第4話 南の草原の……モグラ塚?
「そう! 四十三番目のお兄様が撮ってきてくれたラビィの写真を見て思い付いたんだ!」
キラキラと目を輝かせてそう言うソフィをフェンもマリも生暖かい微笑みで見つめた。その写真ならフェンもマリも散々にソフィから見せられた。
その写真はソフィにとってはラビィの写真だけど、撮ってきた四十三番目の兄からするとラビィの写真ではない。
写真を撮るための魔道具はまだまだ高い。王都に小さな一軒家が買えるくらいのお値段がする。ガラス板に薬剤を塗って被写体を絵として焼き付けるのだけど、ガラスだから割れやすいし劇薬を含む何種類かの薬剤を撮影する直前に調合しないといけないしで使い勝手が悪い。
その高くて使い勝手が悪い魔道具を四十三番目の兄が購入し、武器やら食料やら回復薬やらと共にその魔道具を馬車に乗せて運び、ことあるごとに歩みを止め、同じチームの冒険者たちからひんしゅくを買いながらも写真を撮りまくってきた理由はただ一つ。
街の外に興味津々な末の妹の気を引き、なおかつ冒険者である自分の勇姿を見せつけたいがためである。
そんなわけで写真の中心に映っているのはいつでも四十三番目の兄なのだけど――。
「あのラビィの写真、高くジャンプして前足をそろえて着地しようとしてたでしょ? 何かに飛びかかろうとしてるみたいに見えるなって。何に飛びかかろうとしてるんだろうなって私、気になって気になって……!」
写真の八割を占める兄よりもその後ろに小さく小さーーーく写っているラビィの方がソフィの心の十割を占めているらしい。
「それでね、授業が終わったあとに南の塀に行ってすきまからラビィを観察してみたんだ!」
「もしかして夏休み前の一か月ほど帰りが遅かったのはそのせいですか。植木の中に潜り込んで、塀に額を押し付けて。あなた、暗くなるまでずーっとそうしてたでしょ!?」
「……すきま?」
「小さなすきまだったけどたくさんのラビィが見えたよ!」
「学園でイジメにでもあってるんじゃないかって買い物に行くたびに街の人たちから心配されたんですよ! あなたのことだから何か気になることでもあってまた奇行に走ってるんだろうとは思ってましたけどやっぱりそういうことだったんですね!」
「塀にすきまってそれ、ヒビだよね? どこかに連絡して直してもらわないと……」
「でも、もしかしたら、万が一……って心配したんですよ、私は!」
「でね、一か月、ラビィを観察してみてわかったんだけど……!」
「一か月、観察してラビィのことがわかるなら私や街の人たちのことも一か月くらい観察してもらえませんか、ソフィ」
「ねえ、連絡しないとまずいんじゃ……」
「南の草原では写真みたいにジャンプしてるラビィがしょっちゅう見られるんだ!」
「私や街の人たちに心配をかけたということをわかってもらえませんかね、ソフィ!」
「具体的に言うと塀のすきまから見える範囲で三十分のあいだに平均して十五匹のラビィが確認できて、そのうちの四匹が計十二回、ジャンプを披露してくれるっていう感じ!」
誰も彼もてんでバラバラに話していて噛み合いそうにない。真っ先にあきらめて口をつぐんだのはフェンだった。塀のヒビかもしれないすきまのことはあとでゆっくり誰かに相談しようと心に決めて生暖かい微笑みを浮かべた。
「みんなにものすごーーーく心配をかけたということをですね……!」
「何かに飛びかかっているみたいって写真を見たときにも思ったけど本当にそう! 気配を探るみたいに一点を見つめて、大きな耳もそちらに向けて!」
「おもらしソフィちゃん♪ 八才までおもらししてたのはどこのどちらのソフィちゃん♪」
「耳がピクリと動くのと同時に高く飛んで二メートルくらい先にいる何かに飛びかかるの。まるでキツネがネズミを捕らえるときみたい!」
「……」
耳に入っていれば顔を真っ赤にして怒るだろうマリの言葉に、しかし、ソフィはまったく反応しない。早口でまくし立て続けている。
ようやくマリもあきらめたらしい。額を手で押さえてため息をつくとソフィの前に置かれたスプーンやフォーク、ナイフを片付け始めた。
まだ料理が残っているけれど片付けなければならない。マリを手伝うためにフェンも手に持っていたスプーンをテーブルに置いた。
「あんなに集中して、じーっと見つめて、耳をピンと立てて。一体、ラビィは何を見つけて何がしたくて飛びかかったんだろうってもう、私! 気になって気になって!」
「うんうん、気になったんだね」
「はいはい、気になったんですね」
すっかりテンションのあがりきってしまったソフィがバシーーーン! といきおいよくテーブルを叩いたのはフェンとマリが完璧な連携でサラダのお皿にスープのお皿、パンのお皿にメインディッシュの肉が乗ったお皿をソフィの前から撤去した直後だった。
普段のソフィは人の話をきちんと聞く少女だ。人の話が耳に入らなくなったときは好奇心が向いた対象についてと、好奇心のままに観察した結果と、観察した結果から導き出された仮説をしゃべりたくて仕方がないとき。
そういうときは人の話も耳に入らなくなるし、テーブルの上に並んだお皿やフォークも目に入らなくなる。何度もお皿を割り、手をフォークに刺し、フェンもマリも学んだのだ。ソフィに気を付けてもらうよりも食器類を片付けた方が早いと。
「それでね、塀のすきまから観察してるときにちょうど帰ってきた五十六番目のお兄様にお願いしてラビィが飛びかかってた場所を見てきてもらったんだ! そうしたらモグラ塚みたいなのがあったって!」
「モグラ塚?」
モグラ塚というのはモグラが通り道を掘るために邪魔になった土を地上に押し出してできる盛り土のことだ。なら、ラビィが狙っていたのはモグラだったのだろうか。
フェンとマリがそろって首をかしげるのなんて見もせずにソフィは目をキラキラ、テーブルをバシンバシンと叩く。
「でも、ラビィは肉食じゃない。草食のはず! 土の下から物音がして気になって捕まえたとか、モグラにイタズラしようとしたっていうのは考えられなくもないけど食べたりはしない。でも、モグラ塚に飛びかかったあとのラビィは何かを食べてた。捕食者が近くにいないか顔をあげてあたりを警戒するんだけど、そのときに口をもごもごさせてた。もしかして、ラビィは草食じゃなくて実は肉食か雑食なのかなって私、気になって気になって!」
「うんうん、気になったんだね」
「はいはい、気になったんですね」
フェンとマリが片付けて安全を確保したテーブルをバシンバシンと叩き、大きな身振り手振りでソフィはまくし立て続ける。身振り手振りに大して意味はない。しゃべるだけでは発散が追い付かない興奮を身振り手振りで発散しているだけだ。
そんなわけで謎の舞いになりつつあるソフィの身振り手振りを生暖かい目で見守りながらフェンとマリはうんうんとうなずく。
「帰ってからも気になって気になってそわそわしてたら六十四番目のお兄様が次の日、南の草原に用があるって! それで五十六番目のお兄様がモグラ塚みたいって言ってた場所をちょっとだけ。お仕事があるからほんのちょーっとだけ掘ってきてもらったの! ほんの縦、横、深さ七十センチほど!」
ソフィの言葉にフェンもマリも生暖かい微笑みのまま、うんうんとうなずき続ける。
魔王城の魔族討伐を依頼されるほどの冒険者である六十四番目の兄にのどかーな南の草原で足さなきゃいけない用なんてあるわけがない。せいぜい立ち小便するくらいしかないだろう。
それでも〝用がある〟なんて言ったのはソフィが南の草原のモグラ塚が気になってそわそわしていたからだ。かわいい末の妹の気を引きたいがためだ。ただの重度のシスコンなだけだ。
「それでね、六十四番目のお兄様に掘ってもらった結果、出てきたのがフキウキウキノトウ!」
「フキ、ウキ……ウキノトウ?」
聞きなじみのない単語にフェンはきょとんとする。マリの方は知っているらしく〝あぁ、フキウキウキノトウ!〟と明るい声でくり返した。
「ほんのり苦みのある野草ですよ、フェン。塩コショウして炒めるだけでとっても美味しいんです。奥様……ソフィのお母様も私も大好物です」
「多分、きっと、ラビィも大好物!」
「大人の味なのでソフィとフェンに出すのはもう少し先、と思っていたんですが……今度、食べてみますか?」
「う、うーん……」
苦みがあると言われてフェンはあいまいな笑みを浮かべた。
甘いあめ玉と温かな野菜スープのおかげでずいぶんと消えたけど、口の中にはまだほんのちょっとだけトクトコの実のこの世のものとは思えないえぐみが残っている。しばらく苦みのあるもの、大人の味にはチャレンジしたくなかった。
「食べてみたい! フキウキウキノトウ、食べてみたい!」
ためらうフェンをよそにソフィは真剣な表情で力一杯、手をあげる。自分の口に合うかどうかよりもラビィがどんなものを食べているのか、どんな味なのかの好奇心の方が勝っているのだ。
わかりました、というように微笑んでうなずいたマリだったけど――。
「あら? でも、フキウキウキノトウは南の草原の先にある森の、さらにその先。紫の丘まで採りに行くって聞きましたけど」
そう言って首をかしげた。
「そう! そうなんだよ!」
マリの言葉を聞いた瞬間、ソフィは待ってました! とばかりに叫んで一段と目を輝かせたのだった。
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