第十三話「天ぷら油と双影乱舞」
■
蕎麦屋で“ある品”を譲り受けるにあたって、看板娘の栗茶兎はむしろ協力を願い出てきた。
ウコンは遠慮したが、兎娘は言って聞かないのだ。
「お侍さん方が命張って戦ってくれてんだ! 逃げ隠れを恥じるわけじゃあないがあたいら町人だって自分らの家をぶっ壊されて竜魔に一泡吹かせてやりてぇと思ってたんだ! それに大事な商売道具、どう使うかは見届けたいってのは人情だろい!」
蕎麦屋にしておくには惜しい威勢のよさ、狐族のウコンよりなお小柄なウサギにしては勇敢だ。
ウサギは懐に調理道具の包丁やら何やら忍ばせて、大きな瓶を背負子に乗せて運ぼうとする。
背負子とは、重い荷物を運ぶために用いる木と縄で作られた長方形の運搬道具だ。
だいぶ重たげによっとっととふらつくが、看板娘は踏みとどまった。
「それじゃあおっとう! 行ってくらぁ!」
蕎麦屋の親父に見送られて、看板娘はウコンに先導されて大瓶を運ぶ。しかも走ってだ。
縄で縛られた蓋の閉じられた大瓶の中身がちゃぷちゃぷと水音を立てる。
「ウコンてったっけ! あたいのこたぁーツクシと呼んどくれ!」
「わかった。……繰り言だがツクシ、危ない時は荷を置いて逃げろ、約束だからな」
「そりゃ命あっての物種よ! あんたも気ぃつけろよな!」
「善処する」
主戦場と蕎麦屋はせいぜい十軒隣ほど、そう離れていない。
主戦場から漏れ出した竜魔の端くれと遭遇しないよう警戒し、ウコンはツクシと裏通りを進む。
「おい、なんだあのドでけえのは……」
「竜魔の本命、それも私が見た中では一番の大物だ。あれほど巨大なのは滅多にいないはずだ」
「いや、そっちじゃなくて、あの白黒の……」
「白黒?」
ツクシの指差す先を見やれば、ウコンは二重に驚かされた。
宿場町の瓦屋根越しにも見える、高々と天衝く長首の竜魔と同じくして、巨影がひとつ。
それは確かに白黒の、白虎の縞模様をしていた。
「アレは、大蛇なのか……? いや、まさか奥方様の」
長首の竜魔には一回り二回り劣るが、その長大な竜の首に巻きついているこれまた長大な白黒模様の細長い巨影は、まさに獲物を絞め殺そうという大蛇のようにみえた。
竜魔刀「鬼切真夜綱」。
ウコンの見立てが正しければ、虎綱というべき自在に動く綱を操るのがその異能だ。しかし見るからに一本の綱という太さではない。
より近づくにつれて輪郭がはっきりしてくるとウコンにも大蛇の理屈がわかった。
綱は糸を撚(よ)り合わせ、綯(な)うことで形作られる。
撚る、綯う。
そうして作られた綱を元にして、さらに撚る、綯うことでしめ縄のような強靭で太い綱ができる。
つまるところは複数の虎綱を綯うことで強靭長大な大蛇を操り、竜魔を封じているのだ。
(奥方様のお力が、よもやこれほどまでとは……)
このまま竜魔を絞め殺せるのではないか、というほどに白黒の大蛇は力強く、引き剥がそうにも四足歩行の長首の赤竜には文字通り、その手段がない。
否、あるはずだ。
「来るぞ! 追い詰められた今、竜魔は必ず、異能を使ってくる――!」
「バカでかいだけでも迷惑なのに!」
白黒の大蛇に苦しめられていた竜魔はやがて禍々しい光を伴って、何かを出現させる。
首だ。
竜の首が生えてくる。
背中を起点として、竜の首が一本、また一本と生えていく。
にょろにょろり。
不気味に蠢き、真昼の空へと伸びていく長首の数はじつに七本に達したではないか。
七本の新たな竜の首は実体と幽体の狭間にあるような、半透明である。赤い体色が色濃くなればより実体を伴い、薄くなれば霊体に近づく。
なにより不気味でならないのは、ゆっくりと実体と霊体を往復する時、竜の首は頭骨のみになってみえるのだ。
白黒の大蛇を引き剥がそうと七本の霊竜の首は食らいつき、赤竜の歯牙で噛みちぎろうとする。
七首の伸縮や動きはまったくもって骨や筋肉に基づいた挙動ではなく、自由自在に動かせる霊体の義肢を操っているという他にない。
長首の竜魔の巨体が、さらに七つの変幻自在な攻撃手段を得たことはまさに絶望的だ。
「な、なんだありゃ! まるでヤマタノオロチじゃねーか!」
「太古の英傑に退治されたという伝説の竜魔か、その子孫だったりして」
「縁起でもねぇ! なあおい、ホントにあの化けもんを“天ぷら油”なんぞで倒せんのか!?」
「ダメで元々! 通じねば尻尾を巻いて逃げるだけと心得ればいい!」
「ウサギにゃ巻くほど尻尾はねーよ!」
旅籠屋に辿り着くまでの間、竜魔と侍衆との熾烈な攻防は轟音をあげて繰り広げられた。
ウコンは心配でならず、一刻も早く辿り着こうと急く。
異能と異能。
竜魔と侍衆の手札が出揃った結果、どちらが優勢かは明白となってしまった。
もし勝ち目があるとすれば、この奥方の一策が通じるか、あるいは奥方が捨て身になってもう一振りの竜魔刀を使うか。前者も後者も何一つ、可能性がありそうというだけで勝てる確証はない。
(やはり、ここは逃げるべきか……)
あと二軒で主戦場に着く、という時に運悪くもウコンとツクシは竜魔の端くれに遭遇する。
『キュルルルルキャキャ……』
「くそっ、でやがったなニワトリやろー!」
背負子を担ぎ、小柄な草食系の若い娘であるツクシには到底、戦う術はない。
そしてウコンとて、真っ向勝負では竜魔の端くれに勝てるかは五分五分だ。よしんば勝てたとして、一刻も早く頼まれ物を届けるという約束を果たせなくなっては意味がない。
(ツクシひとりを先に行かせるか? いや、旅籠屋の屋上に届けさせるのは危険すぎるか)
ウコンが惑い、後手にまわれば即座に竜魔の端くれは獰猛な爪牙を尖らせて飛びかかってくる。
しかしだ。
ウコンが飛び退きざまに懐中の暗器を投げようという直前――、手裏剣が飛来したのだ。
手裏剣は竜魔の目に刺さる。鶏鳴をあげる端くれ。
「ウコン! やるよ!」
「サコン!? わかった!」
神出鬼没、突如として現れたサコンと呼吸を重ねてウコンは連携攻撃を繰り出した。
二対一。
端くれの攻撃がウコンを狙えば、背後からサコンが一撃を浴びせる。逆も然り。
まさに阿吽の呼吸だった。
常に相手の死角にまわりこみ、囮役と攻め役を入れ替えて忍具により切り刻んでいく。
足首を、脇腹を、指先を。
竜魔刀には劣る忍具の殺傷力を補うように浅く軽い傷を無数に刻んでいく。
黒狐と銀狐。
二匹の忍び狐は一糸乱れず連動する。まるで精巧なからくり仕掛けのように。
「これぞ秘技、双影乱舞!」
「いや、初耳なんだが」
重なる二つの斬撃、血華が咲く。
弱りきった竜魔の端くれの喉元を、左右挟み込むよう同時に切り裂いてトドメとした。
一対一ならいざしらず、サコンとの二対一で端くれに負ける道理はない、とウコンは再確認した。
「今すぐついてこい、奥方様が待っている!」
「ついてくけど! 一体どういう状況なのさ!? なんで竜魔と戦ってんの奥方様が!?」
「お前こそ、なぜ今ここにいる」
「だって半鐘が聴こえてきたんだもん! 隣の宿場町に行く途中で! それで引き返したの!」
「このツクシ殿の背負った油壺が必要だ! これを奥方様に届ける!」
「いや、だから何であんなのと戦ってんの!?」
「なりゆきだ!!」
ウコンが怒鳴れば、サコンは「しょうがないな~」と二つ返事で納得する。
そんなやりとりをみて、大荷物を背負って息も絶え絶えなツクシが問いかけてくる。
「な、なあ、あんたら姉妹かい?」
「そうだよ」
「違う」
「どっちだよ!」
そうこうする間に旅籠屋へ着く。
ウコンは「ここまでくれば十分だ、背負子をこちらに」と荷物を渡してもらう。
ツクシは「大事な商売道具の菜種油、これで町を燃やしでもしちゃ承知しねーからな!」と毒づくもすぐに「武運を祈るぜ、勝ったら戦勝祝いはうちで銭落としていけよな!」と継ぎ足した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます