第3章 参度目の死

 果樹のあった部屋を出てから小一時間、リシャルトとヘルトラウダはまるで炭鉱のような洞窟内を歩いていた。石畳が徐々に舗装されていない土へと変わり、天井の高さはまちまちの空間へ。今度の光源は、等間隔に立つ木の柱に吊るされたランタンだった。金属でできており、しっかりとした作りだったため、リシャルトはそれをひとつ拝借することにした。

 湿った土の匂いがリシャルトの肺を満たす。ときおり鼠が駆けていくのを見かけるので、空腹が限界に来たら鼠を焼こうか——などと考える。本当の本当に最悪の事態となったら、袋に先ほどの果実を二つずつ入れているが、出来れば避けたい選択である。

 一方でヘルトラウダは魔物の索敵と改竄者の気配に専念していた。この空間のどこに何があるのかは、無作為に構造が決まるため、ヘルトラウダに出来ることと言えば索敵役と改竄跡の特定、改竄をされていなければ各空間の説明ぐらいである。


「ここは△炭鉱だね。自動防衛機能によって本物よりずいぶんと変質させられているけれど」


「うん……、見聞きしたことがないね……」


 そんな会話をしたのが半時ほど前だった。ときどき立ち止まっては、土や小石を拾い、確かめるリシャルト。思っていたより改竄者の動きが鈍くて助かる、とヘルトラウダはそれを見て思った。

 リシャルトとヘルトラウダはさらに歩みを進める。特に話すこともないので、ヘルトラウダは引き続き索敵を、リシャルトは辺りをときおり観察しては「ふむ……」「おぉ……」「うーん」など、小さく声を上げながら歩いていた。

 それから二時間ほど歩き続けたリシャルトは、足元の土の音が変化してくのを感じていた。土に石片が増えてきたのだ。


「□地帯の地質だね」


「うーん……、見聞きしたことがない」


 リシャルトの言葉にヘルトラウダは「でも……」と続ける。


「この先……、改竄されてしまっているね」


「……」


 ヘルトラウダがさらに続けた言葉に、リシャルトは眉根を寄せた。念のため、と足元の鋭利そうな大きめの石を拾う。


「すまないけれど、この先の索敵はできない。妨害されている」


 ヘルトラウダは言った。しかし声音は変わらず穏やかなままだった。


「了解」


 リシャルトはいつでも身体強化魔法を掛けられるよう、覚悟を決めた。辺りを警戒しつつ通路を歩いていくと、暗い道の先にぼんやりと白い石階段が見えてきた。ほかに進めそうな道もない。リシャルトとヘルトラウダは階段をゆっくりと降りていった。

 緩やかに湾曲した階段を下りていくと、草のにおいが混じる乾いた空気に変わっていく。だんだんと辺りが明るくなっていき、壁や天井も白っぽい石に変わっている。炭鉱の壁から拝借したランタンの灯りは少し前に、中の油を温存するために消して、斜めがけの袋にぶら下げていた。階段を下りきると、先ほどから見かける白っぽい石を削り出して作られた石畳の大広間へと出た。苔むしていて、これまた別種の蔦や草が石畳の隙間からわずかに侵食している。


「み、水だ……!」


 リシャルトが眼鏡の奥の瞳を輝かせた。

 その大広間の突き当りの壁には、小さいが見事な意匠の噴水があった。すぐに駆け寄って飲み水を得たいところだが、リシャルトはぐっと堪える。片手に持った鋭利な石を握りしめ、もう一度白い石の大広間を見回した。

 朽ちた鎧、甲冑を纏った骸骨が何体か転がっている。苔むしていて白骨化しているが何より不吉なのが、ばらばらであったり、一部が潰れたように欠損していたりと、明らかに人間同士の肉弾戦で死んだものではないということだ。


「ヘルトラウダ、あの骸……。オーガの仕業かな」


 ヘルトラウダほどの察知能力はないが、辺りに敵の気配がないことを確認してから階段そばの柱に身を潜めてリシャルトは尋ねた。


「オーガだね」


 ヘルトラウダが答える。


「あまり当てにならないけれど、警戒は解かない方がいいだろう」


「……いや、当たってるよ」


 リシャルトがある一点を見つめる。

 白い石畳がひび割れ、湿った土が露出し、辺りの草がおおきくなぎ倒され潰れている。


「近くにいる」


 草などで苔むしていて分かりにくかったが、よく見ると大広間に立つ石柱や石壁がところどころ凹んでいるのが見て取れる。

 リシャルトの言葉通り、数十分後にはずしり——とした重たい足音が聞こえてきた。同時に獣臭。

 革や布で継ぎ接ぎにした腰蓑を纏い、大樹丸々一本から荒く削り出した棍棒を携え、リシャルトが潜む大広間へとオーガが現れた。崩れかけた入口に手をかけ、屈みながら入り込んできたオーガは、二度目のものより大きな個体だった。


「試したいことがあるんだけど」


 リシャルトがヘルトラウダにささやく。


「いいよ、試してごらん」


 何をするのかと尋ねることもせず、ヘルトラウダは栞を揺らして即答した。闇雲にリシャルトを歩き回らせ、改竄者を探させるよりはいいだろうと判断したのもあるが、なによりリシャルトは止めても聞かなかっただろう。現に今、彼は身体強化魔法のルーンを二重に詠唱しているところだった。


「よし」


 その声と同時にリシャルトは、オーガの前へと勢いよく飛び出した。その姿を認めたオーガが雄叫びを上げる。大きく開いた口に薄青色の果実がひとつ、剛速球で投擲され消えていった。果実を飲み下したオーガはそれを意にも介さず棍棒をリシャルトへと振り下ろすが、すでに彼の姿はそこにはない。空振りした棍棒は地面を強打し、瓦礫を辺りに巻き散らす。土と潰れた草の匂いが漂った。大きく崩れた石壁の一片に身を隠し、瓦礫の飛散をやり過ごすリシャルトは、棍棒の打撃を避けるついでに骸の戦士から拝借した剣を握りしめ、一緒に持ってきた鉄の兜を触媒にルーンを唱えた。


 物理強化、修復魔法のルーンである。白い燐光を纏った剣は当時の輝きと鋭さを取り戻し、触媒となった鉄兜は光の粒となって消えた。石壁の一片に向かって再び棍棒の打撃が襲うが、またもやリシャルトの姿はなく、瓦礫や土や草の破片が宙を舞う。すると、オーガがふらつき、棍棒を支えに膝をついた。果実の毒が回ってきたのだ。その隙を、リシャルトは見逃さなかった。身体強化魔法の掛かった彼の足が、全速力でオーガの背中に向かっている。リシャルトは背中の手前で大きく跳躍すると全体重をかけ、


「はっ!」


 修復した剣をオーガの脊髄の間を狙って深く突き刺した。しかし毒が回り痛覚を失ったオーガは声を上げず、ついには両膝をついてがっくりと項垂れている。しかしまだ敵意も意識もある。オーガの右手が伸びる前にリシャルトは剣を引き抜き、オーガの背中を蹴って距離を取り着地する。躓きかけるがすぐに体勢を整え、新たな隙を伺う。背中に付けた傷から黒っぽい血が噴き出していた。涎を垂らしながらオーガがゆっくりとこちらを振り返るが、その前にリシャルトは再びその隙を狙って地を蹴り、オーガの項に剣を深く突き立てていた。剣を引き抜き、もう一度距離を取って地面に着地するリシャルト。一気にオーガの動きが鈍くなる。数十秒後には、背中から大量の血を噴きながら地に伏すオーガの姿があった。


 濃い血の匂いと獣臭さがあたりに漂う。これ以上体力を消耗しないよう、身体強化魔法を手早く解いたリシャルトは大きなため息をついた。

リシャルトがオーガに苦戦したのは、それが本でしか読んだことのない存在だったからである。一度目はヘルトラウダの索敵が改竄によって妨害されている中での遭遇であった為、身体強化魔法や回復魔法が間に合わず死に至ってしまった。二回目はヘルトラウダの索敵があり入念に準備したものの、飛び散る瓦礫を避け切れず躓き、拳で殴りつけられたのちに奇襲をかけたが、失敗して死んでしまった。それも当然で、本に載っているオーガはただの脅威や悪いものの象徴として描かれているだけで、弱点や戦い方などについて記されたものがなかったからである。此度の戦闘でオーガを倒したリシャルトは、その弱点も動きもほぼ把握したため、よほど油断や怪我でもしていない限りは本人が言う通り、今後は余裕をもってオーガを倒すことが出来るだろう。

ヘルトラウダがゆっくりとリシャルトに近づいてくる。


「お疲れさま」


 ヘルトラウダの言葉にリシャルトが目を輝かせた。


「成功だー‼ これでオーガに出くわしてももう大丈夫だ。ちゃんと勝てる」


 ヘルトラウダに笑いかけながら噴水へと駆けていくリシャルト。

噴水がオーガの血で穢れたり、破壊されないよう気を配りながら戦っていたので、これで安心して飲み水の確保ができる。匂いを嗅ぎ、一滴舐め、真水であることを確認したリシャルトは革手袋を外すと、繊細な彫刻で表現された獅子の口から出る水を両掌に溜めた。充分溜まったところで口をつけ、ごくごくと喉を鳴らして飲み干す。よく冷え、ほんのりと甘みを感じさせるその水は、リシャルトの喉をようやくまともに潤していった。


「ぷはー……‼」


 満面の笑みでため息をつく。三度ほど水を飲むと、リシャルトは噴水に溜まる水で、顔を拭った麻の布を濯いだ。綺麗に濯いだ布を噴水の淵にかけると、リシャルトは嬉しそうに服を脱ぎ、布を使って清拭をし始めた。

 その様子を特に咎めることもなく、ただなんとなく裏表紙を向けると、ヘルトラウダは索敵に専念することにした。

 


 清拭を終えて少しばかり休息を取ったリシャルトたちは再び先を急いだ。オーガが入ってきた崩れかけの入り口を抜け、石畳の廊下を数百メートル先に見える出口へ向かって歩く。

白い陽光であふれる出口を抜けると、辺り一面に薄紅色をした腰ぐらいの背丈の花畑が広がっていた。数時間ぶりの自然光に、二日ぶりに目にする暮れかかった青空。花の香りと澄んだ外の空気に、リシャルトは思わず蘇芳色の目を細める。深く息を吸い込み、その空気を胸いっぱいに取り入れた。よく嗅ぐと、花の香りは甘い中に薬っぽさを感じる。標高が高い場所に出たのか、空気はひやりと冷たいのだが、日射しは強かった。

 リシャルトが一歩、花畑の中へ足を踏み出した時だった。


「リシャルト、避けて」


 穏やかな声音だが、ヘルトラウダはリシャルトの右肩に思い切り体当たりをかました。

高速で飛んできた真っ黒な矢が、リシャルトの右頬を掠めていった。

ヘルトラウダとともに花畑に倒れ込むリシャルト。事態を飲み込んだリシャルトはヘルトラウダを庇うように抱きかかえる。そして花畑の花を掴むと、それを触媒に身体強化魔法を咄嗟にかけた。すぐに走り出せるよう体を低く起こし、敵の気配を伺う。


「改竄者だ」


 ヘルトラウダの言葉に唾を飲むリシャルト。傷はつかなかったが、矢が掠った右頬がひりひりと痛む。


(——来た)


リシャルトは気配を察知し、ヘルトラウダを袋に押し込むと取り落とした剣を手に、身を低くしたまま一目散に駆けだした。それが無駄だとはわかっていた。

周辺の花畑が光の粒となって宙に散って消えていく。


「わ……ぐぅっ」


 リシャルトが呻く。握った剣が手を離れ、地面に落ちた。彼の体は黒い外套を纏った人物によって首を絞めあげられ、わずかに宙に浮いていた。あまりの苦しさにリシャルトはばたばたとつま先を地面に擦らせ、さらに無駄とはわかりつつも絞めあげてくるその腕を掴む。その顔を一目見まいと、リシャルトは苦し紛れに目を見開いた。目深に被った外套で隠され、何も伺うことはできなかったが、首を絞めあげる凄まじい膂力とは裏腹に随分と小柄なようだ。相手もこちらを観察しているのか、今以上に首を絞めあげてはこない。


「こ、ころ……さないで……」


 あえて懇願してみるリシャルト。外套の人物——改竄者もそれをわかっているようで、見逃す気はないと言わんばかりに首を絞める手により一層強く力を込めてくる。


「かっ……かは……っ」


 リシャルトの喉が閉まっていく。しかし視線は相手の外套の方に向けられたままだ。

(どうして自分を殺すのにこんなに時間をかけているのか)

 遠のく意識の中でリシャルトは逡巡する。

 すると改竄者はリシャルトの疑問を悟ったのか、リシャルトの体を引き寄せ、耳元で囁いた。


「きみと同じく、顔を見ておこうと思って」


「——」


 ごき——と、鈍く嫌な音が辺りに響いた。

息絶えたリシャルトの体が改竄者の手から雑に、花畑の中へと放り捨てられる。


「……」


 改竄者がこちらを一瞥しているのを、ヘルトラウダは袋の中で感じていた。

 しばらくすると、改竄者の気配は消えていた。

見逃されたのだな、とヘルトラウダは思った。

 花畑にはリシャルトの亡骸と、沈黙に徹するヘルトラウダが取り残された。



 花畑に捨てられたリシャルトの体から燐光が発せられたのは、改竄者がその場を去ってから数秒後だった。それは袋の中に納まっているヘルトラウダからも発せられている。

 リシャルトが魔導書ヘルトラウダの中に入る前に、ヘルトラウダはリシャルトに継続蘇生魔法をかけていた。死んだ直後に限られるが、蘇生魔法はかなりの高等魔術で、リシャルトの知る限りでは伝説のものとされており、それを使える魔術師は存在していない。

 魔導書内に入れば何らかの要因で確実に死ぬということを説明し、それを避けるために蘇生魔法をかけることを、リシャルトは自身の好奇心の赴くままに快く承諾した。現にリシャルトは二度、オーガによって死に、今回は改竄者に殺され、これで三度目の死を迎えたことになる。

 蘇生魔法で目覚めるときはその代償なのか、自身が身に着けているもの以外、この魔導書内で拾って所持しているものはすべて消滅し、全く違う地点で目覚める。リシャルトが死んでから目覚めるときは、今までとは全く違う場所で目覚め、拾ったものはすべて無くなり身軽になっているというわけだ。

 リシャルトの全身が、術者のヘルトラウダとともに光の粒となって消えていく。

やがて、日が暮れかけた花畑には、静寂のみが残された。

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