第三章 暗きに輝く超新星 2

 時間は少し過去へと戻って、地下駐車場の入り口。外に出たシャルロットは、何度も深呼吸を繰り返して固有魔法の概要を練っていた。


 そもそも、シャルロットは一般的に学べる魔法を使用できない。彼女にできるのは、魔力を凝縮させる固有の魔法だけだ。魔導銃を使った強力な四種の魔弾も、クラウィスによる通常より性能の高い棺も、全て彼女の魔力由来の性能だ。


 だから、ドミニクの注文通りの棺も作れる。あらゆるものが逃げ出せない、絶対的な重力場を伴った閉鎖空間を、だ。


「さて……気合入れて、頑張ろう」


 とはいえシャルロットも耐久上限を設けない固有魔法による棺など作ったこともないので、実際は行き当たりばったりの作業になってしまう。が、信じると言われた手前、出来ませんなどとは言えない。全力で事に当たるのみだ。


 固有魔法の構想はできた。ガントレットからプラグを引き抜き、クラウィスの銃底に設置された接続口に差し込む。吊るしたホルスターに納めた魔導銃二丁とブーツにも魔力を回して増幅器を起動させる。


 シャルロットは地下駐車場の入り口から離れて、歩道と車道の間、ギリギリの位置に立った。ただの魔器として使用することに決めたクラウィスを両手で握り、プラグで左腕と繋がったクラウィスの銃身を額に当てた。


 目を瞑る。こつん、とフロントサイトを額に押し当て、魔力生成を開始する。


 足元からにわかに魔力が漏れ出し、緩やかな波動が髪を揺らした。装備した増幅器に魔力を回し、膨れ上がった魔力をまた増幅器にかけて、倍に倍に、凄まじいスピードでシャルロットの身体に魔力が溜め込まれていく。


「──っ、ぐ……やっぱ、きついなぁこれ……!」


 放出された魔力が、翆玉の瞳を紅紫色に染め上げる。口内に鉄の味が広がっているのは、歯茎から出血したからだ。重くかかった魔力の重圧に歯を食いしばると、骨を通じて頭が締め付けられるように痛みだす。胸を押しつぶす圧迫感を堪え、薄く開いた両目は充血し、全身の血管が皮膚の上に浮き出ていた。纏わりつく魔力が放散しないように手元に手繰り寄せながら、尚も魔力生成を続けていく。


 こうなれば魔力量は無尽蔵といって差し支えない。しかし魔力に際限はなくともシャルロットの身体にも魔導機器にも耐久力と限界はある。この集めた魔力の全てを、一気にクラウィスに込めることはできない。


「──そろそろ、いいかな……」


 額には汗が滲み、全身の関節が体内で暴れる魔力に軋んでいる。濃密な魔力が幾層にもシャルロットの周辺を取り囲み、外から姿が見えないほどだった。一度スイッチを入れてしまった以上は限界が来るまで魔力を生成しっぱなしなので、そのまま固有魔法の発動にかかる。


 己の魔力で視界を塞がれながらも、シャルロットは銃口を地下駐車場へ向けた。展開地点は目測だ。潜った経験から、地下駐車場の最下層と、入出庫を含めた平屋の上層部。中央に移送用のシャフトが立ち、外周に車庫のパネルを敷いた円柱状の駐車場を脳内で思い浮かべる。


 超広範囲を一気に閉鎖する大魔法。空間を隔絶し、時空を切り離す。過重力によって光すら動きを封じる、絶対零度の闇の帳。

 宇宙に開いた大穴がふっと浮かんで、直感で魔法の名前を決めた。


「〝イベントホライズン〟!」


 なんとか維持していた魔力を肩の増幅器で吸収、プラグを通じてクラウィスに送り込み引き金を引く。シャルロットの魔力は数秒をかけて地下駐車場に照射され、発射後には反動を御しきれなかった腕がクラウィスごと天を向いた。激しい衝撃に両腕がしびれ、踏みとどまれなかった足がひっくり返って尻もちをつく。


 きちんと納棺できたのか。腰と尻をアスファルトに強打したシャルロットは、しびれる手で腰を撫でさすりながら駐車場に目を向けた。


「とりあえず……成功かな、これ」


 駐車場の建屋は黒い塊に飲み込まれていた。周りの風景は形成された黒塊を避けるようにぐちゃぐちゃにねじ曲がり、触ることすら困難に思えた。


 棺として張り巡らせた強力な力場。影響を受けないよう薄く強固に張り巡らせた魔法障壁が無ければ、ここら一帯の建物も何もかも崩壊させて飲み込んでいただろう。


 指示通りに棺を作った。あとはドミニクの火葬を待つばかり。物理法則すら捻じ曲げかねないこの重力場は、維持できる時間も僅か。内部に強烈な重力が掛かっているはずだから、納棺したのにも気づくはずだが。


 そもそも中に入った生物が生きられる環境なのかも定かではない。シャルロットとして、ドミニクを犠牲に鋼鉄のキャンサーを火葬する価値はないと考えていた。


 命の重さが違うだろう。方法ならばいくらでも捻りだせる。今ここでドミニクと引き換えに鋼鉄のキャンサーを火葬したところで、同等のキャンサーが出てこないとも限らない。シャルロットは納棺こそ得意だが、火入れに関しては完全にクラウィスの術式頼みだ。ドミニクの様に圧倒的な火力を持たないから、成す術がない。


「──ドミニクさん、納棺、しましたけど……」


 納棺できたと棺の中にいるドミニクに通信を繋げてみても、返事は返ってこない。固有魔法により通信のための魔力が遮断されているか、向こうの通信機が壊れているか。


 アスファルトに座り込んでいたシャルロットからは、いまだに魔力が放出され続けている。こうなると、体の限界がやって来るまで延々魔力を作り出すだろう。やはり御しきれるものではない。今回は固有魔法に消費したから周りへの影響がないが、ばら撒かれていたら、どうなっていることか。


 身体にかかった負荷はそのまま、ただ大気中に放散して誤魔化すしかできない。胸を抑えてうずくまり、プラグで接続されたままのクラウィスを路面に置いて顔を抑えると、掌に汗がべっとりと付着した。吐き出した唾は血が混ざっていて、拳で乱暴に口を拭うと血が赤い線を残している。


「はっ、はぁ……しんど……」


 駐車場を丸ごと飲み込んだ黒い檻と、ねじ曲がって形を変える周りの景色は、見ていると目が疲れてきて頭が痛くなりそうだ。直視できるものではない、とシャルロットは檻から目を逸らす。


 普段作っている棺ならば内部の様子が分かるが、重力場によって光すら出られず、加えて周辺への影響を抑える障壁を張っている。術者のシャルロットからでもドミニクとキャンサーが今どうなっているのか分からない。確認できたのは、それこそ檻が完全に消失してからだった。


 黒い穴がかき消える。地下駐車場は跡形もなく消し飛んでいて、大きな円柱状の空間が道路の側面に現れていた。


「……火葬、終わってる……ほんとに全部燃えて消えてる……」


 何もない。鉄柱の残りカスも、魔力の残滓も、キャンサーの灰も、何も。すべて蒸発して目に見える形を失っている。


「ドミニクさんは……? 暗くて見えないじゃん……」


 シャルロットは縦穴の縁に寄り、中を覗き込む。数メートル下は真っ暗で何も見えない。彼は無事かと何度も呼んでも、返事も帰ってこない。


 降りて確認したいが、既に体力も限界で、魔力の制御ができない以上は魔導銃も下手に使えない。オフィスからジオか正嗣を呼んで頼んだ方が安全だ。そういえば施設の中に入ってから連絡していなかったなとインカムを再度起動させてオフィスに繋げ、しばらく待つと応対したのはアンドレイだった。


「……シャルロットです、すいません、ジオさんか正嗣さんを、寄越してください」

『今行ってます、キャンサーの火葬は⁉ ドミニク君は無事ですか⁉』


 焦ったアンドレイの声に何事かと思うが、別れた時点でドミニクが話をつけていたのかもしれない。問うと移動中らしいジオと正嗣も会話に割り込んできて、手短に要件を話した。


「もしかして、ドミニクさんから、聞いてます?」

『全部聞いてるよ! 全くあの子は無茶をする!』

『シャルロット、お前は無事か? 火葬はできたのか』

「できました、それっぽい気配はなくって……でもちょっと、使った魔法が魔法だから、ドミニクさんが無事かどうか分からなくって」


 棺で閉ざした範囲には何もなく、道の横に開いた大穴を眺めてみても変化はない。


「やれって言われたからやりましたけど……ちょっと今、疲れて動けなくて、代わりに確認をお願いしたくて」

『最初からそのつもりさ、ちょっと待ってて。周りの建物とかに被害はないんだね?』

「ありません。あの……駐車場が、全部消し飛んじゃったくらいで」


 このまま待つしかなさそうだ。肩で息をしながら全身の痛みと疲労を堪えていると、ふっと強張っていた力が抜けて脱力する。腕がガクンと折れ、穴の中に落ちそうになった身体を慌てて支えた。ようやく魔力生成が止まったようだ、やるべきことが全て終わった後でよかった。


「お願いしま──ん?」


 ふいに座り込んでいるシャルロットを影が覆った。月光とオーロラの輝きは絶えず降り注いでいたから、何かがその光を塞いだことになる。


 ジオ達がやってきたのなら声の一つくらい投げかけるはずだ。そもそもインカム越しにエンジンの音が届いているから、まだ車で移動している最中なのに。


 なんだろう、と振り返って、灯りを塞いだモノを確認して──疲れ切った心臓が跳ねた。


「シャル」


 中肉中背の男が立っている。逆光でシルエットくらいしか分からないが、人間にしては凛々と輝いている双眸が印象的だった。


 自分と同じ、鮮やかなエメラルドグリーンの瞳。月光に照らされた短い髪も、同じミルクティーベージュだ。


「……おとうさん?」


 ぼそりと呟くと、男は柔和な笑顔を浮かべた。


『──ジオ、先に行くぞ!』


 唖然と男を見やったまま、インカムからは切羽詰まった正嗣の声が届いた。続いて響いた衝撃は、ドアを開けて車の上に乗り移った音か。


『えっ、ちょっとここから⁉ ああもうほんと魔法は便利でいいねぇ……!』


 ジオのぼやきと、続けて聞こえた爆音が右から左に流れていく。男は無言でシャルロットの側に寄り、おもむろに顔に手を近づけたかと思うと、耳にかけたインカムを掴んで捨て、足で踏みつぶした。


 近づいて鮮明に見えた顔は、記憶にある父テオドリックと同じだった。


 見間違えるはずがない。声も同じだ。テオドリックに間違いない。


 でもどうして。今しがた、父が殺された映像を見たばかりだと言うのに。十数年経ち既にキャンサーになっているのだから、人の姿などどうあがいても残っていないだろうに。


 どうして生前の姿で、平然とこの場に立っている。


「やっと見つけた。心配したよシャル、どこに行っても姿が見えないから」


 テオドリックは言って、インカムを外した手でシャルロットの左手首を掴んだ。ガントレットに覆われた左腕では掴まれた感覚しかなく、体温からどんな状態なのか判断することができない。


 これまでの疲労と動揺で、思ったように頭が働かない。口を半開きにしたまま、問うべき言葉も出てこなかった。


「シャル、帰ろう」


 テオドリックは言って、気が動転しているシャルロットを力任せに引っ張り上げた。足をもたつかせながら立ち上がったシャルロットを省みることなく、テオドリックは腕を持ったままその場から移動しようと足を踏み出す。


「──待って」


 シャルロットが両足を踏ん張ってテオドリックの歩みを止めた。


 何も分からないまま、促されるままにこの場から離れることはできなかった。それ以前に。


「そっち、家の方向じゃないよ」


 テオドリックが手を引いたのは地下駐車場から山間に向かう道だ。奥は郊外で、シャルロットの自宅は住宅街の一角にある。


 帰ると言っているのに家の方角ではない。ではどこに帰ると言うのか。


 ──まさか、自分がいるサグス湖畔に行こうとしていないか。


「どこに行くの」


 物を踏みつぶしたり、乱暴に手を掴んだり、有無を言わさず従わせようとする人ではなかった。もっと優しくて、穏やかで、そんな暖かな人だったというのに。目の前の父の形をした何かは、シャルロットの憧れた父とはかけ離れている。


「ねぇ、ほんとにお父さんなの?」


 シャルロットは問うて、返事の代わりにテオドリックが振り返る。


「────仕方ないな」


 穏やかだったテオドリックの声色が、一気に冷然とした音に変わった。シャルロットは掴まれていた手を思いきり投げ飛ばされ、反動のままバランスを崩して転倒する。


 強く身体を打って、魔力生成で傷ついた全身が悲鳴を上げた。湧き上がった危機感で無理矢理身体を起き上げると、テオドリックが目を見開いて接近してくる。


「じゃあ、一旦死のうか、シャルロット」


 何を言っている。制止する間もないまま、テオドリックはシャルロットに馬乗りになって首に手をかけた。


「なんっ……っで、ぇ……!」


 強く地面に押し付けられて、両手で首を圧迫される。酸素を求めて口を開き、振りほどくためにもがいてもテオドリックはびくともしない。平時なら魔力を込めたブーツで蹴るなりできるものの、納棺の際の無茶でもう魔力は使えない。


「ずっと心配で見てたんだよ、ちゃんと高校を卒業するまで見ていた。でもその後ここからいなくなってしまっただろう? 心配で心配で……やっと見つけられたから」


 テオドリックの言葉は確かに慈愛に満ちていて、心配だという感情は確かなものだろう。けれどその反面、行動は言葉とは真逆だ。


 心配だから殺すのか。殺して手元に置こうとでも言うのか。


 人が死ねばどうなるか、葬儀官であった父はよく知っているはずなのに。人がキャンサーになってしまうことがどれだけの悲劇か、分かっているはずなのに。


 こんな犯罪者のような事をする、人ではなかったのに。


 尚も首を圧迫されて身体が硬直する。どれだけもがいてもテオドリックはシャルロットの息の根を止めることを止めようとしない。言葉は吐けず問うことも叫ぶこともできなくて、抵抗という抵抗もできなかった。


「一緒に帰ろう、シャルロット。今度こそ父さんがずっと守ってあげるから」


 シャルロットは酸欠で意識が朦朧としながら、己の首を掴むテオドリックの手を掴み、引き剥がそうと指先を突き立てる。しかし体に力が入らず、まったくびくともしない。シャルロットの行動に気づいたテオドリックは首を絞める力を更に強めた。


「駄目だろうシャル、大丈夫だよ、全部父さんに任せてくれればいいんだ」


 父が何を言っているのかも、何をしたいのかも、何故父が自分を殺そうとしているのかも、シャルロットにはまるで理解ができなかった。


 私、お父さんに殺されるようなこと、何かしたっけ。


 昔、遊びで父から魔力を吸い取って魔石を生成したことだろうか。散々わがままを言って振り回し、困らせたことだろうか。父がいなくなってからも、しょっちゅう言いつけを守れずに魔力を暴発させたことだろうか。


「テオドリック────ッ!」


 遠くから正嗣の怒声が響いた。稲妻を従えて猛烈な速度で突進してくる正嗣が、打刀を抜刀しながら魔力強化を施した足で接近する。


「邪魔しないでくれよ、正嗣」


 テオドリックが起き上がり、シャルロットの首を絞めたまま持ち上げて正嗣の前に突き出した。


 突進の勢いのまま、居合でテオドリックの手を斬り落とそうとしたのだろう。正嗣が刃をテオドリックに向けた瞬間に、持ち上げられたシャルロットの身体が割り込んで、すんでのところで刃が止まる。


「っ、貴様……!」


 振るった打刀は、シャルロットのハーネスを切り裂いていた。本当に紙一重、切っ先はブラウスやブラジャーのストラップまで切断していた。薄く裂かれた皮膚から血が溢れ、雷撃に曝された体が痺れて動きを止める。


 この威力と速度で止めるとは。シャルロットにはそう感心する余裕もなく、テオドリックが彼女を盾にしたことすら認識が追い付いていなかった。


「そっちがそのつもりなら、こうだ」


 テオドリックが止まった刀を払いのけて、シャルロットを大穴の中に放り投げた。


 拘束から解放され、空気を求めて激しく咳き込むが、重力に引かれて落ちる先は真っ暗闇の深淵の中。


 遠くなった大穴の縁で、テオドリックと正嗣が対峙しているのが見える。正嗣はシャルロットを助けようと大穴の中に飛び込もうとしたが、あまりの深さとテオドリックを放置できないとあって足踏みした後に止めたようだ。


「ドミニク、起きろッ!」


 再び大きな正嗣の声を聞き届けて、火葬でできた大穴に真っ逆さまに落ちていく。何事もなければ落下の衝撃で即死か、息が合っても骨折は免れないから出血死するだろう。当然魔導銃でアンカーを撃つことはできないし、成す術がない。


 このまま死ぬのか。撃たれてあっけなく死んだ父の様に、自分も。


 容姿は父親似だとよく言われていたが、こんなところまで似なくたっていいのに。

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