第二章 力の矛先 5

 宿泊しているビジネスホテルのロビーで、シャルロットはソファーに座っているドミニクの服を引っ張っていた。


「なんでですかー! いーきーまーしょーうーよー!」

「おま……! こんな人前で駄々をこねるな、それでも大人か!」

「成人ですお酒も飲めるし強いです~! なんでですか一緒に出掛けるくらいいいじゃないですかー!」


 二人とも私服だ。出かける格好をしているのに誘いを拒むとか、付き合いの悪い奴め。


「静かにしろ阿呆、大人しくせんか……!」

「ドミニクさんが付き合ってくれるなら大人しくなります」

「勝手が過ぎるだろうがこのド阿呆め……! おい、緩めろ、首──っ」


 ドミニクが着ているオーバーシルエットのパーカー、そのフードを後ろから引っ張ると、息苦しそうに首元を手で叩いた。分かってくれたと思ってパッと手を離すと、反動でドミニクの上体が倒れた。


 うなだれるようになった形で、ドミニクがシャルロットを睨みつける。見ず知らずの人間なら一瞥されただけで震えあがりそうだが、シャルロットは慣れているので別段なんてことはない。ちょっとやりすぎたかな、程度である。


「ケホッ……おい、あまり乱暴をするのは止めろ」

「あのくらい大丈夫では。ただの戯れですけど」

「最近は安定してるが、もしもの心配をしている。あのくらい雑に扱っていいと思われてるのは、信頼されてると受け取るがな」


 ドミニクに真顔で言われた。人前なので濁しているが、自己崩壊症の話だ。確かに最近薬たばこを吸う頻度は減っているし、メンタルも安定していると思っていたが、自分が原因で均衡を崩してしまっては元も子もない。


 今後、じゃれ合いは控えよう。言葉だけでやろう、言葉だけで。肉体的な刺激に弱いのかもしれない。


「それは確かに。すいませんでした」

「分かればいい」


 ドミニクの横にしれっと座る。盛大なため息を吐いて上体を起き上げたドミニクに気付かれるが、対応に疲れたのかスルーされた。


 なんだ、ドミニクだってことあるごとに隣に座って来るではないか。お互い様だ。


「で、ドミニクさんごはん行きましょうごはん。そろそろお昼です。タイトロープ島で美味しいハンバーガー店をリサーチしてきました」

「……飯なら一人で行って──」

「行きましょう」

「いや、おい俺の意見は」

「行、き、ま、す、よ?」


 ついてこないと延々駄々をこねるぞ。言葉尻に込めると、ドミニクはようやく観念してくれたのか、ソファーの背もたれにぐったりと背中を預けた。


「……分かった。分かったから、そんな騒ぎたそうにうずうずするな。代わりに俺の用事にも付き合ってもらうからな」

「勿論!」


 弾けた笑顔をドミニクに向ける。彼にしては珍しくオーバーリアクションで両手を上げると、さっさと行くぞと言わんばかりに立ち上がった。



 *



 そうして事前に調べていた店にたどり着き数分、二人は注文を終えてテーブルについていた。注文からしばらく、やっとハンバーガーにありつくことができてシャルロットは上機嫌だ。


「んむ、む……おいっしー! はぁ……肉汁が超ジューシー……」

「なかなかうまいな」

「満足してくれましたか」

「……そうだな」


 二人そろって注文したのは名物のチーズバーガーだ。厳選された素材を使って調理された至高の品を思い思いに食しながら、シャルロットは対面に座るドミニクを観察してふと思う。


 意外だった。袋の上から軽くつぶして頬張っているシャルロットとうって変わって、ドミニクはナイフとフォークで食べていた。チーズバーガーのあまりの高さに手が止まっていた彼だったが、テーブルの隅に用意されていた食器に気づいてからは早かった。慣れた手つきで食べ進めるものだから案外驚いたものだ。


 パティやチーズ、レタスにトマト──ボリュームあるハンバーガーを几帳面に一口大に切り分け、左端から食べ進めている。普通にかぶりつけばいいのにと思うものの、食べ方にとやかくいうのはムードがない。少なからず汚い食べ方ではないのだから、食べやすい方法で構わなかった。


「……綺麗に食べますね。テーブルマナーでも習ってたんです?」


 食べるスピードはシャルロットの方が早いので、食べながら聞いてみる。


「知らん」

「……知らん?」


 ドミニクの返事にシャルロットは首を傾げた。自分が身につけた技能に関して、知らないとはおかしな答えだ。


 言葉をオウム返ししてしまった。目を丸くしているシャルロットに対し、ドミニクは視線だけで周りを観察してから、小さく言った。


「知らないというより、分からない、が正しい」

「はい?」

「覚えてないんだ」


 覚えてないとは如何に。シャルロットは首を反対側に傾けながら、ポテトを一口食べた。何を言えばいいか分からなくなって、寂しくなった口を慰めるためだった。


「記憶喪失なんだよ、俺」

「──は?」

「アレ以前の、個人に関することは、な。一般教養とか勉強とか、そこらへんは覚えてたんだが」


 ドミニクは軽く言いながら、丁寧に切り分けたハンバーガーを口にした。一口サイズのハンバーガーが、口を汚さず綺麗に吸い込まれていく。


 ドミニクの言う『アレ以前』とは、間違いなくパムリコ島で被検体としていた頃か、あるいは発作を起こしてルクスフィア達に保護された時を指すのだろう。


 あれから八年。それ以前の記憶が、丸ごとないだと?


「まぁ、特別不便はない。昔の事を覚えていようがいなかろうが、俺は俺だ。テーブルマナーや社交ダンスとか、なんでか色々覚えてるが、子供の頃に縁があったのかもしれん」

「……そうでしたか」

「気にするな。俺にとってはどうでもいいことだ」


 ドミニクが軽く笑い飛ばしたので、気を取り直してもう一度ポテトをぱくり。付け合わせのオニオンフライも香ばしく、抑えめのスパイスを配合した衣で、玉葱本来の甘さが引き立っている。ハンバーガーが入っていた袋の底に溜まったソースをポテトにかけてやれば、味が変化してまた美味しい。


「嘘だろ……?」

「これがいいんじゃないですか」


 一連の動作をなぜか愕然とした表情で見ていたドミニクはさておいて、肉汁たっぷりのソースに浸ったポテトを食す。うん、これがたまらない。ドリンクのソーダと交互に口にしながら、食べ終わりまで美味しかった、と満足してドミニクの完食を待つばかり。店内を何気なしに眺めながら、この後はドミニクさんの用事に付き合わないとな、と考える。場所は違えど忌々しい記憶の多いアズテック諸島で、用とは一体。


 入店した時は何席か空いていたようだったが、気づけば人でごった返している。男女問わず様々な声がそこかしこに溢れて良い賑わいだ。早めに入っておいてよかったかもしれない。


 ドミニクは相変わらずマイペースに食べ進めていた。ハンバーガーはあと二切れで終わり、付け合わせが残り半分と言ったところ。シャルロットの胃にはまだまだ食べ物が入りそうなので追加でフィンガーフードを頼んでもいいが、ここはぐっと我慢。空になったグラスのストローに口をつけ、手持無沙汰に溶けた氷を吸ってみる。


 ずここここ、とストローの中を水が登っていった。


「…………おい、急かすな」

「そんな気ないですけど……ああ、すみません、ゆっくりでいいですよ。私食べるの早い方なので」


 ドミニクとしては十分すぎるボリュームだったようだ。先ほどから少し食べる速度が落ちているのは、既にお腹いっぱいだからだろうか。


 シャルロットは彼の皿に残ったハンバーガーを眺めながら、ぼんやりと思い出した。


 そうだ、聞いておかなければならないことがあったのだ。


「ところで。あれからミアさんにちょっかい出されてるなんてことはないですよね?」

「んぁ?」


 予想外の質問だったのか、ドミニクは口に物が入ったまま生返事を返した。咀嚼して呑み込んでから、深くため息をつく。


「なんだそれは」

「なんだじゃないんですけどー⁉」


 ぷう、と頬を膨らませて、シャルロットは姿勢を崩す。沸々と腹の底が煮えくり返っている辺り、自分で思ったよりも衝撃を受けているのかもしれない。


 ドミニクは確かにこう、距離が近いというか、妙に天然でたらし気質なところがあるが、気に入った人間にしか──つまりシャルロットにしかしないだろうと思っていたのに。


 腑に落ちない。だって私はドミニクの魂の片割れだぞ? 特別でなくて何だというのか。


「この間の! なんかミアさんに助け舟出すわ抱っこで船に連れて帰るわー! 距離近くないです⁉」

「あぁ? 別に車の中で喚かれたらやかましいだけだし、離脱可能な状況になっても戻ってこようとしないから連れ帰っただけだろ」

「それはそうですけど! 別に声かけくらいで済ませるとかできるでしょう!」

「急を要した。さっさと終わらせられる方法を取っただけだ」


 ぐうの音も出ない正論である。車内で兄妹喧嘩が始まってどうにも動けない状況ではあった。グラナート海岸の件は、ミアなら他意はないのだろうが、この場合彼女がどう感じているのかが問題だ。


 彼女はシャルロットからしてみてもブラコンの度が過ぎている。他の男に興味を持って近寄るなんてことはなさそうに思うが──考え事をしながら、シャルロットはぼんやりとドミニクの皿に残ったフライドポテトを摘まんで口に放り込む。


 ほぼ無意識だった。許可も得ずに他人のものを食うな、と呆れと咎めが半々の視線を投げられ、肩を竦めながら「すいません」と謝っておいた。ドミニクがテーブルマナーの出来る男というのなら、逆にマナー違反にも厳しいということだ。


「じゃあ、私にポテト摘まませたドミニクさんが悪いってことで」

「阿呆が」


 横暴すぎるだろうが、とドミニク。が、言った途端に彼の動きが硬直し、皿に落ちた視線が背後の席に向いている事に気付いて耳を澄ませた。


「もう八年ねぇ……」

「今年の式典にも行くのか?」

「当然よ、あんなことなければ、みんな死ななくてよかったんだもの」


 パムリコ島の一件のことだ。シャルロットはドミニクを見やった。


 あと一かけのハンバーガーをフォークで突き刺したまま、動きが止まっている。わずかに顔を落として、伏せた視線は静かに背後のテーブルを注視していた。会話が他愛無い雑談に切り替わるまで、ずっと。


「手、止まってますよ」


 そのまま微動だにしないドミニクにシャルロットは呼びかけた。思考の海に身を投げて、彼が戻ってこない気がした。


「──っ、ああ」


 わずかに肩を震わせたドミニクが食事を再開したので、シャルロットは様子を眺めながらも耳は他のテーブルへ。またデモなんて懲りないわね、と親ポントス派の動きを呆れている様子だ。


 四方八方、タイトロープ市民の口からは新ポントス派への憤りと、年一回の恒例行事と化した慰霊式典の話題が飛んでくる。


 暇つぶしにストローでグラスの中の氷をかき混ぜていると、ドミニクが完食したのか食器を皿に置いた。


「……ご馳走様」

「ごちそうさまでしたー。帰る前にもう一回食べに来たいですね、次はBLTバーガーで」


 紙ナプキンで口元の汚れを拭い、最後の挨拶までしっかり。会計を個別に終えて、店の外に出る。人気店なのか、外には行列ができていた。


「すみません、お手洗い借りてくるんでちょっと待っててください」


 ここからはドミニクの用事に付き合うことになる。シャルロットは店の入り口で立ち止まると、店内に戻った。



 *



 ハンバーガー店の外は行列でごった返していた。ドミニクは邪魔にならないよう、少し離れた場所でシャルロットの戻りを待っていた。


 これから先、行くべき場所は決まっている。覚悟もしてきた。気合もいれた。


 ハンバーガーをナイフとフォークで丁寧に食べたのは、自分の心を落ち着けるためだった。


 別にドミニクだってジャンクフードにかぶりつくことをはしたないとは思わないし、手軽に食事を済ませたいときはハンバーガーだって片手で持つ。今回の品は、ふんわりと重ねられていて高かっただけで。


「……一本吸っとくか」


 さていよいよ、シャルロットに行先を告げれば逃げられなくなる。いざ行かんとしたときに足止めを食らって、まっさらだった思考にノイズが増えてきていた。


 珍しく、動悸がする。背中と首の悪性細胞はほんのりと熱を持ち、ドミニクはカラビナに引っ掛けていた薬たばこのポーチを手に取った。


 一本出して、中指と薬指の間に挟む。掌に這わせた魔力で火をつけ、思いきり薬煙を吸って、吐く。


 一連の流れを、ゆっくりと、確かめるように行った。


 視界を雑踏が行き交うたび、堪えるように固く目を閉じる。


 自己崩壊症の患者が使う薬たばこを吸うドミニクに忌諱の視線を向ける群衆が、己を糾弾しているように感じた。


 自身の理性は強靭である自信はあった。


 けれども、芽生えた本能もまた、同様に強固であった。


 無辜の命を奪ってしまった罪悪感。


 己を虐げる者に復讐を遂げた恍惚。


 それらは、何の矛盾もなく同居する。


 一度、殺しを覚えてしまった以上。選択肢として〝息の根を止める〟方法が出てくることが、心底恐ろしかったのだ。


 なんだか命を軽視してしまっている気がして。大切だと思うからこそ、三千人の命の重みが圧し掛かっているはずなのに。


「……早くしろよ」


 ドミニクはぼやいた。己が持ち得た力が強力無比であるからこそ、完璧に止めてくれる人間がいることが、どれだけ安心できることか。


 ──人混みに放り込まれて、少し心細いと思ってしまうほどには。シャルロットの存在は、いつの間にか居て当然になっていた。


「こんなはずじゃなかったんだがな……」


 本当は、シャルロットに殺してもらって終わりだったはずなのに。何故か救われてしまって、許してもらえなくて。


 それどころか、死んだら悲しいからと生きることを懇願されて。


 これまで自分を支えてきた贖罪の柱は粉々にされて。


 じゃあ確かに、リアムの言う通り、向き合う時期なのではないかと。そう考えたのだ。


 死んで償うなんて自己満足に過ぎないと、心のどこかで分かっていたから。


 ドミニクはすっかりすり減った薬たばこを最後に深く吸い込み、携帯灰皿を取り出して押し込んだ。薄く開いた目の端で、こちらに向く視線を捉える。


 個人端末を構えた女二人。何か嫌な予感がする。シャルロットが戻って来るまで待つか、場所を変えるか。そう思ったところで、シャルロットが分からない場所に移動してしまったら後でぐちぐち言われるに決まっている。


 ドミニクはその場で待機することにした。案の定、何故か好奇心を丸出しにして女二人が寄ってくる。


「お兄さん、それ薬のたばこ? すごー初めて見たー」


 馴れ馴れしく話しかけられて、落ち着いていた心が再び泡立った。もう一本追加するかとポーチから薬たばこを取り出すと、手元に個人端末を向けられて女を睨みつける。


「お兄さんめっちゃかっこいいね、こんなとこで立ちんぼしてんの?」

「どっか遊びに行こうよ」


 初対面の人間にする態度としてはゼロ点である。


 なんだ立ちんぼとは。売春でもあるまいし、失礼極まりない。どちらかと言えば二人の女の方が売春をしていそうな雰囲気である。


 浮ついていて、無防備で、軽い。ドミニクの好みには欠片も合致しない。薬たばこを持っていた手を下ろして、ドミニクは無言で女二人を見下ろす。


「悪いが人を待っている。付き合う暇はない」


 金の瞳孔が開きかけたのを、呆れた風を装って目を瞑ることで隠した。


 逆ナンだろうか、妙な女に絡まれた。先ほどミアとのやり取りをつついてきたシャルロットが見たら憤慨ものかもしれない。


 見ず知らずの人間と一緒に居ても何も面白くないだろうに。思考回路が理解不能だ。


「えー、いいじゃん。待ってる人って誰? どこ行くの?」

「答える義理はない」

「冷たっ! いやでも見た目通りに硬派なんだねー、かっこいー」


 この手合いは何を言ってもどこ吹く風で苦にしないタイプだ。それこそ実害が出ない限りは態度を改めない。


 ──己の身に被害が及ばなければ、身の程を弁えないのだ。


 薬たばこの効能で落ち着いていた精神が再び沸き立つ。


 殺してしまえと、芽生えた衝動が囁いている。


 しかし今を堪えればシャルロットが来てくれるはずで、面倒事にはなりそうだが、一番いい助けであることも事実だ。


「……俺の連れはおっかないんだ、止めておけ──おい、こっちだ」


 ドミニクがいるのはハンバーガー店の行列が続く方向とは反対側。店から出てきたシャルロットがきょろきょろと辺りを見回しているのが見えたので、わざとらしく指さし、声を張って彼女を呼んでみせた。


 シャルロットが声に気付く。どうでもいいから助けてくれと言わんばかりの呆れ面をしたドミニクと、絡んでいる二人組を見て、シャルロットの表情が見る見るうちに強張り、次第に怒りの形相に変わっていく。


「言わんこっちゃない」


 ドミニクは肩を落とし、しかし安堵したように言った。


 シャルロットが片眉を吊り上げて、一歩一歩地面を踏み鳴らすような足取りで迫ってくる。


「ちょっと。私の連れに何か御用で? ん~?」


 シャルロットは腰を屈め、下から覗き込む形で女に詰め寄る。完全に仕草が輩だ。

 明らかに怒っていた。平均より大きめの瞳孔はいつもより暗く見えるし、美味いハンバーガーで上機嫌だったのが大幅に下落している。


「絡まれた。助けてくれ」


 いきなりやってきたシャルロットに怯んで仰け反った女は放っておく。逃げ帰ってくれるなら御の字だ。


「はぁ~? なんかアクシデントがあって助けたとか、そういうんじゃないんですねー?」

「違う。こいつらが勝手に話しかけてきただけだ。この手合いは返事をしてもしなくても絡んでくるだろうが」

「ほんとですかー?」

「なんでそんなに疑ってる」

「だってあの人の前例があるのでー。気づいてないだけでなんか誘うようなことしたんじゃないんです?」

「してない。するか阿呆」


 腕を組んで頬を膨らませ、不機嫌丸出しのシャルロット。やはり彼女の機嫌を損ねている理由に気付かないドミニク。


 やや喧嘩じみてきた二人のやり取りを聞いて、女たちの表情は諦観に変わっていく。


「って言うかいい趣味してますね、あなたをナンパしようだとか、度胸があるんだか恐れ知らずなんだか」

「硬派な人間でも落とせると思ったんだろ。自信があったか読み違えたのか、うぬぼれていたかは知らんがな。逆ナンしてきたのはこいつら。俺は被害者だ」

「何気に失礼なこと言ってません?」

「お前もだろうが。事実だが」

「失礼に礼儀で返す必要ありませんし」

「大体な、女はお前で間に合ってるんだよ。他に現を抜かす余裕があるか?」


 本心だった。恋愛には全く興味がないが、男女問わず、人間を傍に置くならシャルロットで十分だ。自分が認めた女だし、背中を預けられるくらいには強い。


 ただ、ドミニクが素知らぬ顔で言った言葉に、周りの女性陣三人の表情は一瞬で強張った。


 シャルロットは硬直し、またもや怒りで震えだす。


 女二人は片やなぜか頬を赤らめ、片方は驚いたように口元を両手で抑えていた。


「ドミニクさんそういう所ですよそういうとこ!」

「はぁ?」

「無自覚なのも! もー!」

「いや、本当の事だが」

「だーかーらーぁ! そういうこと言うの私だけにしてもらえます⁉ 口説いてるようなもんですよ⁉」


 口説いているつもりはないんだが。ざわざわと落ち着かない首の悪性細胞を指で搔きながら、ドミニクは困り果てて眉尻を下げた。


「ゴチソウサマデシタ……」

「オシアワセニ……なんかいいもん見ちゃったわ……」


 何故か片言で後ずさりする女二人は、どこか複雑そうな面持ちでドミニクを誘うのを諦めたようだった。親密な仲を見せつけられるようなものだ、ドミニクとシャルロットの中に入り込む余地がないと察したのだろう。


「だいたい、そういう歯が浮くようなこと平気で言うからこんな感じにナンパされるんじゃないですか! 距離の詰め方がおかしいんですよ、なんでいきなり距離近いんですか確かに緊急事態とかだったらしょうがないけど!」


 腑に落ちないが、これで移動できるだろう。小言がうるさいシャルロットはさておいて、踵を返した女二人の背中を見送った。


 女が対面から来た男とすれ違う。ドミニクは開きっぱなしの鞄に、男が手を突っこんだのが見えた。動きも最小限で音がしない。慣れた犯行だろう。


 あっという間に鞄を移動した財布を見て、思わず腕が伸びていた。突然動いたドミニクに、シャルロットは思わず道を開ける。


「おいお前、今スッたのを出せ。財布を盗っただろう」


 帽子をかぶった男の腕を取り、捻って地面に叩きつける。衝撃音にナンパ女二人も気づいたようで、振り返ってから自分の鞄を確認しだしていた。


「鞄の中身、確認した方がいいかもしれないです」

「えっ、鞄? ──あっ財布ない! 嘘でしょ⁉」

「スリかぁ……ほんとに治安はそんなに良くないんですね」


 現行犯の現場だ。シャルロットも自然と仕事モードに思考が切り替わったのか、さきほどまでの怒りは何処へやら、ナンパ女二人を保護して確認を促していた。


「おいてめぇ、なにすんだ……!」

「なにするはこっちのセリフだ。今どさくさに紛れて盗めると思ったな? 見たぞ」

「ドミニクさん、ひとまず警察に連絡します」

「頼んだ、抑えておく」




 そのまま警察が到着し、現行犯逮捕で連行された男を見送って、ナンパ女二人から盛大に感謝された。大捕り物に入店待ちの行列も湧いてしまって、シャルロットとドミニクはひとまず場所を移すために歩き出す。


「で、機嫌は治ったのか」

「治ったと言うより、理解せざるを得なかったと言いますか……」


 結局、ドミニクは素だ。なんの悪気もなくああした言動ができるのだから、シャルロットには止められるものではないだろう。


 いちいち腹を立てていても仕方がないので、そういうものだと納得することにした。欲しい言葉も得られたことだし。


 本当に、『女はお前で間に合っている』だなんて──嘘偽りない言葉だったように思うし、ならば十分なのだ。

「ま、大目に見てあげます」

「……助かる?」

「で、ドミニクさんが行きたい場所ってどこなんです?」


 メインストリートの歩道を二人で歩きながら、シャルロットは問う。スニーカーの柔らかな歩音を響かせて、ドミニクは顎の悪性細胞をざらりと撫でてから言った。


「まずは花屋に行く」

「花? なんでまた」


 相棒の口から飛び出てきた行先が意外で、シャルロットは目を丸くした。が、続いた言葉に納得して、気が抜けていた心に張り手をする必要があった。


「──慰霊碑に、献花をしたい」


 少し、心境の変化があったようだ。

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