第十話「正真正銘と敵前逃亡」
■
防御陣地の中、竜魔の端くれと侍たちの激突する乱戦の真っ只中へ。
すってんころりんと転落した拍子に、またしても偶然に雪代ノ奥方は獰猛なる端くれを撃破した。
屋根上にこっそりと登ったウコンは戦況の推移を冷静に見定める。
今はまだ優勢――といえるだろう。
竜魔の端くれ共と宿場町の侍たちは頭数は同数、単純戦力はこちら側が不利なれど、地の利と知の利によって覆せる差ではあった。
そして奥方の、幸運なる二匹の連続撃破は大いに味方を活気づけた。
さらなる追い風は、屋根上での攻防にて、今まさにウコンの眼前にて轟々と吹きつけていた。
比喩ではない。
“風”は土埃を纏って渦巻き、あたかも大蛇のようにとぐろを巻いて周囲を威嚇していた。
犬狼族の侍ゲンパチ。
戦闘指揮官を任された彼は当然、奥方という例外を除いてはこの場でもっとも手練である。
その彼が手にする竜魔刀はやはり必然的に“上玉”が用いられている。
まこと得難き竜魔の本命から産出する“上玉”を用いた竜魔刀は、まさに末代までの家宝であり、一生涯を賭けてもなお手にできれば幸運であるという希少な品である。
端くれの“小竜玉”で作られた竜魔刀とは、威力その他において通常時には決定的な差はない。
明確に異なるのは固有の“竜魔の力”を宿すか、否か。
そして“竜魔の力”を開放するには合言葉として、刀の“正しい銘”を唱えねばならない。
「正真正銘――『白月堂五十嵐』」
正真正銘、つまり正統な所有者として名乗ることにはもうひとつの意味がある。
竜魔の力を開放する、ということは竜玉に眠る竜魔の魂ともいうべき“何か”に触れること。
竜魔の眠れる魂を、あくまで刀という道具として定義づけることで魅入られぬようにという願掛けも兼ねている。竜魔刀に眠れる魂に感化されて、狂ってしまうケモノビトも少なくはない。
開放と封印。
その双方を兼ねる名乗りの儀式を終えた時、ゲンパチは竜魔刀『白月堂五十嵐』を我が物とする。
「吹き飛ばされるなよ、お前達」
刀剣一閃。
嵐の竜魔刀が縦一文字に空を切り裂けば、その軌跡に沿って疾風が突き抜けていった。
それは鍔迫り合いを演じていた配下の侍と竜魔の端くれにぶつかり、双方に激突する。
「うわっ!?」
しかし侍はよろけて後ずさる程度、切り傷ひとつなく風に押しのけられるにとどまり――。
だというのに竜魔の端くれは鎌鼬のような無数の小さな風の刃というべきものを浴びていた。
味方には追い風、敵には向かい風――あるいは死の風か。
頑丈な端くれは一撃で倒れ伏すことはない。しかしたった一振りで全身が傷だらけだ。
(恐ろしい威力、それにもまして緻密だ……)
ウコンは恐怖せざるをえなかった。
『白月堂五十嵐』は風の刃を操る、それは竜魔刀の能力に過ぎない。もしもウコンが握ったとて、竜魔に傷をつけることは可能だ。それしきの技量はある。
しかし一方、仲間を傷つけなかった芸当までは真似できる気がしない。
おそらくゲンパチという男は常日頃より『白月堂五十嵐』の担い手として修練している。
――というよりも察するに、ゲンパチはこの世に生まれてきた時にはもう『白月堂五十嵐』を手にすると一族に宿命づけられて育ってきた手合だ。
絶対の自信。
それは同じく竜魔刀を手にする奥方とは、正反対とも言える。
なにせ、奥方は今しがた、万一のことを考えてしまって弓矢を放てずまごついていたのだ。
両者には天地の差がある。しかし――。
(でも、もしものことを考えずにいられるコイツが、私はキライだ)
ゲンパチは文字通り、屋根上の攻防に神風を招いた。
五分五分で切り結んでいる竜魔の端くれと弓隊の侍の攻防を、ゲンパチは巧みに管理する。敵は一匹ずつ一方的に切り刻まれ、味方は危ういところを風に助けられる。
たったひとりで敵を一掃できる、というわけではない。
しかしゲンパチと竜魔刀『白月堂五十嵐』は確実に、彼我の差をつけていった。
「竜魔の首、討ち取ったり!」
じきに一名の侍が、弱ってきた竜魔の端くれにトドメの一太刀を浴びせて討伐せしめた。
この調子でいけば、屋根上を襲ってきた端くれの撃退は時間の問題だ。
(問題は、奥方様の方か……いや、それより)
ウコンは遠方を見やった。
露払いである端くれ達に遅れて、少数の端くれを伴い、巨影が近づきつつあった。
もうまもなく、敵の半数も倒せぬうちに、それは防衛陣地に到着しそうだ。
竜魔の“本命”がやってくる。
ズシン、ズシンという地響きを生じさせる足音は二階建ての屋根上まで響いてきた。
一方、地上戦では。
雪代ノ奥方は今まさに窮地に陥っていた。
竜魔の端くれ達の注意を一身に集めてしまい、しかも真後ろに手負いの若人が倒れ伏している。
「こ、ここで逃げるわけにはいかないっ!」
威勢のいい啖呵と裏腹に、奥方はみるからに腰が引けていた。
竜馬刀――ただし小太刀――を抜いて構えているものの、刃先がどうみても震えている。
相対するのは三匹の竜魔だ。
ウコンにはわかる。奥方は逃げたい気持ちでいっぱいのはずだ。しかし逃げると状況的に、弱っちい半人前の犬狼族の侍はどう考えても助かりそうもない。あからさまな敵前逃亡は奥方の社会的な死に繋がりかねない。
前門の虎、後門の狼――ならぬ。
前門の竜、後門の犬――である。
あるいは自己保身を別としても、奥方の武家らしい勇猛さがそうさせるのか。
ともあれ、ウコンにとっては困ったことに、奥方は三匹もの竜魔と睨み合いになっていた。
(いざとなれば何としても救出するが……)
ウコンは今しがた、ゲンパチの竜魔刀の凄まじさを目にしたばかりである。
そう、竜魔刀さえ正しく使いこなせば、白虎族の奥方ならば竜魔の端くれ程度はきっと――。
(……あ、まさか、刀のこと忘れてる? ……あの人のこと、不安だ。よし)
「旦那様、今こそ竜魔刀の正真正銘を!」
「え!? あ、そ、そうでござるわね!」
(ホントに忘れてた!?)
ゲンパチとまさに真逆だ。
奥方にとって、おそらく二振りの竜魔刀は“命ほど大事ではない”のだ。
呆れる反面、すこしだけウコンは安堵する。
(やれやれ、困ったお方だ。……しかしこれで竜魔刀を使いこなせばひとまずは安心だな)
雪代ノ奥方は小太刀を構えて、深く呼吸して、精神集中する。
いよいよ上玉竜魔刀の本領発揮となる、それがいかなるものかはウコンも興味津々だった。
小太刀は薄っすらと光り輝いて、今まさに真なる力を示さんとしていた。
「正真正銘――『御膳大蒸籠』!」
しーん。
何も起きなかった。
敵味方の怒号が入り交じる中、三匹の端くれと奥方との間には静寂の一時が流れていた。
(……その名、どこかで)
そして奥方は今一度、高らかに小太刀の“正しき銘”を叫ぼうとする。
「正真正銘――『紅葉時雨煮』!!」
しーん。
口上は虚しく戦場に響いた。
(……よもや思いついた料理の名を叫んでいる!?)
ウコンは愕然とした。
奥方はこの小太刀の正銘を“忘れている”もしくは“知らない”のだ。つまり、この小太刀は現状ただの無銘無能力の数打ち品と同じなのだ。
『……キュキャキャキャキャキャ!!』
殺到する三匹の竜魔の端くれ。
一対三。
これはまずい、とウコンが救助に駆けつけようと飛び出しかけた次の瞬間である。
「逃げます! ごめんなさい!!」
脱兎。
まさに逃げる兎が如く、奥方は背中を見せて逃げ出したのだ。手負いの少年を置き去りにして。
(は?)
これには三匹の竜魔の端くれも各々に顔を見合わせて困惑している素振りをみせた。
(え、どうする? とでも言わんばかりの……)
しかし戸惑うのは数秒のこと、すぐに竜魔は追撃しようと奥方を追いかける。
『ギャキャキャキャキャッ!!』
「ぎゃわーー!?」
奥方が逃げ込んだのは二階建ての旅籠の中、先ほどまでウコンの隠れ潜んでいた場所だ。
どったんばったん大騒ぎ。
すばしっこくて大柄な奥方のみならず、三匹の騎馬に匹敵する大きな怪物が追いかけるのだ。
ゆったりとした作りの旅籠といえど、こうも大暴れされては建物も悲鳴を上げる他ない。
「何やってるんですか、あのダメトラは!」
ウコンはあわてて旅籠の中へと追いかけていこうとするが、ふと冷静になる。
主戦場だった表通りから一気に三匹も竜魔が去り、そして負傷した弱卒の若犬はまだ生きている。
(そうか、端くれどもは逃げる獲物を考えなしに追う傾向がある……。それに結果だけみれば、奥方様は二匹も仲間を殺している要注意戦力。こいつにトドメを刺すより優先するのは当然か)
ウコンは一呼吸を置くと、少年を助けるために動いた。
「ほら、肩を貸す。立て。隠れるぞ」
「は、はい! あ、痛っ!」
「旦那様は“オトリ”になってくださったのだ。今のうちに避難するぞ」
「え、でも逃げるって……」
ひやり。
敵前逃亡の疑惑にウコンは動揺した。
――後先考えずに逃げる、ということを奥方は初対面のウコン相手にやってのけた前科がある。
「……敵を騙すには味方から、と兵法でも言うではないか」
「……ああ、なるほど!」
若犬は純朴なのか、すっかり信じている様子であった。
ガシャンッ。
バキッ、ボキボキッ、ガラガラドッカン。
この旅籠屋から聞こてくる大捕物の騒音を、若侍は勇敢なる大立ち回りだと想像するのだろうか。
ウコンには泣きべそかきながらみっともなく逃げ回っているようにしか思えなかった。
だって奥方だもの。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます