第四章 偽悪×偽善=照応依存 6

 地上に戻って直ぐ、部下を引き連れたノイエと鉢合わせた。グラナート海岸で対峙した者もおり、そちらはかなり警戒しているようだが、シャルロットがノイエに説明している間にうまく緊張がほぐれた様だ。


 ちなみに、地上側の入り口にも隠蔽術式が施されていたらしい。至って床の様にしか見えず、ノイエたちもシャルロット達が建物を破壊して地上に出るまで分からなかったようだ。


「では、まだ下にテラサルースの一味がいる、ということか」

「海底ドックに潜水艇はありませんでした。逃げるなら地上しか道がないかと」

「まぁ……死んではいないと思うが。魔導式の自立兵器も設置されていた。粗方壊したが、まだ稼働できる機体があるかもしれん」

「主等の目的のモノは」


 ノイエがシャルロットが大切そうに抱えたタブレットに目をやった。


「バッチリ! ありました!」

「ならばよい。蔓延している魔導機器の出所が、此処ならばよいが」


 後は我等に任せてもらおう。瓦礫の山を魔法で起こした風で除けると、ノイエは部下を引き連れて入り口に向かい──振り返った。


「主は一度も表舞台に出てこなかったそうだ。残された魔女に関する文献に、やはり主のような半身の存在は欠片たりとも在らなんだ」


 伝え損ねたことがあるのだろう。言葉はドミニクに向けられたものだった。


「……そうなのか」

「で、あるならば。こうして主が魔女と共に在るのも、何か意味あっての事やもしれぬ」

「……了解した」

「しかと励み、注視するがいい。主もまた、この星を簒奪できる力を持っているが故にな」


 ノイエの忠告を、ドミニクは顔を歪め、目を伏せて聞いていた。


 そんなこと、言われなくても分かっている。言葉こそ発していないものの、そう言いたいのが丸分かりだ。


「特別に許可を出して、港に巡視船をつけさせた。やることが終わったなら、大陸人は疾く去るがいい」


 やることは双方終わった。ノイエたちはシャルロット達の調査待ちだったし、ポントス人に対応を引き渡したらやることはない。


「協力ありがとうございました。じゃ、また! 何かあったらまたよろしくお願いしますね!」

「フン……二度とないことを願う」


 ぶっきらぼうだが満更でもなさそうなノイエは、そのまま海底ドックの入り口へ突入していった。後を追う彼女の部下たちを見送って、壊れた建物の外に二人きりだ。


「早く帰って解析してもらいましょう……ドミニクさん?」


 反応がないので呼びかける。ノイエから言われたことを噛み締めるようにその場に突っ立っているドミニクは、心ここにあらずといった雰囲気だ。


 星を簒奪する、だなんて。確かにやりかけた前科はあるけれど、そんなことを望むほど欲に満ちた人間ではないし。


「もしもーし。起きてますー? 大丈夫ですー?」


 ドミニクの周りをうろちょろと動き回り、ポンポンとタブレットで肩を叩く。やっと我に返ったドミニクは、己の肩を叩いた凶器を見て盛大にため息をついた。


「お前な……大切な押収品で遊ぶな」

「押収どころか……盗品?」

「そこは押収品と押し切っておけ」


 上から注いだドミニクの瞳は、いつのもように群青色だ。虹彩も細く鋭いし、普段の調子に戻ったようで一安心。


『もしもし? ジオだ、二人とも聞こえてる? 海上でロストしたキャンサーについて、詳細が分かったよ。それから、ドミニクが撃ち落とした弾道弾の解析もできてたから、共有をと思ってね』


 不意にシャルロット達のインカムに通信が入り、二人はマイクをオンにした。ほぼ同じ動作だったので、ノイエもどこからか通信が来たことは把握したらしい。何か追加の情報があるのかと、ひとまずこちらの様子を窺っている。


キャンサー、見つかったんです?」


『いいや、見つかってない。該当のキャンサーを海保が見つけた時には、既に射撃体勢で特別葬儀官が接敵できなかった。強力な魔力反応をレーダーが感知してからポイントに着くまで約十分、その場でずっと魔力をチャージしていたらしい』

「随分時間をかけて撃ったんだな」

『それで、射撃後だ。弾道弾を撃った後、魔力反応もなくなって肉眼で視認もできなくなったそうなんだ。雲隠れしたみたいにね。だから、キャンサーが健在なのか死んだのかも分からないまま。近隣海域を調べても、悪性細胞のあの字も出てこない』


 つまり、キャンサーは超強力な魔力砲を放った後、完全に姿を眩ませたことになる。


 そんなことが可能だろうか。魔力の一切をかき消して行動することなど──


「……ドミニクさん、海上のキャンサーもあいつの作品だとかなんとか言ってませんでした」

「否定しなかったし、タイミングが完璧だった。間違いない──しかしどこに逃げた?」

『ひとまず海保には警戒を続けるよう進言しておこう。出向してる特別葬儀官には情報共有するよ』


 ドミニクは腕を組み、ああでもないこうでもないと自分の知識をフル動員させているようだ。


 人間に寄生するキャンサーを作ったオーウェンの事だ。今後どんなイレギュラーなキャンサーが居ても驚くことはない。シャルロットも一度交戦済みである──この場にいる人間の中では、唯一と言っていい。


 考えながら、シャルロットはノイエに聞いた話を伝えようと彼女の方を見やった。全体を俯瞰して、不意にノイエの背後に視線が移る。


 ノイエの一番後ろ──今しがた出てきた施設の入り口付近だ──に居る部下の一人が、何故かこちらを向いている。


 正確に言えば、顔の向きは変えないまま、側方にいるノイエをじっと凝視する形で。


 その視線に見覚えがあった。他の物など存在しないかのように一箇所しか見ない。そして対象が移動しても隠れても、視野から外れることがない。


 己を襲い罠にかけた、刃蟲のキャンサーが寄生していた、人間の目つきだ。


 仮に人間に寄生するタイプのキャンサーであれば──ポントス島近海に配備するとして、仕込むのは。


 それこそポントス島の人間以外に居ないだろう。


「──ノイエさん伏せてッ!」


 シャルロットが咄嗟に指示を出す。アイドル状態だったバトルブーツの増幅出力を一気に引き上げ、全力で踏み込んでノイエ達を庇うように躍り出た。


 ノイエの部下だった女が、腰から真後ろに九十度折れ曲がる。体液で濡れそぼったローブを歪に伸びた骨が貫き、増殖した悪性細胞が肉の砲身を伸ばしている。


 突然の事に、ノイエは振り向くのが精一杯だった。一瞬遅れてドミニクが愛刀を抜いたが、叩き斬る前に砲弾が発射されていた。


 シャルロットは大砲のキャンサーの目の前にいる。淀んだ魔力を漲らせる砲身を前に、全ての時間間隔が狂っていく感覚があった。


 避ければ後ろのノイエ達やポントス島に直撃する。被害は免れない。


 使用できるのは接近に使ったバトルブーツのみ。魔法障壁の展開はできる。


 ドミニクは間に合わない。むしろ彼に迎撃させると二次被害が出る。任せておけない。


 大砲のキャンサーを閉じ込めるのは駄目だ、沈黙できたとしても力の逃げ場がなくなって地面が抜ける。遺体の回収ができない。


 そもそも、放たれる砲弾の弾種が分からない。


 照射弾か? クラスター弾か、徹甲弾か? ナパームか?


 目の前を潰されるほどの閃光の前で、シャルロットはそれまでの思考をかなぐり捨てて地面を大きく踏み鳴らした。


 側方を屈めて、魔法障壁を斜めに展開。着弾と共に魔法障壁が揺れ、左手を這わせてガントレットから増幅させた魔力を供給する。


 どこにも弾を落とせないなら、せめて高高度にまで撃ちあげて炸裂させる。だから防御よりも、受け流すことを重視した。


 砲弾は単発式の照射弾だった。キャンサーの貯蔵魔力を全て消費して放たれた照射弾(レーザー砲)は、徐々に出力を上げながら魔法障壁に激突し、斜めに張られた障壁で上空へと跳ね上げられていく。障壁を押されてヒールが地面にめり込むが、障壁側に体重をかけ、倒れることは意地でも己に許さなかった。


「そのまま受けてろ!」


 一瞬で照射弾の射線から外れたドミニクが、大砲のキャンサーの側方から襲い掛かる。蒼光を纏って振るった一閃が大砲のキャンサーの首を切断し、ごとりと体液を滴らせて地面に落ちた。


 制御機関を失った砲身はやっと魔力を打ち出すことを止め、吐き出し切れなかった魔力が衝撃波になって周囲に拡散する。家屋は揺れ、木々の枝は折れ、鼓膜が割れるほどの爆音が響き渡る。


 ただ、魔法障壁のおかげである程度は緩和できた。側方から回り込んできた波動の影響はあるが、直撃は免れたはずだ。自分と後ろにいるノイエたちは守れた。


 では首を斬り落とした当人のドミニクは?


 ゆっくりと魔法障壁を解き、徐々に鮮明に見えてくる首無しになった大砲のキャンサーを睨みつける。


 少し離れた場所に、ドミニクは立っていた。ロングコートの裾や大きな袖がひっくり返るほどの膨大な魔力を放出し、納刀しながら様子を窺っている。


 悪性細胞からの強烈な魔力放出で、顔の左半分が青白く輝いて見えた。


「……貴様、まさか」


 ノイエが息を呑んだ。ハッとして後ろを振り向くと、彼女の部下も同様にドミニクに対して怪訝そうな表情を隠さずにいる。


 忌々しい、パムリコ島を葬った蒼い閃光。ポントス島にいる人間なら、覚えていておかしくない。


「まだ終わってないぞ」


 ドミニクはノイエ達の視線に気づいているようだったが、受け流したようだった。


 そんなことより、優先すべき事象がある。


「今のっ、慰霊公園に撃たれた弾ですか⁉」

「分からん。が、似てはいた。コイツかもしれんな──!」


 首から夥しい量の体液を流しながら、大砲のキャンサーは痙攣する手を地面につき、ブリッジの姿勢を取った。内臓が変化した肉の砲身を覆うように、あばら骨が展開していく。さながらパラボラアンテナのように、骨同士が薄い膜で繋がっていく。


 シャルロットはもっていたタブレットをノイエに投げ渡し、愛銃二丁を懐から抜き放った。


「ノイエさん下がって、キャンサーの相手なら私たちが!」


 あのアンテナは魔力の吸収器官だ。大気中から集めた魔力を砲身に集め、おおよそキャンサー一体では放てない威力の砲弾を放つ。加えて全天どの方位にも砲身を向けられる、砲撃特化のキャンサー。性質威力共に間違いなく、海上から砲撃したのはこいつだ。今は地面に足をつけているが、海上でも動ける機能があるに違いない。


 ドミニクがアンテナの受け皿を斬り落とそうと腰を落とす。キャンサーの砲身が、根元から徐々に膨らんでいく。


 居合の一閃は反射板を構成しているあばら骨の一部を切断したが、丸ごと斬り落とせたわけではなかった。膨らんでいた砲身から吐き出されたのは、砲弾ではなく悪性細胞の塊。それが空中で拡散すると、自立して動き出す。


 先端が細まった、短杖のような形だ。空中に浮いたまま、先端がシャルロット達を向き──本体から放たれたよりは小規模な照射弾が、その場にいる全員に向けて放たれる。


「我等は憂うな! 役目であらば完遂せよ!」


 ノイエの激が飛ぶ。ドミニクは大きく後退して照射弾を避け、シャルロットは再び魔法障壁を展開して受け止め、照射弾を硬化させる。逆流するように凍り付いた照射弾だったが、発射を取りやめたために悪性細胞の短杖を硬化させるには至らなかった。


 ノイエの方は、魔力と共に風を対流させることで照射弾を受け流したらしい。器用なものだ。


「子機の砲身⁉ ちょっと、遠距離特化じゃないんです⁉」

「まぁそりゃ、癌兵器なら近接戦闘にも対応してくるよな──!」


 固定砲台であり、接近してくる敵性体には複数の子機を用いた飽和攻撃で仕留めにかかる。乱戦時にこんなキャンサーがいたら、被害がどれだけ増えるか分からない代物だった。


 それ以前に。脈も心拍も計っていないから分からないが、このキャンサーは恐らく意識がある。肉体から悪性細胞が溢れ出てきた訳ではなく、体そのものが変質している。人間の社会に溶け込ませた上で、必要な時に兵器として呼び出せるのは、ドミニクの──ウォルフ・ライエのコンセプトと同じ。違和感を持たせないため、必要最小限の知能は保有しているはずだ。


 凄腕の魔法士であるノイエも気づかなかったほどの隠匿性。こんなもの、人ごみに紛れてしまえばぱっと見で分からない。


 オーウェンの兵器研究が、既に実用段階に入っている事が、心底恐ろしかった。


「……いつからだったのだ、ファルケ。いつから主は──」


 ノイエが渦巻く風の向こうで呟いている。こうなってしまった以上、葬儀官として為すべきなのは、適切に火葬し、遺骨か、遺灰だけでも親族や知人に返してやることだ。


「んもー! ちまちま撃って鬱陶しい!」

「お前が言うか、お前が」

「戦闘スタイル似てるのは分かってますよーだ! 私のが乱れ撃ちは得意なんですよ!」


 上空から、側方から、或いは地表スレスレから。俊敏に移動する短杖が、弾丸を霰のように撃ち込んでくる。


 全方位からのオールレンジ攻撃。捌ける人間はそう居まい。


 シャルロットは双銃を抜き、移動し続ける子機を撃ち落とす。向かってくる魔弾は、バトルブーツからの魔力放出で無力化。弾自体は悪性細胞だが、加速に使われているのは魔力だ。増幅させた魔力を雲状に展開することで、速度をそぎ落とす。暗い雲のように地上を這う魔力に突き刺さった弾丸は、雨雲のようにぽたぽたと地面に落ちていた。


 魔力の供給源を失った悪性細胞が、タールに溶ける。床は瞬く間に黒ずみ、悪性細胞の泥がヒールの蹴り込みで跳ね上がる。


「次弾なんぞ撃たせるか──ッ!」


 暗雲を従えるシャルロットとはうって変わって、ドミニクは蒼光を滲ませたロングコートの裾や袖を振るって悪性細胞を焼き払っていた。いつの間にか襟の留め具を外しているので、普段よりも大振りな動きに見える。


 しかし、斬っても再生して元通り。吸収した魔力を自己再生に回しているからか、速度も尋常ではない。焼き斬ったところで再生するスピードが上回るなら、相手は肥大化していくばかりだ。削りが間に合わない。


 ドミニクが忌々し気に舌打ちをした。彼に子機の砲身が向かわないよう最優先で撃ち落としてはいるが、迎撃にも限度がある。


 いつの間にか人間サイズの手足は木と見違えるほどの太さになり、アンテナ状の砲身を構成する骨や臓器も巨大になっていた。


「ノイエさん! 彼女の結束点は分かりますか⁉ 魔力の結束点、魂が宿ってる場所!」


 このままではじり貧だ。核に致命傷を与えて沈黙させるしかない。


 射撃しながらノイエに問う。振り返る余裕はなかったが、大きな声で返事が返ってきた。


「──骨盤だ。正確にはその中、卵巣のどちらかか、子宮かだ」

「ですってドミニクさん!」

「分かった──が、埒が開かん! 消し飛ばすことになるが、構わんな⁉」


 納棺している暇すらない。ドミニクが問うと、ノイエは直ぐに口を開いた。


「こうなっては、我等にはどうともできぬ。 送って、やってくれ」


 ──ポントス島を居住地とする先住民族は、キャンサーにならないらしい。古来より魔力の影響を受けてきたからか、肉体の魔力耐性がアトラス人よりも高いそうだ。死人は深海に葬られるのが常で、自然から産まれた存在であれば、自然に還るのが道理だと考えるそうだ。


 だから、彼らはキャンサーを知らない。見るのも、最期を見届けるのも初めてだろう。


 本当はノイエ達の伝統に乗っ取って送ってやりたかったが、キャンサーとなってしまった以上は適切に葬ってやる必要がある。


 この状況下でわざわざ承諾を得ようとしたのは、ドミニクらしいと言えばらしいが。


「注意が逸れればそれでいい!」

「言われなくても!」


 援護しろと言われなくても、言いたいことくらい分かっている。


 悪性細胞の泥をはね上げて、ドミニクが刀身を指先で撫でて魔力を込める。眩く輝いていた蒼光が吸収され、馴染んで黒鋼の刀身を青白く染め上げた。


 応じてシャルロットは魔力増幅器の出力を上げる。地面を張っていた暗雲が霧のように立ち込め、あらゆる者から視界を奪っていく。


 周辺の魔力を停滞させ、キャンサーの魔力感知能力にジャミングをかけた。この霧は、愛銃の弾種類である放射砲の仕組みを応用したものだ。雲状だったのは、照射弾の弾を止めるために密度を高めていたから。


 接触した魔力の全てが硬化するが、自前の魔力防御を持っているドミニクなら影響はない。当然、術者であるシャルロット自身も。


「いい加減──そのビット、邪魔なんですよねッ!」


 ガントレットの装甲が展開し、紅紫の魔力が滲みだす。同色の魔力を灯した愛銃二丁を構え、意識を暗雲の中に溶け込ませた。


 キャンサーの子機たる短杖のすべてが、己の感知内にある。動きの鈍った異物を撃ち落とすことなど、造作もない。


「いきますよドミニクさん!」


 銃口が光を噴いた。リコイルをいなしながら、的確に短杖を撃ち落としていく。一度の撃発で三連射しかできない魔導銃だが、両の手から速射することでさながらマシンガンをフルオートで撃っているような音が鳴り響く。


 魔力が弾ける。鳴り響く軽快な発砲音をBGMに、ドミニクが大砲のキャンサーに向けて刺突を繰り出した。


「──〝ぜっけんそう〟」


 普段、棺へ火入れする時に使っている固有魔法だった。


 キャンサーのアンテナの付け根に切っ先が突き刺さる。体を反らせて四つん這いになったキャンサーの、裂けた腰部だ。真っ直ぐ刺さった刀から光が消え失せ、青白かった刀身はあっという間に元の黒色に戻る。


 ドミニクが傷口に手を当てて塞ぎながら刀を引き抜く。彼が一歩下がった刹那、キャンサーの体が蒼炎に包まれた。


 悪性細胞が燃える。収縮した肉が骨を砕き、鈍い悲鳴じみた音をアンテナが反響させる。反射板を構成していた隔膜は溶け落ち、泥になって地面のタールと同化する。


 せめて、遺灰は回収できるだろうか。そう思ったけれど、骨も臓器も悪性細胞に変わっていたようで、全てが魔力に溶けて行ってしまう。


 暗雲を構成していた魔力を解き、シャルロットはキャンサーが納棺されないまま焼き尽くされるのをじっと見ていた。


 残るものが何もないなんて、悲しいことがあってもいいのだろうか。


「……流石に何も残らなかったか」


 ドミニクが呟き、納刀した。


 最終的に地面を覆っていたタール状の悪性細胞も焼かれ、残り火がパチパチと燃え輝いているだけ。キャンサーが生み出していた魔力は煙のように燻って、空に溶けていく。


 海底ドックへの入り口だった瓦礫の山と、ポントス島特有の風景に舞い戻る。

 ここで人一人、キャンサー一つ。消滅したことが初めからなかったように、以前と風景は変わらなかった。

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