第3話 〝英雄〟の娘
「すごいよね、ラビィ! 南の草原ってラビィだらけに見えるけど本当は半分くらい残像なんじゃないかって、私、思ってるんだ!」
フェンの隣に座っているソフィが目をキラキラと輝かせて言った。ソフィはラビィが残像が残るほど素早い動きをすることを知っているらしい。
フェンよりも年下で、今朝までのフェンと同じように街の外に出たことなんてないはずなのに、だ。
でも、どうして知っているんだと不思議に思ったり、知ったかぶりでもしているんだろうと疑ったりはまったくしない。なにせソフィとフェンは短い人生のうち半分近い付き合いなのだから。
「半分くらいが残像って……なにそれ、こわい。本当ならこわいし本当にありそうだから余計にこわい」
目をキラキラかがやかせるソフィを見ているのは大好きなフェンだけど、半分くらいが残像という内容にはさすがにげんなりしてしまう。
「あんなすばしっこいの、どうやって倒せって言うんだろ。先生たちも無茶な宿題を出すよな。俺たちの心を折るのが目的なのかも」
「そんな意地悪な宿題出すかな。……出すかも」
学園で教鞭を振るう先生たちの顔を思い浮かべたのだろう。ソフィは首をかしげたあと、げんなりとした。
でも、それも一瞬のこと。
「でも、でも、でも! 街の外に出られるなんていいな! 一日中、ラビィを追いかけたり南の草原をあちこち散策してまわれるんだよね! いいな、いいなぁ!」
スプーンをにぎりしめてソフィはキラキラの目でフェンを見つめた。〝うらやましい! うらやましい!! うらやましい!!!〟と顔にびっちりと書いてある。
簡単だと思っていた宿題が思いの外、難しくてあせっている。ふわふわもふもふの真っ白なラビィをキャッキャウフフしながら追いかけている場合でもないし、のどかな草原をのんびりのんきに散歩している場合でもない。
でも、街の外に興味津々だけど許可がなければ街の外に出ることはできなくて、一度も出たことはないし、まだ十才でしばらく出られそうにもないソフィの気持ちもわかっている。
だから、フェンは言い返したりせずに苦笑いを浮かべるにとどめた。
「フェン、明日も宿題やりに行くんだよね? ラビィを捕まえに行くんだよね? リュック背負ってって。私、こっそり入ったりしないから。ちょっと重くても気にしないで連れてって!」
「連れてってって言っちゃってるよ、ソフィ」
南の草原にも街の外にも行きたくて行きたくてしかたがないソフィの本音がダダもれている。いつもなら困ったように微笑んで〝だめだよー。街の外は危険だから連れて行くわけにはいかないよー〟とねこなで声で言うフェンだけど、今日は苦笑いを引きつらせた。
「フェンがリュックを背負って出かけるようなら私が中身をきちんと確認します。この私がきちんと、徹底的に、完膚なきまでに調べます」
なにせマリが怖い顔でにらんでいるのだ。ソフィだけでなくフェンのことまでもにらんでいるのだ。
フェンからしたらとんだとばっちりである。
「なら、フェンの応援をしにちょっと塀まで!」
マリの怖い顔なんてなんのその。ソフィはあきらめない。
「大き目のリュックを背負ったフェンの応援をしに、でしょ。屋敷から見えないところでこっそりリュックに潜り込んで街の外に出る気なくせに」
「フェンが背負ってるリュックにフェンに気付かれずに潜り込めるわけないじゃん!」
「フェンがあなたのお願いを突っぱねられるわけないでしょ。惚れた弱みの見本市みたいな子なんですから」
「そんなことないよね、フェン! 私がリュックに潜り込もうとしたらさすがのフェンでも止めるよね!」
「さすがのフェンでもって……」
「いいえ、フェンはフェンです。あなたのお兄様たちと同じ。なんだかんだ言ったって最後にはあなたのお願いを叶えてしまうんです。バレバレのうそを見て見ぬふりをしてしまうんです。そういう子です!」
「ソフィも、マリも……もう、それ以上は……」
ソフィとマリにはさまれてフェンは両手で顔をおおって小さくなった。南の草原で草むらに隠れている魔物に気付かずに踏みそうになって噛まれたときよりもよっぽど痛いし傷も深い。
本当にとんだとばっちりだ。とんでもないとばっちりだ。
「とにかく! フェンの宿題が終わって南の草原に行く必要がなくなるまであなたはお部屋で勉強です。一歩たりともこの屋敷からは出しません!」
「えぇ~!」
「宿題がたくさん出ているんでしょう? さっさと終わらせてしまってラビィを捕まえてきたフェンと残りの夏休みを一日中、遊びまわったらいいじゃないですか」
「……」
腰に手をあててソフィをにらみつけるマリが何の気なしに言った言葉にフェンは明後日の方向を見た。
ラビィの残像を剣で突き刺し、ラビィの残像を一番速度の速い雷魔法で貫き、はるか遠くに現れたラビィ本体に分身の術張りの反復横跳びを見せつけられて挑発され。正直、今日一日でフェンの心はすっかり折れていた。
「あーあ、考えた罠がラビィに使えるか試してみたかったのになー」
ポッキリ折れてる胸を押さえて乾いた声で笑っていたフェンはソフィの言葉に目を丸くして顔をあげた。
「……罠?」
「うん、罠」
「あのすばしっこいラビィを罠で捕まえるの?」
「うん! 三十二番目のお兄様が見せてくれた本に載ってた罠も試してみたいんだ。ラビィにかぎらず小型の魔物や動物を捕まえる罠!」
フェンではなく宙を見つめてソフィはキラキラと目を輝かせている。三十二番目の兄が見せてくれたという本のページを思い浮かべているのだろう。幼なじみの横顔を見つめてフェンは目を丸くしたまま、イスの背もたれにドサリと体を預けた。
剣や魔法でラビィを倒すことばかり考えていた。でも、先生たちは〝剣や魔法でラビィを倒してこい〟とは言わなかった。ただ〝ラビィを捕らえてこい、生死は問わない〟とだけ言ったのだ。
――罠かぁ!
天井を仰ぎ見て絶叫したいのを必死に堪えてフェンはどうにかこうにか何食わぬ顔を作るとスープを口に運んだ。夕飯が終わったらすぐにでもその三十二番目の兄が見せたという本を探しにいこうと心に決めて。
ソフィに聞けばどの本か教えてくれるだろうけどそこはプライドがある。年上としてのプライド。男としてのプライド。好きな子の前でカッコつけたいというプライドだ。
ヒントをもらってしまった時点でちょっとプライドは傷ついているけれど、まだ十分に挽回できる。なにせソフィは街の外に興味津々で、街の外に生息する魔物や動植物に興味津々なのだ。
フェンがラビィを捕まえてきたら喜ぶだろうし、宿題を提出する夏休み明けまでいっしょにラビィを世話してほしいとお願いすれば大喜びでうなずいてくれるだろう。
――今夜中に罠の仕掛け方を調べて明日こそはラビィを捕まえるぞ!
拳をにぎりしめる代わりにスプーンをにぎりしめたフェンは――。
「そうだ、フェン! それなら私が考えた罠をフェンが試してきてよ!」
「ソフィが考えた、罠?」
目をキラキラさせて身を乗り出すソフィにまたもや目を丸くした。
「ラビィの写真を見て、いろいろと気になって、調べてるうちに思いついた罠なんだ!」
「ラビィの写真を見て?」
首を傾げるフェンよりも年下で、街の外に出たことなんてないはずのソフィがどうして街の外にいるラビィに興味を持つのか。どうやって知ることができるのか。
「ラビィの写真を見て、ですか」
ため息をつくマリと同じように街の外は危険で、だからこそ安心安全な街から出ずに一生を終えたいと思わないのか。
その理由は今は亡きソフィの父親が幼いソフィに語った冒険譚。
人類史上初めてにして唯一、魔王を倒した〝英雄〟キット・S・クック。その〝英雄〟自身が語る実体験一〇〇パーセントの冒険譚は幼いソフィの心をすっかり奪い、安心安全な街の中から危険だけど気になってしかたがない街の外へと連れ去ってしまった。
それでも許可がなければ街の外に出ることはできなくて、一度も出たことはないし、まだ十才でしばらく出られそうにないソフィがどうやって街の外のことを知ることができるのか。
その理由は優秀な冒険者にして、〝英雄〟の息子にして、ソフィの腹違いの兄たち。
「そう! 四十三番目のお兄様が撮ってきてくれたラビィの写真を見て思い付いたんだ!」
優秀な冒険者にして、〝英雄〟の息子にして、ソフィの腹違いの、一〇八人いる重度のシスコンの兄たちによってもたらされた情報により、街の外の様々なことをソフィは知ることができるのだ。
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