第三章 暗きに輝く超新星 3


 地下駐車場を染めていた魔力が薄れた。シャルロットの作った檻は見事にドミニクの最大出力の魔力を凌ぎきり、檻と接していた岩板を焼き溶かすだけに終わった。


 鋼鉄のキャンサーの姿もない。何十人もの人間を食らった異形は蒸発し、魔力に還っていった。立っているのはドミニクのみ。仁王立ちして空に開いた小さな穴を見上げたドミニクは、悪性細胞に覆われた顔を片手で撫でる。伸びた爪が、額から伸びた角をバキリと折った。


 折れた角を無感情に眺める。鋭利に割れた断面が、徐々に液体になって手のひらから零れ落ちていく。もう片手で顔を拭えば、べったりと悪性細胞が付着していた。手も足も、胴体も、魔力を使い果たしたことで正常な人間の細胞組織に戻ろうとしている。


 自己崩壊症の発作は、悪性細胞の増殖から始まり、同時に強烈な焦燥感や破壊衝動に襲われる。しばらく経つと精神的な症状は治まるが、増殖した悪性細胞はすぐに壊死して剥がれ落ち、元の状態に戻るまで数日かかる。その間は肉や骨が露出している状態だ。起こってしまったら最後、体が元に戻るまでひたすら待つしかない。


 ドミニクの発作は特殊な物だ。全身が癌化しているのだから規模も並みではない。


 壊死する体を見ているのは初めてだろうか。癌化した後は決まって意識がほぼなくて、気が付いたら人間の姿に戻っていたから。


 どろりと溶けた悪性細胞が口の中に入ってくる。不味い、と吐き捨てて、顔にこびりついた腐る前の悪性細胞を残った爪で無理矢理引き剥がす。


 血が出た。上皮の再生を待たずに悪性細胞を引きはがしても、表に出るのは薄ピンク色の肉ばかりだ。魔力生成もできないので、頭も体も動かない。


 それでも──どうやら命は無事なようだ。胸に手を当てると、小さく心臓の鼓動を感じて、ドミニクは残念そうにため息をついた。


 シャルロットの棺が完璧だったのか、自分の身体、もとい悪性細胞の耐久性が思った以上にあったのか。


 自分自身の全力の光と抑え込める最上級の棺でもってしても、鋼鉄のキャンサーすら蒸発させられたのに死ねなかった。


 ──なら、どうやったら自分は死ねるのだろう。


「……ままならんな」


 ドミニクはぼやいて、腐り落ちていく体はそのままにぼーっと空の穴を眺めていると、小さな点が目に映った。点は徐々に大きくなっていき、人間の形をしていることに気づいた。


 この高さでは死ぬ。誰か分からないが、死にそうな命ならば助けない理由はない。ドミニクは体力を使い果たした体に鞭打って、地面を蹴りこみ落ちてくる人間を受け止めた。翼を使い魔力で滑空することはできないから、そのまま地上まで一直線。加速が足りなくなれば壁を蹴り、更に上へ。ちらりと抱き留めた人間を見れば、酷く疲弊して汗だくのシャルロットだった。


 アンカーで壁面移動ができる彼女が、どうして成す術もなく落下しているのか。大方納棺で無茶をしたのだろうが、悪性細胞の壊死で瀕死のドミニクとはまた違ったダメージの負い方で、自分の事は棚に上げて心配になってくる。


「……お前、大丈夫か」


 血流が減っているのか顔が真っ青だ。顔や指などいたるところが内出血で青くなっているが、首から上は酷く圧迫されたのか真っ赤だった。


 首でも絞められたか。であれば地上に敵性体がいるということになるが、ドミニクもこれ以上の戦闘行動はとれない。


 発作が収まりかけた状態ならもう一度癌化することはないから、何かあったら庇うか。考えながら二度三度壁を蹴り、ドミニクはシャルロットを抱きかかえて地上に帰還した。着地した衝撃で片翼の骨が関節から折れ、重たい音を立ててアスファルトに落ちた。



 *



 がしゃん、とガラスが割れる音がした。キャンサーと人の間、中途半端な姿をした異形の背中から、翼が崩れ落ちた音だ。その異形に抱きかかえられて地上に戻り、難を逃れたシャルロットはアスファルトの上に寝かされる。ぽたぽたと溶けた異形の皮膚が肌の上に落ちてきて、どこか知性を感じる異形の様相を観察する。半分だけ露になった顔は皮膚が剥がれて肉が見えているが、真っ青な瞳と細長い瞳孔で、かろうじてドミニクであると判断ができた。


 しかし、どうしてこんなキャンサーのような姿をしているのだ? それも切り離されて壊死した悪性細胞にまみれて。まさか発作が起こったのか? 


「どみにくさん」


 言葉を噛みそうなくらい、舌足らずな声で名前を呼ぶ。ドミニクの体がぐらりと揺れたかと思えば力を失い、シャルロットの体にもたれ掛かってきた。


「……ねぇ、大丈夫ですか?」


 どろどろとした皮膚の流出が止まらない。胸に落ちてきた重い体を持ち上げながら起き上がり、ぬるつく肩を揺さぶってみる。


「────ドミニクさん、ドミニクさん。ねぇ」


 ドミニクの背の翼がもう一枚、骨から砕けて路面に落ちた。流れ落ちた悪性細胞の奥から徐々に見えてきた人肌は柔らかく心もとない脆さで、爪を立てれば肉も抉り取れてしまうだろう。


 黒ずんだ血と、粘着質の悪性細胞に汚れたドミニクの姿に、シャルロットの背筋が凍った。つい先ほどまで父親に殺されかけたことも忘れて、夢中でドミニクに呼びかける。


「なんで、なんで……ねぇ、死なないでくださいよ、死ぬんですか? なんで?」


 葬儀官として現場に出てからというもの、シャルロットの前で誰かが死んだことはなかった。相手にするのは既に死んでいるキャンサーだし、複数人で行動することがあれば、高性能な魔法障壁で守ってきた。致命傷になり得る攻撃を防いだことだって何度もある。


 シャルロットは強く、守る側の人間だった。死者を送れど、誰かを看取った経験はない。


「ねぇ、まって嫌だ……嫌……」


 胸に当たったドミニクの心拍は浅く、小さくなるにつれて焦りは増していく。


 このままドミニクは死んでしまうのだろうか。自己崩壊症の患者は死後直ぐに癌化するから、この場で火葬しなければならない。疲弊しているシャルロットでは納棺ができないから、この手で送ることすらできない。


 今ここで、ドミニクが死んで、二人で行動しろと宛がわれた相棒はあっさりと消え去って。お前を信じて頼むんだと言った男を、また自分も信用して残していったというのに。このまま何も告げられないまま逝ってしまう。


 また自分の手から離れたところで、何もできずに。


「信じろって、言ったのに……?」


 悪性細胞でぬるついたドミニクの身体を抱きしめる。せめて自分の体温を分け与えようとしても、冷えて温かみを失っていくばかりだ。肌身で感じる死の気配に、シャルロットは喉を引きつらせて呟いた。


「嘘……嘘、ついたんですか……?」


 いつもこうだ。嘘をつかれて、傷つくばかりで。


 ──馬鹿馬鹿しい。知り合ったばかりの男を信じた自分が悪かった。初めからドミニクが死ぬかもしれない心構えをしていれば、こんなに動揺はしなかった。


 どうみたって瀕死だ。心拍も体温も低下している。全身の皮膚は溶けてなくなり、露出した肉は触れただけで崩れ落ちそうなほどに脆い。自己崩壊症の末期患者の発作より、遥かに酷い状態だ。蘇生の手段がない、生き返る見込みなどない。


 こうなる可能性くらい、想定できたはずだ。受け入れろ。シャルロットが作った棺は完璧だった。自己崩壊症を患うドミニクが更に魔力を使用するなら、発作を起こす以外に方法がなかった。癌化したテオドリックが迫っているというのに、死人にかまけている余裕はないはずだ。


 ドミニクはもう死ぬ。早く見捨てて切り替えろ。


 回避できないならさっさと身を守る方向に舵を取れ。死んだ人間に、いつまでも心を裂くことはない。


 諦めろ、諦めろ、諦めろ! 

 私は傷つきたくない、苦しみたくない、悲しみたくない!

 諦めて受け入れた方が傷つかないし楽だ、そんな事は分かっている!


 ──でも、それでも。


 死んでほしくなかった。生きてほしかった。そう願うことを、諦めたくなかった、のに。


「あぁ、そう、置いていくん、ですね……どみにく、さんも」


 生きてほしいと願っている。けれど、早く見切りをつけなければ父を失った時の様にいつまでも苦しむことになる。


 一体どちらが、ダメージが少ないだろうか。


「……そう、そう……そう、ですか……」

 当然、諦めて守りに入った方だ。


 おずおずと、躊躇いながらもドミニクの体から腕を離す。


 暗然と、無理矢理に心を殺す。身体を襲う虚脱感とは裏腹に、痛み切った内臓が破裂したように動きを止めた気がした。



 *



「……正嗣、退いてよ。邪魔だ」


 その様子を眺め、一層冷徹になったテオドリックが言った。どうやら娘と見慣れぬ男のやり取りが不満なようで、機嫌の悪さを隠そうともしていない。


 対する正嗣はシャルロット達の前で、テオドリックから彼女らを庇うように立っている。


「それはできない相談だ。お前が言ったんだぞ、娘を頼むと。しかし、首を絞めて盾にするとは……自分の子供にする仕打ちじゃないな、一体どうした?」

「シャルを守るのは君じゃなくて僕だ。僕の目の届くところに居てくれなかったから、じゃあ後は側に置いておくことしか守る方法がないじゃないか」

「監禁でもするつもりか」


 正嗣は腰を落とし、抜刀の構えをとって答えた。


「……誰かが言った。人は死ぬ。キャンサーは死なない。その通りだ、僕らは死なない。なって分かった。案外悲観するものでもないんだってね」

「お前は一体何がしたい」

「単純だよ。家族でずっと一緒に暮らしたいだけさ。いつか死ぬなら、早くても遅くても同じだろ?」


 平然と言ったテオドリックに、正嗣は抜刀して斬りかかる。迎え撃ったテオドリックは腕を振り上げ、アスファルトを割って湧き出た水柱を壁にする。黒雷を纏った正嗣の斬撃は水柱に阻まれ、水柱は急激な温度変化で水蒸気爆発を起こして炸裂した。


 爆音と衝撃波が容赦なく正嗣とシャルロットを打ちつける。正嗣は固有魔法で相殺したようだが、シャルロットは支えを失っていたドミニクと共に路面に倒れ込む。正嗣の魔法の余波もあるので、強烈な風に見舞われて髪が乱れ、刺したかんざしが落ちそうだった。


 大切なものだからと引き抜いて、シャルロットは髪を整えずにテオドリックを見やる。


「おいでシャル。そんなものほっといてさ」


 正嗣には目もくれず、テオドリックが手を差し出している。瀕死のドミニクを側に置き続けるシャルロットが──というより、彼女に感情を向けられているドミニクの事が気に食わないようだ。全身泥のような悪性細胞で覆われ、かろうじて人の形しか保てていないドミニクに、どうしてそこまで執着するのか分からないのだろう。


 しかし、そんなものとないがしろにされては、余計についていく気にはならないというのに。


「見苦しいぞテオドリック!」


 正嗣が納刀した後、腰を低くしながらテオドリックに突進する。再び沸き上がり、蛇のようにうねりながら襲い掛かる水柱を風の刃を伴った居合で切り払い、返す刃でテオドリックを肩口から袈裟斬りにした。


 居合の二撃目は確実に入ったはずだった。しかし斬り裂いた瞬間にテオドリックの身体が揺らめき、大量の水塊に変わって消えていく。激しい水しぶきをかぶりながら正嗣が消えたテオドリックを探すと、いつの間にか座り込んでいるシャルロットの側に移動していた。


 水でできた幻影体か。幻影を操っている本体を叩かなければ、目に見えているテオドリックをどれだけ斬り伏せたところで即時再生して意味がない。


「シャル、ほら。父さんと行こう?」

「──なに、言ってるの……」

「ほんとはここで殺したくないんだよ? シャルが居なくなってからの事、聞いてからでないと」


 テオドリックが乱暴にシャルロットの腕を掴みあげるも、彼女は上体だけ起き上げて動こうとしない。震える手が、縋りつくようにドミニクの体に置かれていた。


「行かないよ──もう死んでるんだよ、お父さん」


 ドミニクの悪性細胞で汚れきったシャルロットが、淡々と言った。


 娘の言葉に一瞬怯んだテオドリックだったが、これ以上は手に負えないと判断したのか、シャルロットからドミニクを引き剥がそうと彼の肩に手をかけた。


「──馬鹿者!」


 シャルロット、ドミニク両名とテオドリックの距離が近すぎる。固有魔法を使えば巻き込んでしまうが、斬りかかろうとしたところで、どちらかを盾に使われる可能性が高い。


 ひとまず峰打ちで対処するしかない。刃を反転させたとき、接近していたエンジン音が止まり、ジオが現場に到着した。


「正嗣、そっちじゃない! こっちだ!」


 ジオが車の運転座席から飛び出すと、大型拳銃を抜いてスライドを引きながら虚空へ向ける。正嗣やシャルロット達がいる場所とも違う空白に銃口を向けて引き金を引くと、吐き出された弾丸が虚空に吸い込まれた。


 途端に空間が揺らめいたかと思うと、今まで全く姿が見えなかった大蛇が現れる。全身を覆うベージュの鱗にエメラルドグリーンの瞳は、シャルロットがサグス湖畔で目撃した蛇を同じだった。


「お前……ッ!」


 テオドリックが血相を変えて焦りだす。水属性の魔法で本体の姿を隠蔽していたのか、幻影の発動元が見えてしまえばこちらのものだ。


 ジオが矢継ぎ早に拳銃から五十口径のマグナム弾を撃ち放つ。強烈な反動をものともせず速射された弾丸が長く太い大蛇に着弾し、鱗を突き崩して体内を粉々に破壊する。


 ジオが大蛇の頭から尾まで、総弾数の七発を撃ち込んだ。手早くマガジン交換をしている間に、正嗣が動きの鈍ったテオドリックの首を斬り離す。一閃された斬撃で首が飛ぶかと思いきや、切り口から水が溢れるだけでまだ幻影の体裁を保っていた。


「……僕ももうキャンサーだ、どうせ燃やしに来るんだろう? サグス湖畔で待ってるよ」


 忌々しく吐き捨てて、テオドリックの幻影は水塊になって路面に弾けた。


 ジオが撃った大蛇の方が、幻影を動かしていた本体だった。火葬する必要があるかと正嗣が目を向けると、ジオは既に大型拳銃を下ろして弾倉を抜いていた。追撃は不要だと判断したようだが、本体にしては沈黙するのが早い。わざわざサグス湖畔で待っていると言ったのだから、悪性細胞を分けた分体なのだろう。


「……正嗣、これ燃やしちゃって? 交代しよう」

「任された」


 ジオに促されて、テオドリックは入れ違いになる形で大蛇の亡骸に近づきながらクラウィスを抜き、納棺の術式を作動させる。その作業を背後に、ジオは拳銃をホルスターに納めてゆっくりとシャルロット達に近寄った。


「頑張ったね、もう大丈夫だ」

「ジオさん、私……」


 ジオが呼びかけると、座ったまま体を震わせているシャルロットが見あげてくる。彼女もドミニクの溶けた悪性細胞で汚れて状態が酷い。状況は繋がっていたままの通信で大まかに把握していたため、救急車の手配は署のアンドレイに任せて済ませている。


 とはいえ、シャルロットも一応は検査が必要だろう。流出したとはいえ魔力を多分に含む悪性細胞に全身汚れて、影響がないとも限らない。ジオが見る限り内出血が酷く、こちらも医者に見せたほうがいい。


「……ドミニクさんが死んだのは、私のせいですか? 私が……殺した?」


 シャルロットから意識をなくしたドミニクの身体を受け取って、静かにアスファルトに寝かせた後でウインドブレーカーを上半身にかける。シャルロットの問いに首を傾げながら、ジオはドミニクの状態を確認した。


 胸は僅かだが上下している。口元にかざした手に呼気を感じるから、呼吸も心拍も止まっていない。予断を許さない状況ではあるが、自発呼吸はあるので生きてはいる。やるべきことは救命処置だ。


「──まだ生きてるよ、諦めるには早い」

「でも」


 過度の疲労と心身の損耗で、ろくに動けない状態なのは一目で理解できた。しかしながら、まだ息のあるドミニクをシャルロットが既に死亡したものと扱っているように感じて、ジオは眉根を寄せた。


 何故息がある状態で諦める? まさか──非難めいた考えが浮かんで、つい言葉が喉を突いていた。


「ドミニクに死んでほしいのかい? それとも?」


 寝かせたドミニクに、手を伸ばそうとしていたシャルロットの動きが止まった。


 言ってしまった。失言だったと気づいて舌打ちしたジオは、誤魔化すように悪性細胞で汚れることを承知で、ドミニクに回復体位を取らせる。


「……ごめん、そんなわけないよね。大丈夫、彼は死なない。呼吸はある、死にはしないよ」


 こんなところでうっかり煽り癖が出るなんて最悪だ。どう考えても動揺しきっているシャルロットにかける言葉ではない。


「────すみません……すみ、ません、わたし、そんな……」

「シャルロットちゃん?」


 しかし、シャルロットの事だから『そんなことあるはずない』と食いついてくるかと思ったのに。思いがけない反応で、驚いたのはジオの方だった。


「死んでほしい、わけじゃ……殺したわけじゃ、でもそうしないと、わたし、ぁ、なにを」


 ひゅ、とか細く息を吸い込む音が聞こえた。座り込んだシャルロットを見やると、どこか生気のない顔で呼吸が不規則だ。


 どう見ても正常ではない。マズい。彼女の地雷を踏み抜いたかもしれない。


「ぅあ、あ、わた、し、は、なにを、思って、ちがうの、でも」

「おいジオ、どうした、何があった」


 大蛇の分体の火葬を終えた正嗣が駆けより、膝をついてシャルロットの肩に手を乗せた。


 それでも反応はない。汚れた腕は垂れ下がったまま、脱力したのかと思えば正嗣の手を掃って頭を抱えた。


「ちがう、ちがうの、わたし、そん、な、あぁあ」


 錯乱しているのは目に見えていた。瞳孔は収縮を繰り返し、過呼吸も起こっている。


「ごめん、私のせいだ! マズった、あんなこと言うんじゃなかった……!」

「何を言ったんだお前!」

「ドミニクに死んでほしいのかって──そんなことあるはずないのに!」

「こんな時まで煽る奴があるか馬鹿者! 後で説教だ、貴様!」

「あぁ、いやだ、いや、あ、ああああぁぁぁぁぁぁぁ!」


 絶叫と共に、シャルロットが抑えた顔を掻きむしる。握っていたかんざしで己の首を刺しかけた彼女の腕を取り、自傷行為に走らないように抑え込んだ正嗣は、その有様に激しく顔を歪めた。


「いやだ、ちがう、わたし、そんなことおもってないのに、そうじゃないのに! いやだ、独りはいやなの、だから」

「落ち着けシャルロット、頼むから大人しくしてくれ!」

「ごめん、私が悪かった、君だって、ドミニクには死んでほしくないんだろう、煽ってしまって悪かった、だから……!」

「……っくそ、ドゥーシャ、もう一台救急を呼んでくれ! シャルロットが錯乱していて手に負えない! こちらの対処が先だ!」


 救急車のサイレンの音が聞こえる。ドミニクにも迅速な治療が必要だが、狂乱状態に陥っているシャルロットもこのままにはしておけない。どちらを先に運ぶか、判断は救急隊に任せるしかなさそうだ。


「ごめんなさい、ちがうの、ちゃんと諦めるから、子供じゃないから、おとなだから、わたし、おとうさんも、どみにくさんもいなくても大丈夫だから、だからぁ─────!」


 救急車の追加をアンドレイに要請しながら、目を虚ろにして泣き叫ぶシャルロットを二人がかりで拘束する、正嗣もジオも、耳をつんざくほどの悲痛な叫びを堪え続けるしかなかった。

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