第十四話「白虎ときつね」

 サコンと協力してどうにか背負子ごと屋上へ登ると、そこには――。


「ぴゃああああーーーーっ!? なーんでこーなるのー!?」


 全速力で。

 持てる力の限りを尽くして、逃げ惑っている奥方の情けない姿があった。

 否、しかしそれはむしろ偉業でもあった。

 七本の変幻自在に伸び縮みする霊竜の首を相手取って、未だ健在なのだ。


「ウコンは! ウコンはまだなのー!?」


 奥方は竜魔刀「鬼切真夜綱」の切っ先を目標にかざして、他の建物の屋根瓦や飾りに向けて虎綱を射出して結びつける。そして虎綱を巻取ることで自分を引き寄せることで空中移動、自分の走行速度を遥かに越える機動力を発揮していた。


 いっそウコンより忍者に向いているのでは、と思えるほど見事な逃げっぷりである。

 しかも逃走を追撃しようとすれば他に対する対処が手薄になるので、ゲンパチ達ら侍衆がすかざず竜魔の脚を斬りつけ、小さいながらも傷つけていく。


 では先んじて侍衆を始末しようと動けば、今度は鬱陶しいことに奥方が妨害してくる、という戦いの構図のようだ。

 もっとも、時間稼ぎがせいぜい、依然として不利なのはこちら側だ。


(あれだけ聴こえていた侍達の勇む声が、ほとんど聴こえない……)


 直視したくはないが、侍衆の被害は甚大だ。竜魔の端くれも大半が倒れ、双方あわせて立っているのは開戦当初の三分の一がいいところだろう。

 あとはもう、奥方の一策次第――。


「奥方様、例の品を調達して参りました!」


「ああ、待ち望んでた天ぷら油! でかしました! ウコン、忍術で菜種油を“強化”できる?」


「可能ですが、まさか火計を? あの動きまわる巨体を燃やすのは……」


 城塞攻略に火攻めは古来、有用だとされる。

 しかし動く要塞となれば別だ。引火する対象もなく、地表を燃やしても動けばすぐに脱出される。そもそも木造建築の連なる宿場町での火攻めは本来、自殺行為だ。

 が、奥方には秘策があるようだ。今のウコンにはそれを信じる他なかった。


「ウコン、おねがい」


「……かしこまりました」


 竜玉に触れて、ウコンは高らかに唱える。


「小・火・付・工・後! 油湧きの術!」


 竜魔忍術を行使すれば、菜種油の入った大瓶は蓋が今にも外れそうなほどガタガタと揺れ出した。

 これで準備はできたはずだ。

 ウコンは奥方の動く好機を作るべく、サコンに「我らで隙きを作るぞ」と指図する。


「えっへへ、おまかせあれ!」


「分身の術でいいな」


「いつものやつだね、いっくよ!」


 ウコンとサコンは頭に葉っぱを乗せ、印を結びつつ無数の葉っぱを空にばらまいた。


『葉っぱ六十四の術!』


 ドロンと白煙をあげて無数の葉っぱは一斉にウコンとサコンの分身へと変化する。

 総勢述べ六十四体なり。


 これにはさしもの竜魔も動揺を示した。長首の赤竜はすかさず七つの霊首を差し向け、戦域を埋め尽くすようなウコンとサコンの分身を一掃しようとする。

 しかしそれらの攻撃が接触した瞬間、分身はドロンとまた白煙をあげて一枚の葉っぱに戻るのみ。


「バーカバーカ!」


「子供騙しの幻術だとすぐに敵も理解する。所詮は葉っぱ、何の攻撃もできんとじき気づく」


 お膳立ては済んだとみて、奥方の秘策を確かめようと目を向けたウコンは驚く。

 布団だ。

 ふとん、おふとんだ。

 奥方は綱でまとめて、何枚もの布団を背負って屋上へと引っ張り出してきていた。


(……は? 寝るの? 今?)


 白虎族はよく寝る。一日十五時間寝ることさえあるとは聞く。しかし今は無い、あるはずない。

 そうとわかっていても想像してしまう。

 このまますやすやとふとんにくるまって寝ついてしまう奥方が。

 奥方、お昼寝の時間でございます。


(いや、そんな訳があるか!!)


 しかし蕎麦屋の天ぷら油と旅籠屋の布団、これらで当世に蘇るヤマタノオロチを退治できるのか。

 奥方なら必ずやってくれる――!

 という絶対の信頼ができるわけもなく、しかし何かはやってくれそうな妙な期待感もある。


「大事に使わせていただきます!」


 奥方はそう一言叫ぶや否や、旅籠屋の布団に蕎麦屋の天ぷら油をぶちまけたではないか。

 どぼどぼと波打つほどに数枚の布団に注がれ、たっぷりと菜種油が染み込んでいく。

 そして奥方は竜魔刀「鬼切真夜綱」を構えると、再び白黒虎縞の綱を出現させ、おふとんを瞬時に綱で縛って何枚もを束ねると、その綱の端を片手で握って――。


「ふとんよ、ふっとびなさい!!」


 ふとんを、ふっとばした。

 ふとんをふっとばしたのである。


 助走をつけ、見事な体運びで放り投げられた数枚の布団は勢いよく長首の竜魔へと飛んでいく。

 ふとんの重さを考えれば、高々と放物線を描いて飛ぶことがすでに驚くべきことである。

 白虎族の膂力はそれだけ桁外れているとしても、しかし長首の竜魔が布団の束をかわすのは容易なことで首をひらりとかわして難なく凌いだかにみえた。


「踊れ虎の尾!」


 が、奥方が威勢よく叫ぶと、たちどころに布団を縛っていた綱が解けると共に、新たに出現した複数の虎綱によって操られた複数の布団は竜魔の長首にべたりと貼りつき、巻きつけられた。

 目鼻や口を塞ぎ、竜の首を覆うふとん。


「竜魔! 油揚げのお味はいかが!」


 トドメに、奥方は一本だけ手元から竜の首へつながっている虎綱をぐいと引っ張って。


「ウコン、火を!」


「はっ! 狐火の術!」


 ウコンはすかさず、目くらまし程度のちいさな火を生じさせる忍術によって虎綱を引火させた。


 一条、狐火の橋が架かった。


 青白い炎は瞬きする間にも奥方の手元から竜の首へと到達、そして――。

 竜の頭を、炎上せしめた。


『ギュォォォオオオオンンッ……!』


 竜の首に貼りつき、覆っている天ぷら油を含んだ布団に一斉に引火したのだ。

 綿花であれ羽毛であれ、布団は空気をたっぷりと含んでおり燃えやすい。そこに忍術による強化の仕込まれた天ぷら油が加われば、盛大に燃え上がるのは必定だった。

 虎綱に縛り上げられた燃える布団は闇雲に首を左右に振って暴れるだけでは剥がれ落ちはしない。


 いかに堅牢堅固な城塞なれど、逃げ場もなく天守閣が焼け落ちればひとたまりもないのだ。

 しかし敵も然ること、七つの首を使ってどうにか剥ぎ取ろうと必死に抵抗する。

 されども味方も冴えていた。


「皆の者、今が好機! 七つ首を切り裂き、竜魔を封じるのだ!」


「応っ!」


 侍大将のゲンパチが命じれば、大暴れする竜魔に目掛けて、犬狼族の侍達が殺到した。

 それぞれに負傷や疲労が激しくも決死の覚悟で、己の威信をかけて食らいついてゆく。

 竜頭の炎上によって精密な判断や動作のできない七つの霊首や足ならば、侍達は深く踏み込んで、全力で一太刀を浴びせることができた。


 一気呵成。

 ひとつ、またひとつと七つの首や四足を切り裂き、巨大な敵を侍達が削り取っていく。

 最後の仕上げはゲンパチの一刀であった。

 竜魔刀『白月堂五十嵐』は風を操る。すなわち、宿場町への火災被害が広がらぬよう風の防壁を作り出しつつ、竜の首を焼き尽くすべく的確に風を運び続けたのだ。


 太陽の下、灼熱の嵐が渦巻いて――。

 真昼の宿場町、炎上する竜魔の巨塔。


 強大なる竜魔の討伐劇のきっかけがよもや蕎麦屋のきつねそばとは――。

 勝鬨をあげる侍衆の誰もがまだ、知る由はなかっただろう。

 ウコンと奥方、たったふたりを除いて。




 竜魔討伐の後、何が待っているかについて。


 第一に、竜魔の本命が倒れるとその群れは瓦解する。残敵は散り散りに逃げ去っていった。


 第二に、本命が死すると竜魔の亡骸はたちどころに消え失せてしまった。竜玉のみを残して。


 第三に、被害と戦功の確認がはじまった。

 どれだけの敵を討つことができ、いかほどの味方が犠牲になったのか。


 この時になって、奥方に施した『血糊衣の術』は功を奏する。名誉の負傷に苦しむ奥方は、それらの事後の面倒ごとの一切に関わることなく脇本陣での休息と手当を許されることになった。

 ようやく、避けがたい“義務”が終わったのである。


「たたたた大変! 奥方様が死んじゃう!?」


「落ち着けサコン、これは血糊衣の術による仮病だ」


「ええ!? しまった化かされた!」


 鎧甲冑を脱がせてやれば、奥方様は傷一つなく元気なご様子。サコンはほっと胸をなでおろす。

 一方、極端に消耗しきった奥方は自由の身になると即、眠たげにあくびを噛んでいた。


「もうダメ、寝ないと死んじゃうっ」


「あれだけご無理をなさったのです、ごゆるりとおやすみください奥方様」


「うみゅ、うう」


 サコンに頼んで布団を敷いてもらっている間に、ウコンは眠りこけてる奥方の相手をする。

 若侍の召し物を脱がせ、寝間着に着替えさせる。

 白黒の被毛に覆われた素肌を確かめていくと、切り傷こそないが打ち傷が複数あった。ウコンの見ていない間に、何度か敵に激しく打ち据えられたのだろうか。鎧甲冑があったからこそ打撲傷で済んでいるが、防具がなければ切り傷もあったことだろう。


「……護衛失格だな。こんなに無理をさせてしまって」


「いやいやウコン、あたしらは幸運だよ。戦いに加わった侍衆さ、半数は亡くなったんだって。毎度のことだけど、竜魔狩りに加わりつづけて五体満足なだけ強運だと思わないと」


「半数、なぁ」




 戦いの後、侍大将のゲンパチとは最小限度の会話しかしていない。

 五人兄弟の長男として駆けつけたゲンパチは、次男と三男を亡くしたらしい。末っ子の、あのよわっちい犬っころを助けたことについて感謝されもした。

 大手柄と家族の犠牲。

 とてもではないが、ウコンにはまともに掛ける言葉がなく、ほとんど逃げ帰るように場を去った。


「悪いが、一番手柄は譲れない」


 去り際、背中越しにそうゲンパチに言われてしまった。

 ウコンは論功行賞こそ戦いにおける有数の難題だとよく知っていた。雪代ノ若君と犬狼ノ大将、どちらも甲乙つけがたい活躍だった。このままでは戦功をめぐる騒動が生じかねなかった。


 五匹の端くれ、本命への致命打という目覚ましい奥方の活躍ぶりは一番手柄でもおかしくはない。

 一方、ゲンパチとその兄弟は六匹の端くれを仕留め、全体の指揮を行い、終始この戦いを支え続けていたことは明白だ。家全体でみれば、貢献度はより高いと評価しうる。

 しちめんどくさい、とウコンは深々とため息をついた。


「こちらは二番手で結構です。申し上げたように“死物狂い”では戦わなかったわけですから」


「……最後に聞かせてくれ。白虎殿の密命とは、何だ」


「亡き夫の仇討ち、と申せばおわかりになるかと」


 ゲンパチは息を呑んで、そのまま黙って見送ってくれた。

 雪代ノ奥方の仇討ち話はご領内では有名だ。正体と真実を知り、ゲンパチは己を恥じたのだろう。




 はっと目覚めると、ウコンは侍装束のまま布団で寝てしまっていた。

 隣を見やれば、くぅくぅとおだやかな寝顔で奥方もまた寝ているご様子であった。

 脇本陣の室内には行灯の火が灯っていて、もう夜だとわかった。

 竜魔忍術を連発したことで、ウコンも自分で考えていた以上に疲労が溜まっていたのだろう。


「ああ、おはよーウコン」


「サコンか、すまない。寝かせてくれたんだな」


「いいってことよ、ふたりとも寝顔がかわいいからさー」


 けらけらと銀狐のサコンは笑いながら、なにやら夕飯らしきお膳を並べていく。

 食事と睡眠は欠かすことができない。

 とりわけ、あれほどの戦いの後ともなるとウコンは空腹を感じざるをえなかった。


「あれだけ血生臭いものを見聞きしても、食欲は湧くものだな」


「今夜はね、町役人のソンジューロウ様が戦勝祝いだってことでごちそうを届けてくれたんだー」


「今頃、侍衆は弔い酒か」


「何人死のうと戦に勝ったらめでたい日だってのは武士だねぇ」


「わたしにはわからん連中だ」


 お膳の料理が冷めないうちにと奥方を起こして、ウコン達は夕食を済ませる。

 そして昨日のように川湯へ赴き、疲れ切った体をより休めることにした。


 そうして湯上がりぽかぽか気分のウコン達は、しかしもう旅支度をはじめていた。予定より遅れているので、全体の日程を考えると今夜このまま隣の宿場へたどり着きたいのだ。


 論功行賞は時間もかかる。竜玉や褒美は藩政一度預かりとなって吟味の上、改めて恩賞として今回の戦いで活躍した者たちに与えられるが、それは筆頭家老の雪代家も関与している。なにか与えられるなら後々便りが届くのを待てばよいので当地にとどまる必要もない。

 それになにより、ここから葬式や行事に招かれたりするのも面倒極まりない。


「さぁ行きましょう奥方様」


「ウコン、最後にひとつこの町で心残りがあるのだけど……」


 そして一行は訪れることになった。

 ――蕎麦屋へ。


「へいらっしゃい! よっしゃ約束通りの祝勝祝いだ! おごりじゃないが食べていきな!」


 蕎麦屋の看板兎、ツクシははりきって出迎えてくれた。

 夕飯を食べて二時間も経たずして、奥方は威勢よくこう頼んだ。


「御膳大蒸籠、ひとつ! きつねそばと白虎そば、お弁当のおにぎりも!」


「へい! まいど!」


 御膳大蒸籠は上質な蕎麦の特盛だ。夕食の後に食べようとは健啖家だとウコンは驚く。

 しかしまぁ二回目にして、ウコンとサコンの分まで注文してくれるとは馴染んだものだ。


「にしても布団に天ぷら油であぶりゃーげとは、いやぁ新名物を考えねーとなこりゃ。とかくこーして無事に店がつづけられんのも白虎様やきつねさん方のおかげだ、あんがとよ」


「いえ、武士として当然のことをしたまでにござる」


 奥方は思い出したように若侍らしさを示そうとそれっぽく喋ろうとする。

 言わぬが花、とどうも正体に気づいている感のあるツクシは話を合わせてくれている。


 なにはともあれ、ウコンもまた悪い気分ではなかった。

 竜魔狩り等という危険極まりないことに一生を費やすのはごめんだが、今回はよしとする。


「時にサコン、お前はきつねと白虎、どっちにする」


「もちろんきつね!」


「じゃあ、わたしはまた白虎そばにするか」


 夕食後でややウコンは腹が重いものの、まだ蕎麦の一杯くらいは入ると踏んだ。

 とろろいもと海苔、蕎麦の風味が織り成す山と海の調和は格別だったので恋しさはあった。

 そう、自らの食欲を焚きつけるウコンであった。


「して、そなたらは何にする?」


「……ふえ?」


「……ああ」


 不思議がる銀狐のサコン、まさかと驚く黒狐のウコン。

 雪代ノ奥方は注文した三品、すべて彼女ひとりで食べるつもりだったのだ。


「あ、拙者! お酒も頼んでよいでござるか!」


「奥方様、旅立ち前にお酒はお控えください」


「祝勝会ということで、ダメ……?」


「あきらめてください」


「うう、おしゃけ……」


 雪代ノ奥方は祝い酒をあきらめきれない。困った人だ。


「やれやれ、徳利ひとつだけですよ」


「そうこなくては!」


 その後、食べ過ぎて酔っ払った奥方の旅立ちが翌日にズレたのは必然の結果であった。

 さもありなん。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る