第5章 品物はこの伍点

 ヘルトラウダの勧めもあり、リシャルトは睡眠をとることにした。通路の端に座り、壁に凭れて目を閉じる。眠りに付こうとするリシャルトは、ヘルトラウダを執筆した人物に思いを馳せていた。大迷宮のような建造物、見たことのない意匠の神殿、城、果樹、花、土地、地質たち。執筆者はきっと、熟練の旅人に違いない。


(僕もいつか——)


 リシャルトは膝を抱える手に力を込める。


(旅がしたいな……)


 帝国領土の外に出たことのないリシャルトにとって、外のことを知る術は本しかない。旅人が本の中で語ってくれる体験を頭に浮かべては、自身もいつか旅をしたいと考えるようになった。そんな旅行記は数がとても少ない。旅に出た者のほとんどは、過酷な旅路の中で命を落としていると言われているからだ。それでもいつかは、とリシャルトは考える。考えるが、本を読むことに夢中で、魔術の研究に明け暮れ、武術の研鑽を積み、学びたいことが次から次へと溢れてくる彼の日常は、目まぐるしく慌ただしく過ぎていく。

旅に出ることなど、その日一日を生きるのに必死なリシャルトにとってはとても遠い、夢のまた夢のような話だった。


(この旅行記の、ヘルトラウダの執筆者と、直接話がしてみたいな……)


 膝に顔を埋めたリシャルトは、しばらくすると穏やかな寝息を立て始めた。

睡眠から今度はきっかり四時間で目を覚ましたリシャルトは、ヘリットから聞いたドリカの雑貨店を目指す。雑貨店はこの洞窟の通路のちょうど中心にあり、洞窟を行き交う旅人や魔石目当ての行商人がよく訪れるとのことだが、かれこれ六時間は誰ともすれ違っていない。それがおそらく、魔導書の自動防衛機能が無作為に生み出す空間や改竄による影響なのだろうと、リシャルトは考えた。改竄者を早く捕えなくては、と言う思いはより一層強くなり、リシャルトは歩く速度をさらに早めた。ヘルトラウダもそれを察したのか、黙ってリシャルトの速度に合わせて飛び続ける。

リシャルトは歩きながら、改竄者の動きや見た目などを思い返していた。底上げされた膂力から、高い魔力を持つ人物であることがわかる。小柄ではあったが、身軽さを活かした戦闘が得意と思われる機敏な動きは、身体強化魔法がなくとも脅威になると思われる。首を絞めあげてきた手の筋肉の感じから、武器の扱いにも長けていそうだ。


(なんとなく、僕と似ている気がする……)


 リシャルトは口元に手を当てながら、改竄者の立ち居振る舞いをさらに思い返していく。なぜあんなにも身体強化をしなければならないのか。それは恐らく体力が低く、自前の体力で身体強化魔法をするのが難しいからだろう。改竄者が人間ではない可能性も考えられるが、朦朧とする意識のなかで、ぼんやりと聞き取れた声の発音や言葉の訛りなどは人のそれと変わりなかったため、あまり有力な線ではないだろう。改竄者が人間であると前提して、さらに考えを深める。あのとき掴んだ腕の感触から、自分よりも年若い人間か女性の可能性も考えられた。


(しかし僕より年下だと、十代前半の子どもになるな……)


 もしそうだとしたら、かなり慎重に戦うことになるだろう。魔導書の表紙をあれだけ切り刻み、高度な魔術式を破壊して改竄を行う人物なのだから、冷静に話し合う機会もあるかどうか。できれば話し合いで済ませたいのが、リシャルトの本音である。今までに破壊された魔術書の事件と関与しているのかも、そこに至る動機についても興味深くある。今のところリシャルトの見立てでは、改竄者の魔力はこちらと同等かそれ以上であること、魔法の技術は改竄者が何枚か上手であること、武術はこちらと同等か一枚上手、筋力や体力はこちらの方が勝っていることから、自身の体力から勝機を見出すしかなさそうだ。


(自分の特技だけで真正面から戦えないのが悔しいけど……)


 リシャルトは口元を指先でなぞりながら背を丸めて唸る。


(次にお目にかかるときは、植物や生き物がいない場所がいいな)


 リシャルトは目を閉じて、初めて改竄者と出会った花畑を思い出す。

触媒は使う魔法によって異なる。身体能力を上げたり、体力の底上げや回復、傷を癒したりする場合は生命の通ったものを使わなければ効果を発揮しない。壊れたものを直すには、鉄であれば鉄塊と言ったようにそれに見合う触媒が必要だ。

改竄者は自分と同じく、あの花畑の花を大量に触媒として利用し、身体強化魔法を使ったのだ。こちらが体力で勝っているのならば、触媒となりえるものが少ない場所での戦闘が望ましい。

 そしてもうひとつ、リシャルトには試してみたいことがあった。


「ねぇ、ヘルトラウダ」


 リシャルトが隣にいるヘルトラウダに声をかける。


「改竄者の位置と、改竄された箇所への最短距離の調査……、でいいのかな」


 ヘルトラウダが真紅の栞を揺らした。


「お願い! あと、触媒となりうるものが少なくて、修復されると相手が嫌がるところがいいな」


 リシャルトが目を細めてにっと笑う。


「きみ、魔導書の修復が出来るのかい?」


 ヘルトラウダが尋ねる。


「経験はないよ。でも本で読んだ知識をここで活かしてみようと思って」


 リシャルトが腕を組んで微笑む。


「きみを信頼していないわけではないのだけど、なるべく私が本だったとわかる程度に手加減してくれたまえ」


 ヘルトラウダはぺらり、とページをはためかせた。


「それ、信頼してもらえてるのかなぁ……」


 困ったようにリシャルトは笑った。

 リシャルトが試したいこと、それは改竄された箇所を修復することによって、改竄者を誘き出すことが出来ないかと言うことだった。



 リシャルトたちはひたすらに一本道の洞窟を歩き続けた。

 道中、改竄者についてヘルトラウダの意見も知りたいと思い尋ねたのだが、魔導書の魔力を阻害する魔法が改竄者に施されており、有益な情報は得られなかったそうだ。


「どうも改竄者は魔導書に何らかの因縁があるようだね」


 そう言ってリシャルトは顎に手を添える。


「恨まれるようなことはしていないはずなのだけどね。魔導書と言えど、ただの本だ」


 ヘルトラウダも栞を揺らす。


「改竄者と話せたらいいんだけどなぁ……」


 リシャルトが唸った。それに対してヘルトラウダからの返事はなかった。


「あれがドリカの雑貨店だね」


 ヘルトラウダが栞を差す方向に、数百メートル先にひときわ明るい大きな出入り口が見える。


「おぉ……! ついに!」


 リシャルトの歩みが早くなっていく。よく見るとこの先は吊り橋になっていて、底が見えない闇で覆われていた。天井も同じく真っ暗だ。ガチャガチャと吊り橋を構成している頑丈そうな鎖が鳴る。かなり揺れているのだが、リシャルトは気にもせず跳ねるように吊り橋を揺らしながら駆けていった。

 石を削り出して作られた階段を上がり、大きな出入り口に足を踏み入れるリシャルトたち。

 そこには黄色っぽい照明で彩られた広い空間が広がっていた。天井は少し高めに作られており、狭い洞窟内を歩き続けていたリシャルトは思わず身体をぐっと伸ばす。簡素だが、木製の長椅子がいくつか置かれていて、水飲み場や釜戸もあり、旅人たちの休息の場となっているようだ。

 水飲み場で水分を補給し、リシャルトはドリカの雑貨店へ向かった。雑貨店は休息の場への入り口に向かって左手にあった。緑色の木の扉と、雑貨店の看板がいくつか立てかけられている。店の窓はカーテンが閉められているが、開店を示す札がかかっているので営業はしているようだ。年季の入ったドアノブを握り、扉を開けると、からころと小さな鐘の音が出迎える。


「いらっしゃっせー……」


 その次に、ふんにゃりと間延びした挨拶が、リシャルトを出迎えた。気の抜けた挨拶だが、よく通る声をしていた。カウンター奥の声の主はお茶を啜ると、リシャルトたちをちらりと見た。食事中なのか、ティーセットとともに齧りかけのパンもある。

 銀縁眼鏡の奥から、二藍色の瞳が覗いている。短く尖った耳にかなり小柄な背丈、ドワーフの老婆だった。蔦植物△△の存在や蜥蜴族のヘリット、雑貨店のドワーフもリシャルトの世界にも存在していることから、この魔導書内はリシャルトの住む世界と同じ世界線であると改めて確信する。


「お、魔導書連れか。……随分とボロボロだな」


 ヘルトラウダを見た老婆がティーカップをカウンターに置いた。先ほどとは打って変わり、その声ははきはきとしていた。


「悪漢に襲われまして……」


 リシャルトが後頭部に手をやり、苦笑いをした。


「じゃあ無一文ってことか」


「そ、そうなります」


「まぁ、座って待ちなよ」


 そう言い残して老婆がパンを齧りながら食器を手に奥へと引っ込んだ。


「……」


 リシャルトはその小さな背中に会釈をして、窓際の木製の赤い椅子に腰かけた。岩壁を削って作られた内装だが、暖色の灯りや色鮮やかな家具や、花の刺繍が施された布に小物などで飾られているため、温かい雰囲気の店になっている。小さいながら食堂もやっているようで、老婆がいたのとは別にもうひとつカウンターが設けられている。テーブル席もあるが、客はいなかった。


「ヒカリゴケのお茶だ」


 老婆がカウンターの奥から出てきて新たなティーセットの乗った盆を運んでくると、リシャルトの座る席に置いた。


「わぁ! ありがとうございます!」


 三日ぶりの温かいお茶に目を輝かせるリシャルト。


「私はドリカだ。おまえの名は?」


 老婆——ドリカはリシャルトに尋ねた。


「僕はリシャルト。あの、ぜひ商品を見たいんですけど……。特に魔石……!」


 ティーカップを両手で握りしめ、リシャルトは目を輝かせる。


「おまえ、文無しじゃないか……。まぁ構わんが」


 ドリカがフンと鼻を鳴らすが、特に怒っているわけではないようだ。


「文無しのおまえに言う必要もないが、うちはびた一文と負からん。覚えておけ」


 その言葉は、この店を切り盛りするドリカが長年守ってきた決まり文句なのだろう。はしゃぎそうになるリシャルトの鼻先に指を突きつけ、ドリカは眉間に皺を寄せ、二藍色の瞳できつくリシャルトを睨んだ。


「はぃ……」


 凄まれた勢いに圧倒され、肩を縮こまらせるリシャルト。会話に混じると面倒そうなのでヘルトラウダは沈黙に徹していた。



 ティーポットにカバーを被せてから、ドリカは再びカウンターの奥へと消えていった。カウンターに備え付けられているガラスケースにも商品はあるのだが、中身は小刀や細工がされたナイフ、髪飾りや傷薬など、旅に必要であろう一般的なものしかない。


「坊主、来い」


 カウンターの奥からドリカの声がリシャルトを呼んだ。カップのお茶を飲み切るとリシャルトはいそいそとカウンターへ駆け寄る。ドリカが木箱にいくつか魔石を入れて戻ってきた。カウンターに木箱を置くと、黒い布をカウンターへ敷き、拡大鏡を置く。


「見るだけならタダだ。だが万が一妙な気を起こしたら、おまえの頭をこの鉄(かな)鎚(づち)が容赦なくかち割るだろう」


 さらりと放たれた物騒なドリカの言葉を聞いて、リシャルトは再び肩を縮こまらせて小さく返事をした。ドリカの腰には鈍く怪しく光る鉄槌が下げられている。

 ドリカの鋭い視線に見守られながら、リシャルトは木箱から一つ、握り拳よりも大きな木賊(とくさ)色の魔石を手に取った。見た目よりもずっしりと重い。身体強化魔法を増幅させる魔石だった。


(ほしいなぁ……! それに帝都に売っていたものよりもかなり良質だ)


 なかなか高品質の魔石と言うのは一般流通しないため、お目にかかる機会はない。拡大鏡を使ってじっくりとほかの魔石たちも見せてもらう。一般流通するものは品質に関わらず、リシャルトが今手にしているような大きさの魔石を細かく砕かれたものや、粉末にしたもの、あるいは服飾品や装飾品に加工されたものだ。


「それだけ興味を示すということは、おまえ魔法使いか」


 ドリカが夢中になって魔石を観察しているリシャルトの横顔に問いかける。


「はい、魔術がものすごく好きで……。今勉強中なんです」


 リシャルトはドリカの問いかけに答えるが、蘇芳色の瞳は魔石に夢中だった。


「なるほどな。間抜けだが賢そうな良い目をしている」


 ドリカが笑う。間抜けと言う言葉に少し傷付きながらも、リシャルトは次から次へと魔石を観察していった。体力増強に身代わりの魔石、魔力増強。ドリカが出してくれたのはどれも一級品の魔石ばかりだった。すべて観察し終えたリシャルトは礼を言った。ドリカは木箱に広げた道具も一式まとめると、店の奥へと引っ込んだ。壁に陳列されている剣や斧、兜などをしばらく見ていると、ドリカがまた木箱を持ってカウンターに戻ってきた。


「在庫処分だ」


 ドリカがそう言って木箱をカウンターに置くと、中から品物を取り出し、並べていく。


「魔術式付き薬瓶……、こいつは水を何らかの薬に無作為に変える代物だ。面白半分に入荷したがハズレが多すぎて売れ残った」


 コルクで栓をされた、携帯に便利な形の薬瓶だった。麻袋に六本入っている。袋に縫い付けられた札には「危険」と書かれていた。次に短刀、柄の部分がぐらつく不良品だった。そして鏃の錆びた矢が三本。消費期限がぎりぎりの傷薬と大型肉食植物の種が一つ。種は乾燥しきっており、外殻が脆くなっている。触媒としては使えない可能性が高かった。

 どれも確かに在庫処分の名に恥じない代物ばかりだったが、持たざる者のリシャルトは目を輝かせる。


「こんなにたくさん……! いいんですか⁉」


「薬瓶を作っていた工房は潰れて返品すらできないし、何より返品する手間のが惜しいからな」


 にやりとドリカが笑う。


「何人もの旅人や行商人を見送ってきた。目的を果たせず、帰ってこない奴らもたくさんいた。私は人を見る目が優れているんでね。……だからおまえにこのゴミの始末を頼むんだ」


 続けてそう言うと、ドリカはリシャルトに片目を閉じて笑ってみせた。


「目的を果たして来いよ、坊主」


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