第二章 力の矛先 1
日暮れ時は風景が移り変わるのが早い。グラナート海岸近辺に到着した時には、既に日が沈み、宵闇の空に掛かるオーロラが存在感を増していた。
ここから先は危険区域。シャルロットもガントレットの魔力増幅器を作動させて、全身に薄く魔力を纏いこむ。
「……それ、ただの防具じゃなかったんだ。すごいね」
「エルさんのおかげで多少は魔力制御できるようにはなったんですけど、出力は上げられないですから。増幅器で増やしてるんです」
「なるほどねぇ」
ミアはうろうろと興味深そうにシャルロットの武装を眺めている。まぁ、自慢の超高性能な魔導機器だ。ソフト面に詳しいと言っていたから、術式のプログラムなどは気になるのだろう──相変わらず、シャルロットにだけはそっけない語り口だったが。
無感情というか、なんというか。兄二人やドミニク相手とは明らかに声の質が違うのだ。
「もしかしてそれ、装備全部? 個別に増幅器ついてるの?」
「え? はい、まぁ」
「へぇー。そうなんだ」
なんだか探りを入れられている気がする。詳しくは言うまいと、シャルロットは返事をしなかった。
「ジオ、海岸に索敵に行け。俺達は警戒しながら動く」
「了解」
バイポットと銃剣付きのアサルトカービンに、普段着のウィンドブレーカーの下に弾倉やらなんやら大量に持ち込んだジオが足早に走り去る。
「シャルロットは火口の調査だ。南西部で圧力をかけた分、こっちに液化魔力が溜まってておかしくねぇ。噴火が目的ならタイミングを合わせてきてるはずだ」
「エルさんたちは?」
「不審人物がいねぇか見回る。いいか、連中から仕掛けてきたとはいえ、これ以上ポントスと関係性が悪化するのは避けたいところだ。死人は出すな、まずは任意同行、抵抗されたら職務妨害で現行犯だ」
「了解した」
役割分担をしたとはいえ、移動範囲は広くない。
グラナート海岸近辺、今回目星をつけた割れ目火口は、一端が海岸線に向けて開けている。グラナート海岸を構成する入江自体が、元々は活動的な噴火口だったのだろう。湧きだした液化魔力は直接海に注いで急速に冷却、純度の高い魔石になる。かつての噴火活動で生成された魔石は殆どが採取されたようだが──残ったものとて、魔石は魔石だ。
「しっかしすごい場所……立ち入り禁止っていうか、下手に入れない場所のが正解かなぁ」
ガントレットから供給される紅紫の魔力が、グラナート海岸一帯に満ちる極化した魔力でじりじりと削り取られていく。時折ガントレットの調子を確認しながら、シャルロットは雑草が点々とする花崗岩の丘を眺めた。
採石し損ねた魔石から、魔力を栄養源とする妖樹が生えている。魔力の濃い場所を好み、薬品として利用される植物だが、触れたそばから魔力を吸収されて劇症型の魔力欠乏症を起こす毒性の樹。
少し離れた場所に咲いている巨大な花も似たような習性を持つが、こちらは溜め込んだ魔力を刺激に合わせて放出する爆弾のような性質を持つ。
投棄された産業廃棄物は殆どが火と土属性の魔石。見渡す限りの花崗岩の丘は、魔性生物群が放つ赤色の魔力で満ちていた。宵闇に覆われつつある地上を、どこからともなく滲み出た赤い妖霧が足元を覆っている。
よくもまぁ、こんな場所を作ってしまったものだ。人が立ち入れない代わりに、危険生物の楽園になっているではないか──手に負えなくなったから封じざるを得なかった、が行政の本音だろうが。
「……もうちょっと出力上げよ」
シャルロットはガントレットの増幅値を大きくした。バトルブーツが纏った闇色の魔力と沈殿した妖霧が接触するたび、細かな魔石になって足元に落ちていた。
一つを指で摘まんでみる。剥き出しになった指が摘まんだ魔石は、今にも火を上げそうなほどに赤熱していた。
魔力が活性化しすぎている。ちょっとの刺激で連鎖的に爆発し兼ねない。
思った以上に危険な場所だ。シャルロットはようやく到達した断崖絶壁の大きな割れ目の上で、あるものを見た。
「……やっぱりかぁ」
道を寸断するようにできた亀裂の底から大量の水蒸気が湧き出ている。地下から噴き出した液化魔力と侵入した海水が反応し合ったのだろう。高温の水蒸気でさえ危ないのに、魔力も内包しているのなら──ここが進入禁止区域とはいえ、即座に止めない理由はない。
『こちらジオだ。侵入に使った揚陸型の潜水艦は見つけたけど、周辺に人は無し。もう移動してる。産廃物に手を付けたかどうかは分からないね』
『こちらエル了解。ここら辺も人はいないが……シャルロット、火口はどうだ』
ジオとエルからの通信に、シャルロットは周辺を見回して答えた。
「海岸と接触してる割れ目火口からもう液化魔力が出てますね。滲んでる程度ですけど、水蒸気が酷くて直接火口の中までは確認できません。この分だと海に流出してるでしょうし……まぁ、冷えた分を回収するなら好都合かもしれないですけど」
確認できるのはそれだけ。岩壁を伝って降りないと、海面付近の様子は分からない。
『潜水艇、潰そうか? 機関を壊せばいけるだろう。中に人がいれば──潜水艇?』
ジオが提案した後、自分の言葉に首を捻った。声を聞きながらシャルロットが目を凝らすと、薄暗い夜の下、海面に物陰を見つける。
『なんで潜水艇なんだ? ポントス人が水中で長時間活動できるのは魔法を使ってるからだろう?』
『それは時間だ、移動に適してるわけじゃねぇ』
『水流を操作して流れを作ればいいだろう。どうみても近代型なんだ。ポントス人が魔導機器を使うなんてそれこそ妙だろう。そういえば海保も海中に潜った後にロストしたって言ってたね……? 対レーダー用のステルス加工でもしてるのか……?』
会話を片耳に入れながら、シャルロットは夜目に慣れてきた視野で海を見つめる。
水面が跳ねている。数は複数。水蒸気が湧き出る海面に近づき、しばらく潜った後に呼吸のために浮上する。海中で何か作業をしているように感じた。
『……ひとまず、私は潜水艇の調査をするよ。少し気になる』
「すみません、海上に人影っぽいの、発見しました。数複数、潜水と浮上を繰り返し。降りて確認します」
言って、双銃を抜く。アンカーにセレクターを合わせて、断崖絶壁の岩壁に発射した錨を突き立てると、繋がった鎖を伸ばしながら崖を降りた。
『人の気配はほとんどしねぇ。やっぱ噴火直後の液化魔力が狙いだったか』
『シャルロット、注意しろよ。俺達も直ぐに行く』
「分かってますって」
ドミニクの小言を軽く流して、シャルロットはアンカーに繋がった魔鎖を命綱替わりに降りていく。
幸い雲はなく、オーロラと月光のおかげで足元の確認に困ることはない。ちょうど中腹に差し掛かり、海上の様子はよりはっきりと見えてきた。
海上に浮いている複数の人間が持っているのは杖。人間の数も多いが、海面から突き出た岩に見えていたのは大型の入れ物のような箱だった。冷えた液化魔力か、固まった魔石を採取し、あの箱に入れて保持しているのか。明らかに盗掘行為である。
海上は海上保安庁が封鎖しているはずだし、ひとまず降りて声をかけよう。足場を探していると、不意に足元から下が騒がしくなる。
風はなく、凪いだ海に水しぶきの音が広がる。紛れて人の声も聞こえるが、雑音のせいで聞き取れない。
分かったのは、どうやら崖の上から降りてきたシャルロットの姿を視認した、ということ。一瞬で飛んできた火炎弾に、そう判断した。
「ふーん?」
せめて会話を最初にさせてくれれば、こちらも銃を抜かずに済んだのに。残念だ。
魔導銃から伸ばしていた鎖を切り離す。両足のバトルブーツを起動させ、一気に増幅した魔力を放ちながら真下から飛ぶ火炎弾を踏みつけた。
熱波が前髪を揺らす。火炎弾は闇色の魔力に触れたそばから組成を崩し、結晶化して勢いを無くした。
「攻撃されました、応戦、しますッ!」
耳にかけたインカムに吐き捨てて、固まった火炎弾の成れの果てを上から再度踏みつける。巨大な結晶は真っ逆さまに海に落ち、大きなしぶきを上げて着水した。
追って海面付近に魔法障壁を張り、足場を作って着地したシャルロットは、愛銃の引き金に指をかけて声を張り上げた。
「魔法犯罪捜査局です、動きを止めて話を聞かせて──」
話を聞かせてもらいましょう。そう問おうとしたのに、シャルロットは自分が声を投げかけた相手に気付いて、半開きのまま喋るのを止めた。
今しがた魔法を放ったばかりで、赤い光を灯した杖を持っているのが、どうにも子供に見えたからだ。
さっと海面を確認する。今浮上している人間の殆ど、性別も体格も様々とはいえ、皆年若く見える。
「……子供? 学生ですか? こんな夜に何を」
ポントス人なのは間違いないだろうが、まさか子供だとは思わなかった。呆気に取られて銃を下ろしかけたシャルロットの頭上に影がかかるが、確認するまでもない。一番奥の少女が、魔力で輝く杖を向けている。
これは目撃者の処分も言い聞かせられているな。子供故に、命の何たるかを知らないのだろう。無言で魔導銃のセレクターを放射砲に合わせ、頭上に現れた水塊に向けて魔力を吹き付ける。
「魔法じゃなくて普通の言葉をかけてほしいんですけど? 穏便に行きましょうよ穏便に。私人間を撃つの好きじゃないんです。できれば撃ちたくないんですよね、止めてもらえます?」
魔力の結合が脆い。闇色の魔力にあてられて、水塊は一瞬でくすんだ結晶に成り下がる。そこまで腕の立つ魔法士ではない。
『シャルロット、どうした』
「海面にいるの、子供です。数は多いけど子供が潜水艇を使えるわけない。新手がどこかにいるかもです」
『しゃあねぇ、全域索敵する! ミアが支援に行け、ホワイトフィールドは俺と待機!』
水塊の成れの果てを魔弾一つで粉砕する。バラバラと落ちてくる紅紫の結晶から身を守りながら、威嚇ついでに全身の魔導機器に魔力を迸らせた。
『エル兄、なんであたし⁉』
『お前のが近いし、ホワイトフィールドみたいな人相の悪い奴が刀握ってきたら怖くて卒倒するだろ、子供なら! 海で溺れられても困るんだぞ!』
『えぇー⁉ もう、仕方ないなぁ分かったってば!』
まぁ確かに。今しがた魔法製の水塊を二撃で無力化しただけで、目の前の少年少女の動揺が広がっているのは目に見えているし。ドミニクさん、魔力纏っただけで雰囲気あるからなぁ。エルの指摘をドミニク自身が否定しなかったのが証左であるが。
「ね? ひとまずその杖は下ろしましょう? んでもって、まだ潜ってる子がいるなら浮上するよう伝えてください。大丈夫ですよ、話を聞くだけですから」
相手が子供だったなんて思いもしなかったから、こんなに戦闘があると心構えしてやってきたのにな、と落胆してしまう。
だって子供だ。まだ大人に守られるべき未成年だ。それは文化も主義主張も違うポントス人であっても扱いは変わらない。犯罪者として捕縛するよりも、夜間外出として保護する──自然とそんな認識に切り替わってしまったのだ。
シャルロットはまだ二十二歳だが、大人だ。未成年を守る義務がある。
見ず知らずの人間へ挨拶代わりに魔法を撃ち込むのは、躾けがなっていないし。人を殺しうる方法を取っている事に気付いていないのは、やはり未熟で、気に入らないが。
「っていうか、こんな大人数でなんでタイトロープ島まで来たんです? ポントス島に戻るころには深夜になってません? ここは危ないですし、ひとまず陸に上がってください。夜遊びにしては度が過ぎてますね」
言った側から、棒立ちしたシャルロットの側方を氷の槍が通り過ぎる。岩壁に突き刺さった氷槍は数発。動かなかったのは、動いたほうが当たるからだ。
射手を見る。海中運動に適した特徴的なポントス人の装束を着た少年が、上半身だけ出して杖を両手で構えている。が、両腕は酷く震えている。
人に向けて魔法を撃つのが初めてか、動揺して照準が定まらないのか。或いは技術が足りないのか。別にどちらだっていいが──まだ心身共に未熟な未成年が相手とは、やりにくいものだ。
「あれ? あー、ここ断崖絶壁だから上がれない? じゃ道でも作りましょうか。大丈夫大丈夫」
ガツン、と魔法障壁の床を叩き、範囲を直線状に広げる。それこそ少し離れた海上に浮いている少年少女の元に辿り着ける距離に。
時折風圧が襲い、移動を阻む様に稲妻が襲い掛かるが、シャルロットは見向きもせずにヒールを鳴らして歩き続けた。
魔力で薄く身を覆っているので、練度の低い魔法であれば弾くか、結晶化させてしまえる。効果がないと分かっている攻撃は避ける意味がない。当たらないと分かっている攻撃は怖くない。
「さて。お話、しましょうか? 話してもらえます? ポントスから来たのは分かってますけど、どうしてこんな場所に?」
作った紅紫色の足場の上でしゃがみ込み、シャルロットは側にいた一人の少年に声をかけた。そこまで年若いわけではない。中学か高校か、そのくらいの歳だろう。ちょうど多感な思春期時代、非行に非行を重ねてしまったにせよ、遊び場に危険な場所は選ばないと思うが。
「ここは魔力濃度が極化している進入禁止区域です。長居すると身体に悪いですし、避難しましょ──ああ、海に逃げるのは駄目ですよ、ひとまずタイトロープ警察署で保護しますから、そこで」
穏便に、穏便に。言い聞かせて極力表情を柔和に保つものの、何故だか逆効果のようで。少年少女は次第に身を護るペンギンのヒナの様に身を寄せ合い、シャルロットに杖を向けた。さながら威嚇のようだった。
既に敵意は感じない。初撃の火炎弾を捌いた段階で殺意は失せている。
しかし──シャルロット自身にも殺意がないし、発しているつもりもないのに、どうしてこんなに怯えているのだろう。銃を握っているのは新手の──恐らくいるだろう大人のポントス人に備えるためだし、傷つけるつもりだってないのに。
「どっ……どっか行けよ! 別に何してたっていいだろ!」
「あっ、よかった話せないワケじゃないんですね? じゃあ上がりましょう、ここは危険ですから」
やっと喋ってくれた、と純粋に喜びながら海から上がることを提案するが、少年たちはやはり警戒度を増したようだった。
解せない反応に首を傾げる。どうしてこんなに怖がられているのだ?
「このくらいの魔力濃度どうだってねぇんだよ! あぶねぇのはそっちの方だろ、大陸人が銃なんか向けやがって!」
「私? いや、私は大丈夫です。っていうか私がアトラスの人間って分かって魔法を撃ち込むのは危ないでしょう、貴方達からしたら戯れかもしれないですけど、私達にとっては魔法使われるのって怖いことですからね?」
「嘘言うなよ! じゃあなんで俺らの魔法を──」
「あ、私は怖くないです。あくまで一般人の話、ね?」
どうやらリーダー格らしい少年と言葉を交わしていても、どうしてポントス人がこの場にいるのかは話してくれなさそうだ。このままだと埒が開かないので、拘束して連れていくしかないだろうか。
あまり力づくでやりたくないが。シャルロットが立ちあがった瞬間、固まっていた少年少女たちが足場から離れ、散り散りになりながら距離を取る。
これまでと反応が違う。怯えによる無秩序な動きではない。
足元に強力な魔力を感じた。シャルロットがその場から飛び退くと、海面に大穴を開けるように火柱がそそり立つ。
「……やっと保護者の登場ですか? 同伴にしても、連れてくる場所が悪いですね」
体重程度の負荷にしか耐えられない足場が炎に呑まれ、粉々に砕けていく。
火柱が消えると、その跡から宙に浮かんだ人影が現れた。こちらが本命だ。
空中浮遊ができる魔法士は、アトラスにはほとんどいない。適正よりも練度やバランス感覚が必要となるからで──ポントス人の水中移動は、元々この空中浮遊を応用したものだ。
「魔法犯罪捜査局の者です。ポントス人がタイトロープ島に何の用です?」
「……嘘を、言え。そんな腕章をつけておいて、葬儀官が、
宙に浮き、こちらに杖を向けるポントス人の女が言った。恐らく彼女がリーダー格。その後ろに、魔法士が五人。同様にシャルロットに向けて杖を向け、リーダー格の女の前方に魔法陣を展開させている。
「分かります? いやでも、捜査局ってのも正しいんですよ? 応援で呼ばれたんです。
当たりでしたね? 不敵な笑みを浮かべてシャルロットが言うと、女が目を見開いた。どうやら侮辱されたと感じたようだ。
寄り集まった魔法陣に魔力が集まる。シャルロットは背後の岸壁に向けてアンカーを撃ち、魔鎖を一気に巻き取って離脱する。勢いのまま体を捻って崖上に着地し眼下を見やると、ちょうど魔法陣が閃光を放ったところだった。
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