第四章 背負ったものと、置き去りにしたもの 2


 暇そうに、いつの間にかローテーブルに乗り上がっていた使い魔の猫があくびをした。


「これは八年前のアズテック諸島、パムリコ島での癌災害の記録だ。被害者は島民全員と、対応に向かったアズテック諸島本島、タイトロープ葬儀監督署の悪性新生物対策課の全員。生き残りは俺達と、島外の人間一人だけ。覚えがあるだろう、ニュースにもなったしな」

「我々が増援に向かってなんとか抑えたが……この後、キャンサーが放った魔力砲から正嗣を庇って、使い魔伝いに魔力が移ってワタシの右手が焼け焦げた。正嗣の大魔法で背中の甲殻に傷を入れ、コアを摘出することはできたが……最後の抵抗の魔力放出を真正面から受け、正嗣が体の半面を覆う大やけどを負った」

「まぁ、戦闘はそれで終わったんだけどね」


 リシャの説明をジオが引き取って、彼女はタブレットを置いた。


 シャルロットが中学生の時の、アトラス史上最悪の被害を出した癌災害。それを引き起こした、見覚えのある魔力を使う巨竜のキャンサー。これがまさか。


「……この時死に物狂いで摘出したコアが──ドミニクだった。しかも、息があってな。生きているならば殺せないと、保護したんだ」

「今回、ドミニクから直前に発作を起こすと連絡があった。結局止まってくれずに、あの子はシャルロットちゃんの作った棺の中で発作を起こしたしたわけだけど……出てきた時には全身に纏った悪性細胞が壊死していた。パムリコ島で救助した時は生身の体がそのまま出てきてね、当時と違ったんだ」

「それが何故だかは分からぬ。恐らくヤツに聞いても知らぬ存ぜぬの一点張りであろう」

「……焦ったんですよ、本当に。最悪アウロラはおろかアトラシア大陸が高熱で焼かれていたんですから」


 つまり。ドミニクは己の発作がキャンサーに等しい姿と力になることを知っていた。そして対策課の面々の物言いからしても、彼の特異な発作について理解していたことになる。


「ドミニクさんが、この間と同じ感じで発作を起こして、島一つ……? いやでも、パムリコ島の癌災害のキャンサーは、もういなくなったはずじゃ……」

「生者を裁くのは法務省の役割だ。諸々の事情を鑑みた結果、ドミニクの身柄を葬送庁で監視する条件付きで、火葬した事にした。発作は収まっていたからな、殺すに殺せなかったんだ」

『……これが、かん口令を敷いた理由です。島を壊滅させた犯人が生きているなんて、とても言えませんから──火葬できないキャンサーが居た、というのも、葬送庁の沽券に関わりますし』


 パムリコ島の癌災害は酷いものだった。シャルロットとて映像や画像を見たことがある。島の全域が熱によって焼き払われ、残っているのは燃え切った灰だけ。被害者の遺骨も建物の灰と混ざって回収できず、無事だったのは地下室だけだ。相応の大きさを持つ島全域が、ただの魔力放出だけで灰塵と化した。これほど強いキャンサーをよくぞ火葬したと、生存した葬儀官に政府から勲章が与えられるほどには前例にないキャンサーだったのだ。


 あまりに危険すぎる。放置できる存在ではない。シャルロットにもそれは理解できた。


 例え今、自我があったとしても。万が一を考えれば、生かすリスクが高すぎる。


「……この件がなければ、ずっと教えないつもりだったんですか」

『──いずれは教えるつもりでしたが、彼が自分から話す気になるまでは待つ予定でした』

「それじゃいつになるか分からないじゃないですか。困りますよ。そんな地雷みたいなもの抱えてるって知ってたら、絶対に発作起こしての火葬なんてさせなかった。止められる保証だってないのに」

『貴方であればドミニクを止められると、こちらで判断しました。貴方でなければ……止められない、とも言えます。仮にシャルロットがドミニクを抑えられなくても、それは私の落ち度です』


 いやいや、暴論すぎる。たかだか小娘一人に過去最凶クラスのキャンサーを抑えろなどと無理が過ぎる。パムリコ島での戦闘を見るに、シャルロットではドミニクを抑えることはできない。火力も膂力も違いすぎる。あの現場に居たところで、魔法障壁で正嗣の大やけどと、リシャの右腕の欠損を防げるくらいだ──あくまで、自分の体への負担を考えれば。命を懸ければ、止められるかもしれないが。


「……お言葉ですが、過大評価が過ぎるかと」


 そもそもドミニクの魔力はかなり異質だ。アトラシア大陸の人間が使える六大属性に分類できない、それらを凌駕するものだ。


 一見して、切断面を燃やしたり火葬に応用できる熱量を持っているから火属性と思われがちだろうが、本質的には違う。彼の魔力は他の魔力を融解させるものだ。その反応で熱が起こっているだけに過ぎない。純粋な炎の熱で焼いているのでなく、悪性細胞や魔法を構成する魔力そのものに強い衝撃を与えて組成を崩し、熱を生み出している。


 全てを焼き払う、圧倒的な輝き。空に瞬く星のごとく、はるか遠くまで届く苛烈な光。


「魔導機器を使わなきゃまともに戦えない私と、自己崩壊症で沢山の魔力が使えるドミニクさんと、スペックが違い過ぎます。あの眩しい光なら……私の魔法障壁も破れるかと」


 シャルロットは言った。どれだけ堅牢な障壁でも、恐らくドミニクの魔力では破られる──彼の蒼光だけは、止められる気がしない。


『そうですね。ドミニクの魔力と……それを生成する魂は、光を宿すもの。我々とは一線を隔した、異質なものです』


 ルクスフィアの言葉に、シャルロットは頷いた。当然だ。仮にキャンサーと言えど、あれだけの破壊力を持つ魔力を乱用はできない──恐らく、前提が違うのだ。


 生物には魂が宿る。魔力とは、魂から発せられる固有のものだ。人によって出力も適正も違う。ドミニクの魂は特別性と呼べるのだろう。


『けれど今回、止められたでしょう。発作で癌化したドミニクの魔力開放を、全力の貴方は止められたはずです』


 だから皆、生きています。アウロラの街も、消えなかった。けれど。


『貴方の魂も、ドミニクの魂と同じほど特異です。クラウィスを使わず、固有魔法でキャンサーを納棺できる。魔法障壁の展開も息を吐くようにできて、性能は六属性を応用した障壁よりも遥かに上──クラウィス無しで、魔法障壁や納棺に使えるほどの棺は作れないものなんですよ』


 同席している皆の視線がシャルロットに向いている。やっぱりかぁ、なんて言葉が聞こえそうだった。


 やはり、気づいてはいたか。シャルロットとてドミニクの事を恐れられた義理ではない。彼女は子供の頃から魔力を暴走させがちで、徹底的に魔力を使わないようテオドリックから言い聞かせられてきた。それはなにも、ただ魔力の制御ができないからではない。


 あまりに魂と魔力が稀有である故、だ。


 ルクスフィアの言葉は全て正しい。シャルロットの魂は闇を宿す。ドミニクの万物を融解させる光と違い、魔力を凝縮し硬化させる──それこそ、本来は目に見えないほど細かな粒子である魔力を、目視できるほどの密度で。魔法として組み上げられた魔力に干渉し、動きを止めて崩壊させることもできる。キャンサー体内の魔力の流れを阻害し、体力と魔力を削らないまま沈黙させられるのもこの性質の応用だ。


 子供の頃は、特異な魔力と暴走しがち故に、化け物と恐れられた。ドミニクの場合、それが成長してから起こってしまったのだろうか。


「なら……やっぱり私は、化け物ですか? ドミニクさんも、あんなになったなら……」


 シャルロットは問うた。


『やっぱり?』

「子供の頃は、本当に魔力の制御ができなくて。うっかり魔力放出をしてしまって、周りの魔導機器を壊したり、動かなくしたり……よく問題を起こしていたので。腫れもの扱いでしたね、あの子は化け物だから近づくなって、友達は親からよく言われてたみたいです」


 シャルロットは過去を思い出して苦笑いをしたが、帰ってきたのは至極真面目な顔だった。


『まさか。力持つ者は、総じて他者から恐れられるもの。化け物でなく英雄です、貴方達は』

「はい?」


 あっけらかんとルクスフィアが言うので、シャルロットはきょとんと目を丸くした。ちらりと周りのジオ達に視線を向けても、うんうんと頷いているばかりだ。


 英雄? まさか。シャルロットはともかく、ドミニクは真逆ではないか。


『これまでも、貴方とドミニクの様に特異な魂を持つ者は産まれていました。彼らは強力無比な力で、アトラスの歴史に関わる活躍をした。葬送庁の前身となった民間の対癌組織も、クラウィスに搭載した納棺術式も、元は彼らが作ったものです』


 特徴としては二つ。口をぽかんと開けているシャルロットを尻目に、ルクスフィアが続ける。


『産まれた子供に対しては魂と魔力の解析が行われます。公的な記録には残りませんが……これが、分類不能であること。もう一つは、世代に一組ずつしか現れない事です。今で言えば、シャルロットとドミニクが生きている間、他に光と闇を宿した魂の持ち主は産まれません』

「……んん? いやちょっと、え……?」


 シャルロットはぎりぎりと音がしそうなくらいゆっくりと首を捻った。


 ちょっと待ってほしい。情報量が多すぎる。


『加えて、片方が死ねば、直ぐにもう片方も死にます。まるで引き合っているように。そして同じ時期に産まれてくる。多少の年齢差はあっても、必ず巡り合って、何か大きなことを成し遂げる。世界の在り方を変えるほどの何かを』

「ストップ。長官、すいませんが一旦ストップで……!」

『説明は大体終わりよ?』

「いや、終わりでも、ストップで。何が何だかついていけてないしツッコミどころが多すぎるんですが」

「安心せよ、我らもその話を聞いたのはドミニクにオマエを組ませるとルクスが言った時だ。ドミニクの特異さは把握しておったが、誇大妄想にも等しい持論に動揺はしたわ」


 リシャが呆れたように頬杖をついて、使い魔の猫を撫でながら言った。


「普通に受け入れたのなぞ正嗣とジェラルドくらいじゃぞ、全く」

「俺はなぁ、ばあちゃんから聞いてたし。都市伝説だと思ってたけどよ」

「──俺も同じだな。まぁ、そういうことか、とは思った」

「扱い方次第で、ドミニクの力は英雄にも、災害にもなる。今回勝手に発作起こしたのといい、あの子もどこか不安定なのは分かってた。相棒が居なかったから、なら納得はできるしね。君が来ることでドミニクがもっと真っ当に生きられるのなら、大歓迎さ」

「あたしは別に。誰だろうがやること変わんないし。逆に特別な魔力なら分析し甲斐があるじゃん? ってだけ」

「ドミニク君だけでも大変なのに、同じような人がもう一人きたらやってられないとは思いましたけどね。よかったですよ、シャルロットさんが五体満足の健常者で」


 するりとリシャの手の中から抜け出した浅黄色の猫が、シャルロットの膝の上に乗り上がった。


『古きへーデルヴァーリの血にかけて断言しましょう。貴方達はツインレイです。魂が真っ二つに分かれてしまった、元は一つだったもの。ドミニクを保護した時から、貴方の事を探していたんです。葬儀官を目指してくれて、本当に僥倖でした』


 リシャの使い魔を撫でながら、シャルロットはタブレットに映るルクスフィアの姿を見た。真っ直ぐに見つめてくる彼女が、嘘を言っているようには思えない。


「……初めから、そのつもりだったんですね」

『はい。貴方が面接を受けに来た時から。学生の頃から熱心に対策課に勧誘したのも、戦えるよう魔導機器の開発をさせたのも、ドミニクと組ませるためです』


 これらが仮に真実だとして、整理する時間は必要だ。シャルロットは力が抜けたようにソファーの背もたれに体を預けると、ぐんにゃりと身体を逸らせた。


 ツインレイ。元々一つだったもの。己の魂の片割れ。ドミニクさんが、と彼の顔を思い浮かべて、はたと思う。


 ドミニクが隣にいないのに、違和感がある。己の何かが欠けたような──物心ついた時からあった奇妙な孤独感が、アウロラに来てからなくなっていた事に気付いた。どこか他人事の様にしか思えない、現実と乖離したような感覚の原因だった、孤独感が。それは、もしかして。


『そういえばシャルロット。鋼鉄のキャンサーを火葬する際に、ドミニクに封印はできないと言われたのでしたね?』


 語ることは語ったと言わんばかりに話を本筋に戻したルクスフィアに、シャルロットは体を起こして答える。


「──そうです。それはできないんだって酷い顔で言うから、断れなかったし……あのキャンサーは捕食に特化していたから、封印術式で作った拘束具も食われかねないなと思って、即時火葬することにしました」

『そう……あの子、もう癌化したくないって常々言っていたのに、今回に限ってどうして自分から発作を……』


 呟いて、ルクスフィアはタブレットの画面から顔を逸らして考え込んでしまった。


 流石にそれは、ドミニクから話を聞かない限りは真実が分からない。ふっと力が抜けた瞬間に、使い魔がシャルロットの腕からするりと抜け出して肩に乗り上がる。


「あの、なら私が聞いてきますよ、それ。どっちにしたってドミニクさんから説明してもらわなくちゃだし、関係ありそうなので」


 『飽きた!』と言わんばかりに、使い魔の猫が尻尾で顔を叩いてくる。ふわふわした尻尾から必死に顔を守っていると、リシャが思いきり噴き出してから使い魔を指さし、魔力に還した。


「──シャルロットはドミニクが起き次第事情聴取。結果はルクスフィアに上げよ。その間、我らでキサマの父親の所在を突き止める。それでよいな?」


 リシャがまとめの音頭を取って、作戦会議は終了だ。各々通常勤務に戻っていくのを見ながら、シャルロットはおもむろにドミニクが入院している病院の方角に顔を向けた。

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