第3話

 チカチカと光っては消える子供部屋の照明が一転、静かに消えて宵闇がまた場を支配する。


「何なの、何だってのよぉ、もう……!」


 郡山は声を荒げて、迫りくる恐怖に抗うために強く自分を保とうとしている。

 ポルターガイスト現象が収まり、静寂とした時間が戻ってくるが、それは嵐の前の静けさだ。


『みーつき』


 声。

 少女の声。

 人懐こくて可憐な声だけが響いてくる。


『やあ、みつき、聴こえてるかーい?』


 呼びかけてくる。

 忘れもしない、この幼い声は他ならぬ彼女、小屋敷クローリクのものだ。

 三月はどこから聴こえてくるのかと周囲を見回すが、それらしい人影はなかった。


『ここ、こっちこっち』


「どこだ、どこにいるんだクローリク!」


 声はすぐ近くから聴こえるが、所在がわからない。


「これ、に、人形が……喋ってる!?」


 引きつり声をあげる郡山。

 彼女が右手に握った合鍵に吊り下がっている、ネズミのミニチュアドール。


 愛くるしい動物の人形さん。

 異変の正体。

 それは目に見えて一目瞭然なほどに“かわいい”形をしていた。


『ちいさくなって新発売~♪ 復活のクローリクでござんす』


 銀髪碧眼の女子小学生がまんまるおみみににょろりとした尻尾を生やして、ネズミさん人形に“すりかわっている”とでもいうべきか。


 憑依、あるいはコスプレ。

 ミニチュアドールのファンシーな特徴を衣装にしたちっさなちっさな亡霊少女がここにいる。


 1/12スケールに統一されたドールハウス用の人形と同じ大きさになってしまった小屋敷クローリクはボールチェーンでぷらんぷらんと合鍵から吊り下がったまま、手足をぱたぱた、アピールする。


 ここまでの怪奇現象が演出してきた怖さがまるっと吹き飛ぶほどに“可愛い”が溢れている。


『……おや、サプライズが過剰だったかな?』


 そして何より突然すぎた。


 三年前に死別したはずの三月の初恋の少女、小屋敷クローリク。


 三回忌に出席して冥福を祈って香典に一万円捧げてきたばかりの故人、小屋敷クローリク。


 三年後にもまだ忘れず引きずっているだろう永遠の少女、小屋敷クローリク。


 彼女は今、三月の守り通してきた悲劇の物語を足蹴にしながら楽しげに黄泉帰ってきたのだ。


『ふふっ、驚きすぎて高校入学前におもらしは困るよ』


 三月の感情処理能力の限界は軽々とぶちぬかれている。


(か、軽い……)


 ノリが軽い。ペラッペラに軽い。だけどそこが疑いようもなくこの不可解で面妖な人形に小屋敷クローリクの魂が宿り、動いているということを痛感させてくる。


「……郡山、鍵、渡してくれ」


「い、いわ、言われなくても!」


 あまりの出来事に硬直していた郡山は時限爆弾でも渡すように慎重にビビりつつ合鍵をよこす。

 ネズミ人形のクローリクはちょこんと掌の上に立つ。


 1/12のミニチュアスケールの人形はやけに軽くて、幽霊なのに触れることができる。人肌の温もりや匂いはせず、人形なのだから鼓動もない。

 これは“生き返った”わけではないのだと三月は直に触れることでようやく実感した。


 それでも、今、ここに彼女がいるのだとも実感できた。

 目頭が熱くなる。感極まり、三月は涙をこぼした。ぽろぽろとこぼした。


「ごめん、ちょっと泣く」


『泣いてからおっしゃる、やれやれだね』


 ぽた、ぽたり。

 こぼれた涙の雫がぴちょんとクローリク人形の頭に落ちて「冷たっ!」とうめいた。


『ピンポンパンポーン。感動の再会は雨天決行することをお伝えいたしますです』


「茶化すなよ、ああ、もう」


『これだけ濡れ鼠にしておいてよく言うよ、みつきってば』


 澄まし顔で饒舌に冗談めかすクローリク。


 ――信じられない。


 しかし三月はこれが現実の出来事だと信じたくてしょうがなかった。どんな形であれ、またクローリクと言葉をかわすことができているのだから。


 三月は今、それだけで感無量で、なぜ、どうしてという疑問を抱く気にもなれなかった。


『わたしが亡くなった後もずっと大事にしてくれてたんだね、この人形』


「当たり前だろ、お前の形見だぞ!」


『ありがとーみつき、おかげさまで、こうして“なぜか”ミニチュアドールに乗り移って再会してしまったわけだけど……うーん、どーゆーことだろうね、これ』


 クローリクはネズミの尻尾をくねくねさせ、両腕を組んで悩ましげに考えるポーズをとって。


『わたしは今、混乱チューのてんてこマウスです』


 そう愛嬌たっぷりに言ってのけた。


「そんなことはどうだっていい! 俺は……!」


『落ち着こう、ほら、いいこいいこ。今こうして会話できているからといって、原因も理由もわかんないとこの不思議な現象が“いつ終わるか”もわからないんだよ。あの時みたいに、さ」


「……わかった」


 クローリクに説得されて、三月は少し冷静になろうと目元を拭い、深呼吸をした。


 ――あの時――。


 クローリクが亡くなった時、それは前触れも心の準備もなく、流行り病という形で不意に訪れた。


 人間、いつかは死ぬ。

 交通事故、殺人事件、不治の病――。


 病弱なクローリクは長生きしないだろうと出逢った当初から理解していたつもりでも、まさか中学校への進級を控えた春休みに亡くなるとは思ってもみなかった。完全な不意打ちだ。


 あんな風に、また前触れもなくクローリクの“終わり”が再来するのは――絶対にイヤだ。

 そうしてようやく三月は“現在”について考えることをはじめた。


「ね、ねえ、本当にクローリクなの……?」


 郡山はまだ現状を恐怖すべき怪奇現象としてみてるのか、ちいさな人形のクローリクを怖がる。


『うー』


「う、うー?」


『がおー!』


「ぴゃぁぁぁ!!」


 ちっさなネズミさんの咆哮にも関わらず、郡山は後ろによろけてベッドにストンと腰を落とした。


「害獣! 殺鼠剤! 早く!!」


日愛ひあちゃん、ホラーは苦手なのは昔のままなご様子で。小三の時、神社の肝試しで……』


「殺す! 十字架! 早く!!」


『くふふっ、その調子その調子! ほら、もう怖くないでしょ?』


「え、あ、うん、そう……かも。いや、そうだね、うん、そういうことにする!」


 手玉にとられていた郡山は心細いのか枕を抱きかかえたまま、そう怒鳴って返す。


(郡山……ひあちゃん、って呼ばれたのか)


 小屋敷クローリクと郡山日愛。

 ふたりはいとこの間柄で一定の親交があるらしい。世間が夏休みなど長期休暇に入ると決まってクローリクの一家は田舎へ帰省していたので、両者の交流はそのタイミングごとにだろう。


 であれば、小学四年生から三年間の交流がある三月よりずっと早く出逢っているが、物心ついてからいっしょに過ごした時間はずっと三月の方が長いはずだ。

 ――等と、ふたりの親しげなやりとりについ三月は対抗心を燃やしてしまう。


「殺鼠剤と十字架はまだなの!? 遅すぎ!」


「本気で欲しがってたのかよ!」


「どうみても呪いの人形だし! このまま死にたいの!? あの世へ道連れにしてくるわよ!!」


 一考する三月。

 長い沈黙、そして結論が出る。


「……あ、いいな、それ」


「はぁ!?」


「もし本当にクローリクがそう望んでるとしたら、俺は本望だ。喜んでいっしょに死んでやる」


「リクが本気でそんなこと言うわけないじゃん! 解像度が低い! バカなの!?」


 郡山は吠える。殺気立って吠える。

 今しがた自分で言ってのけたことを真っ向から否定する支離滅裂ぶりに三月はあ然とした。

 同時に、三月の想定以上に秘めたクローリクへの強い感情の発露にも驚かされた。


「はぁはぁ……。ごめん、つい。うん、わかってる、わかってるんだけど」


「ホラーは苦手、なんだっけ。誰にでも苦手はある、今のはクローリクに問題アリだよ」


『はい、以後チュー意しまうす』


 クローリクは澄まし顔でボケてごまかしてくる。いざ喋らせると銀髪碧眼の洋館の亡霊少女という神秘性が台無しになるが、それでこそ我が愛しのクローリクだと三月は嬉しくもあった。


「君さ、意外と全肯定ってわけじゃないだね、クローリクの言うこと」


「当然だ、崇拝や信仰してるわけじゃない」


「そっか、そーなんだ。……とにかく、この人形にクローリクが乗り移ってる、それが本物だってことは認めてもいいけどさ。リク、有栖川くん、この怪奇現象が何なのか真相解明したいってことでいいんだよね。関わるのは怖いんだけど、その、原因不明のまま放置するのはもっとイヤだしさ」


 郡山は自らのおまもり代わりになっている、もう一体のウサギのドールを握りしめている。


 察するに、クローリクが渡した品だ。それを彼女は「怖いこと」があるたびに大事そうに手にする様子を見るに、もしや神社の肝試しで泣いてしまった郡山日愛を慰めるべく、おまもり代わりに当時のクローリクが手渡した品なのかもしれない。


「……悪い、今更なんだけど、謝っておくよ、郡山さん」


「え、なに、何のこと」


「俺の考えてた以上に、あの時、寝て起きたら俺がここに居たってシチュエーション、ホラー映画みたいで怖かったんだな。それでおまもり代わりにウサギさんを大事そうに握ってたんだな……」


「こっちこそ、なんかごめん」


 郡山も軽く頭を下げてくれた。ひとつわだかまりが解けたのはよかったが、少し気まずい空気だ。


『あ、こっちも動く』


 不意にクローリクの声がしたのは三月の掌の上、ネズミの人形からではない。

 郡山の掌の中に握られている、ウサギの人形からだ。


 おそるおそる郡山が指を開いてみると、そこにはネズミと同じく、1/12スケールのウサギの動物人形に憑依した銀髪碧眼の亡霊少女クローリクの姿があった。


 それもネズミの人形と同時に、並行して、どちらもクローリクの姿かたちなのだ。


「増えたっ!?」


「きゃうあああ!?」


 刹那、大事そうにこれまで握ってきたウサギさん人形を郡山は全力投球で投げ捨ててしまった。


『わわっ!?』


「おい!?」


「はっ、つい」


 壁に激突するウサギさん人形。その衝撃で、ポロッと。

 小屋敷クローリクの首がもげた。


「し、死ぬなぁぁぁぁぁーっ!?」


「いやぁぁぁぁぁぁーー!!」


 地面に力なく転がる、ウサミミ首だけクローリク。

 小屋敷クローリクの二度目の死はあまりにも早すぎた。


『みんな……仲良く、ね』


 それがウサミミ首だけクローリクの最期の言葉だった――。


 (※おもちゃを乱暴に扱ってはいけません。よい子は絶対真似しないように)

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