感覚があった。僅かと言っても、シャルロットが普段魔導機器に回している量だ。起動したままだったバトルブーツの増幅器は供給源を遮断されたことで停止し、展開していた装甲が独りでに閉じる。
「それもしかして」
「そーだよ、増設した命脈だ。俺らはこうやって外付けで命脈を増やしてるから、魔力耐性が高くって
アレハンドロはぼやきながら、皮膚の上を走る命脈を通して何かを悟ったらしい。
「難儀だなぁ、魔女サンよ。あんたも命脈増やしたらどうだ?」
それだけ言って、接していた手を放す。魔力が戻ったことでバトルブーツに光が灯り、アイドル状態に遷移する。
どうやら今の一瞬で、シャルロットの心身のミスマッチさを把握したようだった。
他人の魔力を流し込んでも問題ない魔力の導線。高濃度の魔力と共生するための、ポントスが生み出した知恵なのだろう。アズテック諸島の外に流出すると悪用されそうなので、ポントス人で守ってほしい技術ではある。
「今そいつに何をした」
「何って……ちょっと魂とか命脈とか魔力とか調べただけだろうが、機嫌悪くすんなよ。テメェのためでもあるんだぜ」
うん、うんと取り込んだ魔力の確認をして、アレハンドロはシャルロットを挟んでドミニクに向き直った。
先ほどまでの義憤や殺意は感じない。どうやら抑えてくれたようだ。
「ここは魔女サンに免じて生かしてやらぁ。許したわけじゃあねぇ、ただ魔女サンの力と言ってることを信じるってだけだ」
「ポントス人にとって、〝魔女〟というのはそれほどに影響力が大きいのか?」
男二人に挟まれて、若干居たたまれなくなったシャルロットはノイエの隣までそっと下がった。
相変わらずアレハンドロはドミニクに対して喧嘩腰だ。が、ドミニクの瞳孔は先ほどよりも細く落ち着いている。
「そりゃあなぁ。魔女のおかげでアズテック諸島の奪還がままならなかったワケで……忌々しいっちゃ忌々しいが、さっきは助けてもらったしな。力は十分に知ってらぁ」
今、実力を出し切れてねぇってことも。アレハンドロがさも当然の如く言ったので、シャルロットは思わず横にいるノイエを見た。
ノイエは視線だけこちらに寄越して、小さく頷いた。どうやらこの場にいるポントス人の誰しもが理解しているようだった。
「本気を出しゃあ、テメェくらい抑えられんだろ。本人もその気みたいだし、じゃあ後は任せるっきゃねぇって話よ」
「……抑えてくれないと困る。俺だって、もうあんなことはしたくない」
「──二度とすんなよ。そんときゃ俺が殺しに行く」
「その前にこいつが俺を殺すさ。出番はないな」
「いや、殺しはしませんけど……」
男同士の会話に茶々を入れるのも何かと思うので、シャルロットは聞こえないよう小さく呟いた。
「殺さず、どうやって止めるつもりなのだ」
ノイエも空気を読んで、まだ互いを睨み続けている男二人に聞こえないよう、小声で問うた。
「そうですね……発作で全身が悪性細胞に包まれるだけ、なので──中から体を引っ張り出します。それから悪性細胞を一時的に不活性化させて、魔力生成を止めて──安定するまでそのままに」
「可能性は高そうだ。問題は、それを成すまでに主が殺されないかだけだが」
「何も一人でやるって訳じゃありません。サポートは必須ですけど、あるならやれます」
真正面からノイエを見据える。一度目を閉じて思案した後、彼女は大きく深呼吸してから歩き出した。
「さて、井戸端会議はそこまでにせよ。互いに仕事がある。行くぞ、アレハンドロ」
「うぃーっす。んじゃ魔女サン、コイツをよろしく見といてくれな?」
ごん、と強くドミニクの肩を叩いて、アレハンドロが海底ドックの入り口へと消えていく。
ノイエもまた部下に幾ばくか声をかけた後、大杖を携えて地下へと消えていった。
「……余程、お前の存在は大きいらしいな」
「ですねぇ」
癌災害の張本人であるドミニクよりも、長い期間ポントス人を脅かし続けた〝魔女〟の方が脅威だった。その魔女と同一視されているシャルロットが、自分が何とかすると言っているのだから──その言葉に免じて、糾弾は我慢してやった。こんなところだろう。
「頭が上がらんな」
言っちゃなんだが、助かった。ドミニクは言って、停泊している巡視船に向かうために歩を進めた。
やはりドミニクは怖がりだ。シャルロットよりも余程繊細で、傷つきやすい心をしている。元々感受性が高いから、癌兵器としての調整中に暴走する結果になったのだろう。自分のように図太ければ──と思うのはたらればだ。
シャルロット自身、父の一件で傷を抱えたまま生きてはいたが、敵意を向けられて返り討ちにしていたのは精神のタフさ故。全て自分のせいだと抱え込まなかったのは、ドミニクにそういった自責の性質が全て吸われてしまったからだと思う。
他人は怖くはない。他人に何を言われようが、自分が正しいのならそれが全てだ。法も何も己を抑制できるものか。
でも、だから。こうして不遜とも言われる性格になってしまったのなら、自分を追い詰めやすいドミニクをカバーしてやりたい気持ちも当然ある。
だって半身だ。ドミニクの強靭な倫理観でなけれカバーできないことがあることくらい──
考えて、はたと思う。
自己抑制は効いている。ドミニクに頼まなければならないほどの事象を、自分が犯すだろうか?
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