第五章 想いを天の階へ 2


 状況を整えて数日後が作戦決行日だ。サグス湖畔に到着したシャルロットは、リシャが呼んだクジラの使い魔の背から飛び降りた。場所は父テオドリックが眠る小山から、少し離れた位置だ。


 見上げた空は分厚い雲で覆われ、灰がかかったような風景だった。以前訪れた時の鮮やかさは鳴りを潜め、心なしかラクナ・クリスタルが発する魔力も褪せている。


 サグス湖畔まではジェラルドが運転するヘリコプターで向かい、そこから使い魔に乗ってシャルロット達だけ降りてきた。運転手のジェラルド、狙撃手のジオと技術者の奏は、魔力変換所にヘリコプターを下ろした後、車に乗り換えて現地へ向かう。彼らが到着するまで──ジオの対物狙撃銃の射程範囲に入るまで、後方からの支援はない。


 リシャもこれから正嗣をラクナ・クリスタルに近い場所まで送るので、接敵するのはシャルロット達が最初だ。


「ではシャルロット、俺がラクナ・クリスタルの制御権を取り次第開始だ」

「分かりました」

「──武運を祈る」


 最後の指示を聞き届けて、クジラの使い魔が再び浮上する。どこか機嫌よく草原を跳ねる使い魔を見送り、視線をテオドリックが潜伏する小山の向こうへ。


 一応周囲を見回しても、端末らしい蛇はいない。シャルロットはクラウィスを抜き、左手に持ち替えてガントレットからプラグを引き抜いた。テオドリックを起こすための魔弾は、使い捨ての術式としてクラウィスに組み込んでいる。


「そういえばドミニクさん、私思うんですけど」

「なんだ」

「パムリコ島の。被害者みんなキャンサーにならなかっただけ、よかったんじゃないですかね」


 しばらくロクに話せる状況にないだろう。ふっと思ったことを、何気なく言ってみる。


「──それを言うなら、死ぬ必要すらなかった。欺瞞に過ぎんな」


 じっとラクナ・クリスタルの様子を見ていたドミニクが言った。


「奪ったのは俺だ。よかったもクソもない」

「私がそう思ってるだけです」

「酷い女だ」

「お互い様ですよ?」


 いつでも魔弾を撃てるようにガントレットの増幅器を起動。装甲が展開して魔力を増やしながら、クラウィスの銃底にプラグを接続し、右手に持ち替える。


 準備はできた。雑談は終わりだ。


 そのまま待っていると、唐突にラクナ・クリスタルの付近に黒雷が落ちた。

 正嗣が何かしたのだろう、サグス湖の水は風に巻き上げられ、ラクナ・クリスタルの周辺を駆け巡る。水泡となった湖水は徐々に集まって札の形になると、大輝石を取り囲むように展開して黒い稲光で全てが繋がった。


 巨大なラクナ・クリスタルを覆うほどの固有魔法。人間一人の魔力量で到底成し得ない規模のはずだ、魔力の供給源は地下の魔力溜まりだろう。


『ドゥーシャ、ラクナ・クリスタルを抑えた。一時的に魔力溜まりからの吸い上げを停止させる。魔力変換所に確認してもらってくれ』

『了解です、今────大丈夫です、直下の魔力溜まりからの魔力吸収、変換所へも該当の魔力溜まり、およびラクナ・クリスタルへもカットされています』

『シャルロット、初めろ』


 深呼吸しながら待ち、インカムから正嗣の指示が届いて、シャルロットは増幅器と接続したクラウィスを、テオドリックがいると思しき小山に向けた。


「行きますよ!」


 魔力波を増幅した魔弾を撃ち放つ。紅紫色の巨大な魔弾はうっすらと尾を引いて小山に直撃し、直後にどこからともなく地面が震えだす。


 ロメオを火葬した時に起こった地震は、やはりテオドリック由来のものだった。じっとシャルロットが小山を睨みつけていると、小さな山体が一気に崩れ、土砂の中からベージュ色の蛇体が現れる。


「……いや、でかすぎでしょ……⁉」

「想定内だが、流石に骨は折れそうだ」


 クラウィスからプラグを引き抜きながら、シャルロットは驚愕に声を震わせた。


 遠距離からでもはっきり分かるほど、崩れた小山そのものではないかと思うほどの巨体だ。潰されればひとたまりもない。複数生えた頭がどれも自立して動きながら、土砂をかき分けてシャルロットのいる場所へと突き進む。胴体の部分は奇妙なほどに膨らんでいて、それさえビルの数階相当はある高さ。


 あれが今のテオドリックの姿か。以前の様に人型の幻影を出してくるか分からないが、それは頭の片隅に留めておいて、今は迎撃に備える。


「シャルロット、魔法障壁を立ててくれ」

「あの大きさじゃカバーしきれません、はみ出ますよ」

「余った分は斬り捨てるまでだ!」


 言って、ドミニクが前に出た。足を開き、腰を落として居合の姿勢を取った彼から、青白い魔力が放出される。


 草原に生える青草を根こそぎ引きちぎりながら迫る大蛇のキャンサーに対して、シャルロットは僅かに腰を落とし、ブーツに込めた魔力を解放しながらサマーソルトを放つ。


 つま先が闇色の軌跡を形作る。ブーツから放った魔法障壁は見上げるほどに高かったが、全長二二〇メートルを超える大蛇が相手では進路を阻むに至らない。


 幾何学模様がゆらめく強靭な魔法障壁に道を阻まれ、しかし障壁の上から蛇の頭がにょろりと這い出る。


「──星河、一閃──!」


 その首を、ドミニクの居合が直撃した。刀など届かないだろう距離で振るった抜刀の一撃は、魔力の塵を天の川のように残しながら一瞬で到達する。

「ッチ、浅いか……!」


 が、首を斬り落とすには至らなかった。シャルロットの魔法障壁の上から、キャンサーの体液が零れ落ち、焼けた悪性細胞が剥がれ落ちる。


「──斬れてないですよ⁉」

「距離が遠かった! 威力は問題ない!」


 言葉を合図にして散開。シャルロットは残った魔法障壁にアンカーを撃って旋回移動、ドミニクは強化した足で飛び、たったの一歩で大蛇のキャンサーの突進進路から離脱する。


 シャルロットの魔法障壁は砕けることなく、大蛇のキャンサーは乗り越える形で突き進む。濁流を思わせる質量で通り過ぎた大蛇のキャンサーに、シャルロットは双銃を抜いて引き金を引いた。


 両手の魔導銃を交互に撃ちながら、大蛇のキャンサーに向け掃射を続け、ドミニクがキャンサーの側面から魔力の斬撃を放つ。いかな巨体であっても、ドミニクの濃密な魔力の一撃は無視できるものではないだろう。


 頭は八本。尾は二本に分かれている。独立して動くそれに、矢継ぎ早に噛みつかれては対応が面倒だ。アンカーを使って拘束し、斬り落とすか。


「ドミニクさん! 拘束はするので、頭を!」

『了解した!』


 自身を飲み込もうと大きな蛇の頭が迫ってくる。キャンサーを見上げたシャルロットは魔導銃で上方に向けて錨を撃った。


 返しのついたアンカーが、起き上がっていた蛇の頭に撃ち込まれる。すぐさま鎖を巻き取ってキャンサーの噛みつきを避け、シャルロットは雨が降り始めた空を駆け巡る。


 ガチン、と銃口がアンカーを絡めとった瞬間に解除し、更に上空へ。最高到達点から再び錨を打ち込み、振り子のように空を駆けながら、片方の魔導銃で魔弾を撃ち込む。


 地面すれすれを飛び、跳ねた泥で頬が濡れるのも気にせずに、魔力の鎖を巧みに操作して大蛇の多頭を縫い上げていく。着弾しなかった魔弾は湖畔の草花に穴を開け、曇天でくすんだ大地を荒らしていった。


『ドミニクくーん! あのお腹のぷくっと膨れた部分、怪しいからそこに刺して!』

『了解ッ!』


 何本かの鎖の両端をキャンサーの体と地面に撃ち込んで繋げたシャルロットは、一度地面に降りた。


 分厚い雲で日差しが更に遮られ、辺りは暗くなっていく。大きな雨粒が容赦なく身体に打ち付け、雨でじっとりと濡れ、肌に張り付く前髪をかき分ける。


 曇ってはいたが雨は降らない予報だった。となると、やはり当初の懸念通りか。


『木内署長! 大蛇のキャンサーと魔力溜まり、再接続しました! 魔力流入量が上がっています!』

『分かっている! くそ、本当に規格外だなお前は!』

『どうなっておる、雨が凄いが』

『制御権を半分取られた! 俺の制御を力づくでこじ開けてきている! 強化はするが、排除できるか──⁉』


 皆の言葉が、いつになく切羽詰まっている。あまり状況がよくないようだ。


 ラクナ・クリスタルを覆う魔法陣の量は多くなっているし、迸る稲妻や時折見える風で巻き上がった水で、大輝石の姿が見えなくなっている。


『大人しくしろテオドリック! これがお前の望みだったのか⁉』


 正嗣のどこか悲痛な声がインカム越しに届くと、呼応するように対峙していた大蛇のキャンサーが全ての首をもたげた。首に巻き付く鎖を引っ張り、地面に刺した幾ばくかの魔杭が抜けていく。


 抜けた杭やほどけた鎖は維持しているだけで制御下にないので、再度遠隔操作で突き刺すことは不可能。再び拘束する間もなく、大蛇のキャンサーが大きく口を開け、地下から吸収した魔力を八つの口から放出した。水流が薙ぎ払うように地面を抉り、二発ずつがシャルロットとドミニクに照準を合わせていた。


『舐めるなァッ!』


 ドミニクは真正面から向かってくる束になった水流を、刺突で発生させた魔力砲で消し飛ばした。莫大な熱量を持った閃光は水流を飲みこみ、直線状にあった大蛇の頭を消し飛ばす。


「効かないよ……!」


 対してシャルロットは、両手をクロスさせて構えた双銃から放射砲を放ち、水流を打ち消す。噴射された闇色の魔力で、触れたそばから水流が硬化していく。放射砲は水流を構成する魔力を侵蝕し、大蛇のキャンサーが吐き切った水流は全て魔石と化していた。


 青白い魔力の輝きを砕けた結晶が跳ね返して、曇天の空にちらちらと光が灯る。


『シャルロット、飛ばせ!』


 水流を発射した反動で頭が空を向いた隙に、ドミニクが言って呼びかけた。片手を振って指さしたのは、奏が指示した大きく膨らんだ腹部。真下に潜り込むと巨体で踏みつぶされる可能性があるため、接近するとしたら上部が安全だ。


 なるほど。シャルロットは一瞬でドミニクの意図を察知し、彼の背後二か所にアンカーを接続するためのグリップを撃ち込んだ。続けて魔法を発動させ、二つのグリップを魔鎖でつなげると、狙い通りにドミニクが鎖の上に飛び上がる。


「いっけぇ!」


 グリップと魔鎖を操作し、パチンコの要領でドミニクを弾丸代わりに射出した。魔力強化を乗せた脚力も相まって砲弾じみた速度で大蛇のキャンサーに肉薄したドミニクが、全力で刀を振るう。


『奏さん、後頼むぞ!』


 振るった魔力が炸裂する。ドミニクの一刀は真一文字に亀裂を入れ、鱗もろとも深く肉を切断していた。再生する前に計測器の端末を突き刺し、再生した悪性細胞に取り込まれていくのを見送って、更に上へ。頭を斬り落としにかかったドミニクが青白く輝くロングコートを翻し、僅かな鱗の継ぎ目に足をかけて大蛇の体を駆け上がる。


『おっけー、解析始めるからちょっと待ってて!』


 シャルロットもドミニクを撃ちだした発射台を魔力に還して、再度魔導銃による拘束を慣行する。巨体故にシャルロットの魔弾は効果が薄く、実際のところ注意を引き付けることしかできないのが現実だ。


 シャルロットの鎖で拘束した蛇の頭がぎしぎしと音を立てて首をもたげ、ドミニクが空中から放った剣閃で切り落とした蛇の頭が真後ろに落ちた。背中に泥が大きく跳ね、両手に魔導銃を持ったまま、シャルロットは振り返る。


 キャンサーの肉が壊死して溶けていた。粘性のある液体になった悪性細胞がしっとりと濡れた地面に広がっていき、鱗の下から肉が見えて次第に骨だけになる。


 ぎょろりと骨の中に埋まった眼球がシャルロットを見た。


 視線が合う。エメラルド色の瞳は、曇天の中で光を求めて瞳孔を大きく広げている。


『シャルロット!』


 インカムからの音声にハッとして、シャルロットはキャンサーに視線を移した。長い尾が地面をこすり、シャルロットに向けて振り払われている。泥と土煙、激しい水しぶきを上げて側方から迫ってくる大蛇の二つの尾を、アンカーを頭上に向け打ち込んで回避した。


『無事か⁉』

「すいません、大丈夫です!」


 先ほどまで眺めていたキャンサーの頭は、振り払われて今度こそ粉々に粉砕される。再び上空に舞い戻り、シャルロットは魔導銃による銃撃を再開した。ドミニクが切り落とし続ける頭もあるので、そのすべてを拘束することもできない。先んじてキャンサーの体をからめとった鎖は、抵抗を重ねられて更に何本かが地面から抜けてしまっている。


 コアの場所が特定できるまで、もう少し時間を稼ぐ必要はある。もっと拘束を強くしてドミニクが狙いをつけやすい様にしようと魔導銃を構え、トリガーを引き絞ったところで、側方から空気が裂ける音がした。


 目視で周囲を確認すると、再生したばかりの大蛇の頭が二つ、シャルロットに向けて大口を開けている。落下しながらでは飲み込まれると判断し、魔導銃のセレクターを銃弾から放射砲に変えて二つ同時に撃ちこんだ。双銃の銃口から凝縮された魔力が一気に大蛇に吹き付けられ、キャンサー表面が触れたそばから硬化する。固まるのは表面の殆ど魔力でできた膜だけだ、鱗までは硬化させられない。当然勢いを殺ぐこともできず、二つの頭は尚も突っ込んでくる。


 しかし。放射砲の反動を使って姿勢を正したシャルロットは、両手の魔導銃から魔弾を放つ。いつもの三点バーストでなく、三発の威力を凝縮したマグナム弾。狙い通りにそれぞれの頭に着弾したのを見越して、シャルロットは埋まった弾丸を媒体に魔法を発動させた。


 大蛇の頭を覆う結晶が、追加で注がれたシャルロットの魔力によって淡く輝く。血管の様に張り巡らされた魔力の導線を逆流し、紅紫の魔力が悪性細胞の結合を剥がしていく。


「吹っ飛べぇ!」


 足元に小さな障壁を生成し、一回限りの足場にして強く踏み込む。渾身の力で放った踵落としが大蛇の脳天に直撃し、細かく分断された悪性細胞が衝撃で吹き飛んだ。もう一つの頭には再び双銃から魔杭を撃ち込み、内部から衝撃を加えて破砕する。


 ずっと空中にいるのはよくない。一度地上に降りて体勢を立て直す必要がある。この後の行動を組み立てていると、きらきらと雨粒を反射して輝いた結晶の欠片が、シャルロットの身体ごと大きな影で覆い隠された。


『上だッ!』


 ドミニクの切羽詰まった声が届いた。音量でびりびりと震えた耳に顔をしかめながら、言われた通りに全身を捻って向きを変え、天上を見やる。蹴り落としたのは迫っていた頭の両方だったが、もう一つが更に上から大口を開けて、シャルロットを食らい潰せるほどの距離にあった。


 魔導銃への魔力充填が間に合わない。両手の銃から撃ったから、片方で対処することもできない。クラウィスも当然引き抜けず、目前に迫る二つの牙に貫かれないよう身をよじるのが精いっぱいだ。


 口から伸びた細長い舌に腹部を絡めとられる。大蛇の口内で踏ん張ろうとようやく魔導銃から杭を撃つものの、ぬるついた粘液に絡めとられて深く刺さらず意味をなさなかった。


 大蛇のキャンサーの口が閉ざされて、視界が真っ暗になる。飲み込まれて底へ底へと落ちながら、シャルロットは己の不甲斐なさに舌打ちをした。

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