第三章 命の定義 4

 後日、ルクスフィアからの指令書も届き、内容に沿ってテラサルース研究施設の調査に乗り出した。構成員への尋問を粘ったリシャにより、研究所の場所と入り口は把握済みだ。どうやら地下駐車場の内部に施設への入り口を作っていたらしく、案の定駐車場の管理会社とは連絡がつかなかった。テラサルースと管理会社がグルだったのだろう。


 時刻は夜も深くなった深夜前。何が起きるか分からないと、近隣住民には手間だが一時避難してもらっている。夜でも煌々と空を照らしているオーロラと月光が地上に降り注ぎ、視野の確保は問題ない。


「しかし地下駐車場ですか……考えましたね」

「駐車スペースの奥と言われると、誰も気づかんからな」


 市街地を移動し、目的の自動式駐車場にたどり着く。整備用の入り口を専用のパスコードを入力して開け、入出庫から地下駐車場の中へ。


「こちらドミニク。駐車場の中に入った」

『オーケー、まだ通信は通じるね。そのまま進んでくれ』


 今回オフィスの中ではジオとアンドレイが待機してくれている。何かあった時の対応役だ。


『……何が潜んでいるか分からない。注意するんだ』


 課長のリシャは帰還が間に合わなかったため、課長代理として正嗣も同席している。事前情報によれば、あまり楽観視できる状況ではない。奏は事前に武具をきっちり整備してくれたし、ジェラルドは翌日からの出動要員として今回は参加していない。


「行きましょう」

「ああ」


 しばらく内部を進むと、広々とした駐車スペースに入る。


 筒状にくり抜かれた地下空間の外周に、市民の車が駐車されていた。空きスペースはほとんどなくぎっちりと車が詰め込まれているが、シャルロットたちの目標はそこではない。


「先に降りて入り口を探してくる。怪我しないようにゆっくり降りろよ」


 言って、ドミニクが飛び降りた。直ぐ追おうとするが、彼のように一気に真下まで降りるのは少々危険だ。双銃を抜いたシャルロットは、駐車場の要になっている柱にアンカーを打ち込んだ。


 できる限り傷がつかないように、けれど剥がれないようにしっかりと差し込み、命綱の代わりにして降りていく。鎖の距離限界がくればもう片方の魔導銃から同じようにアンカーを打ち込み、交互に使って地下駐車場の最下層へ。


 床が見えてきたので柱に打ち込んでいた錨を魔力に返して着地し、双銃をホルスターに納める。先行していたドミニクを探すと、大振りな扉の前に立っていた。


「ここのパスは聞き出せなかったらしいよな」

「これ、パスコードで開けるタイプの鍵じゃないですね。そりゃ知らないかぁ」

「こじ開けてもいいが……奥に何があるか分からんのを考えると」


 大ぶりな金属の扉の横に、小ぶりな魔導装置がついている。が、これはカードを差し込むか、端末を読み込ませて起動させるタイプの鍵だ。パスを打ち込むコンソールがない。


「あそこのダクトから入りませんか?」


 何か別の入り口がないか。薄暗い中で辺りを見回したシャルロットは排気口を見つけて、そこを指で指し示す。ドミニクは視線の先を確認して頷いた。


「そうするか」


 ドミニクがダクトの真下に移動し、壁に張り付く。ここから侵入するにはダクトの入り口を塞いでいる格子を外さなければならないが──


「よっと」


 片手で壁によじ登ったドミニクが、もう片手であっという間に格子を外した。軽々と放り投げられた格子は金属音を立てて駐車場の床に落ち、飛び降りた彼は小さくシャルロットを手招きした。


 先に行け、ということだろう。少し高い場所に排気口があるので、シャルロットがジャンプしただけでは届かない。両手を組んで待ち構えているドミニクに向かって助走をつけ、ダクト付近でジャンプして彼の両手を足場に更に踏み込む。びょん、と普段の倍の推進力を得て飛び上がったシャルロットは、開いた排気口の中に無事入ることができた。


 狭くて埃っぽい。巻き上がった埃に咳き込みながらも前進して、ドミニクの入り込むスペースを確保する。


「うーんと、とりあえずコントロールルームに……」

「……外と連絡が取れんな」

「魔力波届かないんです? ……ほんとだ、通じないや」


 ドミニクがぼやいたので、シャルロットもインカムを起動させてオフィスに通信を取って見るものの、確かにノイズが走るだけで全く使い物にならない。


「……稼働している施設に対して全面的なジャミングをかけるのもおかしな話だな」

「わざわざ連絡がつかないって吐くってことは、テラサルースにしても予想外でしょうし……」


 ダクトの中から、時たまある格子をのぞき込んで廊下に貼られたリノリウムの床を眺める。

 人の姿はない。非常灯しか灯っていない薄暗い廊下はしんと静まり返っていた。


「……やっぱり誰も居なさそうですよ?」

「本当にいないのか」


 数か月も経てば遺体は完全に癌化する。外部から遮断されて閉じ込められたまま人員が死亡した──と仮定しても、キャンサーの一体すらいないのも不気味でうすら寒くなってくる。


 ほふく前進で狭いダクトの中を進み、何度か道に迷いながら恐らく中枢であるコントロールルームにたどり着く。目的地と思しき場所にあるのはエアコンの排気口なので、外すのは当然ドミニクの役割だ。


 ドミニクが排気口の枠を掴み、思いきり押しこんでコントロールルームの中に落とした。天井に張り付けられていたエアコンは丸ごと床に落ち、大きな音を立てる。ドミニクはすっかり埃で汚れた制服を引きずって、格子を外した小さなスペースから飛び降りた。


「ここも非常灯しかついてないな」


 先んじて降りたドミニクが周囲を確認する。ついでシャルロットも降り、壁に貼られた大きなディスプレイと操作盤に目を付けた。


「機械は無事そうだが、動くか?」

「非常灯がついてるなら完全に動力が落ちてるわけじゃありませんから、動きはすると思いますけど」


 言って、シャルロットは操作盤に近づいて、設置されていた椅子に座った。ドミニクは鍔に指をかけ、周囲の監視を徹底するようだ。


 少し大型の魔導デバイスだが、操作方法は分かる。慣れた手つきで操作盤のスイッチを押し、セーフモードで起動したため復元に取り掛かる。しばらくするとロード中の表示が消えコントロールルーム全体の灯りがつき、コンソールに光が灯った。


 出てきたのはパスコードの入力画面だ。初期化されているわけではない。


「……破棄されたにしては、何も処理がされてませんね」

「そのまま主動力だけ落ちたのか……ここを放棄するつもりはなかったんだろうな」


 少し強引にセキュリティを突破しよう。シャルロットはガントレットからプラグを引き抜き、コンソールの接続口に繋げた。パスコード入力画面にしたまま、増幅装置を作動させて己の魔力を流し込む。するとディスプレイに激しいノイズが入ったかと思えば、数瞬で正常にコンソールが立ち上がる。


「……今何した?」

「内緒です」

「そうか」


 ドミニクの言葉に返事をしながら作業を進めて、情報の羅列から必要なデータの絞り込みに入る。


 まずはこの施設に送られた遺体がどうなったのか調べなければ。山のようにあるファイルの量に目を眩ませながら手早く取捨選別を続けると、あるファイルの名前に目がついた。


〝検体:C1023〟


 短くそれだけ名付けられたファイルと、似たような番号が付けられたものが羅列したファイルの塊。


「これかなぁ」


 シャルロットは吸い込まれるようにファイルを開いた。同時に新しく浮かび上がったホログラムディスプレイが二つ。一つはファイルに閉じられた文章と、もう一つは──監視カメラの定点映像だろうか。


 シャルロットは文章を黙読しながら、ちらりと監視カメラの映像に視線をやる。


〝購入日:西暦二五二八年、十月二十三日

 被検体死亡日時:同年十月二十日

 年齢:七歳

 ベル・ディエム、セントラル区より移送

 死因:脳挫傷〟


 監視カメラに映っていたのは、整然と立ち並ぶ小型のポッド。ガラスは全て割られている。


「これだ……ありました、でも」

「どうした」


 背筋を冷たい冷や汗が伝った。言葉にならず半開きになった口で、ドミニクを振り返って近くに呼ぶ。


 ドミニクが警戒を解かないままシャルロットの呼びかけに応じたので、回転する椅子を少しだけドミニクの方に向け、ホログラムディスプレイを指さしてみせる。


「これ、ヤバいかも」


 このポッドの中にどんな状態で押し込められていたか分からないが、割れているのなら──遺体が外に出ている。だがダクトの中から覗いた限り、この施設に複数のキャンサーが居た痕跡は見受けられなかった。


「少し貸せ」


 画面を見たドミニクの顔がきつくゆがめられ、シャルロットの座る椅子と操作盤の間に上半身を滑り込ませてコンソールを奪う。ファイルを上下させて内容を確認したドミニクは、続けてほかのファイルも参照する。


 すべて似たような記述と、ここで行われた処置と結果、保存情報が記されていた。


「……連中の、兵器開発の被検体のデータだな。やっぱりか」

「兵器開発? まさか──キャンサーなんて制御できっこないでしょう」

「制御できるかどうかは問題にならん。例えばこれは氷属性以外の魔力を取り払って、極端に熱に強いキャンサーにしているな。こっちは流体か? ……物理的な攻撃をほぼ無力化するタイプか」

「私たちが火葬する前提の調整ですか? 嫌がらせにしては手が込んでますね」

「情報みるだけでも、全部俺達に回されるようなキャンサーばかりだな……手に負えなくて暴走でもしたんだろう」

「……それにしては、何もいなかったですよね」

「それが引っかかるんだ……どういうことだ……?」


 妙な話だ。入り口は閉じていたから、他に出口がない以上暴走したキャンサーも施設から逃げ出せないはずなのに。逃げ出したにしても癌化の進んだ個体が十数体もいたのなら、目撃例が出て対策課に連絡が入っている。調整をかけていたのなら、余程の大事になるはずだ。


 そのどれでもない。他に情報がないかと、シャルロットは一旦ファイルを閉じ、流し見したばかりの別のフォルダを開く。


 これでもない、あれでもないと手当たり次第に開いては閉じ、凄惨な映像や写真の山を仕分けていく。


 流れ作業で確認していったフォルダの日付はどんどん古いものになって、遡れば大よそ十数年前の物まであった。随分古くからあったんだな、と何気なく思って、シャルロットが新しいフォルダを開くと、一つの映像データの読み込みが始まった。


「──は?」


 次いでディスプレイの中にめいっぱい広がった情報の束に、頭がフリーズした。

 体温が急速に抜けていく錯覚を覚えた。どうした、とドミニクが呼びかけるも、自動再生された映像から目が離せない。


「……なに、これ」


 施設の一室を移した監視カメラの映像だった。傷だらけの男が目隠しをされて簡素な椅子に貼り付けにされている。背もたれに結び付けられて動けないようだ。なにやら叫んでいるが、音声が入っていないので何を喋っているのか分からない。


 数秒その映像が続いて、部屋にアサルトライフル型の魔導銃を持った男が入ってくる。


 拘束されたミルクティーベージュの髪の男が叫ぶ。魔導銃を持った男は縛り付けられた男性の背後に回って死角を取ると、銃口を胸に突き付けた。


 あっけなく魔弾が放たれて、男の胸が弾け飛び、衝撃で椅子が床に倒れた。胸を撃って心臓を潰した後、ゆっくりと両手足の関節も魔弾で破壊した男は、せいせいしたと言わんばかりに頭を踏みつけてから部屋から出ていった。


 倒れた椅子を中心に、床が鮮血で赤々と染まっていく。手首は千切れて身体の側に落ちていた。


 頭を撃たれたわけではない。即死に近い状況ではあるが、死ぬ直前まで苦痛と意識は残っていただろう。脳を残している辺り、癌化したときに自我と記憶が残るよう配慮したのだ。


 けれど。シャルロットは再生が終わった映像に釘付けになったまま、フォルダに閉じられていた文書ファイルに目を通す。


「おとうさん、じゃん……」


 テオドリック・ソーン。行方不明の父が殺害された映像だった。


 これは本当なのか。本物のテオドリックが殺された映像なのか。本人なのか確かめようとして動画をもう一度再生しようとすると、ふっと横からドミニクに手首を掴まれる。


「止めろ」


 見なくていい。どこか悲痛な顔をして、ドミニクは言った。繰り返し確認して傷つく必要はないと。


 正直なところ、シャルロットは驚きも悲しみもしていなかった。ただあまりに簡単に、あっけなく映像の中で父が死んでいったから、実感がなかっただけだ。


 感情がごっそり抜け落ちた気分だった。あまりに平常心を保てているから、自分は父の死を悲しむことも、憂うこともできないほど感情がなかったのか、そう錯覚するほどに。どちらかといえば、苦しそうに眉根を寄せているドミニクの方が悲しそうだと思うくらいだった。


 力が抜けて焦点が合わなくなり、椅子に座ったままぼんやりとしているシャルロットとコンソールの間にドミニクが割り込む。彼はシャルロットの視線を塞ぎながら文書の確認に入ったが、画面が見えないと抗議する気力はなかった。


「……ここで癌化させた後、サグス湖畔の近隣に埋めたらしい。身体の肥大化が酷くてここに置けなくなったと。つまり……」


 誰も手出しをしていなければ、今もテオドリックはサグス湖畔の地下にいる。


 突如露わとなった父の所在に、しかしシャルロットは呆然とするだけだった。


 父はテラサルースに誘拐されて殺されていた。なら、帰ってこないのも見つからないのも当然だ。この情報が真実だとしたら、テオドリックは十数年もサグス湖畔の地下に埋め立てられていたことになる──この場合封印が正しいかもしれないが。


 分かってた。分かってた。お父さんとはもう会えないと分かってた。だから諦めて、やっと生きることができたのに。


 最悪だ。想像する限り最悪の状況になった。よりにもよって。


「……お父さん、キャンサーになってたの」


 死ねて、ないの。呟いて、椅子の上で頭を抱えた。


 息が詰まるようだった。いっそキャンサーに食われて死んでいたら、無駄に苦しまずに済んだのに。


 どうして過去のモノとして置いていけないのか。もう終わったことのはずなのに、いつまでも子供の自分に引き留められる。


 キャンサーでもいいから会いたいと、心の中で幼い自分が泣いている。


 会ってどうする。自我があるか、父と認識できるかも定かではない。あまりに年月が経ち過ぎているから、情報に基づいて探し出せたとしても、化け物になっているだろうに。


 私は一体何を期待している。心の中で叱責して、胸の痛みと泣き声に蓋をする。


「シャルロット、他にも名前があるが、覚えは」


 うつむいたままのシャルロットに、話を逸らすようにドミニクが問うた。ゆっくり顔を上げると、既にテオドリックの殺害シーンの動画は閉じられており、変わって別の人物のフォルダの羅列が表示されていた。


 シャルロットは気を取り直すように自分の頬をつねり、引っ叩いてから名前を確認する。大量の失踪者が出た一連の被害者の名前と、合致したものが多かった。


「……あります。みんなお父さんと同じ時期にいなくなった人です」

「思わぬ収穫だな……さっきのに加えてこれもコピーして持って帰るぞ」

「分かりました」


 大量の失踪者が全てテラサルースによる誘拐であったのなら、それだけで十分すぎる手柄だった。詳しく調べれば、テオドリックと同様にどこに遺棄されたのか、どんな対処がなされたのか分かるはずだ。既に市街地に出ていたとしても、特徴と対策課にある過去の火葬記録から照合できる。やっとあの事件に蹴りを付けられそうだ。父の件はともかくとして、他の遺族は行方が分かっただけで救われるだろう。


 シャルロットはコンソールに端末を置き、データのコピーにかかった。


 そのままコピーが完了するのを待っていると、傍らで見守っていたドミニクがハッと顔を上げた。何かを感じ取ったのか、ドミニクの視線はコントロールルームの入り口に向いている。


「……まだここにいて、よかったと思うべきか」


 ドミニクが抜刀した。シャルロットは接続プラグでコンソールと繋がっているため、ここから動くことができない。


 耳を澄ませると、カラカラと遠くから音がする。ドミニクが全身から魔力を放出し、刀と制服の裏地が瞬く間に青白く染まる。一気に殺気立った気配に、向こうにいるのは並みのキャンサーではないと直感した。


「来るぞ」


 小さく言ったドミニクが刀を構えた。


 ぷしゅ、と空気が抜ける音と同時にコントロールルームの両開きの扉が開く。シャルロットは接続したプラグを握って、コピーが終わり次第すぐに抜けるように備える。


「おなか、すいたぁ」


 酷くかすれた異声を伴って、コントロールルームに化け物が入ってきた。

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