第7話 雨女

酷い雨の日のことだった。


トツ…トツ…


天井から落ちる雫が縁側に置かれたポリバケツの底を叩く。


バケツの横では祖父が煙草を吹かしながら庭の隅をじっと見つめていた。


「おい崇。あれが見えるか…?」


縁側に腰掛けて退屈そうに足をバタつかせる僕に向かって、祖父は徐ろに口を開いた。


祖父の視線を辿ると庭の隅に暗い靄が見えた。


黒いモワモワが見えると答えると、祖父はそうか…と呟いて昔語りを始めた。


あれは戦争で俺が支那にいたころの話だ。その日も酷い土砂降りだった。支那の兵隊が町人に化けていつ襲ってくるかもわからん恐怖に怯えながら、俺達は土砂降りの中、行軍していた。


すると俺達は小さな橋に差し掛かった。濁流に流されそうな頼りない橋だった。


四人一組になって駆け足で橋を渡っている最中に俺はふと気になって川べりに目をやった。


すると増水した川岸の藪の中に美しい女が隠れているのを見つけた。


女もこちらに気が付いたようで、その女と目が合ったんだ。


女の顔は見る見る内に強張っていき、俺がおいと声をかけると大絶叫を上げながら濁流に飛び込んでいった。


俺は何とか戦争を生き残り日本に帰ってきた。


女のことなんかずっと忘れていたんだ。


それがな…


婆さんが死んだ頃から、土砂降りの日になるとその女の姿が見えるんだ。


はじめは遠くに突っ立っていた女も、今やはっきりと表情が見えるほどの距離にいる。


崇。多分俺はもう長くない。俺が死んだらお前にこの御守りをやる。戦争の窮地からも救って下さった八幡さんの有り難い御守りだ。


そう言って祖父は首にかけた紐を手繰り、薄汚れた御守りを僕に見せた。


僕は何と答えていいのかわからず、ただ黙って頷いた。



それから数度目の大雨の日に、祖父は死んだ。


田んぼの様子を見てくると言ったきり帰って来なかった。


祖父の遺体は近くの用水路で発見された。


痴呆が進んだせいだと大人達は言っていたが、僕だけが本当の原因を知っている。


祖父の御守りは流されてしまったのか、見つかることはなかった。


あの女が、祖父と一緒に持って行ってしまったのかもしれない。

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