第一章 神への反逆恐るるに足らず 3
ジオの名は、タイトロープ市ではそれなりに有名なようだ。
「八年前は、癌災害に対処していただきありがとうございました。市民を代表してお礼申し上げます」
市役所の窓口でジオが名乗ると、受付の女性はそう言って深々と頭を下げた。
横で突っ立っているドミニクは、やはり目を細めてどこか耐えるような素振りをしている。眉間の皺は、いつもより深い。
そうして案内された先は、何故か市長の執務室。先頭のジオと最後尾のドミニクの間に挟まって入室すると、がっしりとした体形の男性が一人掛けソファーに座って待っていた。
「市役所って言うから誰かと思ったら……リアムさん、久しぶりだね。元気そうでなによりさ」
ジオが朗らかに言う。どうやら知人らしい。そして、市長や葬儀官という肩書を外した場のようだ。必要とあらば敬語も使えるジオが、フランクに話している。
日焼けした肌にツーブロックの褪せた金髪。タイトロープ市市長のリアム・スタインズだ。
「来てるって聞いたんでな。そっちの坊主にも会っておきたかった」
まぁ座ってくれ。促されて、ジオはソファーに座る。シャルロットも少しきょろきょろ周りを見回した後、状況が掴めないがひとまず二人掛けソファーに座った。
リアムに視線を投げられて、ドミニクは怪訝な顔をして突っ立ったままだ。
「私に、ですか」
片言の敬語になっていた。狼狽え、らしくもない強張った声で、ドミニクが問う。
「そ、お前さんだよ。名前はなんだったか」
「ドミニク・ホワイトフィールドと」
「ほォん? ……シャレにならねぇ名前をつけたもんだ」
ドミニクが目を見開いた。一歩後ずさりをして立ち竦んだ彼は、今にも駆け出して部屋を出て行ってしまいそうなほど狼狽している。
「いや、悪かった。落ち着けよ。別にお前さんをどうのこうの問い詰めたいわけじゃねぇ、顔だけ見ときたくてな」
「…………俺を、ご存知なので」
言葉尻が震えていた。やっとの思いで吐き出した問いに、リアムはあっけらかんと答える。
「あァそうさ。俺はパムリコ島の生き残りだよ。おかげで市長になんか担ぎ上げられちまったがな」
呵々と笑ったリアムに対し、ドミニクの顔がさっと青ざめた。
パムリコ島の癌災害では、たった一人だけ現地民の生き残りがいる。
それがリアムなら、対処にあたったジオと知り合いなのも納得だ。
「セラス葬官ごと呼んだのは取次のためだ。お前さん個人で呼んだって拒否られるのが目に見えてるからな」
「ごめんね、何となく分かってはいたんだけど。別に君に恨み言を言うためじゃないと思うよ」
ドミニクが纏うコートの裾が、ぷるぷると震えている。いよいよ居たたまれなくなったのか踵を返したドミニクに、シャルロットは思わず立ち上がった。
あの状態で一人にさせておけない。急いで腕を掴むと、重苦で顔をぐしゃぐしゃに歪めたドミニクが振り返る。
──俺に何をしろって。
近くにいるシャルロットにしか聞こえないくらいの小さい声が、吐息の様に漏れた。
本当に仕方のない男だ。自分では罪を償うべきだと自殺の方法を考えていたというのに、実際に被害者に会うことを極端に恐れている。
糾弾か、侮蔑か、怨嗟か。
ドミニクは決して、そうしたバッシングに耐えられる心の在り方をしていない。
許されれば己を責め、痛哭には胸を痛める。全てが全て、己の理念に反するが故に。
この件は、関係者がどうアクションを起こそうがドミニクを苛め続ける。彼が自分で、落としどころを見つけない限りは、だ。
「坊主。俺はてめェを恨みゃしねぇよ。特別に事の次第を聞いてるんでな。粗方の事情は知ってるぜ」
だから一旦落ち着け。身振り手振りで諭され、シャルロットには大きな裾を掴まれ、ドミニクは諦めたように肩を落として、乱暴にシャルロットの腕を振りほどいた。
少々自棄になっているようだ。ドミニクはシャルロットの横に座り、反動でシャルロットの体がボスンと揺れる。
この一連の流れ、つい先日もやった気がする。ただシャルロットは完全に部外者なので、言葉を挟むことはない。
フォローはするし、サポートもする。でも、会話の中心にいるべきなのはドミニクだ。
「……お前さんが根腐れしてるって聞いてなァ」
「一体誰から」
「そりゃお前、へーデルヴァーリ長官だよ」
はぁ、とドミニクが項垂れた。完全に顔を伏せてしまって、横から見ても表情が掴めない。
「あの人は全く……知ってる人間には口が軽い……」
「勘弁してやれ、長官なりにお前さんの事を心配してんだよ、坊主」
根腐れしている、なんて心当たりは一つしかない。先日、鋼鉄の
私のために生きろと説得はしたけれど、ドミニクは改心したわけではない。考えは変わらないはずだ。
──心変わりすることもないだろう。簡単に考えが変わらないからこそ、仕方なくもあり、彼らしいとも言える。が、それでも。背負う荷物は、少し下ろしてもいいんじゃないかと思う。
「一つなぁ、俺から要望があるって言ったら聞いてくれるか?」
リアムがソファーの上で姿勢を正す。反応して、ドミニクはおもむろに顔を上げた。
黒髪が差し込む陽光を反射して、青く色づいている。色も視線も、さながら彼が振るう刃が如く。
「内容によります」
「そうか。じゃあホワイトフィールド。お前、慰霊式典に出ちゃくれねぇか」
びくりとドミニクの肩が跳ねた。押さえつけるように再び顔を伏せたドミニクが、リアムを見ないまま言う。
「…………理由は」
「区切りをつけられてねぇんだろ、ズルズル引きずりやがって。悪いと思ってんなら、弔ってやれ」
現地に居たリアムなら、知人を沢山喪っているはずだ。何故、こんなことが言えるのだろう。
今目の前にいるドミニクを糾弾する権利を、彼はもっているというのに。
「……どのツラ下げて会いに行けと?」
「テメェは葬儀官だろ。死んだ人間を弔うのは仕事じゃねぇのか」
「死ねない人間を死なせてやるのが仕事です。その後は、親しい者に任せるべきだ」
「その親しい者が願っていると言ったら? 葬式も法事も、生きてる人間のためにやるモンだぜ」
もちろん、慰霊式典もな。
リアムはただ真っ直ぐに、ドミニクを見つめていた。
ドミニクからの返事はない。ただ堪えるように、耐えるように、爪が手の甲に痕を残すほどの力でぎゅっと手を組んでいる。
「俺だってあいつらだって、坊主、テメェに自覚があるのなら、後ろばっか向いてるのを良くは思わねェさ──あれは、災害だったんだから」
「違うッ!」
ドミニクが声を張り上げた。弾かれたように上げた顔は、やはり苦しそうで。
「あれは俺が──!」
「ちげぇだろ。テメェも被害者だ」
「じゃあどうして公にしなかった⁉ テラサルースが関与してたって、どうして言わずに災害で終わらせたんだ⁉」
以前、シャルロットは言った。全てが全て、ドミニクのせいではないと。
彼は加害者であるけれど、同時に被害者でもあり、本人の望んだことではなかった。ならば、情状酌量の余地はある。
認識は、どうやらリアムも同じだったようだ。
「それは長官に聞け。俺は知らねェ」
死人に口なしとはかつての文言だ。被害者が
けれど、パムリコ島の住人達は全て灰に消えた。彼らが事件後も罪悪感を背負い続けるドミニクの事をどう思っているのか、知る術はない。
「でもな。俺から見ても、テメェがちゃんと償おうとしてるのは分かる。性根がクソほど真面目な奴なんだなってのは今の態度でまる分かりだ。そんな奴に、いつまでも負い目を背負ってほしくねぇんだよ」
「しかし」
「枷にすんな、糧にしろ。でなきゃあいつらの命が、なんで失われたのかが分からねェ」
──それが、許されるとでも。
呟いた吐息のような言葉と共に、ドミニクは再び顔を伏せた。
めんどくさい男だなぁ、なんて思うのは、シャルロットが完全に部外者だからだ。
初めから罪なんてなかったのに、命の重さに雁字搦めにされて、動けずにもがいている。自分で綱を切れるのに、矛先は綱ではなく体に向いていて。
本当に、生真面目で、堅物で。でも、きっぱり割り切れる人間でないからこそ、誠意を持つ男だと分かるのだ。
優柔不断とは言うまい。ドミニクの中で、明確な判断基準があるだけなのだ。それを緩和させるかどうか、決めるのは彼というだけで。
「……ドミニクさん」
シャルロットは一言、ドミニクに呼びかけた。
この男が己の偽罪と向き合うためには、必ず他人が必要だ。
「今すぐに、じゃなくてもいいんじゃないですか」
「……そうだな、少し時間が、ほしい」
判断を急かされているわけではない。シャルロット達にもネル・ブライアン山麓の調査があるし、慰霊式典もまだ先だ。考える時間は十分にある。
シャルロットの助け舟に乗って、ドミニクは顔を伏せたままリアムに返答した。
そこでようやく、リアムがシャルロットに意識を向ける。ドミニクに向けていた真剣な眼差しが好奇心に満ちた視線に代わり、しげしげとシャルロットを眺めている。
一応、ドミニクについては逐一報告を受けていたようだから、シャルロットの事も小耳には挟んでいたのだろう。ただ会うのは初めて。ドミニクの横に立つことになった女がどんな人間なのか、気にしている様子だ。
「何にせよ席は用意しとくから安心しな。しかし……なんともまぁ、頼りがいのありそうな相棒じゃねェか」
「我々からしても心強くてね。ドミニクのストッパー兼凄腕の護り手だ。攻守ともに優れていてね、これだけの魔導機器を並列使用できる人なんていないだろう? できるんだよねぇこれが」
「マジか? 坊主も規格外だが、嬢ちゃんもか」
シャルロットが装備した魔導機器に目を移しながら言う。実際に見せてみないと、魔導機器を複数使用するのは信じられないだろう。
「ドミニクさんがどうにかならないように、私が見てますからね。安心してもらって大丈夫です」
「そりゃ心強い。だろう? ホワイトフィールド」
「……心強くなければ、側に置いていない」
ふふん、と得意げに胸を張ったシャルロットは、返ってきたドミニクの言葉に目を丸くした。
どうしてこんな歯が浮くようなセリフが軽々と口から出せるのだろう。前から思っていたがこの男、無自覚なのか確信犯なのか。
別に、悪い気はしないが。シャルロットに自殺ほう助をさせようとした前科があるため、少々複雑ではある。
──俺がいなくなってもこいつがいれば大丈夫、後を任せられる。そんな風に思われていたらと、不安にならないわけではない。
「坊主、お前なぁ……そういう台詞は彼女に言え?」
リアムが呆れながらドミニクに忠告したが、ドミニクは不可解さを隠そうともせずに首を傾げていただけだった。
私以外の女に所かまわずそういうことを言っていたら、往復ビンタで済まさない。心に決めて、しばしドミニクの言動を注視することにした。
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