第三章 深海の蓋を開ける者 1
数日後、タイトロープ葬儀監督署の一室を間借りしたシャルロットとドミニクは、式典に出向くための準備をしていた。
「いやぁー、カッコいい! いいですね式典礼装! なかなか着れるもんじゃないですよそれ!」
当然正装を着用する義務があるため、本日のドミニクは見慣れたロングコートに袴パンツの戦闘制服ではなく、階級章と特別葬儀官の証である腕章を取り付けた式典礼装である。
前髪も長いので、本日は頭に撫でつけたオールバックの装いだ。慣れていなさそうなのでヘアセットはシャルロットが喜び勇んで担当した。どこに出しても恥ずかしくないバッチリの出来である。
「……ネクタイ締めると、首元が窮屈だな……これ、シャツダメにならないだろうな……」
ドミニクはぼやいてネクタイを締め直しながら、首元の悪性細胞をしきりに気にしている。
普段ゆったりとした服装を好んでいるからか、体のラインを見せる格好は新鮮味があった。普段は腰のベルトに差している太刀も、今日はきちんと佩刀している。クラウィスは右脚のレッグホルスターに収めているから、普段と場所が違って少々やりにくそうではあるが、特別葬儀官は式典の現場でも武装が許されている。公の場で武器を抜くことには上位職──この場合は長官のルクスフィア──の許可が必要だし、万が一など無いに越したことはない。
傍らの時計に目を移す。そろそろ慰霊公園がある岬に出向く時間だ。シャルロットは二人と別行動なので、ここからは分かれることになる。
「んじゃ、こっちは任せてください。エルさんもいますし、まぁ酷くて暴徒化するくらいでしょう」
「それは酷すぎるんだが? そうなるまえに抑えろ、近隣の建物や店舗に損害が行ったらただ事じゃないぞ」
「そこらへんを処理するのは私じゃないので……人間相手の警備ですよ? 私、エルさんからデモ隊じゃなくってそれに乗じるかもなテロリストを重点的に見てくれって言われてますし」
「お前の力が一般市民に振るわれてたまるか」
「そりゃそうですよ。どう思われるか分かったもんじゃないですし」
ドミニクの小言に軽口で返すと、一瞬だけドミニクが表情を硬くした。
普段前髪に隠れて見えない顔がはっきりと見えて、彼が今自分の何かを案じているのは分かった。
しかし、今の言葉に引っかかる部分があったか?
「……お前それ、本音か?」
あらあらまぁまぁ、と少々低めたルクスフィアの呟きを背に、シャルロットは断言した。
「はい」
世間や周りの目というのは、積み重なれば暴力になる。人一人では対処しきれないほど、言葉や意思の力というものは末恐ろしい。
それが無自覚であるほど、純粋であるほどに。歪んでいれば、尚の事。
今回のデモの訴えは論理性に欠ける。言葉で叫ぶだけ叫んで、事実どうやって実現するのかは議論の端に置いている辺り、机上の空論というか、なんというか。
──端的に言って、気味が悪い。そんな連中は、下手に刺激せず、関わらないに越したことはない。
「……そうか」
シャルロットのあっさりとした返事に、ドミニクは何か含むところがあったようだが、詳しく答えずに黙り込んだ。
*
数時間後、シャルロットの姿はタイトロープ市街地のメインストリートにあった。片側一車線の道路を通行止めにして、親ポントス派による路上デモが行われている。シャルロット達警備隊はガードレールを挟んだ歩道側で、行き交う一般市民にデモ隊が流れ込まないよう防ぐのが役割だ。
警備自体は警察が行っている。あくまで外様のシャルロット達は、不審な人間がいないか目を光らせ、警備隊の手が届かないところをフォローするためだ。
掲げられた横断幕とプラカードに書かれているのは、〝ポントスに権利を〟〝大陸人は去れ〟という二つの言葉が主だ。ざっくり言うと、ポントスを一つの国家として認めてアズテック諸島を明け渡せ──という意味になる。
「……そんな無茶な……」
アズテック諸島がアトラスに併合されたのはもう何百年も前の話になる。それが今に至るまで続いて、丸く収まっているならいいではないか。一体何を不満に思うことがあるだろう。
ノイエの言い分から、過去数回は独立運動が起こり、それが潰されてきた事も伺える。しかも最前線で暴れていたのが恐らく己の前世ときたものだ。ドミニクの前世も関与していたのか気になるところではある。
「パムリコ島を返せー! アトラス政府は、癌災害の真相を明かせ!」
とはいえ。そんな言葉が雑音に紛れて聞こえて来れば、いよいよ他人事ではないなと実感できてしまって。シャルロットは隣にいたエルに声を投げかけた。
「……なんですか、癌災害の真相って」
素知らぬ体で問う。真相も何も、あれは暴走した
「最近出回ってる陰謀論だ。パムリコ島の癌災害は、ポントスからラクナ・クリスタルを奪って弱体化させようと政府が
「なんですかそれ……
大体、やったのはテラサルースだし。言葉を喉の奥に押し込んで、デモ隊の波を眺めながらシャルロットは言う。
「やれたとしても、そんなの葬送庁が許しませんよ……死人に対する冒涜です、死体を利用しようだなんて」
「あの事件が起こるまではポントスも友好的でいたんだ。そっちのが都合がいいのに、わざわざ関係性を悪化させるようなことするかよってな」
「何で信じちゃうんですかね、そんなホラ話」
まるで分からない。労働組合のストライキや市政の悪事ならともかく、少し考えればおかしいと分かることに、どうして振り回されてしまうのだ?
「……それが正しいことだと思ってんだろ。自分の実利抜きにしてもな」
「利益もないのにです?」
「よく覚えとけシャルロット。大勢犯罪者を見てきたから分かる。人間を一番狂わせるのはな、正義と善意だ。心を満たすためなら、誰かをこき下ろすことだって厭わねぇ──法律を侵す連中ってのは、大体そうだ」
エルはどこか苦々しく言う。これまで経験してきた魔法犯罪の対象者がフラッシュバックしているのかもしれない。
「……善悪の区別がつかないというより、そもそも悪の概念がないんですか」
「そうだ」
まぁ、人間なんてそんなものだと思う。性善説を信じれるほど、シャルロットは悪意に曝されず生きてきた訳ではない。
目の前を勇ましく歩くデモ隊が通り過ぎる。声高に同じ言葉を喋り、さも当然の如く思想を主張する彼らが、生理的に受け付けない。
人間の無意識の集合体に見えた。その無意識自体が、何かの影響を受けたかのようにねじ曲がっていて──人間の姿をしているのに、自分と同じ生物に見えないような感覚だ。あまり良くない思考だ。ドミニクに聞かれでもしたら『ド阿呆』と頭を軽く叩かれそうな感じがする。
「自分と違うからですかね」
「ん?」
「……自分と違うものだから、どうなってもいいんですかね」
シャルロットが幼少期周りから浮いていたのは、特異な魂を持っていたことと、父を集団失踪事件で亡くしている希少性からだと考えている。物珍しいから人目につくし、同じに見えないから排斥するのだろう。
「誰であろうが、他の人間の生きる権利を侵しちゃならねぇ。相互的にだ……それを、分かってねぇ奴は、思いのほかいるもんだ」
エルは言って、杖槍を抱えて腕を組んだ。
魔導銃が主武装のアトラスにおいて、魔法に特化した大杖は目立つものだが。何か細工をしているのか、デモ隊の視線がエルの持つ杖槍に向けられることはなかった。特別葬儀官の腕章をつけたシャルロットの方がちらちら流し見されたくらいである。
デモは滞りなく行われていた。様子を撮影するテレビ局が街頭インタビューをしていたり、歩道を歩く人々が面倒くさそうに見ている。タイトロープ島でイベントがある度、乗じてデモ行進をしているそうだから、島民たちは最早慣れたことなのだろう。今回は死者の鎮魂を祈る行事だから、こんな時にまで主義主張をしなくてもと不謹慎に思っているかもしれない。
「……んん?」
無感情にデモ隊の無秩序な行進を眺めていたシャルロットの目に、あるものが映った。
デモ隊を挟んだ歩道の、更に向こう。建物の隙間の路地から視線を感じる。目を凝らすと、若い男と思われる人物は、その場から動くことなくじっとデモ隊の様子を見ているようだった。
視線がかち合った瞬間、背筋に怖気に似た震えが走る。
「……エルさん、すいませんが確認を」
──視線はずっとシャルロットに向いている。今の今まで、ずっとだ。
「なんだ」
「対面の建物の路地の奥、灰色のパーカーを被った男がいるんですけど」
手早くエルにも共有し、二人で確認を行う。
妙だ。デモを眺め続ける理由はマスコミ以外にないし、周りは歩行している人ばかり。静止しているのは警察などの警備担当しかいないのに、パーカーの男だけはその場で微動だにしていない。いつからいたのか判断がつかないほど風景に馴染んで、しかし遠方から突き刺さる視線は異常に鋭く尖っている。
「……いつからいた?」
「さっき気づきました。分かりません」
「所感は」
「……職質はするべきかと」
どうにも異質に見える。周りの人間や男の前方にいる警備隊が誰一人として気づいていないのもそうだ。
「魔法で気配の遮断ってできましたっけ」
「誰にでもできるもんじゃねぇ。かなり高度な魔法だが……そこまで強い魔力は感じねぇ。妙だな」
「私、話聞きに行っていいですか」
「気をつけろよ。おかしな感じがする」
警備担当とはいえ、普通の人間を近づけることは憚られる。戦闘経験が多い自分が行くべきだと進言すると、エルは二つ返事で許可を出した。
視線を合わさず、言葉だけでやり取りを繰り返す間も、パーカーの男の視線はシャルロットに向けられたままだった。デモ隊が掲げるプラカードなどで一瞬途切れはするものの、障害物など無いように、じっとりとした目つきで、だ。
そっと警備の隊列から離れ、極力存在感を消しながら道路を渡る。移動する間も注意を反らすことなく観察し続けるが、やはりシャルロットだけを見ている。これだけ騒がしいデモ隊と物々しい警備隊がいる中で、何故自分にしか目が行っていないのか。
歩道橋を渡って対面の歩道に辿り着くと、シャルロットは真っ直ぐ男のいる路地へ向かった。歩道を行き交う人の間をすり抜けて、目的の路地へとたどり着く。
「……すみません、そこのパーカーのお兄さん」
灰色のパーカーの下から淀んだ瞳がゆっくり動いて、男はシャルロットを捉えた。
どうにも生気を感じない。返事も返って来ず、逃げる素振りも見せない。右肩を少しだけ前に出して葬儀官の腕章を見せても、男はその場から動こうとしなかった。
「ずっとここから動いてなかったですけど、大丈夫です?」
問う。返事は返って来ない。声どころか、体も一切動かない。
どうなっている。何か言葉を引き出せない限りは、会話もままならないが。
「すみませんが、脈を計らせてください」
返事を聞かず、シャルロットは男の手首を取って指を当てた。この男が、
が、しばらく血管の動きを確認しても、止まってはいない。体温もあり、死んではいないようだ。それにしては違和感が拭えないが──次は何を聞こうと、シャルロットは間近から男の瞳を見た。
「────シャルロット、ソーン」
どこか濁った声で、男はそれだけ答えた。
握っていた男の腕を反射的に跳ねのける。何故名前を知っている。少し場所を変えて詳しく聞くべきか。それとも職務質問に慣れているエルを呼ぶべきか。インカムを指で操作しながら一瞬視線を離すと、男の口から再び声がはじき出された。
「──気づいてクレて、よかッた」
ゴキ、と骨が鳴って、視線を落としていたアスファルトに鮮血が零れ落ちた。
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