第三章 暗きに輝く超新星 1
アンカーが撃たれる音が遠くなっていく。ドミニクは一度大きく息を吐くと、撫で続けていた刀身からインカムに手を移す。
せめて連絡くらいは入れておくか。気休め程度の配慮だった。どうせ止めるつもりもないし、止まることだってできない。ドミニクは無意識のうちに刀を強く握っていた。
『ちょっと、連絡くらい入れてよ! で、どうなの、何か見つか──』
「後は頼むぞ」
応答に出たジオに対して、告げた言葉はたったそれだけ。
「発作を起こす」
息をのむ音が聞こえた。たった一つの単語でドミニクが何をしようとしているのか、彼ならば分かってしまう。
『ハァ⁉ 何言ってるの駄目に決まって──』
『ドミニク、何があった! 血迷ったか⁉』
ジオと正嗣が珍しく慌てふためいている。トラウマを再燃させるようなものだから、当然だ。
「火葬できないやつだ。なら方法は一つ。分かるだろ」
『アウロラ全域消し飛ばす気か! 止せ、誰も止められないぞ!』
「シャルロットが居るだろう。そのために俺の横に寄越した、違うか」
『いやちょっと説明にも理由にもなってない……!』
『ジオ! 車を出せ、出るぞ! アンドレイは留守を任せる、何かあれば長官に直接話をつけろ!』
「──止めるなよ。やるからな」
一方的な宣言をして、返事を聞かずに通信を切った。
通常の
ドミニクは静かに、インナーのファスナーをすべて下ろした。腹部に何本も走った刃物による裂傷痕に、これから行う行為を再認識させられて目を細めた。愛刀の柄を両手で持ち、今一度、大きく息を吸って、吐く。
大丈夫、やることは決まっている。言い聞かせて、覚悟を決める。
ドミニクにコントロールルームでの火葬に使った出力以上の魔力は使えない。だからシャルロットがどれだけ熱を抑え込む棺を作ったとしても、ドミニクでは
「まさか、自分で、刺すことになるとは」
ドミニクの自己崩壊症は末期と言っても差し支えなく、死んでいておかしくないほどだった。それが平然と生きていられるのは、ドミニクの自己崩壊症が人為的に引き起こされたものだからだ。故に、発作の症状も一般のケースとはかけ離れたものになる。
無理矢理発作を起こして、悪性細胞で全身を覆う。一時的に
こんな方法、言えばシャルロットは顔を真っ赤にして断るだろうから、言わなかっただけ。
両手できつく柄を握り込み、ドミニクは己の腹に愛刀の切っ先を振り下ろした。
「──っぐ、ゥ……、う、ぁ」
薄皮一枚の皮膚は容易く弾けた。一瞬の冷たさの後、猛烈な痛みと熱が襲ってくる。瞳の裏にちかちかと火花が走り、激痛に膝を折ったドミニクは、しかし愛刀から手を放すことなく更に刃を体の中に埋めていく。身をよじりながら何度も刃を突き入れて、とうとう切っ先が背中を破って外に出た。
発作の条件は致命傷を受けるだけ。命を棄てる代わりに、一時的だが
「まだか……早く、起きろ……!」
忌々し気に言いながら、ドミニクは再度、己の腹を抉る。ただ暴れまわるのでなく、すべての魔力を使って火葬しなければならないから、衝動に呑まれないのは大前提だ。
頼むから、意識があるうちに始まってくれ。歯を食いしばり、顔を歪めて、ドミニクは鋼鉄の
ドミニクの身体が大きく震えた。硬直していた顔は一気に脱力して首が軽く倒れ、瞳孔を開きながらゆっくりと突き刺した刀を引き抜く。焦って鍔で止まるまで腹部に埋めていたようだが、引き抜いたそれは、真っ黒な悪性細胞に汚れていた。
やっときた。バキリ、と肩甲骨が割れ、背中の悪性細胞が肥大化してコートを貫く。裂けた悪性細胞の中から、骨が急激に伸びて翼のように展開する。体の奥から湧き上がる膨大な魔力に、全身の血管が痛みを上げて弾け飛ぶ。
激痛すらも通り越して高揚感に変わる。ドミニクは片膝をつき、愛刀を地面に突き立てて体を支える。もう片手は脱力したまま、皮膚から滲んだ悪性細胞が黒い甲殻として体を覆い始めていた。
きっちりと切り揃えられた丸い爪は鋭利な棘状に。骨は皮膚を突き破り、悪性細胞と融合して強固な甲殻と鱗に変わる。背中から新たに生えた一対の大ぶりな翼は、青白く輝く翼膜からきらきらと魔力の塵をこぼしていた。
変化を待っていられない。頭が沸騰しそうな衝動にかられながら、ドミニクは人間の皮膚と悪性細胞とでまだらになった顔を上げた。視線の先、とうとう破られた扉を、乱雑に振り上げた刀で真っ二つに切断する。
そのまま首を軽く動かして動作の確認。大丈夫、動く。悪性細胞に侵されながらの戦闘は出力も不安定だから、シャルロットによる納棺が完了するまでに癌化を済ませておかなければ。
「久しぶりだが……こんなだったか……?」
人間の身体と同じように声を出せば、重くかすれた音に変わっている。
一般的な自己崩壊症の患者なら発狂するだろう発作と癌化も、ドミニクにとっては何ら違和感のないことだった。慣れている。何回も何回も通った道だ。記憶にある姿と多少違う気がするが、細かいことは置いておく。
「おいしい? おいしい? ねぇ」
「……ここから先には、通さんぞ」
意識はある。今すぐにでも目の前の
土埃が上がるほどの衝撃に、硬質化してブーツを焼き潰した足がコンクリートの床にめり込むが、吹き飛ばされることはなく僅かに床を滑っただけだ。固い甲殻と翼膜に纏った魔力が突進の威力を完全にそぎ落とし、今度はこっちの番だと言わんばかりに翼を再展開。人間の身体につけるにはかなり大振りな翼が思いきり広げられ、風圧で
間髪入れずに視線移動だけで魔力操作を終え、収束させた魔力が一気に実体化して
青白い魔力が、閃光を伴って炸裂する。一瞬で膨れ上がった熱量が
「いたい」
「いたい、いたい!」
「ねぇ、いたい、いたいよ」
「なんで、なんでぇぇぇぇ!」
分裂した
「ハッ……来いよ、今楽にしてやるからな──!」
声高に叫び、再び向かってきた少し小ぶりな
体が小さくなったからか、力任せの体当たりは威力が落ちてきている。このまま小さくなられて外に逃げられても厄介だな、とドミニクが極めて正常な頭で考えていると、急にぶるぶると震えだした
地下駐車場の上層は抑えなければならない。ドミニクは手当たり次第に動き回っている
「ごはんがある、ごはん!」
「食わせると思うか、大人しくしてろ!」
翼を大きく広げ、翼膜に充填した魔力を一斉に放つ。放った魔力の弾丸は更に子弾に分裂し、駐車されていた車ごと鉄骨のフレームを穴だらけにして破壊する。魔力を持つ物質であればなんでも融合させる魔力に曝され、車は次々と燐火を上げて燃えていった。
目的は車に内蔵された魔石と燃料だろう。それを食らえば、純粋に力が増す。車を丸ごと取り込むことで、体として使える金属も増えていく。食らえば食らうだけ肥大化する無尽蔵の食欲。体内に納めて終わりの暴食の化身。
本来なら、この子らの遺体がこんな結末を遂げることなどなかった。育児放棄やネグレクトで死んだとしても、その場で
しかし、既に遅すぎた。無垢な命は暴威に成り果てた。ならば介錯してやるのが慈悲だろう。
これ以上命を奪わぬように。無為に命を、叫ばぬように。
「チッ……これだけ分裂してまだ十分に動けるか──!」
ドミニクは先んじて車を破壊して丸焼きにするも、複数に分かれた
瓦礫と炎をかき分け、悪性細胞でできた牙が金属を削り、空虚な胃に鋭利な破片を落としこんでいく。一見生物の肌に見える
軽く飛び上がったドミニクは分かたれた
そもそも
「早くしてくれシャルロット……!」
「ハッ……それで、いい!」
既にドミニクの皮膚の大部分が悪性細胞の鱗に覆われていた。かろうじて人肌が残っているのは、首と足のごく一部。腕は更に黒い鱗に覆われて刺々しい甲殻を形成し、額からは二本の角がそそり立つ。体の内側から湧き出る魔力の光が、甲殻や鱗の継ぎ目からにじみ出ていた。握った刀まで悪性細胞が付着し、柄や鍔のみならず刀身まで覆い始めている。
ドミニクを最後の獲物と認識した
まだか、シャルロット。ドミニクは地下駐車場の外で納棺の準備をしているだろう彼女が、何をしているのかとチラリと入出庫の入り口に視線を向けた。
わずかに視線を逸らしたドミニクの刀に、ぼとりと上から落ちてきた
しかし、隙は隙だ。動きの鈍ったドミニクに、更に多数の
「────、ッ!」
苦痛にあえぎ、言葉が泡立つ。ぎりぎりと金属がこすれる不快な音が、骨をつたって体に響き渡る。おびただしい量の血液が漏れ、空気に触れて燐火を上げた。肌に付着した血液がまた、悪性細胞となってドミニクの顔を侵蝕していく。
ドミニクは首を折られながら、全身からの魔力放出で覆いかぶさる
我慢ならん。殺す。殺してやる。一気に地下へと落ちていった
首を折られたか。ドミニクの首は
「……で?」
かすれた口から言葉を吐く。露出した肉から溢れんばかりに血液が吹き出す。ドミニクは横倒しになった頭を手で支えて元の形に戻し、長い爪で刺してしまわないよう気を付けながら、もう片手で抉れた首を抑えて撫でた。
溢れた血液が凝固し、失くした首の半分を修復していく。黒い悪性細胞が急激に活性化し、首のみならず顎から顔の半面までを鱗の上から覆いつくしていく。
「食えたと思ったか、たかだか首を折った程度で!」
眼下の
先ほどの光柱で、分離していた
口となった子の上半身で壁を掴み、何本も突き出た体を壁に押し当てて大きく重たい体を必死で支え、ただドミニクを捕食するためだけに口を開く。
ここから出すことはできない。生半端な火力では葬ることすらできない──違う、違う。
その醜い姿が不愉快だ。人の形をしている。ヒトならば殺す。完膚なきまで斬り潰して焼き潰して消し炭にする。どんな問題も関係がない。ただ殺す。目の前に立つのなら、動くのならば、そのすべてを無に帰す。殺す。殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す──!
死ね、消えろ、潰えろ、絶滅しろ!
ヒトは死ね! 何故か! 問うまでもないだろう⁉
「っぐ、うぅ……!」
静かに湧いた激情に、ドミニクは身をよじって衝動を受け流す。
違う。死ぬべきなのは
全身が悪性細胞で覆われ、膨大な魔力の奔流に焼かれるようだった。いつまでこの状態で持つ。悪性細胞が全身に定着してしまえば、それこそ自他共に手に負えなくなる。
そう考えた瞬間、ドッと強い重力が全身にかかった。押しつぶされるような強い力と、方向感覚を失うような浮遊感。もともと浮いていたドミニクに影響はなかったが、壁に張り付いていた鋼鉄の
シャルロットの棺だ。うるさい雑音がかき消され、地下駐車場の一帯が隔絶される。中に入っているからこそわかる異質な檻は、ドミニクの注文通りの出来栄えだった。
上出来だ。これなら魔力のすべてを使っても、吹き飛ぶのは覆われたこの駐車場だけだ。
「さぁ、死を仰げ! その遺恨を絶つ時だ!」
高々と手を天に掲げた。ドミニクの体を内側から照らしていた魔力の光は消え失せ、そのすべてが掲げた左の手のひらに集まり巨大な光球を形成していく。余らせる魔力などない。悪性細胞を動かしていた魔力すら光球に回し、強固だった鱗と甲殻が徐々に溶けおちていく。広げた翼の末端が、額から伸びた角が、魔力の粒子に変わりながらドミニクの左手に集まる。世界と遮断された檻の中、地下駐車場を飲み込むほどにまで巨大化した光球は、ある一点を過ぎると急速に小さく凝縮され始めた。
小さく、僅か一センチにも満たないほど押しつぶされた光の球。ドミニクは滞空するために翼に回していた魔力も光球に込め、地下にいる
「──静かに、眠れッ!」
暴力的な光と熱が棺の中を真っ白に染め上げる。摂氏三千度以上に一気に過熱した魔力が、鋼鉄の
ぼろぼろと金属と混ざった悪性細胞が魔力に還る。ドミニク自身の鱗や甲殻も、あまりの熱量に融け始めていた。棺の外へ魔力が漏れて威力が減っている様子もない。
──やっと、叶う。
相打ちになって鋼鉄の
善処する、なんて言ったが。戻ろうとは、考えていなかった。
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