第二章 力の矛先 3

 ローズブラウンの長髪にポントス人の伝統装束を身に纏った女は、ノイエ・ベン・アレヤと名乗った。シャルロットと交戦した、ネル・ブライアン東部に現れたポントス人の一群のリーダー格だ。拘置所に入れられた彼女の話を聞くにあたって、シャルロットも呼ばれたのだが──


「なんだ。ラクナ・クリスタルに仕掛けを施したのは、主等ではなかったのか」


 そんなことを言われては、首を傾げるばかりであった。


 大前提として、ネル・ブライアン東部からの脱出に使った潜水艇は知らなかったというのだ。同乗した数人の子供たちとも初対面だという。話せば話すだけ疑問符が湧いていたので、状況のすり合わせが必要だった。やった結果がこれである。


「俺らがやるわけないだろうが……」

「しかし、ポントス島から把握できるほど、命脈を巡る魔力に変化があった。また大陸人共がラクナ・クリスタルを葬ったとなれば、それこそ捨て置けぬ」

「んなことするわけないだろ。ただでさえパムリコ島のがダメになってんのに、これ以上お前らを刺激してたまるか」

「大陸人は信用できぬ。故に状態を確認しに来たのだ。急を要すると判断してな」


 ノイエは言って、毅然とした態度で腕を組んだ。事情聴取は専門外なのでエルとミアに任せてしまっているが、シャルロットが同席しているのはノイエの要望だった。単純にもう一度話がしたいと言われたのだ。


「それでシャルロットを見つけて、なんで攻撃したんだ?」

「今代の魔女は、既に篭絡されたと、卜占に出ていた。故に原因だと考えたのだが──」

「いや、とばっちり過ぎません? 私」


 私なワケないでしょう。思いきり肩を落としながらぼやくと、ノイエの真っ直ぐな視線がシャルロットを射抜いた。


 細剣の刃のような、細くも存在感のある目だ。夜で遠方からだったから気にならなかったが、日中にこの目で殺意を向けられると流石のシャルロットでも武者震いしそうである。


「……珍しいものだ。占術が外れるとは」

「……あながち間違ってもいませんし」


 魔女とはシャルロットのこと。篭絡された──とは、彼女が幼少期、養子として連れ去られかけたことを指すのだろう。本当に、父テオドリックが守り抜いたのはファインプレーだったようだ。我が父ながら、やはり誇らしい。


「ええとつまり……あたしたちはあなたたちポントスの人たちがネル・ブライアンの火口を塞いで魔力の流れを変えたって考えてて、そっちはタイトロープ島の人たちがラクナ・クリスタルを弄ったって考えたってこと?」

「然り。異変を正すためやってきた。あの海岸を訪れたのは、噴火が起きる兆候があったからだ」

「……慰霊式典でデモが行われるのは知ってるか?」

「承知、しているが」

「──そのデモを計画してる親ポントス派との繋がりはあるか?」


 エルの問いに、ノイエはきょとんと目を丸くして答えた。


「無いに決まっている。慰霊式典は、同胞の魂を弔うために、起こした貴様等自らが、行うものだ。合わせて我らを想う者が我らの権利を主張こそすれ、少々──度が過ぎているとは思うな」


 まぁそうだけれど。真っ当なことを言っているし、何かを隠す意図は感じない。まともな人間に見えるし、エルとミアに向ける視線は常に真っ直ぐだ。若干の敵意は、ポントス人として本当にネル・ブライアンのラクナ・クリスタルの状態を心配しているのだろう。


「そも、我等パムリコ島に居を置くポントス人と、タイトロープ島に住まう親ポントス派や半端者たちと、必ずしも思想が一致しているとは限らぬ。我等が関与していたなら、ラクナ・クリスタルを使おうなどとは思わぬな、恐れ多いにもほどがある」

「じゃあポントス島に住んでるノイエさんたちと、タイトロープ島に住んでる親ポントス派とで意向が違うってことです?」


 エルを始めとした魔法犯罪捜査局は、ポントス派が起こすデモに合わせた政治パフォーマンスだと見ていたらしい。だがポントス人の中でも地位の高いノイエ自身がそれを否定し、あまつさえ在り得ないと断言している。


「確かに八年前のパムリコ島の件は遺憾に思っている。主等大陸人を島に入れねば、キャンサーが出ることもなかっただろう。我等とて、アズテック諸島を取り戻したい気持ちに変わりはないが──件の魔女が既に転生していると卜占に出たのでな。我が生きている間は……不可能だと判断している。故に、主が生きている間は、仕掛けることはない」


 ノイエは客観的な思考が得意なようだ。ただ彼女の言葉に引っかかりがあったのか、エルがシャルロットに問うた。


「魔女って誰のことだ?」

「あ、私の事っぽいです。なんか昔のポントス人の蜂起を鎮圧した超強い人が、私の前世とか前々世とか、そういう話で」

「ほぉ? にわかには信じがたいが……ま、卜占に従うのが伝統だしなぁ」

「それから。一つ苦言がある。主等は我らがタイトロープ島を侵さんと考えているようだが、それは主等もではないか。近年ポントス島に、魔導機器を持ち込んでいるのは、主等であろう。物資供給に紛れてな」


 子供らが興味を抱いて仕方がない。ノイエが口をへの字に曲げたが、エルもミアも、当然シャルロットも初耳だった。


「なんだその話。おいミア、聞いたことあるかお前」

「──いやぁ? ないけど。ポントス人の伝統文化を壊すようなことしちゃ駄目って、決まってるじゃん法律でさ」

「そうなんだよ。本当なのかそれ?」

「本当だ。主等が持っている〝端末〟だったか? あれは子供らには毒故、取り上げようとしたのだが、回収するたびどこからか持ちだして、キリがない」


 これですか、とシャルロットが自分の個人端末を取り出すと、ノイエは何度も頷いて肯定した。


 元々ポントスという独立自治区が制定されたのは、彼ら先住民がアトラシア大陸に入植した人々が生み出した魔導技術を拒否したのが始まりだ。お互いの文化が共存不可能と判明した以上、境界線は引くべきだが破壊までせずともよい。そういった経緯がある。


 魔法を主とした不便な生活を良しとするポントス人に魔導機器を与えると、便利さに文化を棄てかねない──ポントス人からすれば憤慨ものの理由だろうが。


「他の者に話を聞いても、同じ答えが返ってくるであろうよ。我らは我らの聖遺物を、守ろうとしたまで。如何に主等の元にあろうと、我等の在り処はラクナ・クリスタルただ一つ。またも砕かれることあらば、実力行使も視野に入る。そして、ラクナ・クリスタルの消失が、タイトロープ島に住まう大陸人にも影響を与えることも、理解している」

「これじゃ調べ直しだな。ネル・ブライアンの魔力溜まりや液化魔力の流れは正常化したが、火口を閉じた奴らがポントス人じゃねぇとすると……」

「エル兄、でもそれだとあのポントス人並みに動ける魔法士、誰ってならない?」

「そうなんだよな……一般人じゃねぇのは確かだが、そんな人材がふらふらしてるもんかよ」


 どうにも、他の第三者が関与しているようだ。シャルロットからしてみれば、悪さをするような集団などテラサルースしか思いつかないが、であれば諜報部がきっちりテラサルースの存在をエルたちに伝えるはずだ。ポントス人が容疑者として矢玉に上げられることもなかったはず。


 情報が錯綜している。そんな気がした。


「ひとまずあの子供にも話聞いてみないとだね」

「だな。が、その前に他の連中にも話聞かねぇとだ。申し訳ねぇが、あんたはしばらくここに居てもらう事になる」

「構わぬ。しばしそこの魔女を借りるが、問題ないな」


 ノイエが言ったところで、誰かの個人端末が音を鳴らした。継続的になり続けるのは通話がかかってきた合図だ。


「ん……ごめんエル兄、ちょっと席外すね」

「おいミア、勤務中はマナーにしとけって言っただろ」

「ごめん、急用っぽい」


 通話の受信源はミアだった。個人端末を取り出して相手を確認すると、ミアは僅かに目を見開いた。無理矢理落ち着けるように深く息を吐いてから、そそくさと部屋を出て行ってしまう。


「ったく……ほんと端末肌身離さず持ってんだからな。勤務中も私用で使われるのは困るんだが」


 エルのぼやきに、ミアは返事も反応も返さず、力任せに扉を閉めた。


 個人端末の画面を見た時、ミアの顔が硬直したように見えたが。余程切羽詰まった用事なのだろうか。


「ま、この分だと釈放も早いだろ。他の奴らにも話は聞くが、そう悪い扱いにはならねぇさ」

「当然だ。主等が我等を拘束するなど、星が黙っておらぬ」

「星ねぇ。あんたらの神様は地球そのものだっけか」

「然り。故に星の血たる魔力は、全ての命に等しく、平等に使われねばならぬ。大陸人の欲の塊たる魔導機器など、ポントスに存在するは看過できぬ──故に」


 ノイエは椅子の上で姿勢を正した。


「主等の必要とあらば、協力も惜しまぬ」

「代わりにポントス島に入ってる魔導機器の出所を探ってほしい──だろ?」


 ポントス島に魔導機器が持ち込まれ、好奇心旺盛な子供たちが触っている事を危惧しているのだ。あからさまに仕掛けられた取引に、エルはまんざらでもないように笑った。


「上に掛け合う時間は必要だ。今すぐにって訳にはいかねぇし、あんたの手が必要になるとも限らねぇ。が、その時になったら、確かに手を貸してもらう。それでいいな?」


 ノイエは無言で頷くと、エルに向けていた視線をシャルロットに向けた。話は終わりだと言わんばかりにエルが立ち上がって後ろ手に手招きするので、仕方なしに立ち上がる。


「俺は他の連中の話も聞いてくる。アレヤ殿と話が終わったら、外で待ってる警官に声かけてくれ」


 じゃあな。軽快な足取りで扉を開けたエルが、真っ先に外の警官と話をし始めたのが聞こえた。


「ミアはどこにいった?」

「部屋から出た後、足早にどこかへ。妙に慌てていましたが、何かあったので?」

「いや、分からねぇ。たまにあるんだよな、ああいうの……」


 やはり慌てていたのか。一体なんの用事で籍を外したのだろう。考えている間に扉が閉ざされて会話は聞こえなくなり、仕方ないのでエルが座っていた椅子に着席した。座面に人肌の温度が残っていて少々不愉快だ。


「それで、私に何が聞きたいんです?」


 ノイエに問うが、無言が返ってきた。


 いや、話がしたいって呼び出したのはそっちでは。


「……えっと、あのー……? あ、お腹大丈夫です? 思いっきり蹴っちゃったし」


 何故自分だけが話しているのだ。話題を振ってもノイエはシャルロットに厳かな視線を向けたまま、どこか値踏みするように眺めていた。


 酷く居たたまれない。普段会話が続かない方ではないが、喋るなという圧を感じて、シャルロットは困惑した。喋れないわけでは無かろうに、何故黙っているのだ。


「いやあの、すみません、でした? ノイエさんの魔法、かなりすごかったし、浮遊魔法も精度がよくって魔弾が当たらないし、距離詰めて叩くしかないやって思って」


 話を変えても無言のままだ。が、視線や雰囲気はどう考えてもシャルロットに興味津々という様子で、今は一挙手一投足から人柄や力量を推し量っているような、そんな印象がある。


 とはいえ。会話が続かないと、居心地が悪い。


「えっと、海の底にいた時も全然気配なかったし、あの火柱の一撃が来るまで気づかなくって──」

「………………はぁ」


 交戦した時の感想を必死に語っていると、ノイエが張り詰めていた表情を崩した。


「どうしてそのように、毒気が抜かれたのか、理解に苦しむ」


 目じりを下げ、呆れ果てたと言わんばかりにノイエが言う。


「この星に非ざる異星の力、幾度も我らに振るわれたと言うに、かように浮薄とは……祖父母から聞いた話は、なんだったのか」

「浮薄? え、私が浮ついてて軽いっていうんです? いやだなそんなことないですよ、命かかってるんですよ? 舐めてだってないしあの時だって本気でやらなきゃ怪我してたし、下手したら死んでたかも──」

「主が本気を出せば、我等程度瞬きの間に殲滅できよう。侮られたと思うたが……そうでもないようだ」


 流石に戦闘中に気を抜くこともないし、ましてや侮ることもない。いつだって真面目に、真っ当に武器を持って、人間が相手なら命を最優先に、キャンサーが相手なら素早く鎮圧することを心掛けてきた。


 人が死ぬのは悲しいことだ。そして、人を殺してしまうのは犯罪だ。相手が誰であろうとも、極力命は奪いたくない。それがシャルロットの持論だった。


「あの……何が言いたいので?」


 おずおずと問うと、ノイエはしばらく考え込み、言葉を選ぶようにして語りだした。


「余の祖父母が、かつての主と会うている。そして祖父母も、父母からそのまた前代の主と戦い、話が伝わっている」


 何の因果か、余も主と会うことになろうとはな。感慨深げにノイエは言って、こう続けた。


「主の前世も、前々世も、津波のように苛烈で情け容赦なく、傲岸不遜、唯我独尊を体現したような女で、鉄壁の防御を誇り、傷ひとつつけられなかった。そして、いつも己の思うがままに振る舞っていた、と」

「それは前の話でしょう? 今の私とは全然関係ないと思うんですけど。だって人の性格なんて、育った環境で全然変わるじゃないですか」


 シャルロットは不満げに頬を膨らませ、両肘をテーブルについた。広げた両手に顎を乗せ、ぶつくさと抗議してみせる。


「また先祖が、アズテック諸島を巡り大陸人と争った戦火において、夜の如き魔力を放つ魔女がいた、と記録を残している。主の魂に違いなかろう」

「だーかーらー! それは昔の話で、今の話じゃないんですけど⁉ 大体勝手に人を魔女呼ばわりしないでもらえま──ってこれ初対面の時に言いましたよね⁉」

「想像の主とかけ離れた言動をする故、当惑しているのだ。何故主は、ああも戦場でやかましいのだ?」


 いや、今も十分やかましいが。


 そんなことを言われては、シャルロットの不満度も急上昇してしまう。確かに戦いにおいて──特に対人戦で──よく喋っている自覚はあるが、きちんと理由あってのことだ。何の意味もなく言葉数を多くしている訳ではない。


 ──不服だが。前世も前々世も、相当に苛烈で情け容赦なかったと言われれば、そんな性質が自分にもあると納得せざるを得ない。


「……ふざけてるように、見えました?」


 大声で抗議していた先ほどとは一転、シャルロットは呟くようにノイエに問うた。


 彼女は静かに頷いた。


「トランスってご存知ですか」


 体は理性を、魂は本能を司る。そして、肉体と魂は切っても切り離せないが、稼働するにあたって必要とするエネルギーが異なる。


 体を動かすために必要なのは各種栄養素やカロリー、水分。機能を維持するため、食事をとるなどして外部から摂取する必要がある。が、うって変わって魂は魔力で動く。魂そのものが炉心であるため、自ら生成した魔力を燃やして魔力を作る、自己完結型の構造をしている。


 この二つの要素が合わさって人間は生きているのだが──感情と密接に関わる魂の方が、やはりバランスは崩れやすい。


 トランスとは、感情が高ぶることで魂の魔力生成が制御できなくなり、魂がオーバーヒートする現象だ。体が生成する魔力量に耐えられないこともあり、自己崩壊症の原因の一つともされている。


 シャルロットが幼少期に起こしていた魔力暴走は、全て感情の発露を起因とするトランスだ。


 ただ、魔力制御の訓練をしていない一般人のトランスは小規模だ。いくら魂が魔力を生成しようが、量はたかが知れている。


 感情的になるとほぼほぼトランスが起こっていたとはいえ、当時でも被害がでた。魔力生成と制御を練習し、ある程度ものにした今の方が、トランスが起こった場合の影響力は計り知れないだろう。


「私、怒ると何しでかすか分かんないんですよね。ほんとに簡単に手が出ちゃうので」


 幼少期を思い出す。父が行方不明になった後の方が顕著だったが、相手が男だろうが女だろうが、年下だろうが年上だろうがお構いなく、売られた喧嘩は買って返り討ちにしていた。学生の時分は大騒動を引き起こして、停学処分を食らったこともあった。備品を壊してしまったこともあった。


 喧嘩を仕掛ける方ではなかったので、問題児ではあったが、不良ではなかった。教職員からの評価は、そんなところだろう。


 だって無礼を働いたのは向こうだ。向こうが私を侮辱してきた。なんなら行方不明になった父を揶揄してきた。だから返事代わりにやり返したのだ──一度分からせてやれば、恐れて手は出してこない。下手に言葉でやり取りするより拳で分からせた方が速いとは、今も思っている。


「だからこう……なんていうんでしょうね、わざとなんです。ああやって人を煽ったりするの。相手が怒ってくれたら、こっちは冷静でいられるので」


 怒ると周りのものを壊すし、相手をボコボコに叩きのめしてしまうし、いいことなんて何もない。極力感情を抑えるために編み出したのが、自他を切り分けることと、明るくおちゃらけて接することだった。


「煽っている自覚は、あったのか」

「いやまぁ……負けるとは思ってないので」


 とはいえ。ネル・ブライアン東部で出会った少年たちが何故怯えていたのかについては、検討がつかない。こちらは真っ当に休戦を持ちかけたというのに。


 ぼんやり思っていると、ノイエの視線が厳しくなった。


「訂正しよう。主はやはりかつての魔女と、なんら変わらぬ」

「と、言いますと」

「その傲慢さ、己が強者だと信じて憚らない慢心は、同じだ」

「…………そんなこと、ないですけど。私より強い人、いっぱいいるでしょうし」

「……どう、だろうな」


 半分正解で、半分間違いだと思う。確かにおしゃべりな方だし、相手との力量差もきちんと測れるし、人間相手に危機感を抱いたことはないけれど。


 でも、そうじゃない。人を撃ちたくないのは本心だ。


 戦いたくないのは本心だ。キャンサーならば火葬する大義名分があるが、人はそうではない。


 子供たちに投降を促したのも本音だし、穏便に済ませた方が楽なのも事実だ。


 決して、人を殺すことに、何とも思っていないわけでは、ない。

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