第三章 深海の蓋を開ける者 4

 何故、自らの罪を白状するのか。償いのためでなく、挑発のつもりなのは明白だった。


「──おまえ、が」

「ああそうだとも。十五年前だったか? 私はある筋から一つ頼みごとをされていてね。魔女の魂が転生したから、それを手に入れてほしいという話だったが……部下が役立たずでね、私自ら出張る必要があったわけだ」


 歌うように語るオーウェンの後ろで、キャンサーは着々と再生を続けていた。再生を終えるまでの僅かな時間で、全て吐いてもらわなければならない。


 テオドリックは、この男に、殺されたのだ。アウロラの研究施設で見た映像で、父を撃っていたのは確かに栗毛の男だったような気がする。容姿に関しても、年月の経過を踏まえれば順当だ。


「私としてもいい機会だったのだよ。ちょうど実験体が欲しいところでね、死体を探していた。問題は、張り切り過ぎた部下が被検体を集め過ぎたことだったが」


 おかげで公安組織がでてくる大事になった。困ったものだ。


 オーウェンは苦笑して、シャルロットのガントレットを杖で小突いた。気安く触るなと払いのけたシャルロットは、体をゆっくりと起こす。


 熱湯に落とされたかのように不愉快な熱が全身を襲う。ぞわりと襲った悪寒が全身を硬直させるが、シャルロットの体は動いてくれた。症状としては魔力中毒に近い。全身に一極化した魔力が作用した結果、体内の魔力バランスが崩れている。


「……は、今更──」


 体の負荷がどうした。絞り出した言葉には怨嗟が籠っていて、我ながら怖いなと苦笑するほど。身体を蝕む魔力の狂いよりも、怨敵が目の前にいる歓喜の方が強かったのだ。


「一回、諦めた癖に、今、何の用? もしかして、ネル・ブライアンの割れ目火口の件、お前たちだったりする?」


 シャルロットは問うた。己の身柄に関しては、癌化したテオドリックが周辺警護を続けたため断念されたはずだ。


 ノイエの供述。誰がやったか分からない割れ目火口の圧縮隠蔽に、ポントスの子供たちの取引先だった潜水艇。どれも奇妙だったが、テラサルースが関与していたのなら──多少は、納得がいく。


「半分正解で半分間違いだな。元々はデモ会場でテロを行う予定だったよ。車を突っこませる予定だったんだが……必要だった高純度の魔石が予定通り手に入らなかったので、取りやめることになった。そして主導したのはポントスの右派だ。私ではない」

「なら、どうしてお前が、ここに」

「どうして? なに、君がいると聞いたからね。便乗しただけさ」


 シャルロットは取り落としていた魔導銃を握り、深呼吸してからオーウェンに突き付けた。


 視界がちかちかと燃えている。陽炎の様に揺らめいていて、オーウェンの姿もキャンサーの形も鮮明に見えない。握りしめたグリップは上手く機能してくれなくて、愛銃は魔力増幅を開始してくれなかった。


「まぁ……ポントス寄りの過激派を支援しているのは、我々ではあるが。技術から人員から、少数民族を讃える一派になど準備できないさ」


 オーウェンの言葉に、構わず引き金を引いた。魔導銃の術式は正常に作動せず、散弾の様に銃口から結晶が飛び散った。幾ばくかがオーウェンの頬を裂いて突き刺さる。


 彼は興味深そうに己の頬に刺さった結晶片を抜き、子供のような笑みをこぼして観察した。目の前のシャルロットから一瞬で興味が失せたかのように、杖をつき、そこら中を歩き回りながら。


「これが魔女の結晶か。ふむ、人が作ったとは思えないほど純度がいい。鋭利な刃物にもなりそうだが……これを鉛玉にしているのかね? 勿体ないな」

「だ、まれ──!」


 煽られて耐え切れず、もう一度引き金を引く。今度は魔力が足りず、トリガーを引いても弾丸の欠片すら出なかった。


「まぁ、なんだ。テラサルースは既に君を必要としていないが、私が私情で欲しかったのさ。ウォルフ・ライエは居なくなってしまったからね、新しい──玩具が欲しかった」

「この、化け物が……!」

「おや、心外だな。君の方が相応しいのではないかね? 白き魔女。君の魂は、元より世界にとって異物であるはずだが」

「死体を、弄んでるやつに……言われたくない!」


 魔導銃を捨てて殴りかかる。蹴るとバランスを崩しそうなので、拳を振るうしかなかった。


 腹立たしいことこの上ない。魔力には異物が混じって増幅器が作動せず、武器の全てを塞がれれば、後は体でなんとかするしかないのだ。


 魔導機器の補助なしに魔力を扱う手もあるが、これは本当に最終手段だ。トランスが起こる危険性が高く、周囲の事も考えるとデメリットが大きすぎる。市民とインフラへの被害は最小限に。脳裏に過ぎるくらいには、激怒していても理性は働いていた。


「なに、君の父君とて癌化した方が幸福だったのではないかね? 守ると決めた愛娘を死後も見守れたのだからな」

「──っお前が、言うなァっ!」


 どの口がほざく。振るった拳はひらりと躱されて、体制を崩したシャルロットは後ろから押されて再び倒れ込む。その先には、再生を終えて準備万端と言いたげな刃蟲のキャンサーが待っていた。


 花弁のように広がった尾が迫ってくる。ここでシャルロットはこのキャンサーの造りに合点がいった。鎌とハサミは獲物を捕らえるための武器。長くて広がる尾が捕獲器で、妙に悪性細胞が流れ出てきた腹部は保存容器だ。強固な外骨格のおかげで、問題なく運べるわけだ。


 人間に寄生していたのは、対象を見つけて捕獲に乗り出すまでのカモフラージュ。そういえばドミニクが、癌兵器として使いやすいよう、人に紛れられるように調整されたと言っていなかったか。


 まさかこの刃蟲のキャンサーも、この男が作った癌兵器か。どこまでも悪趣味なことをしてくれる。


 逃げなければ。そう思っても、散々熱に弄ばれた体は言うことを聞いてくれなかった。


 見上げた花弁の奥に、返しが大量についた細い食道が見えている。じりじりと後ろに後退するのが手一杯で、キャンサーの動きに到底ついていけない。


 魔力中毒がこんなに苦しいとは思わなかった。巧妙に仕組まれた罠にかかった自分の失態だ。追っている間にどうして足元の魔石に気付かなかったのか、我ながら不注意にもほどがある。


 けれど、このまま捕まるわけにはいかない。絶対に、父の二の舞になるか──もっと酷い目にあうのは分かり切っている。


 殺される。


 それどころか、死後の魂すら弄ばれる。


 そんなこと、許せるはずがない。


 誰にも捕まらないと、捕らえられないと、自信満々で父に告げたのに。


 こんなにもあっさり、約束を破ることになるなんて、不甲斐ないにもほどがある。


「──〝刹迅神雷〟!」


 刹那、シャルロットを飲み込むはずだった花弁の尾が、重力に沿ってぼとりと落ちた。重さに呻くと、次の瞬間には取り払われて空が明るくなる。


「……貴様、何をしている! オーウェン・E・エルゼルト!」


 ドミニクの声がした。居合でもって、キャンサーの尾を外骨格ごと切断したのだ。


「……ドミ、ニクさん」

「嫌な予感的中か。後は俺に任せろ。直ぐにヴェルト捜査官が来る。ジオの兄の方だ」


 シャルロットをちらりと見て無事を確認したドミニクは、刀に付着した悪性細胞を振り落とした。


「楽に逝かせてやる。そいつの指示は聞かなくていい」


 静かに言って、ドミニクは刃蟲のキャンサーに斬りかかる。迎撃に振るわれた鎌とハサミを、蒼光で眩く輝く刀身が斬り裂いた。


 普段よりも、遠慮なく。ドミニクの怒りを具現化させたような荒れる燐光が、剣閃を伴って黒光りする外骨格を斬り刻む。旧市街の古い建物の壁に体液が飛び散り、魔弾では貫通しなかった外骨格が路面に転げ落ちた。


 シャルロットは手こずったというのに、ドミニクが簡単に沈黙させられたあたり、やはり相性が良くなかったのか、単純にシャルロットとドミニクに力量差があるのか。あのくらい強かったら、逃げられる前に片をつけられたかもと、少々やるせない気分にはなる。


 満足したらしいドミニクは、キャンサーの残骸を一つ一つかき集めて山を作り、クラウィスにショットシェルを詰めて魔弾を放った。

 一射目で魔法障壁を展開し、二射目で錠前を出現させて施錠し障壁でキャンサーを包み込む。バラバラになった刃蟲のキャンサーを魔法障壁でできた箱に納め、錠前である魔力の塊にクラウィスを刺したまま、棺の前に歩み出た。


「……静かに、眠れ。同胞よ」


 棺に輝く刃を突き立てる。オーウェンはその一挙手一投足をどこか感嘆と眺めていた。


「あぁ、ウォルフ・ライエじゃないか! 死んだと思っていたが生きていたのか、噂に聞いた通りだ! そんな立派な服を着て……偉くなったものだね。そうか、葬送庁のドミニクとは本当に君だったのか、納得だ」

「ほざけ。質問に答えろ。何をしていると聞いた」

「何を? ああいいとも、君は我が子のようなものだからね! いやなに、最近玩具がなくってね。タイトロープ島に彼女がいると聞いて、気になっていたから拾いに来たのさ。ひっそりとデモに紛れて手に入れられそうだったからね。彼女が特別葬儀官だったのも功を奏した、キャンサーを差し向けて誘導するのがとても簡単だったよ」


 子供のように顔を綻ばせたオーウェンに、ドミニクは愛刀を向けた。ドミニクが来たことで少々気が抜けてしまったのか、消えそうになる意識を繋ぎ止めて何とか端に寄り、壁にもたれ掛かる。


 ドミニクはオーウェンを知っている様子だ。彼の語り口からして、旧知の仲なのだろう。彼の記憶はパムリコ島に居た以前はないから、つまるところ──


「貴様、アズテック諸島の周辺海域にキャンサーを仕込んだな? 式典に合わせて撃ってきたのはお前が作った癌兵器か。あいつもだな?」


 ドミニクが切っ先をオーウェンから棺に移した。先ほど粉微塵に切断した、黒い外骨格を持つ刃蟲のキャンサーが収められている。


「そいつは、完成品か」

「そうとも。人間を捕獲するためのキャンサーだ。よくできているだろう? 君は管理が難しくてあんな結果になってしまったが、ふむ。悪性細胞が首まで行ったか。成長しているようで何よりだ」

「あんな結果だと⁉ 島一つ消しておいて、三千人も殺させておいて、何をぬけぬけと! 貴様、⁉」


 ドミニクが吼え、オーウェンに向けて刀を振りかざすが、杖で受け止められる。


 武闘派の見た目に見えないが、彼の攻撃を受けるとは。ただのマッドサイエンティストでもないようだ。


「それは妖刀かね? 実にいいものを造ってもらったな、私にも見せてくれないか?」

「誰がお前に寄越すか! ──貴様、俺達が慰霊公園に行った時、居ただろう! 見間違いであって欲しかったがな……!」


 片手で斬撃を受け止める男は、ドミニクの実力を知る身としては奇妙に思えた。


 深い鍔迫り合いの後、シャルロットを庇うようにして立ったドミニクが、愛刀を正眼に構える。続けて斬りかかるものの、異常な速さでオーウェンは対応してみせていた。


 普段のロングコートではないが、刀に魔力は籠っているし、威力も申し分ないはずだ。であるにも関わらず、細身の壮年が、ただの杖で応戦できてしまっている。


「嬉しいよウォルフ・ライエ。癌の本能に呑まれようとも己が理念を手放さない、プロトタイプにして完成品だ。壊れない方法は分かったが、そうするとが失われてしまってね。困っているから、もう一度だけ実験に付き合ってくれないか?」

「貴様の御託は聞き飽きた!」


 ドミニクがオーウェンの杖を弾き返すが飛ばすには至らない。身体能力や魔力生成量で言えばドミニクが圧倒的に上のはずだ。年齢で言えば正嗣やテオドリックと同年代と考えても、汗一つ垂らさずにドミニクの斬撃を捌けるのには理由があるはずだ。


「ふむ、ダメか。ではそこの彼女を弄ることになるが、構わないのかな?」

「ふざけるなよ貴様、コイツにまで手を出すのか! 大体ッ、やるとでも思ってるのか⁉」

「そうだとも。仕方ないのではないかね? 君が戻ってきてくれないのだから」

「貴様!」


 ドミニクが声を荒げて斬りかかる。声には憎悪と怒りが乗り、流麗だった剣技が荒々しくなっていく。時たま掴みの動作を入れているのは、恐らく本能的な殺意とオーウェンへの激情が混ざっているから。


「人のせいにするな、全部お前の意志だろうがァッ!」


 ドミニクの左の掌に魔力が灯る。真っ青な閃光を伴って撃ち込んだ掌底は躱されるものの、魔力爆発でオーウェンを吹き飛ばす。


 が、オーウェンは魔力でできた水で膜を作り、直撃は免れたらしい。衝撃で大きく飛び退いたものの、体勢を崩しながらも倒れることはない。


 ドミニクが左手を振り払う。式典礼装の手袋が、焼け焦げて路面に落ちた。


「あぁ、ではこうしよう。君も彼女も来てもらえばいいんだ。大丈夫さ、乱暴はしない」

「断固として拒否する! 貴様に従う義理は微塵もないッ!」

「従う、と表現するのが君の良い所だよ、ウォルフ・ライエ」


 子を微笑ましく見守る親のような顔で、オーウェンが杖を掲げる。


 シャルロットは熱に魘されてぼんやりとしながら、己の頭上に現れた水塊を見た。


 無詠唱の汎用魔法、水禍一式。家一つ圧し潰せるほどの大きさと質量だ、使用されている魔力も比ではないだろう。


 足音が聞こえて視線だけ向けると、酷く慌てたドミニクがこちらに向けて駆けだしていた。


 一瞬でそばにやってきたドミニクに肩を担がれるが、離脱が間に合わないと判断したのだろう。重力落下してくる水塊に向けて、彼は蒼光を滾らせる妖刀を突きつけた。


「〝ぜっけん耀よう〟ッ!」


 固有魔法を喚ぶ声は、怒号にも似ていた。


 妖刀の切っ先から熱線砲が放たれる。極太の砲撃は水塊を真正面から貫き、弾丸は雲すら貫いて天に届いた。反動でドミニクの足が石畳にめり込み、細かく割れた石片が溶けて灰になる。


 爆音と共に、水塊が水蒸気となって爆発した。ドミニクはそのままシャルロットに覆いかぶさり、熱波から彼女を守る。


 衝撃で頭がくらくらする。せっかく綺麗にセットしたオールバックを乱して、ドミニクが自分を見下ろして泣きそうな顔をしていた。


 守れてよかった安堵と、自分と同じ目に合わせるところだった焦燥と。


 色々な感情がない交ぜになって、何を考えているのか判然としない。


 ただ、ドミニクの魔力を至近距離で浴びて、少し魔力酔いが緩和した気がする。ゆっくりと身体を起こすと、動けたことに慌てたドミニクが背中を支えてくれた。


「おい、大丈夫か……⁉」

「全方位からの魔力爆発で、酔いました……今のも、ドミニクさんが庇ってくれたので。背中、大丈夫です……?」

「自分の固有魔法で負傷する阿呆がどこにいる、自分の心配をしろ」

「大丈夫ですよ、守ってくれるんでしょう? ところで、あの外道なんですけど……」


 ドミニクが交戦している間、シャルロットはオーウェンの体を観察していた。目を凝らすと、ちょうど首筋に少量の血が付着しているのを見つけたのだ。


 注射針を刺したあと、止血処理をしなかった時のような。皮膚の奥から滲み出る、ほんの少しの血痕。


 故に、シャルロットはオーウェンの異常な魔力生成量をこう結論づけた。


「多分、ドーピング、してます」


 呟いた言葉に、ドミニクがびくりと反応した。薬物投与。あの男、己自身すら被検体にしているらしい。


「見込み以上だ……素晴らしい」


 ツインレイの視線がオーウェンに注がれる。険しい睥睨に臆することなく、オーウェンはおもむろに拍手を繰り返していた。


 パチパチと場違いな賞賛が届き、シャルロットは眉根を寄せる。


「いやァ素晴らしい! 首の悪性細胞といい、生成量が上がったのではないかね? アレ一発で人間何人分の魔力が内包されていることか! 嬉しいだろうウォルフ・ライエ、ここまで人知を超えた力を得られたのは私のおかげなのだがね!」


 どこか恍惚とした声からは、純粋な興奮しか感じ取れなかった。


 気味が悪い。かつての実験体が己に牙をむいている状態で、身の危険を感じていない。公職の人間に対して大掛かりな罠を仕掛け、しばらくすれば警察に属するエルも来る。逮捕は免れないというのに、どうでもいいと切り捨てんばかりだ。


 怖くはないのか?


 純粋な疑問がシャルロットの脳裏に過ぎる。


 罪を犯すことが。


 己の人生に泥を塗ることが。


 自由を失い、責務を負うことが。


 ──デメリットよりも、己の好奇心を満たしたい気持ちが勝るのか?


「流石目ざといな、ソーン嬢の指摘は正解だよ! 人間で治験はしていたが、うまく作用するとわかったなら体験してみたいのが研究者の性だろう? これは肉体の魔力伝導率を上げ、感受性を高めることで魔力生成量を増やせる薬でね。細胞が生きたまま悪性細胞の近い動きをするよう誘導するものだ。初期は君で治験していたんだが、濃度が高くてね。惜しいことをしたよ、それで自己崩壊症を発症させてしまった」


 申し訳なく思っているんだよ。オーウェンは己の成果を揚々と語るが、本心のようにも、嘘の様にも聞こえてちぐはぐだ。


「だが、この薬を製造できたのも君がいてくれたおかげだ、ウォルフ・ライエ。まさしく君の功績の一つだよ。本当に昔から、いい仕事をしてくれる」


 恐らくどちらも本当なのだろう。ドミニクを誤って自己崩壊症にさせてしまったのは、自分の落ち度だから。そして、事故がなければもっとよく作れただろうという、研究者の自負から。


「あぁ、そういえば──もしかしてアウロラの研究施設を焼いたのも君たちだね? ありがとう、助かったよ。子供は理性も知性も発達していなくてな、あっという間に自我に呑まれて暴走してしまった。入り口を塞いで放置していたんだが、かつてと同じく処分してくれたそうだね。礼を言おう、ウォルフ・ライエ」

「俺をその名で呼ぶな!」


 先ほどから、シャルロットの知らないことばかりが双方の口から飛び出てくる。


 内容を整理すると──オーウェンがパムリコ島で実験をしていたテラサルースの人間であり、父テオドリックを拉致殺害し、今は被検体としてシャルロットを求めている、らしい。


 つまるところ、シャルロットの仇とも呼べる人間が、テオドリックはおろかドミニクすら実験体にしていたようだ。


 ドミニクも、テオドリックも、あんな形の末路を迎えた鋼鉄のキャンサーも、皆この男が作ったというのか。


 ──そして、そんな男の新しい玩具にされかけていたらしい。危険を回避できなかった不甲斐なさよりも、やはり憎悪の方が先に来る。


 死者を冒涜して。


 生者すら物扱いして。


 加えて──父を、殺した。この男が。


 ドミニクすら手玉にとった、この男に。


「逃げられると思うな、きっちり報いは受けてもらうぞ!」

「いいのかね? 私が全て吐けば、君もパムリコ島を滅ぼした犯罪者として表に出ることになるが?」


 せせら笑ったオーウェンの言葉に、ドミニクの動きがびくりと止まった。


 彼が最も望んでいて、しかしきっと、最も恐れている事だった。


「設計が間違っていなかったのが幸いだ。いいかねウォルフ・ライエ。君は最早人でもキャンサーでもない。その中間の特性を有する半人半癌だ。だから君は癌化しても人の形に戻れるし、人間のままキャンサー並みの魔力を行使できる。このアトラシア大陸において、君以上の兵器は存在しまいよ」

「誰が俺をそう変えたと⁉」

「まぁ落ち着け。だから安心したまえよ。、パムリコ島のようにはならない。既に私の下を巣立った身だ、今後は好きに生きるといい」


 身勝手極まりない物言いに、ドミニクの額に青筋が浮いた。彼が振るった刀はやはり阻まれたが、ドミニクの手からするりと抜ける。彼は愛刀を拾わないままオーウェンの胸倉を掴み、壁に叩きつけた。脚が宙ぶらりんになるほど持ちあげられても、オーウェンは顔色一つ変えない。優位に立っているのはこちらだと言わんばかりに、思うままにドミニクに言葉を投げかける。


「何を勝手な──」

「いい機会だ。取引をしよう、ウォルフ・ライエ。君はそこの彼女を私に引き渡す。私は君がパムリコ島の件に関わっていると知る者や暴こうとする者を見つけ次第始末しよう。どうかね? 互いに利益しかないと思うが?」

「貴、様……!」

「殺したくない壊したくないとあれほど言っていただろう? なのにどうして葬儀官なんて人間を殺す仕事をしているんだ? その立派な刀も服も、君を縛るための枷に過ぎないだろう」


 魔力酔いは少し緩和されたが、安心感と疲れで意識を保つのも難しい状態だ。シャルロットは会話を聞いている事しかできないのに、ドミニクの方もなんだか、現れた仇敵にしか意識が行っていないようだ。


 さっきは守ってくれたのに。今はあの男の事ばかり。ドミニクも思いがけぬ再会に、余裕がないのだろうが。


 シャルロットはオーウェンへの憎悪と別に、もう一つ感情が芽生えている事に気付いた。


「本当は平和に過ごせるだけでいいだろうに。罪だなんて思うから、そんなに険しい顔をしているんだ」


 自分が知らないドミニクの事を話さないでほしいし、そもそも旧知で仇敵だとはいえ、相棒である男を唆そうなんて、その。


 なんか、ムカつく。気に入らない。


 シャルロットは手元をまさぐり、落ちていた赤い魔石を見つけると、乱雑にオーウェンに向かって投げつけた。放り込まれた魔石はドミニクとオーウェンの間に割って入って、加熱した魔力が作用したのか小さく爆発した。


 ぼん、と少々間抜けな音がして、二人の視線がシャルロットに移る。


「痴話喧嘩、やめて、くれません?大体、火葬したキャンサー、忘れないでくださいよ」


 火葬は終わっているはずだ。灼熱の炉から、遺骨を早く出してやりたい。


 オーウェンを始末するならしてほしいし、正直放置されるのが一番しんどい。色々な感情が混ざった結果、ドミニクへの愚痴として出力されてしまった。


「おい! お前、何してる!」


 息も絶え絶えに出てきた言葉に、オーウェンが苦笑いして、爆風でよれた服を整える。路地裏の向こうからエルの声が聞こえて、撤退を決めたようだった。


「まぁいいさ。君が殺しを望むなら、私はいつだって君を歓迎するよ。ついでにそこの魔女殿も連れてきてもらえると、君と同じ処置ができて二人仲良く一緒だ、嬉しいだろう?」


 物騒な捨て台詞で勧誘して、オーウェンは杖で地面を叩いた。


「ではなウォルフ・ライエ。それから白き魔女。また会おう」

「待て、逃がすか……!」


 再度、杖が地面を踏み鳴らす。波紋の様に広がった魔力がばら撒かれた魔石に伝播し、落ち着いていたはずの魔石に再び光が灯る。


「〝水禍すいか九式・煙霞えんか〟」


 汎用魔法の最上位、九式は環境操作を行う。魔石から濁った霧が湧き出て、ドミニクは刀を拾ってからシャルロットの体を抱き上げる。


「ヴェルト捜査官! 来るな、九式だ! 巻き込まれるぞ!」


 恐らく増援に来ていただろうエルに鋭く呼びかけて、跳躍したドミニクは建物の上へ着地する。地面はあっという間に淀んだ霧に覆われて、オーウェンも棺も見えなくなる。


 直後、エルが起こしたらしいつむじ風で毒霧は払われたが、ぼろぼろになった棺と地面に落ちたクラウィスが残っているだけだった。


「……ほったらかしにして。知ってる人に会うの、嬉しかったんです?」


 乱暴に抱きかかえられて頭痛が酷くなった。恨みがましく皮肉を言うと、そっと屋根の上に降ろされる。


「そんな訳あるか。お前が無事だったから安心しただけだ」

「……うそつき。魔石投げるまで振り返りもしなかったのに」


 青い空は、徐々に雲に覆われていた。


 柔らかな逆光でドミニクの顔には影が落ちているが、双眸だけが金色に輝いている。瞳孔が開き過ぎで、彼もかつての己を知る男との再会に精神が乱れているようだ。


 シャルロットの小言に絶句したドミニクは口を半開きにして、自覚したと同時にどう謝ろうか考えているらしい。


「……いいです。助けてくれたから、それで」


 ちょっとだけ悪いことしたかな。


 いじわるが過ぎたと反省して目を細めると、ドッと疲れが襲ってくる。瞼は強制的に閉じてしまって、重たくて開けられそうにもなかった。


「ホワイトフィールド! シャルロットは!」


 足早にやってきたエルを見て、ドミニクは彼女を姫抱きして飛び降りる。横に並んでいたいから、お姫様抱っこなんてほんとはされたくないが、抗議する余裕もなかった。


「魔力中毒だ、救急を呼んでくれ。それから──」

「あぁん⁉ これ、押収した魔石──」


 ゆっくりと耳が遠くなっていく。落とされたらたまらないなと思って、シャルロットは式典礼装の襟をぎゅっと握った。


 ちょっとだけ、怖くはある。オーウェンの提案は、確かにドミニクにとって利点しかない──本人に言ったら、お前の事を抜くなと怒られそうだけれど。


 売られたら、どうしよう。そんなことするはずないけれど、なまじ自分が、そういう利己的な考えをしてしまうから。


 いくら考えても分からない他人の思考なんて、考えれば考えるだけ、沼にハマってしまいそうな気がして。


 ──勧めてしまいそうな気がして、怖かった。しないけれど。

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