第二章 命の定義 2


 手早く指定された立脇病院にたどり着く。既に正午前、午前中の診察時間が済む直前だ。入り口で迎えてくれた看護師に誘導される形でシャルロットとドミニクは院内に入った。会計待ちをしていた何人かの患者は突然葬儀官二人がやってきたことに目を丸くしていたから、さっさと前を抜けて通された控室へ。


「こちらです」

「感謝する」


 案内を終えた看護師は控室に入らず、一歩下がった。部屋の先にはキャンサーがいる。いくら病人やけが人に接する仕事と言えど、動く遺体は気味が悪いのだろう。普通に生きていれば、キャンサーなど目にすることもない。


「ソーン葬儀官、患者さんのカルテ、こちらですので」

「ありがとうございます」


 看護師が見せてきたのはバーコード付きのカルテだ。仕事用の個人端末を取り出してカメラで読み取り、ローディングを待ちながらドミニクを先頭に室内に入った。検査室か待機室か、医療器具と椅子のおかれた殺風景な部屋に、一人だけ男性がいる。


「アウロラ葬儀監督署、悪性新生物対策課のドミニク・ホワイトフィールドだ」


 ドミニクが淡々と名乗る。シャルロットは扉を閉めてから、改めてキャンサーと向き合った。


「同じく、シャルロット・S・ソーンです」

「……ッハハ、俺、ほんとに死んでんのかよ」


 キャンサーは部屋に入ってきた二人に視線を移すと、呆れたように言った。信じたくはなかったが、本当なのか。肩をがっくりと落としてドミニクを見上げたキャンサーは続ける。


「で? そんな物騒なモン持ってんなら、まさかここで燃やすの?」


 びし、と指さしたのは、ドミニクが腰に差した太刀だ。魔導工学が発展したアトラスにおいて、一般的な武器として挙げられるのは魔導銃。刀を持っているドミニクは当然目を引く。


「まさか。署まで同行願おう。この場で火葬することはできん」

「すぐやらなくていいのかよ。俺が突然暴走したらどうすんだ?」

「その時は棺無しで焼き潰す。軽口が言えるのならその心配もないだろう」


 キャンサーとの話はドミニクに任せて、シャルロットはカルテの確認に入った。

 意識は明瞭、体温は十二度。眼球の白濁、むくみがある。魔力量は平均以下。心停止から約十三時間が経過。死因は風呂場での溺死。


「まだ一日も経ってないですし。今すぐに火葬しなきゃいけない状態でもありません。大丈夫ですよ」


 悪性細胞への変異は始まっていない。アンドレイの言う通り、身元の整理をする時間くらいはありそうだ。シャルロットはそう結論づけて、キャンサーに話しかけた。死んだばかりで、しかもすぐに意識が戻ってしまったのなら、死んでしまったこと自体がなかなか受け入れられまい。


 その上で、彼は自分が死んだあとの準備を、死んでから自分で行わなければならない。


「……まだ大丈夫なのか?」

「こいつが言った通り、部屋の整理や事後処理なんかをやる時間は十分ある」

「…………わかった。ずっとここに居ても病院に迷惑だろうしな」


 しばらく沈黙した後、キャンサーは深く座り込んでいた椅子から立ち上がった。少し体が動かしにくそうで、ふらつきながらしっかりと床を踏みしめると、ドミニクとシャルロットに右手を差し出す。


「ロメオ・ルッソだ。よろしくな、葬儀官」


 最後の自己紹介を、ロメオは神妙な面持ちで終えた。



 *



 一行はロメオを連れ、葬儀監督署に戻ってきた。面会室に通して、死亡証明書などの書類が入ったタブレットを手渡し、名前や住所など書き込むことをシャルロットが指示している。


「いやぁ、まさか風呂場で死ぬとはなー。あっけなさ過ぎて情けねぇわ」


 ロメオがぼやきながら、タブレットペンでさらさらとサイン書いていく。


「風呂入ってて、気が付いたら朝でよ。湯が冷めてておかしいなーって思って、仕事に出たら顔色が悪すぎるから病院行ってこいって皆言うもんで」

「それで病院に行ったんですか」

「そーよ。そしたらいきなり死んでるとか言われてよー。は? ってなるじゃん」


 話しながら、シャルロットはロメオの様子を見た。こうしてきちんと意思疎通がとれ、会話が通じているとなると死人という実感が湧かない。ロメオも動揺しているようだが、シャルロットも同様だった。


 思った以上に人間と変わりない。内臓はともかく、ガワは完全に人の形のまま。声もキャンサー特有に掠れていたりはしない。


 書類にサインをし終わって、ロメオがペンを置いた。

 そのタイミングで、ちょうどよくドミニクが面会室に入ってくる。


「書面上の手続きは終わったな」

「あ、はい。ひとまず書くべきものは書きました」


 ドミニクはやって来るなりロメオを一瞥すると、対面に座るシャルロットの隣に座った。彼をどうやって火葬するか、病院から受け取ったカルテの情報からオフィスで相談していたはずだ。アンドレイが元医者で自己崩壊症の専門医だったらしく、こうした意識のあるキャンサーは彼の知見も合わせて事後対応を決めているそうだ。


「本題に入るが……病院からのカルテを見るに、恐らくだがお前は今の状態で数日保つ。安全を見て猶予はニ、三日といったところだが……ひとまず、火葬は俺達で行う事にした」


 間違っても火葬前に逃げられてはいけない。期日を決めて死と向き合わせ、できる限り合意の上で火葬をする方針だろう。何ならこの場ですぐ火葬したっていい。時間を設けるのは死亡後の処理を円滑に行うためと、本人への配慮だ。直ぐに火葬してやったって構わないと思うが、時間をくれてやるのは、ドミニクの優しさだろうか。


 ロメオは天涯孤独で親族は既にいないという。行方不明なのか事故で亡くなったのか、そこまでは追及できなかった。


「その後の話だが……葬儀は全部こっちで手配する簡易葬になるが、それでもいいか?」

「簡易葬? なんだそれ」

キャンサーであれば遺骨や遺灰はそのまま供養塔に埋葬してしまうが、お前の様に意識のある場合は遺体と同じ扱いになるから、普通に葬儀ができるんだ。ただお前は他に親族がいないから……葬儀監督署が身元の引受人になって、喪主として葬式を執り行うことになる」


 葬送庁は死人を管理する国家機関だ。当然葬儀も管轄するが、地域によって葬式の方法や儀式形態は大きく異なる。基本的には葬儀を斡旋する葬儀監督署が何種類かの形式を用意し、喪主が取捨選択するのだが、喪主がいない場合は全て葬儀監督署が手配して葬式を行う。


 今回の場合、火葬までの対応はキャンサーと同じ扱いだが、まだ意識があるため知人に葬式の連絡はできる──こんなところだろう。


 そうするべきだと思う。葬式は、生者が死者に別れを告げるために行うものだ。知らない間に死んでました、なんてあまりに慈悲がない。


「なるほどなぁ……?」

「なので、火葬は私たちでやって、あとは総務の方で葬儀をすることになります」

「どうせ火葬も斎場では行えない。火葬炉に入れた後で暴れられても困るからな」


 最期くらいは、お前が望む場所で送ってやろう。ドミニクは言って、記入済みのタブレットを手に取って書面の確認をし始める。


「火葬は後日、だ。これからは監視も含めて同行するが……挨拶回りとかは、どうする」

「……会社には、俺が死んだって連絡行ってるのか」

「連絡はした」

「そっか……じゃ、どうしようかな。直接会わない方がいいかな」


 どこか寂しそうにロメオが言った。会わなくてもいいのか、とは問えなかった。


「やることっつったら……部屋の片づけと、あと……墓も閉じたいな」


 彼は今、自分の意識があるのに身体が死んでいるという矛盾した状態について、どう思っているのだろう。



 *



 葬儀監督署で各種書類を提出し、ロメオを連れて彼の自宅にやってくる。

 死亡したのが昨夜だからか、生活感がにじみ出る部屋だ。


「どうぞ、入ってくれ。さて、いらねぇもんって何かなぁ……あ、誰かに渡したい奴とかも手配してくれたりするか?」

「譲渡先に聞く必要はあるが、優先的に取り計らおう」


 玄関に入り、靴を脱ぐ。土足で入るわけにもいかないし、ブーツは脱いで私物のパンプスを履いてきた。


 一般的なワンルームの部屋は、出かける直前に慌てていたのか多少散らかっている。家具の類は最小限で、目を引く私物と言えば古めかしいレコードの再生機くらい。作業棚の上には、珈琲豆を挽くためのミルや焙煎機、抽出器などが所せましと並んでいる。


 コーヒーを淹れるのが趣味なのだろうか。あまり家庭にある器具ではないだろう。


「ああ、今は仕分けだけでいいぞ。後で業者を入れる。見られたくないものがあれば今のうちにまとめておいてくれ」

「分かった……うーん、食料品と服は処分するしかないだろ? 家具は……量産品だしなぁ」

「他人に渡したいのは……そこの器具でいいか?」

「そそ、レコードとコーヒー淹れるのに使う奴。結構高価な奴多いからよ、馴染みの喫茶店とかコーヒーショップとか、友達に渡したらうまく使ってくれるかなって」


 ロメオはてきぱきとドミニクと会話をしながら、あれやこれやと引っ張り出して整理を続けている。指示出しはドミニクがやっているし、今日やることは仕分けなので部屋を片付けることではない。


 シャルロットはその場から静かに離れ、そっと浴室の扉を開けた。ロメオが死んだ場所だ。


 湯を抜いた後のまま、床のタイルにはまだ湿気が残っている。異臭はなく、人が死んだ現場には見えない。家主は部屋で私物の処理をしている。けれど──彼はもう死んでいるから、この部屋に家主はいない。


 愛用した品を愛おしむように触り、名残惜しそうに仕分けていく男は、まだ生きていそうなものなのに。肉体は完全に死に、靴下とズボンの間から覗いた素肌は死斑が出ている。そのうち全身が悪性細胞に変わって、人の形から逸脱する。


 浴槽に沈んで死んだ。湯を浅く張っていれば、うっかり風呂場で寝ていなければ、あるいは意識が落ちるほど疲弊していなければ。こんな形で命を落とさずに済んだかもしれないのに。


 ──うん、大丈夫。問題ない。心は静かに凪いでいる。何も感じていないから、通常運転だ。


「──ロット、おい、シャルロット」

「っはいぃ⁉」


 唐突に背後から呼びかけられて、完全に油断していたシャルロットは肩を大きく跳ねさせた。慌てて振り向くと、お前は何をしているんだと言いたげなドミニクが顔を出している。


「風呂場で何してる」

「えっいや、何も?」


 ロメオの監視という仕事を放り出して物思いに浸っていたなどと言えるはずがない。しどろもどろで誤魔化すも、不信感を隠さない視線がドミニクから突き立てられて胸が痛い。


「……いや、いい。ロメオがコーヒーを淹れてくれるそうだ」


 せっかくだしご馳走になろう。ドミニクが手招きして去って行ったので、風呂場を二度見してからシャルロットも室内に戻った。ちょうどコーヒー豆の焙煎中だったようで、香ばしい香りが室内に漂っている。コーヒーの抽出器もあったが、ロメオは鼻歌でも歌うくらい上機嫌に手動のコーヒーメーカーを机の上に準備していた。


「仕分け終わったんですか?」

「貴重品に関連するもの以外はな。レコードとコーヒーメーカー以外、廃棄でいいそうだ」

「そうですか」


 片付けの首尾を聞きながら、シャルロットはひとまず椅子を引っ張り出して座ることにした。ドミニクは掛け布団を剥いだベッドの上に座って待つことにしたらしい。


「よかったよ。俺、コーヒー誰かに振る舞ったことなくってさ。金貯めて起業……って考えてたんだけど──」


 機材の準備をしながら、軽快に喋っていたロメオの口がはたと止まった。

 シャルロットは彼の顔に視線だけ向けた。半開きになった口がわなわなと震えていて、見られていると気づいたのか背中を向けられてしまう。


 夢があったのか。道半ばで絶たれるのは辛かろう。


「──ま、最期くらいはな」


 ロメオは息を吐き出すように笑い、作業を再開した。

 それからしばらく、言葉はなかった。


 焙煎した豆をコーヒーミルで挽き、フィルタをかけたドリッパーにセット。先細のケトルからゆっくり湯を注ぐと、香ばしくも軽やかな香りが室内に広がる。


「はい、どうぞ」


 そうして、カップに注がれたコーヒーが机の上に差し出された。紺色の陶器の中に、深い焦げ茶色のコーヒーがたっぷり入っている。ソーサーの上にミルクと砂糖も完備されているが、味も分からないのにいきなり砂糖を入れるのはいかがなものか。


 正直なところ、シャルロットはコーヒーが好きでも嫌いでもなかった。適当に休憩する時、一緒に出されたミルクと砂糖はもったいないから全部入れて菓子の供に飲むくらいで、特段興味はない。


 だから、いつものように何気なく口にして。舌の上を転がった熱いコーヒーの味に、シャルロットは驚いて手を止めた。


「……おいしい……!」


 今まで飲んだことのあるコーヒーとまるで違う味だった。深みも爽やかさもまるで違う。口当たりがまろやかで刺々した苦みがないのに、後味にしっかりと香ばしさを残してくる。


 一口飲み終わってもう一回、と癖になるくらい、するする喉を通ってしまうコーヒーだった。喫茶店でもこれほどの質は飲んだことがない。信じがたいように、手に持ったままのコーヒーカップとロメオを交互に見る。


「すごくないですかこれ、ブラックでも全然飲めますよ? 私、砂糖もミルクも入れちゃうんだけど」


 思わずドミニクに意見を求めると、驚いていたのは彼も同じだったようだ。いつも険しい眉間の皺がなくなっているし、僅かにカップを下ろした体勢で固まっている。


「コーヒーは好きじゃなくて紅茶派なんだが……これはいけるな、旨い」


 とにかく飲みやすいのだ。そして軽やかで爽やか。でもコーヒーであるという主張は忘れない。そんな至高の一杯であると言えた。


「口直しの茶菓子もいらないし、えぇ……? もう一杯飲みたいくらいなの初めてですよ」

「そりゃよかった、嬉しいよ。ひとりで飲むのもいいんだけど……誰かに飲んでもらうのも、いいもんだな」


 シャルロットの素直な賛辞に笑顔を返して自分のカップに口をつけたロメオだったが、何かを考えたのかはたと動きを止めた。


「……なぁ、俺飲み食いして大丈夫なのか?」

「──と、言うと?」

「いやだって、俺の身体もう死んでるんだろ」


 生命活動を終えた肉体であるから、当然食品からの栄養補給は必要ない。にもかかわらず今までと同じように経口摂取していいのか、そんな疑問らしい。


 ドミニクに視線を投げると、彼はコーヒーカップをソーサーに戻してから言った。所作が様になるのがなんだか悔しい。


「……消化はされないはずだが、問題はないだろう」

「そっか」


 淡々としたドミニクの言葉に、ロメオは一つ頷いてからコーヒーカップを手にした。


 こんなに平和な仕事は初めてだった。いつもは殺伐とした現場に身を置いていて、それが当然だと思っていたけれど。故人の未練を果たすように、火葬まで寄り添うのは経験がない。


 戦って、納棺して、燃やすだけ。キャンサーの願いを叶えてやる時間なんてない。ベル・ディエムではそういった仕事が多かった。変異速度が遅いアウロラ特有、な訳でもないだろう。ロメオは間に合っただけだ。まだ人間として存在できる間に、偶然、意識が起きただけ。


 再び物思いに浸りながら、シャルロットはコーヒーを少しずつ味わうように飲んでいるロメオに視線をやった。


 ロメオは死亡宣告を受けているのに穏やかだ。シャルロットはその穏健さが引っかかっていた。数日後には殺されるも同然なのに、随分余裕だな、と呆れるくらいには落ち着いている。


「……ご馳走様でした」


 三人分しか淹れなかったようなので、おかわりはない。疑問を喉の奥に押し込めて、シャルロットはコーヒーを飲み干した。もう二度と彼の淹れたコーヒーが飲めないのは、残念だと思った。


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