第5話 いもうとよ、めをさませ。
一郎がラブコメルートに対して憂いているのと同刻、ツインテールを可愛くぶら下げている女の子は泣いていた。
整っている顔は、涙によって、やや赤みがかっているように見える。
さて、では何故少女が泣いているのかと言えば——
「お兄のバカ」
——先ほど、自分の頼みを無碍にし、断った兄に対してそれはもう憤慨しているのだ!
それと同時に、幼い頃はよく一緒に寝てくれたのに、という少し寂しい気持ち。
それらが混ざり合った感情が、少女をメソメソと泣かせていた。
「今までは、ずって私にベッタリだったのに」
少女の幼かった頃、極度の心配性を持つ兄は、もちろんシスコンであった。
常に少女を見守り、障害があれば排除する。
半ばストーカーとも言い換えられる異様な執着、しかし、少女にはそれが心地よかった。
大切な家族が自分を守ってくれる、それだけで、なんと心強いのだろうか——
——少女は兄が大好きだった。
いつでも自分を見てくれている、愛してくれている。
それだけで、少女の胸はいっぱいになる。
……それなのに、ある日いきなり、少女のことをそっちのけで「異世界転生修行」などとのたまい、見ていて痛々しい姿を恥ずかしげもなく披露してきた兄が、なんと恨めしいことか!
極度の心配性の兄は、変わってしまった。
しかし、少女は忘れられない。
兄が痛々しい姿を披露したあの日から、自分が兄の一番ではなくなったあの日から、少女の時は停滞し続けている。
幼き頃の、自分を全霊を以て守ってくれた、兄の姿を涙でぼやけた視界に、されど輪郭を持ってハッキリと夢想する。
——また、あの頃の兄が戻ってきてくれますように。
この気持ちを、兄が変わったあの日から、絶やしたことはない。
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うーん……取りあえずは明日の作戦を考えた方がいいのだろうか?
それか、直面する困難に経験と閃きを用いて切り抜ける(無計画)の方がいいのかな……。
僕は、明日に起きるラブコメイベントを憂いていた。
マジでどうしよう……。
まずは発生するイベントから考えるべきか、それともやはり作戦を考えるか?
しかし、作戦を考えても、その通りになるとは限らないのだ。
それで作戦が失敗したら、作戦を考えている時間は無駄になるということだ。
それなら、作戦を考えずに挑んで、取り敢えず今日は修行をするべきか?
でも、作戦無しの行き当たりばったりも……ダメだ、考えるほどドツボにはまる。
これはもう仕方ない、まだ時間はあるのだから、ゆっくり考え——
——思考に極限まで集中を割いていた為だろうか、後ろからの足音に、僕はまったく気が付かなかった。
「ごめんね、お兄。でもね、お兄が悪いんだよ?」
「ん?誰かいるのかっ……うぎゃ!」
「お兄、痛いよね?ごめんね?でも私の方がもっと辛かったんだよ?傷ついたんなよ?痛かったんだよ?」
突如聞こえた声、それが誰の声か認識する暇もなく——
——首に押し当てられ、撃たれたスタンガン。
その威力は、僕を気絶させるには充分だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
気絶状態からの復活、それは毎朝感じる現実への回帰とは違った感覚をもたらした。
ゆっくりと意識が覚醒していく感覚とは真逆の、いきなり意識の線が繋がったような、不思議な目覚め。
普段とは全く違う目覚め方、瞬間的に多くの働きを強いられた頭が、少しだけ痛かった。
その痛みを無視し、目の前の光景を理解する。
「……割と知ってる天井だ」
知らないわけではないが、馴染み深くもない天井。
幼い頃に良く見てはいたが、正直遠い記憶、それこそ人生最大の悲願(異世界転生)を成し遂げると誓った時よりも前の記憶だろう。
だが、天井とは対照的に、今自分がいる部屋にはとても見覚えがある。
ピンクの壁紙に、動物のぬいぐるみが大量におかれた棚。
参考書が散乱している机に、グチャグチャの布団が乗ったベッド――
――間違いなく妹の部屋だ。
気絶する前に聞こえた妹の声、そして目覚めたら妹の部屋にいたという状況……ついでに手錠が僕の片手とベッドに繋がれており、動こうにも動けない状態。
認めたくないが、そういうことか。
なかなかどうして、やはりラブコメの神様は僕にご執心のようだ。
「あ、お兄起きたのぉ?」
妹の声……とは思いたくないほど、嫌に甘ったるい声だ。
その過剰に甘い声には、明らかな好意と狂気が潜んでいる。
若干の気持ち悪さを振り払い、僕は妹の言葉に応える。
「うん、起きたよ。それよりもこれは何かな?」
自身の片手に付いている手錠を指差しながら、努めて冷静に、言う。
「あぁ、それぇ?それはねぇ、お兄が逃げないようにするためのぉ、手錠だよぉ」
しかし、妹は冷静でいようとする僕を嘲笑するかのような声色で、さらに怒りを煽るような口調で返事をした。
「全く、随分なご挨拶だね。……それに、その声も口調も、ぶりっ子みたいで気持ち悪いからやめたほうがいい。そういうのは、僕のタイプじゃないんだ」
「へぇ?そっちこそ、監禁されてるのに随分な物言いだよね。図々しいとか思わないかな?しかも、お兄が監禁されているのは、自業自得でもある」
「自業自得だって?ハッ、冗談でも全く面白くないぞ。いったい、どこらへんが自業自得なのか、図々しい僕に教えてほしいなぁ。えぇ?」
普段の喧嘩とは違う、皮肉を交えた口論。もっとも、低俗であることに変わりはない。
大丈夫だ。僕は冷静でいられる。
常に冷静でないと、異世界転生なんて出来る筈も無い。
『何事にも絶対に動じない不動の心』は、異世界転生系主人公のパッシブスキルだ。
とりあえず、まだ冷静でいられるのなら、きっと大丈夫だ。
意味の無い皮肉の応酬に、妹が飽きるまで付き合ってやればよい。
そして何らかの理由で妹がいないとき、ゆっくり脱出方法を練ればよいのだ。
それにしても、ラブコメを憂いていたら真っ先にラブコメ的イベントに遭遇するなんてな。
自分でも驚きである。
「じゃあお兄、そこでちゃんと待っててね。すぐに戻るから。……間違っても、逃げ出したりしないでね?それじゃ」
地味に口調が直っている妹との皮肉合戦から数十分、僕はとうとう自由な時間を手に入れた。
これで脱出するための時間は一時的に獲得出来たが……まずは手錠を解くことから始めなければならない。
これは全て隠密行動だ。絶対に見つかってはならない――
――こうして僕は、気の狂ったヤンデレ妹との、強制ラブコメイベント攻略を進めることとなったのだ。
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