第三章 深海の蓋を開ける者 3
慰霊碑の周りは沢山の花で彩られ、犠牲者の命を弔っていた。日よけのテントの下、端の椅子に座ってスタインズ市長の弔辞を聞く。
多くの命が失われ、築かれた文化は消失した。ポントス人とアトラス人を繋ぐ架け橋だった島は、一瞬で白く燃え果てた。今は深い霧の奥で、灰に帰った人々を海に帰すこともできないまま、静かに眠っている。
その眠りを妨げることはできないと、彼ら自ら拒絶しているかのように。人種問わずに死した命は、双方の断絶を許さないだろう。
如何なる思想、理念であっても、彼らはヒトによって殺された訳ではない。アトラスが抱える癌災害の──いわば天災の犠牲となった者達だ。
私は唯一の生存者として、この巨竜の
慰霊碑の向こうに見える海上には、薄暗い霧に覆われた海域がある。パムリコ島は耐魔力装備を着こまないと侵入できないほどに大気中の魔力が荒れていた。白くすべてが灰に消えたというのも、交戦したジオ達葬儀官と、唯一の生き残りであるリアムの証言によるものだ。巨竜の
──本当に、真っ白だったそうだ。建物の残骸すら残さず、火山灰の様に降り積もったのは、溶解した有機物の成れの果てであるらしい。
あれをやったのは、俺だ。
今はそれを刻みつけて、せめて死後の安息を祈ろうとしよう。
葬送庁長官であるルクスフィアの挨拶も終わり、一分ほどの黙祷を捧げる。そのさなか、耳につっこんでいたイヤホンマイクに通信が入った。ちらりと控えていたジオを見ると、主賓席にいるルクスフィアの元に寄ってなにがしかを伝えている。
『パムリコ島沖合に高魔力反応を感知したと海自の巡視船から報告。
警備隊と繋がる回線ではなく、葬儀監督署の回線だ。こんなときに、よりにもよってパムリコ島で
が、海で出た
しかし、海上保安庁で対処できるなら、葬儀監督署に連絡が来ることはないのでは。ジオがルクスフィアに耳打ちすることもないのではなかろうか。
疑問を黙殺していると、今度は出席者の列に戻ったリアムに何かしらの報告がいく。
『対象から高魔力反応、これは──』
その通信の最後は、ノイズでかき消されて聞こえなくなった。
一体何だったのか。黙祷中は目を閉じているので、様子は分からない。終わったところで目を開いたドミニクが見つけたのは、パムリコ島を覆う白霧の向こう、天に昇っていく何かだった。
参加者席にいる者にも、会場を離れた位置から見ている者にも見えていた。
なにあれ、とガヤが騒いでいるのが聞こえる。ノイズが走って巡視船と連絡が取れなくなったタイミングと、現れたのはほぼ同じだろう。魔力が作用して通信が断ち切られたのなら、復旧も早そうだが。思いながら、ドミニクは空を駆け上がる物体を見た。
遠方からでも分かるほど光量がある。細く伸びているのは魔力の残滓で、さながら彗星のようだ。
あれはなんだ。ドミニクが座ったまま物体を凝視し観察している間に、慰霊式典の会場では騒動が起こっていた。
『──応答──くだ─い!
ノイズが晴れていく中、イヤホンが巡視船からの連絡を受け取った。聞いている者は相違ないが、緊急事態が起こったことは明らかだ。
リアムが司会に話しかけ、幾ばくかのやり取りの後に司会がマイクの前に立った。
「──プログラムを変更しまして、これよりニ十分間休憩と致します。ご来場の皆様は、慰霊公園にお移り下さい」
ざわ、と観光客が不安げに騒いでいる。一斉に動いた警備員たちが誰彼問わずに慰霊公園の方へ誘導を始め、ドミニクは小さなイヤホンを操作してシャルロットに呼びかける。
立ち上がり、真っ先にルクスフィアの元へ向かいながら。苛立って眉間の皺が二割増しになるのも構わずに。
「シャルロット、ドミニクだ。お前、今から会場に来い!」
『なんです、こっちも手が塞がってるんですけど!』
応対に出たシャルロットはどうも走っているようで、息を切らしながら返事が返ってくる。
「海上から
『はぁー⁉ こっちはデモしてるとこに
「あぁ⁉ タイミングが悪すぎるだろうがどうなってる!」
『そんなこと言われても知りませんよ! ところでドミニクさん、生きた人に寄生する
向こうも非常事態のようだ。配置が逆ならよかったのに、なんて両方が思っているだろう。
「寄生なんて聞いたことがないぞ」
『ですよねぇ! しかも逃げるし再生速度は遅いしなんなのコイツ……!』
シャルロットは走りながら声を荒げた。聞きながらまだ上空へ駆けあがっている大魔法が、どこか引っかかっていた。
『急ぐんで切りますよ、一応、火葬終わったらそっち行きますから!』
一方的にシャルロットが通信を切った。
妙な胸騒ぎがする。ミサイルのような挙動をしている癖に、どうしてあんなに高く飛び続けるのだ? 上ではなく真っ直ぐ飛ばせば、距離も威力も減衰しないはずなのに。
まるで、ここに向けて攻撃しましたよと宣言するのが目的のような──
「ドミニク、シャルロットは」
「市街地で
「
「──シャルロットを一人にはしたくないが……」
「アレをどうにかしない限り、行けませんね」
ドミニクとルクスフィアは、今もなお天を駆け昇る魔弾を睨みつけた。
事態を重く見ていて、敬語に切り替える余裕がなかった。警備の人員は民間人の避難に手いっぱいで、対処に動ける人間は数少ない。ミアが会場の外から戻ってきて、最後になぜか落ち着いた様子のリアムがやってきた。
ひとまず全員揃ったか。ジオの姿を探すと、何故か大荷物を積んだ中規模のトラックを会場内に誘導している。
「民間人は噴火用のシェルターに入ってもらってるよ、一応大丈夫」
「へーデルヴァーリ長官、俺もだが悠長にしている場合じゃない。直ぐに俺達も避難だ」
「スタインズ市長はそれで構いません。しかし、対処できる我々がこの場を離れるわけにはいきませんね」
ルクスフィアは雲の彼方に消えた大魔法を睨みつけながら続けた。
「
「じゃあどうす──」
「こっちこっちー。あ、この岬の先端につけちゃって。そこが見晴らしがいいからね」
口論が起こりそうなほど張り詰めた雰囲気を、ジオの呑気な声がかち割った。
「なんかタイミングの良いことに、移動型の狙撃砲があってね」
「そういえばネル・ブライアンで新兵器の試射やってたなーって思って。そこから手配してもらっちゃった」
腰に両手を当て、ふふん、と自慢げにミアが言う。タイミングがいいというか、良すぎる気がするが、それを考えるのは後だろう。
「長官、着弾までは」
「海保の計算だと十五分です」
「よし、任せた」
狙撃でミサイルを撃ち落とすのは難儀だろうが、ジオなら当ててくれるだろう。無条件の信頼を置いているので、ドミニクはこの段階でほっと息を吐いた。
ではやるべきことはない。シャルロットの方も気になるし、任せて移動するべきだろう。踵を返そうとすると、あら、とルクスフィアが間の抜けた声で呼び止めた。一体何をしているのかと素直に驚いている顔である。
「撃つの、ホワイトフィールド君だよ?」
「は? 俺に狙撃なんか務まるわけないし、俺より遥かに適任がいるだろうが」
ジオを指さすと、これまたあっけらかんとした言葉で返事がくる。
「あれは魔導砲だよ? 射手の魔力を砲弾に変換するものだ。私じゃ使えないし、魔力量的に届くのはドミニクだけだろう」
は、とドミニクは中型トラックの上の狙撃砲を確認した。高射砲や迫撃砲のように、複数人で運用する前提のつくりをしていない。大型の魔導機器に巨大な砲身を取り付けたような出で立ちだ。人間が乗り込む形をしている。
ドミニクは中型トラックから岬の先端に降ろされている魔導砲と、最終的な指示を出すルクスフィアを交互に見た。
「スペック上、撃てるのは貴方しかいないわ」
「俺に、狙撃で、落ちてくるミサイルを、一回で、撃ち落とせと?」
「えぇ」
「無理だ」
ドミニクは即答した。
そう、無理である。そう判断する。
元々射撃の腕はあまり良くない。ジオはおろか、乱れ撃ちを得意とするシャルロットよりも劣る。魔導銃を撃つなら刀から魔力の斬撃を飛ばした方が速いと思う始末だ。性に合っていないのである──二人とも射撃の腕は異常なほど突出しているのだから、比較されても困るのだが。
条件も悪い。用意されたのは見たところ単発式の魔導砲だ。弾道ミサイルを迎撃する場合、複数の地対空ミサイルを放ち、そのうち一つが本命の弾道ミサイルを迎撃できればいい。百発百中など端から無理なのだから、数で対処するものだ。
「俺の射撃の……狙撃の腕は知っているはずだが?」
撃って当たるのはせいぜい近距離だ。三ケタメートル離れてしまえばろくに当たらない。そんな人間に任せるとは何を考えているのか。
「大丈夫さ、スポッターは私がやるし、ミアが君に合わせて調整してくれる。海保が弾道の予測もしてくれるはずだ。私だって、君一人で当てられるとは思っていないさ」
「突貫作業だけどやるしかないって! あたしもがんばるし、頑張ろ!」
兄妹に鼓舞され、何を無責任な、とドミニクは顔から表情を消した。後ろから肩を叩かれたので振り向くと、リアムが真っ直ぐに自分を見つめていた。
「迎撃してくれ。頼む、お前しかできない──ドミニク・ホワイトフィールド」
名を呼ばれる。自分も他人も忘れて、罪の在り処としてつけた己の名を。
姓のホワイトフィールドは、文字通り白い霧に覆われたパムリコ島から。
ドミニクの名は──遥か昔、大量破壊兵器を開発するため行われた、作戦名からとった。
「──どうなっても、知らんぞ」
都市一つ軽く壊滅させられる威力で、のちに人類のタブーとされた兵器だ。それに匹敵する力を自分がもっている自覚があったから、そう名付けた。
誰からも──悪趣味だ、と言われたが。
武装をジオに預け、意を決して設置された魔導機器の射手席に座る。もう緊張で心臓が動悸を起こしているが、周りではそんなドミニクのことなど放って射撃準備が進められていた。
「うーんとー? 弾道予測貰ったからあと八分後、迎撃地点まで二分、ホワイトフィールド君魔力の充填開始して、時間ない。魔力誘導の調整はこっちでやるからジオ兄風向きと大気中の魔力の数値入力お願い」
「迎撃地点はなんと無風だ。岬は向かい風だけどね」
早口でまくし立てられて、ドミニクは手元の起動スイッチを押した。座席が斜めに傾き、上部から銃型コントローラが降りてくる。顔の側面から照準用のゴーグルが割り込んできて眼前を覆い、身の回りが一気に狙撃体制へと切り替わる。
言われるがまま魔力放出を開始。途端に外からミアが慌てる声が聞こえて、心臓の鼓動がより強く聞こえた。
「えっ、いやこんなに多いのすっごいなぁ! パラメータを弾速と魔力量に合わせ──!」
「ちなみにだけどミア、ドミニクの魔力は周りの魔力に影響を受けない。魔性摩擦係数は考えなくていいだろう」
「それ早く言ってってば!」
ゴーグルが映し出した映像には、落ちてくるミサイルはまだ映っていない。
「いいかいドミニク、今画面が二つに割れて見えてると思うけど、引き金を引くのは対象が重なった瞬間だ。一つに見えたら撃てばいい。君ならできるさ」
グリップを握る手が震えている。撃ち落とせなければ全員巻き添えになって死ぬ。たった一回のチャンスに数多くの命が乗っているのは、あまりに責任が重すぎる。
乗り込んだ魔導砲台に魔力が充填され、射手席を覆う外殻に光が灯る。こうしていると、自分が兵器と一体化したようで気分が悪い。
「パラメータ設定完了。射撃近くなったら合図するから。ディスプレイにUIが増えるけど気にしないで。ジオ兄の言った通り、トリガー引くだけでいいから」
昔の事を思い出す。
記憶にあるのはカーテンに仕切られた真っ白な部屋の中、身体拘束をされていたのが始まりだ。その時には背中を悪性細胞が侵蝕し始めていて、扱いも人ではなく物だった。
ほかに、同じような被検体がいたかは定かではない。自分のことで手いっぱいだったし、どうにも隔離されている様子だった。いたとしても、発作で大暴走した時に焼き払っているか、施設員として殺してしまっているだろう。
コードネームは〝ウォルフ・ライエ〟。
青色超巨星を冠す通り、地上の全てを灰塵に帰した。
同じ力を、人を救うために振るうのは皮肉だろうか。
それでも──戦いを生業にすると決めた。己の力は、命を奪うためには振るわない。
命とその尊厳を、守るために行使する。
「……まだか」
「あと三十秒。あたしは退避するから、ジオ兄あとよろしく」
「任せて」
緊張しすぎて冷や汗が出てきた。きっちりと着込んだシャツは背中が汗ばんでいるし、心臓だって喉から飛び出そうなほど鼓動が強くてうるさい。失敗すれば死人が出る状況が拍車をかけている。
──本当は。命を背負うことなんてしたくない。そんな責任を負いたくなんてなかった。罪から逃げるわけではないけれど、罪を犯したくもなかった。
怖いのだ。なんだか、ヒトの在り方から逸脱してしまう気がしたから。
もう、化け物と呼ばれても仕方ないけれど。
だからこそ、せめて心はヒトで在らねば。
「来るよ、準備」
射手席が遮蔽される。教えられた通り、ゴーグルのUIが拡張される。照準が左右にブレ続けて目が痛いが、ぐっと堪えて引き金を引き絞った。
アズテック諸島から島一つ奪ったのだ。
別の島を救うことだって、造作もない──!
ディスプレイに赤い閃光が落ちてくるのは一瞬だった。二分割された彗星が一つに合わさった瞬間、鼓動を合図に引き金を引く。
天に向かって照準を合わせた砲身から、莫大な量の魔力を吸い上げた砲弾が撃ちあげられる。バックブラストが岬から慰霊公園に突き抜け、献花された花束の花弁が千切れて空に舞い上がった。
放った魔導砲は一定距離で拡散し、青白い魔弾の逆さ雨となって魔導ミサイルに突き進む。そのうち一つが着弾し、大きく爆ぜた。
青白の閃光が海上に満ちる。迎撃できたのは確認したが、ドミニクはまだ緊張が解けずに射手席から動けなかった。
コクピットに満ちていた光が落ち、遮蔽された空間は暗闇に包まれた。狭く暗い射手席で、機能を終えた銃型コントローラとゴーグルが機体内に収められていく。
「……やったか?」
ドミニクは両手をシートに投げ出して、ぐったりと背中を預けた。気が付くと全身冷や汗で濡れている。精神が張り詰めていたのは、他人が見ても明らかだった。
しばらく深呼吸を繰り返し、そういえばクラスター弾だったな、と撃った砲弾を思い返す。拡散弾だと分かっていれば、一撃で仕留めろなんて重圧が少しは緩和されただろうに。
「やぁドミニク、お手柄だ」
外から扉が開かれて、ジオが変わらぬ笑顔で出迎えた。
「……拡散弾なら先に言え」
「いや、あれはミアが弾種を変えたんだ。独断でね。本来単発しか撃てないはずだけど、パラメータ調整してどうにかしたみたい」
「力技過ぎるが……助かった」
ジオに手を差しだされたので、素直に握り返して射手席から立ち上がる。汗が滲んだ手が気持ち悪かったようで、手を払われた後にウインドブレーカーで叩かれたのは心外だった。
「魔導機器に関しては優秀なんだな、お前の妹」
「うん、そうなんだけどね。どうにも本人は前線に出たがるみたいで……後ろから情報支援してもらった方が安心なんだけどなぁ」
ひとまず慰霊公園の危機は去った。ただもう一つ気がかりがあったので、ドミニクは休憩もしないまま踵を返して駐車場へ向かう。
「どこ行くんだい」
「シャルロットのところだ。言っただろう、
「式典再開するだろうけど……正直に言いなよ」
「……胸騒ぎがする」
愛刀とクラウィスを受け取って、背中に投げかけられたジオの言葉に返事を返した。ドミニクは葬儀監督署の車に飛び乗り、武装を助手席に放り投げて車のエンジンをかける。
「いいよ、私から話しておくから行っておいで」
ジオの好意に感謝しながら、車を発進させてシャルロットに連絡を取る。
が、ノイズが返って来るばかりで返事がない。得も言われぬ焦燥感に駆られながら、ドミニクはアクセルを吹かして速度を上げた。
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ツインレイ・オブ・スターシード 露藤 蛍 @tsuyuhuzihotaru
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