第五章 想いを天の階へ 4

  ごんごんと大蛇の中を落下して、最終的に広い空間に落ちてくる。食われて体内に取り込まれたにしては周囲が明るくて、シャルロットは起き上がりながら状況を確かめた。


 完全に大蛇の内臓の中だ。しくじった。


「参ったなぁ……私が捕まったら意味ないんじゃん……」


 装備の確認ができるほどには灯りがある。緩く頭を回して辺りを見ると、高い天井は厚い膜に覆われて仕切られていた。内部を照らしている光源はここから頭上にあって、ぶっくりと膨らんだ瘤のような肉の塊から、ところどころ若草色の魔石が飛び出ている。強靭そうな膜が壁になっているから、上へ進むのも現状では難しそうだ。


 恐らくあれがコアだろう。幸いなことにキャンサーの中核に落ちてきたようだ。


 しかし。コアを見つけたからと言って、シャルロットの得物では切り離すことができない。


「……繋がるかな」


 シャルロットはインカムを操作して通信ができないか試みるも、ノイズが帰って来るばかりで返事はなかった。偏った魔力の影響でうまく繋がらないようだ。


 食われたところをドミニクが見ているはずだから、奪還のために既に動いているだろうが。であればその間、身を守ることに集中したほうがいい。


 キャンサーの体内にいるのだ。つまりは敵陣のど真ん中。何が起こっても不思議ではない。


 幻影を外の世界にまで送りだせた父の事だ。当然接触してくるだろう。


「──シャル」


 やはり来たな。シャルロットは魔導銃を緩く持ち、適度に身体から力を抜いて振り返る。


 無言で父を睨みつけると、幻影か肉か、どちらか分からないテオドリックが露骨に嫌そうな顔をした。


「……そんな顔しないで、シャル」

「するに決まってるでしょ」


 食って私を殺せたつもり?

 シャルロットは問うて、テオドリックに銃口を向けた。


「ごめんけど死んであげられないの。私が必要な人がいるから」

「親に銃を向けるのかい」

「出会い頭に首絞めてきたお父さんに言われたくないよ」

「それは……そうだね」


 仕方ない、とまる分かりの声色だった。


「でも必要なんだ。そうするしかなかった。父さんだってシャルの苦しむところは見たくないさ」

「じゃあどうして」

「シャルは知らないだろうけど、たくさんの人から狙われてる。今だって変わりないだろう、何年も姿を見せずにおいて、大丈夫だなんて信じられない」

「あのね、生きてるんだから進学くらいするでしょ? アウロラ出て学校行ってたの、それでこっちで仕事することになったから戻ってきただけ。狙われてるって言ったって、私はそっちの方が信じられないよ」

「今のシャルが連中に影響を受けてないとも限らない。あの妙な男だってそうだ。自分の知らないところで思うままにされてるかもしれないだろう?」


 テオドリックの言葉を否定はできなかった。


 確かにそうだ。ルクスフィアはシャルロットが学校の面接を受けた時から配属先を決めていた。ドミニクだって、彼女の存在を知った時から殺されることを望んでいた。振り回された感は否めない。しかし。


 シャルロットは既にそれを良しとした。他人の思惑はどうあれ、決断したのはシャルロット自身だ。


「そうだね──そうだよ。それでも私が選んだの。進学するのも、戻ってきたことも──お父さんを火葬するって、決めたことも。葬儀官になったのも、せめて約束くらいは果たさなきゃって思っただけ」


 魔導銃のグリップを握り直し、引き金に指をかける。僅かに回した魔力を増幅させて、魔導銃とブーツに闇色の魔力が奔る。


「もう生きてちゃいけないんだよ。死んでるんだから」

「…………そうだね。人としては、死んでいる」

「いいよ。みんないるし、一人で生きれる。護ってもらわなくても、立ってられる」


 苦々しく顔を歪め、構えた魔導銃の弾種を魔弾から放射砲に切り替える。


「私にキャンサーは、必要ない!」


 テオドリックの周囲を囲うように魔導銃から放射砲を撃ち放つ。目くらましとして放った魔力の粒子に紛れ、シャルロットは強く悪性細胞の肉の床を蹴り込んで側方に移動すると、魔力強化を施したブーツで蹴り込んだ。


 黒と、赤と、紫。複雑な色をした己の魔力を斬り裂いて、シャルロットの蹴りがテオドリックの幻影体に打ち込まれる。しかし直撃した感覚は脚に届かず、テオドリックの幻影が水塊となって内臓壁に飛び散った。


キャンサーになってでも守ろうっていうんだ、まだ、僕は、シャルを守らなきゃいけないんだ──!」


 姿を消したテオドリックの声がどこからともなく響いてくる。まずは幻影を生み出している本体か、魔法の発生源を叩かなければ埒が明かない。


 とはいえここはテオドリックの腹の中。真っ先に思い浮かぶコアは、手の届かない頭上にある。


「またそれ⁉ 一体何から守ろうっていうの、もう私が誰かを守る立場なんだけど⁉」

「銃なんて握って……人を殺せるだけだろう、武器だけじゃ守れないモノだってある!」

「武器じゃなきゃ守れないものもあるの!」


 姿の見えなくなった幻影を探して声を張り上げる。両手に握った魔導銃の術式を魔弾に切り替え、魔力を充填したまま全域に神経を集中させる。


 僅かな物音や気配も見逃さないように。シャルロットの耳が足元の斜め下から異音を感知し、その場を飛びのいて魔弾を撃った。


 立っていた足元を、床に潜んでいた大蛇が突き破る。大きく口を開けて噛みつこうとした大蛇に、空中で身を翻しながら魔弾を乱射した。矢継ぎ早に放たれた魔弾が大蛇に穴を開け、衝撃で肉片が飛び散った。細分化した悪性細胞の肉片は、液状に腐って床に落ちていく。


 大蛇の襲撃を契機として、悪性細胞からできた蛇がそこかしこから這い出て襲い掛かる。大量の蛇をシャルロットは魔弾で撃ち抜き、絡み付かれる前に蹴り飛ばし、ヒールで頭を打ち砕く。せわしなく視線を動かしながら的確に倒していく。


 本体はどこだ。頭上からの物音に気付いてシャルロットが眉根を寄せて上方を睨みつけると、天井付近に巨大な水塊が現れていた。


 今でも十分な大きさだが、まだ水量は増している。小さな蛇は囮で、こちらが本命か。


「だから、効かないって──!」


 魔導銃のセレクターを放射砲に合わせ、落ちてきた巨大な水塊に濃密な魔力を吹き付ける。水塊は接触した側から凍り付く様に固まっていくが、構成する魔力の密度が高く、落下速度に硬化が間に合わない。


 放射砲の出力だけでは止め切れず、表面だけ魔石と化した水塊が質量に任せて落下してくる。このままだと潰されると判断したシャルロットは放射砲の噴射を取りやめ、バックステップからの回し蹴りで迎撃した。


 小さな魔法障壁を展開して振り上げたブーツの踵に、硬化した水塊が直撃する。放射砲で固まった表面を打ち砕くが、固まり切らなかった水はそのままだ。頭上から思いきり水を被る形になって、片足立ちになっていたシャルロットは重たい水に押されて転倒する。


「っぐ……やる、じゃん!」


 まだ水を被っただけだ。再び父の姿を探そうと受け身を取ったシャルロットは、体が妙に重たい事に気づいて視線を下ろした。身体に降り注いだ水は、肉の床に落ちることなくシャルロットの体に纏わりついていた。


「──捕まえた」


 耳元で聴こえた声に、ぞわりと背筋が泡立つ。身体を覆った水はびくともしなくて、膝立ちのまま動けない。視線だけ周囲に向けると、全方位の肉壁からシャルロットめがけて圧縮した水流が放たれていた。


 直撃は免れない──魔法障壁の展開は間に合わない。シャルロットは咄嗟の判断で自身の魔力生成量を上げ、ガントレットの増幅器をフル稼働させて身を覆う水塊に魔力を叩きつけた。


 内側から、あっという間に水塊が紅紫の結晶に成り変わる。増幅された魔力に余裕があったのか、着弾した水流にすら伝播した。シャルロットを中心に茨が伸びるが如く、キャンサーの体内を細長い魔石が埋め尽くす。


「捕まえられてないよ──!」


 シャルロットは肩で呼吸をしながら言った。広がった瞳孔の縁に、紅紫色の闇が滲んでいる。もう少し自己生成量を増やしていたら暴走するところだった。僅かに痛んだ心臓を抑えるようにして、充血しかけた目を強く閉じた。


 逆流した魔力が魔石となって肉壁に突き刺さる。ガントレットからの魔力供給はそのまま、キャンサーの内部すら侵そうと仄暗い魔の手を伸ばす。


「……ねぇ、教えてくれたっていいじゃん。私を、何から守らなきゃいけないの?」


 シャルロットは体に張り付いた魔石を剥がしながら問うた。


「お父さんに守ってもらわなきゃいけないほど、もう弱くなんてないの。私はお父さんに憧れて葬儀官になったのに、そのお父さんがキャンサーを肯定してどうするの? 死ぬよりひどいことになるんじゃないの? ……命も心もみんな平等に扱えって言ったのはお父さんでしょ⁉」


 叫んでも返事はない。どこから仕掛けてくるか分からない。弾丸で爆ぜた床は、小さな噴水のように体液を噴き出していた。


「──養子縁組の話が、あったんだ。シャルが産まれて、直ぐに」


 魔石の茨の向こうで、水が渦巻いてテオドリックが現れた。焦点の合わない目で虚空を睨みつけているようで、表情から有り余る怒りを感じる。


「シャルの魂は特殊過ぎて手に負えない。一般家庭に置いておくと制御できずに宝の持ち腐れになる。親兄弟だって危険に晒す。だから、我々で、引き取って、面倒を、見ると」


 怒気は徐々に強くなる。剥き出しにされた憎悪は、シャルロットではない誰かに叩きつけられている。


「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! 他人の子供をモノみたいに扱って!」

「……断った、んでしょ?」

「断ったさ! でも連中は諦めてくれなかった! あの手この手で外堀を埋めて、その度にシャルが危険なんだって誰からも思われて──そんなの許せるわけないだろう⁉ 挙句の果てに僕を殺して! 排除すれば手に入るとでも思ったのか⁉」


 憤怒と共に語られた言葉に、シャルロットは言葉を失った。


「……お父さん、私のせいで殺されたの……?」


 養子縁組の事は初耳だったが、まさか父が殺された理由が自分由来だとは思いもしなかった。シャルロットを欲しがった集団が、反社組織であるテラサルースを利用して邪魔だったテオドリックを排除した──というのが、事の真相らしい。


「シャルのせいじゃない、でも連中はまだ狙ってるはずだ」

「──だから、守る必要が、あるんだ?」


 深く、深く呼吸を繰り返す。片手に握った魔導銃を、再び父の幻影に突き付ける。


 シャルロットの魂が規格外だった故に、テオドリックは死んだ。たった一人で抱え込んで、大きな組織に対抗しようとして、消された。その上でシャルロットを守らんと、テオドリックはキャンサーとして生きることを選んだ。


 元凶は、自分だ。ならば尚更、ここで全てを終わらせてやらなければ。


「──もう、いいよ。もう終わりにしようよ、お父さん」


 魔導銃のセレクターを魔弾へ。グリップを握って魔力充填を開始し、暗がりで白金の銃が淡く輝く。バレル上部のフロントサイトで、父の体に狙いを定める。


 葬儀官のシャルロットと、キャンサーのテオドリック。既に、護り守られる関係では、ないのだ。


「……そうだね、ちゃんとシャルの望み通りに話したし、終わりにしようか」


 引き金を引き、銃口から三発の魔弾を吐き出した。連射された魔弾が魔石を粉砕しながらテオドリックに到達するが、やはり水に転化して消え去ってしまう。


 このまま体内で戦っても意味がない、肉壁に穴を開けて脱出するか。方針を変えて魔導銃に限界まで魔力を溜めたところで、シャルロットの注意が外に逸れた瞬間に、立っていた足元が急に脆く崩れだした。


「──ッ!」


 片足が深く肉に沈む。後方に倒れかけた身体をもう片足で無理矢理支えたって、既に足首まで悪性細胞に食らいつかれていた。


「酸で溶かすと身体が無くなる……少し苦しいかもしれないが、溺れてくれ」


 再び聞こえた声に顔を上げる。隔膜直下の肉壁が裂け、膨大な量の液体がシャルロットが立つ空間に注ぎ込まれていた。魔導銃から杭を撃ち無理矢理注水口を閉じようとしても、液体であるからか完全には止まらず、加えて数が多い。あっという間に太ももまで汚れた液体で浸かり、拘束された脚をどれだけ動かしても抜ける様子がない。


 このぬかるみから脱出しなければ、テオドリックが言うように溺れ死ぬ。


 諦めるつもりは毛頭ない。シャルロットが父の姿を探して虚空を睨みつけた時、キャンサーの体内が大きく揺れた。倒れるかと思ってふらつくと、腰まで迫った液体が激しく跳ねて頬に付着する。


 キャンサーの巨体全体が震えているような振動だった。内部のシャルロットが特段ダメージを与えられていないのだから、考えうる可能性はたった一つ。


 右腕で乱雑に汚れた液体を拭い、ふいに現れた見知った気配に、シャルロットは得意げに口角を吊り上げた。


「ごめんけどさぁ、言ったでしょ? 私、独りで来てるわけじゃないの!」


 シャルロットは自由な片足で肉の床を踏み鳴らし、自身を覆うように球状の魔法障壁を展開する。一時的に暗い壁に覆われた直後、彼女の真横に青白い流星が落ちてきた。爆発に近い衝撃と魔力を伴って、シャルロットを死へと迎え入れようとした液体が瞬く間に蒸発していく。


 単純な魔力放出による、他の魔力への融解反応。暴力に等しい力を振るうのは、ドミニク以外に考えられない──キャンサーに体内の乗り込んでくるなんて、無茶をするのも。


「待たせたな」

「……危うく死ぬところでしたけど?」

「間に合った。大目に見てくれ」


 魔法障壁を解き、魔力の塵に返す。液体を噴き出していた外周の肉は光に曝され焼け爛れ、裂けた注水口は固く閉ざされていた。相変わらずの威力に、シャルロットは苦笑して、声高に宣言する。


「さて! 仕切り直しといこっか、お父さん」


 二人で一つの魂、ここからが本番だ。

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