第二章 命の定義 3

 ロメオの自宅の家財道具の仕分けを終えた後、彼が墓を閉じることを望んだので、次は市街の寺へと向かった。もう誰も拝む人がいなくなるから、管理もできないし閉じて共同墓に埋葬しなおしてほしい、というのが依頼内容。これもつつがなく終わらせて、ロメオが動ける期限の三日目が来た。


 どこで火葬をしよう。お前が望む場所で送ってやれる。ロメオはその問いに、『どうせだし、ならサグス湖畔がいい』と答えた。


 サグス湖畔はアトラシア大陸東部にある大きな湖のサグス湖と、その周辺域を呼ぶ呼称だ。サグス湖の真ん中に大きな大輝石──ラクナ・クリスタルが鎮座しているのが大きな特徴だろう。


 ラクナ・クリスタルは地球内部から魔力を吸い上げ、大気中に放出する役割を担っている。アトラシア大陸にとって重要なもので、管理施設も当然ある。今回はこの施設に用事があり、訪ねるついでにロメオの同行を申請して許可がでた。


 サグス湖畔の入り口で検問を終え、乗ってきた公用車からオフロード車に乗り換える。ステアリングを握るのはシャルロットで、助手席にドミニクを、後部座席にロメオを乗せてひとまず景観のいい場所を探して走って行った。


 車上から空気を裂く。柔らかな風圧に乗ってわずかに花の香りが漂っている。


「さてと……ここら辺でいいですかね」


 シャルロットが車を停めたのは、湖の中央にあるラクナ・クリスタルを一望できる場所だった。ぞろぞろと車から降りて、若草が茂る地面を踏みしめる。高く上った太陽を遮るようにそびえ立つ巨大な魔石は、見上げるだけで首が痛くなりそうだ。


「すげえ……でかいな……」


 想像よりもはるかに大きかったらしく、ロメオは感嘆と息を吐いて魔力の結晶を見上げていた。サグス湖自体も結構な広さだが、ラクナ・クリスタルは魔石と言うより山のようだ。晴天で青々とした空を昼夜問わず発生しているオーロラが覆い、その下でラクナ・クリスタルも光を湛えている。大輝石は今も魔力を放出していて、濃密な魔力が塵となって時折空中を漂っていた。


 荘厳で、いるだけで身がすくむ様な妙な高揚感を覚える。人間一人がちっぽけな存在に思えるほど、現実離れした光景のように思えた。


 確かに、死者を火葬するには良い場所かもしれない。


「さて……」


 ドミニクが言った。時間だとロメオの背中を押して、向き合う形で高台の先へロメオが歩く。


「ロメオ・ルッソ。お前の火葬を始める」


 ロメオは歩いた体勢のまま、ドミニクに宣言されても振り返らない。恐怖で震える体を掻き抱くように身を縮めたロメオだったが、武者震いも息が荒くなる様子も見られない。


「なぁ、やっぱ……だめか?」


 振り返らないままロメオが問う。何がだめなのか、聞かずとも分かってしまう。


「……だめだな。もう時間がない」

「だよなぁ、だって身体うまく動かねぇもん、無理だよ、だめなんだもう──わかってる、俺はもう死んでんだ、んなことわかってんだよ」


 小さく震えた声で呟くロメオの背中が、妙に小さく見えた。出会ってから初めて見る弱気な態度に、これまでの余裕さや笑みが強がりだったことに気づく。


 これから直に燃やされる現実に立ち向かうために、自らを鼓舞していたのか。普段と同じ行動をとって現実逃避をしていたのか。あるいは、生者に見える死者を殺すシャルロット達が迷わないよう、気にしていない振りをしていたのか。


「怖ぇよ、当たり前だろ……当たり、前だろ……」


 自我を持ちながら体が癌化していく感覚を、シャルロットは知らない。自己崩壊症のドミニクならば多少は理解できるのだろうが──生憎、シャルロットには推し量ることしかできない。


 死に向き合う事が心底恐ろしいのは、よく分かっていた。向き合えない事が、もっと恐ろしいことも。


「時間はやれるが、長く待っていられないぞ」


 ドミニクが言った。シャルロットは静かにクラウィスを引き抜いた。


「こんなに怖いのにさ、やべえくらい動揺してんのにさ……心臓が動かねぇんだよ……顔真っ赤にもならねぇし、ドキドキもしねぇし、ほんとに死んでんだってなって──こんなに心が熱いのに、こんなに身体が冷たくてどうしようもねぇんだ」


 ロメオの独白に、シャルロットは僅かに目を伏せた。


「嫌だなぁ……死にたくねぇ、死にたくねぇよ……!」


 同じセリフは何度も聞いた。死にたくないと懇願する死体を、冷徹に火葬し続けた。


「……シャルロット、いつでも納棺できるように準備しておけ」

「……分かりました」


 ここで燃やしてやらなければ、人として死ねなくなる。尊厳を守るためなら、どれだけ非難されたって構わない──これはエゴだ。彼を失った人々が、その死にきちんと向き合うために。殺せる人間が殺さなければ、この世界は回らない。


 辛くはない。苦しくはない。悲劇に繋がる芽は、必ず摘み取らねばならない。


「できる限り一瞬で終わらせる。時間はかけない」

「分かってる、分かってる……もう少しだけ待ってくれよ」

「……最悪、首を落とすことになるぞ。それは俺だってしたくない」


 ドミニクが顔をしかめながら鯉口を切った。


「それも、嫌だなぁ……」


 ドミニクがすらりと抜刀した。ロメオは漆黒の刃を見て、諦めたようにふっと笑った。

 シャルロットは左腕のガントレットを起動させて、魔力増幅を開始。増幅器のある上腕部にクラウィスの銃身を押し当てて、納棺に使用するための魔力を充填する。


「月並みですけど、何か言い残すことはあります?」


 ロメオに向けたクラウィスが淡く魔力を湛えた。シャルロットは問うて、なにやら思案したロメオが言葉を返した。


「……家族、もう死んでるからさ。死んでも誰も側にいないって思ってた」

「……そう、ですね」

「あんたらでよかったよ。俺を送ってくれる人」


 ロメオは言って、自宅にいた時のようににこやかに笑った。無理をしているのか口元は引きつっていて、動かない身体に伝播したのか腕が力なく揺れ続けていた。


「……おやすみなさい、ロメオさん。いい夢を」


 一言告げて、シャルロットはクラウィスの引き金を引いた。放たれた魔弾がロメオの眼前で爆ぜ、一瞬で魔法障壁を形成。二発目、三発目と撃ち込んで、魔力塊でできた錠前で施錠し、立方体の棺がロメオを封じて納棺は完了だ。手ぶらで行った固有魔法の納棺に比べて、疲弊もしていなければ集中力も切らしていない。終わったと振り返ってドミニクに合図すると、彼は先日と同じ動きで愛刀に魔力を込め、棺に突き刺した。


 真っ黒な四方形の棺の中に、暴力的な光が溢れた。ドミニクが魔力を制御しながらゆっくりと引き抜き、刀身に込めていた燐光を棺の中に閉じ込める。ひたりと左手を棺に添えて己の魔力を制御しているようだが、多少の圧迫感はあっても慌てるほどの圧力ではない。


 ロメオの身体は一瞬で掻き消えた。棺内部にかかっていた重みが消え、恐らく骨だけになっただろうタイミングで、ドミニクが火入れ口に手をかざし、己の魔力を抜いていく。


「終わったぞ、開けていい」


 黒い棺の周りを、青く輝く粒子が覆った。シャルロットが解いた棺の黒い魔力と混じり合って、魔力が大気に還っていく──きっと、ロメオの魂も一緒に。


 火葬はあっという間で、今までロメオが立っていた場所には、白骨化した遺骨しか残されていなかった。後は持ち込んだ骨壺に骨を収めれば、火葬は終わる。


「納骨しますか」

「そうだな」


 地面に散らばって混ざってしまわないよう、棺の床部分だけはクラウィスを完全に停止させないと消失しない仕組みになっている。黒い床に乱雑に落ちた骨を拾おうと長箸とシャベルを手に取り、シャルロットは残った遺骨の特徴に気づく。


「珍しいな」


 ドミニクが小さく言った。ロメオの遺骨はあまり崩れず、頭蓋骨が形を保っていた。


 斎場において火葬炉で燃やしても、骨が形を保つことはあまりない。どこがどの骨だったのか、寝かせた状態から推測で判断するしかないというのに。


 きっと、たくさんの人から慕われていたのだろう。そう、思った。


「……ほんとだ、珍しいですね」

「皆から慕われてたんだろう──早死にするのは、惜しいな」

「……そう、ですね」


 この頭蓋骨は、形が崩れないよう慎重に骨壺に入れよう。二人で骨の部位を推測しながら納骨し、最後に頭蓋骨を納めて重たい蓋で閉じた。


 ロメオの火葬が無事終わったので、後は葬儀監督署のお使いだ。クラウィスを停止させると、棺の床が紅紫の塵を放って消えていく。回収しきれなかった遺灰が草花の上に落ちて灰色に染めたが気にせず、クラウィスをホルスターに納めて振り返った。ドミニクは骨壺を車の中に積んでいて、既に離れた場所にいた。


 一度大きなラクナ・クリスタルを見上げた後、湖畔に生えた草花を踏んでシャルロットは歩き出す。何歩か歩を進めたところでふいに足元に視線をやると、草花とも遺灰とも全く違う色が見えて踏み込んだ足を咄嗟に引っ込めた。


「ぅひゃああぁぁ⁉」


 驚いて軽く飛び上がる。そのまま素早く後ずさりして、今まさに足を置こうとしていた地面をよく見れば、居たのは結構な大きさの蛇だった。


「なんだどうした」

「ドミニクさん蛇いました蛇! うわびっくりしたぁ! 蛇かぁ……」

「蛇くらいいるだろ、さっさと来い」


 人の手がはいっていないのだから、野生生物も当然いるだろう。蛇は水の上を這って泳いだりもするので、こうした水辺にいても何らおかしくはない。おかしくはないのだが。


 シャルロットが見つけたベージュ色の蛇は、ちょろちょろと舌を伸ばしながらじんわりと彼女に近寄っていく。


「違いますよ蛇苦手なんですよ私―!」


 寄られては後ずさりし、近づかれては静かに後退していく。シャルロットは突然現れた蛇に狙いをつけられた気がして気が気でなかった。


 蛇にはいい思い出がないのだ。毒蛇ではなかったが噛まれたことがあるし、巻き付かれて剥がせずに泣きじゃくったり家の中まで追いかけられた思い出もある。どれも子供の頃の話だが、軽いトラウマになっていた。なんなら幼少期に見た蛇とかなり似通った姿なのだから、おっかなびっくりするのも当然だ。ある程度成長してからも蛇嫌いは変わらず、高校生の頃に登校中に出くわし、思わず幼馴染を盾にしたこともある。


「なんで蛇に好かれるのかなぁ! やだドミニクさん何とかしてくださいよ!」

「知らん、さっさと車に乗れ。ここから離れればいいだろ」

「そうしますそうします!」


 蛇の様子を伺い、じりじりと距離を取る。若干へっぴり腰になりながらも車の場所を再確認した。ドミニクが運転席側のドアを開けてくれていたのをありがたく思いつつ、回れ右して走り出した時だった。


 ドン、と地面が震えた。耳をつんざくような地鳴りが聞こえたのはシャルロットだけではなかったようで、ドミニクもオフロード車のドアと座面にしがみ付いている。


 地震だ。数度に渡る激しい揺れに、立ち上がることもままならない。収まるまで待つか意地でも歩いて車に直行するか迷ったが、シャルロットはその場で待つことにした。


 ぐらぐらと地面が揺れる。しゃがみ込み、四つん這いになって倒れこまないように体を支える。いつ止まるのかなとじっとうずくまっていると、にゅる、と蛇がシャルロットの真下にやってきた。地面についた両手の間に収まった蛇が、とぐろを巻いて頭を上げる。


 一瞬呼吸が止まった。妙にぎらついている両目に射抜かれて、シャルロットは生唾を飲み込んだ。舌を出しては引っ込めて、蛇の頭が顔の近くにまで迫ってくる。地震の揺れは続いていて、その場から動くことができない。


 怖い。昔の記憶を思い出して背筋が凍る。既に大人になったとはいえ、やろうと思えば蛇の一匹取り押さえられるとはいえ、小さな心に刻まれた傷は癒えたわけではない。


 怯えを隠そうと必死なシャルロットにかまわず、蛇は上体を倒しているシャルロットの顔に近づいていく。巻き付いて、噛んで、追いかけた。じゃあ次は何をするつもりだ。頭を思いきり引いたシャルロットの顔を追って、蛇はぐいと身体を起こすと彼女の鼻に頭を当てた。


 こつんとあたって、次いで細く長い二枚舌が鼻先を撫でた。


「──いやぁぁぁっ!」


 頭ではどうにもならない生理的な嫌悪感を覚えた。飛びのくように思いきり身体を反らせて、ついで眼前にいる蛇の細長い首を手で思いきり払いのける。勢いが強くてその場に転がってしまったが、地震もやっと収まってきたので足をもたつかせながら車へと駆け込んだ。


「はっ、はぁ……やだ、やだ……なんで蛇なんかいるの……」


 すっかり息が上がっている。運転席に座ったものの、動揺してステアリングを触ったきりシフトレバーに手をかけようとしないシャルロットを見かねて、ドミニクが声をかけた。


「おい、交代だ。俺が運転する」

「お願い、します」


 ドミニクが車から降りたので、シャルロットは促されるまま助手席に移動する。まともでない精神状態で車を運転することが危険なことくらい判断はできた。


 運転席に座りなおして位置を整えたドミニクが、ステアリングを握ってアクセルを吹かす。


「──へっ?」


 急加速で座面に背中がバウンドして、シャルロットは思わずドアを掴んで身体を支えた。


「む、すまん加速しすぎた」

「っうわ、あああぁぁぁ⁉ 速度上げ過ぎです速度! もっとゆっくり加速して!」

「大丈夫だ」

「全然大丈夫じゃないです! あああああ急ブレーキも止めてくださいよ!」


 猛烈な勢いで突き進むオフロードカーはドリフトしながら急旋回すると、軽い斜面を登り終えて宙に浮いた。ドミニクがペダルを踏み込むも既に遅く、ぎゅるぎゅると車内からでも分かるブレーキ音が耳に痛い。急加速、急ブレーキ、急ハンドル。やってはいけない三事項を一瞬でやってしまった。


 当然公道なら事故待ったなしの乱暴な運転に、蛇とのやり取りで半ば恐慌状態に陥っていたシャルロットも正気に戻らざるを得ない。悪寒も蛇へのトラウマも吹き飛んでしまった。


 この男からハンドルを奪わなければ車から振り落とされそうだ。座席の上で軽く跳ね上がり、サイドブレーキを引いて強引に車体の動きを止める。


「め、免許! 免許もってるんですか⁉」

「車とバイクのは持ってる」

「嘘だぁ! こんな運転じゃ取れないでしょう! わざとやってません⁉」

「なんだバレたか。気晴らしになるかと思ったんだが」


 殺す気か、とドミニクを睨みつけると、彼はらしからぬ軽薄な笑みを浮かべた。確信犯ではないか、信じられない。


「もう大丈夫か」


 ドミニクが問うた。一応落ち着いたか、という質問らしい。


「──ドミニクさんの、あんな、荒っぽい、人を殺す気満々の運転の、おかげで!」


 どうやらこちらを思っての行動だったらしいが、荒療治すぎやしないか。


「……殺す気、か。そうだな、俺も死ぬかと思った」


 どの口が言ってるんだ本当に。憮然とシャルロットが助手席に背中を預けると、ドミニクは腰のポーチからたばこを取り出し、掌から魔力を放って火をつけていた。


「ちょっと、たばこ吸わないでくださいよ」

「頓服の薬たばこだ、吸わせてくれ。少し興奮した」

「ハァ……?」


 口から青白い塵を吐き、再びステアリングを握ったドミニクは、先ほどの荒々しい運転とはかけ離れた安全運転で進路を取った。彼はどこか深刻そうな表情で薬たばこをくゆらせ、深呼吸をしながらなめらかにアクセルを吹かす。シャルロットは相棒の吐息を聞きながら、頬を膨らませて助手席側の窓ガラスを開け、体を預けた。


 緩やかな風がラクナ・クリスタルから吹き込む。短い草花の下で、シャルロットに跳ねのけられた蛇がじっと彼女を見つめ続けていた。

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