第十一話「絞殺と考察」

 旅籠屋に踏み入ったウコンは驚愕した。

 しっちゃかめっちゃかになっている屋内の惨状を見ての驚愕ではない。


 そこに転がっている亡骸――。

 三匹の竜魔の端くれが旅籠屋のそこかしこに事切れて転がっていたのだ。


 その亡骸のすぐそばに奥方は佇んでいた。

 ウコンに気づいていないのか、天井を見上げて、奥方は黙って佇んでいた。


 その右手に握られている小太刀には血汚れの一滴もない。


(ここで一体なにが起きた……!?)


 三対一。


 逃げ回るのが精一杯だったはずの奥方は健在どころか竜魔をすべて片付けてしまっていた。

 手負いの若犬を退避させている短時間のうちに、だ。


 ウコンは安堵より先に、薄ら寒さをおぼえた。

 旅籠屋の外から聴こえる戦いの怒号が嘘のように、そこは静寂が支配していた。

 なんとも面妖にして不気味なる、静寂だ。


(……いや、これしきのことで恐れ慄いていてどうする)


 ウコンは奥方の眼前へと姿をみせる。

 しかしすぐさま近寄って怪我はないかと確かめる気には到底、なれなかった。


 陣羽織に鎧甲冑、凛然とした面構えに虚ろな眼差し。

 無造作に握られた一振りの小太刀――竜魔刀。

 まるで別人のようだ。


「……奥方様、ご無事でいらっしゃいますか? その、これらは……?」


「……これら?」


 亡骸へと視線を向ける一挙動が、あたかも凍てつく冬の寒風かのようにウコンの心胆を冷やした。

 生まれ育った寒村の、あの雪風の寒さ。

 母親と死に別れた夜の、あの恐ろしさ。


「安心なさい」


 ほの薄暗い旅籠屋の暗がりにあって、白虎の瞳は爛々と妖しく輝いてみえた。


「ちゃんと絞め殺してあるから」


「絞め……殺す?」


 ようやくウコンは気づく。

 散乱した物陰に隠れていた、奇妙な細長いもの。それは蛇のようにうねっていた。白雪と黒炭の縞模様をしたそれは――虎の尾にもみえた。

 いや、奥方生来の白虎の尾とは別にそれは生えている。


 縄。

 綱。

 虎綱、とでも言うべきか。

 細長い白黒の綱は竜魔の端くれの首に巻きつき、生きているようにうねっていた。


 竜魔は絞殺された。

 一滴の血も流さず、馬のように太い首を締めて殺したというのだ。裏付けるような痣もある。


(奥方様の竜魔刀に、これほどまでの力が……)


 ウコンは驚嘆する他なかった。

 竜魔刀の異能を、ゲンパチの竜魔刀『白月堂五十嵐』の風の刃を目にした直後だからこそ――。

 たったひとり、一方的に端くれを葬ってしまったことの異常さがわかる。


「……ねえ、ウコン」


「な、なんでしょう」


「私、今、なにか“不自然”じゃなかったかしら……?」


 小太刀を鞘に収めた奥方は急にまた、妙なことを言いながら不思議がりはじめた。

 どこか他人事のように、そして武功を誇るでもなく恐れるように、奥方は亡骸を見やっている。


(雰囲気が、いつもの奥方に戻った……?)


 いつも、というほど奥方とウコンは長い付き合いでないが、それでも平常に戻ったのはわかる。


「そうだ、さっきのお侍さんは!?」


「無事です。ご安心を」


「そう、よかったわ……ありがとう、ウコン」


「い、いえ」


 厳つい鎧甲冑を纏っていても、にこっと朗らかに笑ってくれたら、やはり奥方らしく見えてくる。

 先ほどまでの豹変ぶりが嘘のようだ。

 ウコンは少々怖がりつつ、しかし先送りにもできまいと尋ねる。


「奥方様、その、先ほどまでのご様子について訳を教えていただいても……?」


「そうね、貴方には話すべきよね」


 奥方はためらいがちに、少々うつむきつつも確かにウコンの目を見つめて話してくれた。


「竜魔刀の異能を使おうとする時、使い手は竜魔の眠れる魂に触れることになるのよ」


 奥方は言い淀み、恥じるように述べる。


「魅入られてしまうのよ、どうしても、竜魔の力に」


「……竜玉の魔性に狂わされぬように修練を積む、という心得は私にもあります。訓練を経てもなお確実に安全だとはいえないので、みだりには異能を使ってはならない、とも教わりましたが」


「“私じゃない私”になっている、それが否定できないの」


 奥方は竜魔の亡骸を見下ろして、その首に残った浅黒い絞殺の跡を確かめる。


「制御できているつもりではいるけれど、もしものことを考えてしまったら……。だから誰もいない屋内に誘い込んで、竜魔刀を使ったのだけど……。わたし、貴方に何もしていないわよね……?」


「はい、この通り」


「そう、そうよね、私は狂ったりなんてしていない……」


 不安げに、鎧甲冑を着込んでいる勇ましい侍姿がてんで似合わぬほどに、奥方は意気消沈する。

 しかし不思議と、かえってウコンは安心してしまった。

 三匹も敵を仕留めておいて勝ち誇るでもなし、それどころか心配に戸惑っている。

 たった一日過ごした程度の仲とはいえ、これはまぎれもなく奥方様だとウコンは安心できた。


「奥方様、これより竜魔の本命との戦いになるでしょう。宿場町の侍衆への加勢は十二分に果たしております。後はもう、戦わずして逃げたとして義理は果たしたといえるでしょう」


「……あなたの方がよくわかってるでしょう、ウコン」


「ええ、“逃げ時”は今じゃない」


 ウコンは戦況を振り返ってみて、その“引き際”を再確認する。

 奥方とウコンには二つの“敗北条件”がある。


 一つ、どちらか一方が死ぬこと。

 二つ、依頼主である雪代家の社会的名誉が傷つくこと。


 どちらも仇討ち旅の目的を水泡に帰することになる。逆に、宿場町の被害などは計算にない。

 竜魔の到来は天災にも等しい。

 嵐や地震、疫病によって人が亡くなるのはやむをえないことだ。それと同じことだ。


 そうした災害に際した時、立場のあるものは相応の尽力を求められる。冷淡にいえば、ふたりに求められるのは竜魔という天災に対する義務の履行だ。

 やれるだけのことはやったと胸を張れる結果が最良である。


 しかし、死力を尽くして戦った結果、死んだり重傷を負ってしまっては元も子もない。

 “引き際”を見極めるのではなく、こちらから作ってやる必要がある、とウコンは結論づける。


「奥方様、わたくしに策がございます」


「策……? 聞かせて」


「奥方様は竜魔との戦いで負傷なされたことにします。手負いながらも援護を行い、そのまま勝てばよし、負けそうなら怪我を理由に退いていただきます」


「つ、つまり仮病……? なんて卑怯千万な……」


 奥方は口をぽかんと開けて、目を丸めてはウコンの良識を疑うような物言いをする。

 しかしウコンは淡々と進言をつづける。


「もとより、奥方様の身の安全については宿場の侍たちにも話は通してあります。御身を護ることは藩主の密命を護ることだ、と。怪我についてはわたくしがちょちょいと小細工と演技でごまかすので、貴方様にとって重要なのは覚悟でございます。」


「何を覚悟しろというの、ウコン」


「“あきらめる”覚悟です」


「……わかったわ」


 奥方の覚悟の程を確かめる、といった悠長なことをしている時間はウコンにはなかった。

 ウコンは竜玉を携えて、竜魔忍術を行使する。

 竜魔の端くれの亡骸を、短刀を用いて出血させ、そのまだあたたかな血を媒介とする。


『血糊衣の術』


 とでもいうべきか、奥方の陣羽織や鎧甲冑に竜魔の血を塗りたくって幻術の要とする。

 この幻術は、血濡れた衣服を通すことで本当に負傷をしていると暗示を掛けるものだ。

 それは“術者”以外に適用される。

 そう、偽物だとわかっていても、暗示と幻惑は奥方にも架空の負傷を認識させ――。


「……これ、本当に痛いのだけど」


「わたくし以外の誰しもにとって、この幻術は現実に等しくなります。それだけ痛みが伴えば、否が応でも迫真の演技になるでしょう」


「そこまでは頼んで痛いのだけど……! あっ、ダメ、血が……」


 奥方はありもしない出血にめまいを起こして、ふらふらとへたり込んでしまった。

 無理もない。忍術による幻覚とはいえ、何箇所も鉤爪で鎧越しに肌を切り裂かれているのだ。


 ウコンは肩を貸して、奥方のふたまわりは大きなカラダを支えて、歩く。

 旅籠屋の二階へ登る階段を一歩、一歩と。


「……ねえウコン、私ね。本当は戦いたいのよ、戦って、みんなを守ってあげたい」


「……本当は、ですか」


「ええ、本当は、ね」


 弱々しい奥方の息遣い。時折、激痛が走るのか、ぴたりと足を止めて苦悶の呻きをあげる。


「たった一日だけど、ここでの思い出は楽しいことばかりだったんですもの。貴方やサコンといっしょにごちそうをいただいて、温泉に浸かってのんびりすごして……。親切な町の人のおかげで、こんな山の中で素敵な一日が過ごせたのよ。愛着のひとつやふたつ……痛っ、あうぐ……」


「……幻術の痛みでさえ耐え難いのです、現実に戦って、怪我すればもっと痛いでしょうね」


「お蕎麦をね、また食べたいのよ」


「だからこそ、貴方は生きねばなりませんね」


「けど……」


「千代丸様にもいっしょに食べさせてあげたいとは思いませんか、奥方様」


 雪代ノ奥方、その子息の名を口にする。

 義勇の心、他人を思いやる心。それを押し止められるのは自分への痛みや死の恐怖より、家族を思いやる心であるとウコンは考えたからだ。


「そんなの、……ずるいわよ」


「失礼、わたくし狐ですので」


 そうして旅籠屋の二階、さらに屋上へと登る。

 当初の想定通り、竜魔との戦いを援護するという侍衆と決めた作戦行動を遂行するために。


 しかし見下ろす戦場は今、死地と化していた――。

 屋上から天高くを見上げれば“本命”が奥方とウコンのふたりを、金色の竜の眼で見下ろしていた。

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