第十二話「首長の赤竜と鬼切魔夜綱」

 竜魔の本命。

 それは千差万別の異形と異能を有する、禍々しき竜の大将である。


 竜魔は大抵、多数の端くれと一匹の本命という集団構成を基本として出没する。

 本命と端くれは明瞭に生物として解釈するには別種なれど統一的な意志を以て行動する。

 では、なぜ別種だと判断されるのかといえば、一目瞭然にまったく異なる姿形をしているためだ。


 今回の本命は、巨大であった。

 二階建ての旅籠屋の高さにも勝る、火の見櫓の高さにもまだ勝る、とてつもなく長い首――。


 長首の竜魔。


 そう誰ともなく本命のことを呼んでいた。

 その四足でひとたび歩けばズシン、ズシンと地響きがする。雄大な巨躯は圧巻であった。


 赤茶色の体皮は頑健なことに迎撃しようとする矢弾を防ぎ、鉄の鏃でも傷つくことがない。

 防御陣地を形成する木製の拒馬を見下ろせば、竜魔はそれを踏み潰した。鋼鉄のように堅い脚は尖った木材などものともせず、前線の陣形はあっさりと崩壊した。

 勇猛にも竜魔の端くれたちと刃を交えていた侍衆はたちどころに後退をよぎなくされる。


 長首の赤竜は鈍重だ。

 その鈍重さを補ってあまりある頑健と巨躯は、もはや歩く城塞である。

 走って逃げることはできても、進軍を止める手立てがない。


 そして進軍の遅い長首の赤竜を補うように、小回りの利く竜魔の端くれが手足となって躍動する。

 ズドン、ズドン。

 巨城が闊歩する。


 長首の赤竜は時折、これまた長い尻尾をしならせ、宿場町の表通りの両脇にある建物を打つ。

 たったの一撃で木造の建物が土煙をあげて半壊するさまは、まさに天災に等しかった。


「どうやって戦えばいいんだ、こんな化け物……」


 勇猛にも竜魔の端くれ達と戦ってきた侍衆のひとりが唖然として、そうこぼした。

 まだ遠くに見えていた時は、どうにかなる気がしていたのだろうか。いざ迎え撃つとなった時、侍たちは勝機のなさに戦意を失いかけてしまった。


「狼狽えるな! ここで戦わずしてなにが武士か!」


 犬狼、吠える。

 侍達の大将としてゲンパチは勇猛果敢に竜魔の本命との直接対決に臨み、味方を鼓舞した。

 鎮火しかけていた気炎が再び燃え盛り、侍衆は覚悟を決めては猛然と反撃に出る。

 そして――。




 幻痛に苦しむ奥方を支えながら屋上に辿り着いたウコンは、死地を目にした。

 崩壊した防御陣地。

 陣地を失い、数こそ減りつつあるが行動の自由を得た竜魔の端くれ達に苦戦する侍達。

 向かい側にある別の旅籠屋は、二階部分がまるごと竜魔の尻尾で薙ぎ払われて破壊されていた。


 討ち取られた竜魔の端くれが何匹も倒れている。

 一方、数名ほど傷つき倒れた侍が地べたに倒れ伏している。もう事切れているか、まだ生きているとしてもこのままでは長首の赤竜に踏み潰されて一巻の終わりだ。


(また、こんな光景を目にするとは……)


 ウコンは“だから竜魔狩りはイヤなんだ”と心の内で悪態をつく。

 古くより合戦にせよ何にせよ、生存を賭けた戦いは必ず死者が生じる。否応がなく、死の間際に立たされる。竜魔絡みの任務では何度となく目にした光景だ。


 むしろこれは善戦している。より悲惨な場合、戦うどころか散り散りに敗走する侍達を端くれ達がひとりずつ背後から襲いかかっては始末していく場合さえある。

 今はまだ徒党を組んで戦えているが、双方ともに大将を失えば軍勢として機能しなくなる。

 そして今まさに大将同士、ゲンパチと長首の赤竜との対決は――。

 まだ、劣勢ながらも決着には至っていなかった。


「奥方様、よろしいですか」


「ええ、おねがい、ウコン……」


 弱々しく幻術の痛みに耐えながら奥方は同意する。ウコンは大声を張り上げた。


「今より! 雪代ノ若君殿が加勢つかまつるっ! 若君は勇敢にも五匹の端くれを仕留められたが、手傷を負われている! だが、まだまだ共に戦うと仰せである! 皆々、心して戦われよ!!」


「う、うおぉぉぉっ! 五匹も! 白虎様が五匹も敵を退けてくださっていたのか!」


「まだ我らは天に見放されていなかった……!」


 気休めではない戦果報告と援軍に、消えかかっていた士気にまた火が灯った。

 犬狼族を中心とする侍たちは勇ましく遠吠えをあげながら、竜魔の端くれ達との攻防を粘る。


 さて、問題は大将同士の戦いである。

 ゲンパチは竜魔刀『白月堂五十嵐』を用い、風の刃を操る。他の精兵と連携して四方から誰かひとりが突出することなく、小回りを活かして立ち回る。

 しかし竜魔の巨大さと頑健さゆえに誰かが隙きを突いて一太刀を浴びせても、切り傷は浅くなり、それが決め手にならない。否、弓矢に至っては何ら効果がないのに比べれば、小さくとも傷つき血を流させることができるのは竜魔刀だからこそだ。


 一方、長首の竜魔はたったの一撃でケモノビトを圧死させうる踏みつけにはじまり、前肢や後肢、竜の尾を叩きつけるだけでも軽く当たれば鎧越しでも意識が刈り取られるほど痛烈だ。

 それでも鈍重な長首のみならばまだ立ち回りようがあるものの、ここに同じく小回りの利く竜魔の端くれが連携攻撃を仕掛けてくるので侍衆は本来、瞬く間に“詰む”塩梅だったはずだ。


 そうなっていないのは的確に指示しつつ、風の刃を操るゲンパチの手腕と技量のおかげだ。

 竜魔の本命の大振りな攻撃をかわした隙きを突こうとする侍衆への竜魔の端くれの一撃を、繊細で俊敏な風の刃によって牽制、妨害することで戦線維持ができていた。


 もうひとつ理由があるとすれば、たったひとりで五匹を仕留めた奥方の活躍によって敵の手数が和らぎ、数的不利に陥っていないこともある。


 そうしたウコンの戦況分析が正しければ、やはり、このままでは敗北は必至だった。


 第一の理由は、侍衆やゲンパチら竜魔刀使いの消耗だ。


 “心の力”と“竜の力”。


 ふたつの内外の力を融和させることで竜魔の力は発露する。純粋に刀剣として用いるだけでも心身は疲弊し、竜魔の異能を操ればより一層に消耗は激しくなる一方だ。

 その一方、長首の赤竜は二足遅れてやってきたこともあって見るからに力を温存できている。


 第二の理由は、この長首の赤竜の異能がまだ使われていないことだ。


 竜魔の本命は必ず、固有の異能を有する。


 異能には消耗が伴うという点は竜魔にも言えることで、余裕があれば出し惜しむ例も多い。

 逆にいえば、こちらは手を尽くしているというのに、あちらは奥の手を取っておいたままでも余裕をもって勝てると理解しているのだろう。


 ――そう、理解力。

 長首の赤竜は天守閣や物見櫓のように高い位置から見下ろすことで、戦場の把握ができている。

 あろうことか戦況把握という点においてもこちらが劣勢なのだ。


(いっそ個々に戦況がわからないからこそ、まだ侍達は勝てると信じて戦っている、か)


「ウコン、策はありますか」


「いえ、わたくしには……。この苦境、下っ端の忍者にどうにかできる状況では」


「では、私なりの策で参ります」


 雪代ノ奥方の横顔は勇ましく、それでいて幻術による痛みもあって弱々しくもあった。

 奥方はにまりと苦笑いして、血糊衣の術による偽の傷口を軽く押さえた。


「仮病の功名ね。不思議と、この痛みが私を奮い立たせてくれるのよ。“あの人”はよく竜魔との戦いで大怪我して帰ってきたから、なんだか、いっしょに戦っている気分」


 あの人。

 雪代ノ入婿殿、竜魔狩りの名手だったと伝え聞く、この仇討ち旅のはじまるきっかけ。

 今その存在を口にされると、ウコンはどうしようもなく嫌な胸騒ぎがしてしまう。


 死への憧れ。


 武家というのは死に場所を求めて生まれてくる、等と古来より言うものだ。

 願望として、華々しく戦って散るのも悪くない、と刷り込まれているのは奥方とて例外ではないのかもしれない。奥方がそうでなくても、今この場で戦う侍衆はそうでないとは否定しがたい。


「今、いっしょに戦っているのは、あの御方ではございません」


 ウコンは力強く、はっきりと言った。


「わたくしでございます」


 なにか、亡き亭主殿に対抗心でも燃やすかのような物言いをウコンはしてしまった。

 奥方は意図を計りかねてか、きょとんとする。


「大怪我まで真似られては困る、ということです」


「さ、左様で」


 奥方はなぜかくすりと微笑むと、大小二振りの竜魔刀のうち、小太刀に指をかけた。

 夫の贈り物だと語っていた太刀ではない。


「正真正銘――『鬼切真夜綱』」


 抜刀、そして異能の開放。

 こころなしか、旅籠屋の屋内で目にしたように奥方の目つきや雰囲気が一変してみえた。

 しかし今度は不思議と怖くはない。

 その凛とした眼差しはまっすぐに大敵、長首の竜魔を見据えていた。


「ウコン、私が加勢している間におねがいがあります」


「はっ、何なりと」


「蕎麦屋に行ってきてちょうだい、今すぐに!」


「……なにゆえ」


 竜呼相打つ決戦の火蓋が切って落とされるその時、ウコンはかくして蕎麦屋へ走っていた。

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