第2話 東のはずれの街のトクトコの実

「三番目のお兄様がね、東のはずれにある街から帰ってきたときに話してくれたんだ。街周辺の森に生えているトクトコの木は春の終わりに真っ赤な実をつける。とってもきれいな赤くてまん丸の実。ひどいえぐみで人間はもちろん、魔物も動物も鳥も食べないからいつまでもきれいなまま残ってるんだって」


「……」


 お風呂に入って汚れを落とし、こざっぱりしたフェンはソフィがそうやって話をするあいだも黙り込んでいる。疲れて石床に引っくり返っていたところにいきなりこの世のものとは思えないえぐみの謎の液体を流し込まれたもんだから怒っている……というわけではない。


「で、その東のはずれの街には夏になると南の方からギンノサシバっていう渡り鳥が飛んでくる。どんな魔物も動物も鳥も食べないトクトコの実だけどこのギンノサシバだけは食べるんだ。それも南の方から渡ってきて東のはずれの街にたどり着いたその日、たった一口だけ。そのあとは絶対に口にしない」


「……」


 フェンの口にはこの世のものとは思えないえぐみを消すために、これまたこの世のものとは思えない甘さの大粒のあめ玉が放り込んであるのだ。口を開いて外気を取り込むととたんにあめ玉の甘さが逃げて謎の液体のえぐみが戻ってきてしまうのだ。


「どうしてたどり着いた日にたった一口だけなんだろうって私、気になって気になって! それで十二番目のお兄様が東のはずれの街に行くって言うからトクトコの実をおみやげにお願いしたんだ!」


「……」


 悪びれたようすもなく目をキラキラと輝かせて早口でまくしたてるソフィにフェンはうんうんと微笑んでうなずく。話の行きつく先は大体わかったし、自分が何をされたのかも大体わかった。それでもフェンは微笑んでうなずく。

 短い人生のうち半分近い付き合いなのだ。年下の幼なじみがこういう性格なことはわかっていた。


「私の仮説はこう。ギンノサシバは長い長ーーーい距離と時間、南の方から東のはずれの街まで飛び続けてきた。たどり着く頃には満身創痍、疲労困憊。でも、東のはずれの街周辺には俊敏で木登りが得意な肉食の魔物や動物がたくさん生息している。そこでトクトコの実!」


「……」


 そう言ってソフィがジャジャーン! とフェンに見せつけたのはとろりと赤茶色の液体が入ったビン。石床に引っくり返っていたフェンの口にとろりと垂らした赤茶色の液体が入ったビンだ。

 話の流れから自分が飲まされたのはソフィの十二番目の兄がおみやげとして持ち帰ったトクトコの実をしぼるなりすりつぶすなりしてジュース状にしたものなのだろう。そう察してフェンはまたもや黙ってうなずく。


「えぐみが強烈でできれば食べるのを避けたいけれど回復効果は抜群! だから肉食の魔物や動物に襲われても逃げられるように渡り終えた直後にたった一度だけ、満身創痍、疲労困憊の体をどうにかするためにギンノサシバはトクトコの実を口にする!」


「……」


 なるほど、なるほどとフェンはやっぱり無言でうなずく。

 たしかに効果は抜群だ。石床から起き上がれないほどに、まぶたを開けることすらできないほどに疲れ切っていた体は一晩熟睡したあとのように元気になった。

 ただ――。


「何の説明もなく謎の液体を口の中に流し込むのは心臓に悪いですし危険が過ぎますよ、ソフィ」


 夕食を運んできたマリのお小言にフェンはやっぱり無言で深々とうなずき、ソフィは唇をとがらせた。


「フェンに飲ませる前にちゃんと自分で試したもの。まずは一口飲んでお腹を壊したりしないか確かめて、そのあとは二時間走ってから飲んで回復効果も確かめて……!」


「自分で試すのもやめるようにと言ったはずですよ。口に入れるのは本に書かれていて、安全が保障されているものだけにしなさい。前に腐ったアマギネの実を食べて何日も高熱と腹痛で苦しんだのは誰ですか!」


 一年前のソフィである。


「あぶら汗をかいて熱にうなされて、お医者さまからはもしもの覚悟もしておけなんて言われて……生きた心地がしませんでしたよ! あなたは私を心労で殺すつもりですか」


「熱は出るしお腹は痛いしで大変だったけど、おかげでモモイロバネドリの羽を使えばアマギネの実が腐って毒性を持ったかどうか調べられるってはっきりしたよ!」


「あなたは私を心労で殺すつもりなんですね?」


「フェンのおかげでトクトコの実の疲労回復効果は私の思い込みでも、私固有の効果でもないって証明されたし。ありがとうね、フェン!」


 マリの切実な説教をことごとく無視し、にっこにこのソフィを前にフェンは小さくなったあめ玉をこくりと飲み込んだ。息を吸って、吐いて……口の中にこの世のものとは思えないえぐみが戻ってこないことを確認してようやく口を開く。


「……どういたしまして?」


 疑問形なのはソフィの背後でマリがジトリとフェンをにらみつけているからだ。


 ――何がどういたしまして、ですか。

 ――あなたもお兄様たちもそろいもそろってこの子に甘いんだから!


 乳母兼メイド長として、ソフィの性格に昔から手を焼いているのだ。

 マリの冷ややかな視線に引きつった笑みを浮かべてフェンが目をそらす。それを見てため息を一つ。


「夏休みの宿題をやるために南の草原に行ったんでしたよね。たしかラビィを捕まえるって。……そんなに大変な宿題なんですか?」


 料理の皿を並び終えたマリが〝めしあがれ〟と目配せした。スプーンを手に取り温かな野菜スープを口に運ぶとフェンの口からほーっと息がもれる。

 好奇心旺盛なソフィのせいでピリピリすることもあるけれど、マリは基本的に温かくて優しい。それこそこの野菜スープのように。


「……うん、思っていたより大変そう」


「あらあら、まあまあ」


 二口目のスープを口に運びながらフェンはため息をついた。


 四十代に入ろうかというマリだが街の外に出たことはない。多くの人がそうであるように街の外は危険で、だからこそ安心安全な街から出ずに一生を終えたいと思っている。

 ラビィという弱い魔物が街のすぐ外の草原に生息していることは知っていても実際の姿を見たことはないし、生態についてもほとんど知らないし、知る必要も感じていないのだ。

 まぁ、ラビィの生態について知らないのは今日、初めて街の外に出たフェンも同じなのだけれど。


「あんなにラビィがすばしっこいなんて知らなかったよ」


「フェンが捕まえられないほどにラビィはすばしっこいんですか。弱くても魔物なんですねぇ」


 わからないなりになぐさめようとマリはうなだれるフェンの背中をなでた。

 と――。


「すごいよね、ラビィ! 南の草原ってラビィだらけに見えるけど本当は半分くらい残像なんじゃないかって、私、思ってるんだ!」


 フェンの隣に座っているソフィが目をキラキラと輝かせて言ったのだった。

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