第九話「弱卒と白雷」 2/2

 陣地形成と人員配置は急務であり、そこに指揮官となる隊長の力量が大きく関わってくる。

 しかし宿役人のソンジューロウはこの場で一番に序列が高くとも、戦いに長じた人物ではない。


 白羽の矢が立ったのはふたり、白虎族である雪代ノ奥方、そして犬狼族の青年ゲンパチだった。


「ここはやはり白虎族にこそ大将が!」


 といった数名の声を遮り、奥方の事情を知っているソンジューロウはこう述べた。


「皆のもの、このお方は藩主の命を受け、密命を授かっておる。訳あって素性も明かせぬのだ。今回は特別にお力添えなさってくださるが、万が一があってはならぬ。それに我々とは初対面、勝手がわからぬはず。ここはゲンパチ、お前に任せようぞ」


「はっ!」


 犬狼族のゲンパチはこの場に複数の兄弟を引き連れている、下級武士の家の長男であった。


 臼杵のような太く長い鼻先は艶もよく、雄々しく精悍な面構え、噛み締めた歯牙は木片くらい噛み千切りそうにみえる。厳格そうな気性は一連のやりとりで見てとれた。

 長男のゲンパチに従う数名の兄弟にも慕われている様子だ。現場指揮官として申し分はない。


(さて、生存戦略、生存戦略っと)


 その後、物陰に逃げてきた奥方をなだめたウコンは『戦わずして戦う』策を実行に移す。




「なに、白虎殿を弓隊に?」


「旦那様は弓の名手であらせられます。地上にて直に戦うのも一手、なれどソンジューロウ様の申していたように御身になにかあってはなりません。ですので屋根上で援護に徹するのはいかがかと」


「……ならぬ」


 ゲンパチは彫りの深い顔つきをより険しくして、白虎族の侍の従者として具申するウコンを睨む。


「竜魔刀を操るならば、最大限に力を発揮できるのはやはり剣戟に他ならぬ。此度の戦、諸般の事情があろうとも、貴重な戦力を出し惜しみする余力はないのだ」


「そうですか……」


 ウコンは交渉事があまり得意なわけではない。


 こうした時、サコンはもっと上手く口八丁手八丁でやりすごす。ウコンはどうにも苦手だ。


(……この男ゲンパチは弟たちも引き連れて戦に挑んでいる。見ず知らずの要人のために家族を犠牲にしろ、というのは私だって嫌だろうな……)


 ウコンはゲンパチの弟たちを見やった。よく似ているが、背丈も年齢も貫禄もまるで違っている。

 とりわけ一番末の弟らしき若犬ときたら、落ち着きなくその場をくるくるまわっている始末だ。


 ゲンパチは指揮官として極力、私情を押し殺してみえるが、時折心配そうな目つきをする。


(……思い出せ、私は奥方様になんと言ったのか)


 ウコンは悩む。

 目を閉じて、奥方とのやりとりを思い出す。


『そうね、私には“手柄”なんて要りませんもの』


 ――これだ、とウコンは尻尾をピンと立てて己の閃きに歓喜した。よくぞ考えついた、と。


「……よろしいのですか、旦那様に“手柄”を根こそぎ奪われても」


「なんだと?」


「もし白虎族の旦那様に一番の大手柄を上げさせれば、皆々様の武働きも虚しく、名声や恩賞は旦那様にばかり集まってしまうことでしょう。無論、死物狂いになって戦えば旦那様とて無傷とは参らず、藩主様より授かった密命にも支障をきたすことになる。お互い、損ではありませんか」


「ぐぅ……、だがしかし、損得のために勝敗を軽んずるなど本末転倒ではないか!」


 ゲンパチは正しい。至極まっとうだ。

 宿場町や迎撃隊全体のことを考えれば、彼こそ道理に叶っている。

 しかし――全体の利益に適うからと望んで個人として犠牲になることをウコンは断固拒絶する。


「では、我々は“ゲンパチ殿と喧嘩別れになり”参戦できなんたことにして、去ります」


「貴様ッ!」


「藩主の密命という大事なお役目があるのです。上意に従った上であれば、この場から去ったとて、武士として不心得にはあたらない。それを強引に従わせたとして、ゲンパチ殿は後々、申し開きができますか」


 ゲンパチは犬狼族らしく低い唸り声をあげてにらむ。

 ウコンとて場数は踏んでいるが、忍者の胆力があってなお恐ろしい鬼気迫るものがある。

 それでもめげずに、ウコンは小娘だてらに強気に踏ん張って、睨み合いに応じた。


「……相分かった。白虎殿の申すままに従おう」


 ゲンパチは苦々しげに、しかし尻尾をしなだれさせてそう言わされた。




 かくして開戦の時、雪代ノ奥方は屋根上の弓隊に配置されることになった。


 奥方の武装は、急遽貸し与えられた本式の鉄甲冑に大弓、そして自前の竜魔刀二振りとなる。指揮官でもないのに白い陣羽織を着ているのも破格の待遇だといえる。

 ウコンは町娘の格好のまま忍具と竜玉を隠し持って、弓隊の陣取る建物の二階室内に控えていた。

 ウコンはあくまで忍者、表向きは戦力外なのでいざという時を除いて、戦う必然性がない立場だ。


(……とはいえ、やはり間近にいなくては)


 町娘として装っていては行動に制限がある。ウコンは人目がないことを確かめると、こっそり盗んできた侍装束に素早く着替えて変装することにした。

 あくまで戦いの場にまぎれるための変装と割り切って、単にウコンは袴着になったのみだ。刀すら持ち合わせていないので、この男装はごまかしが利いて少々動きやすくなる程度である。


(……それにしても、奥方様はホントに弓の名手なのか)


 ウコンは屋上に登って、瓦屋根の起伏に隠れながら奥方の様子を盗み見る。


 大弓。


 長弓ともいい、七尺三寸という使い手の背丈を大いに上回る全長がある大弓は強力な射撃武器だ。


 鎧甲冑や端くれの龍鱗さえも適切な距離で命中すれば、深々と貫通しうる。もちろん、それには弓を引く力強さ、命中させる精密さが欠かせない。

 あの奥方にそれだけの武芸があるとは、いささか信じられぬ――とウコンは不安がる。


 そして敵襲、開戦。


「竜魔どものいななきなど鶏鳴と心得よ! 我らが遠吠えに及ぶべくなし!」


 犬狼族の士官――ゲンパチが自ら弓を手にして、吠える。


「放てーーーいっ!!」


 一斉射撃。

 これからまさに防御陣地に襲いかかろうと牙剥く竜魔の横っ腹を、次々と鉄の矢が穿った。


「あっ!」


 と、第一射の直後、奥方がみょうな声をあげたのをウコンはしかと聴いていた。

 他の矢弾が狙い通りに竜魔に突き刺さっている中、奥方の一矢は盛大に狙いを外したのだ。


 しかしだ。

 狙いの外れた剛弓の一矢は、運良く外した先にいた別の竜馬の端くれに命中していたのだ。本来、弓矢を動く目標に狙い通りに命中させるのは熟練者でも苦労する。今回は拒馬という障害物で足止め、動きの止まったところで一斉射撃したので、狙い通りでなくても“何か”に当たるのは作戦のおかげといえるが――。


 否、単に当たるどころではなく、とても強靭な膂力で撃ち出された矢はなんと竜馬の端くれの首にグサリと突き刺さり、反対側まで貫通して突き刺さったのだ。


『キュゲゲクカカ……ッ』


 剛射の貫通した竜魔の端くれはドボドボと流血し、ふらふらと足取りをみだしながらよろめき、最後には土埃をあげて盛大に倒れ伏した。


 たったの一撃で、だ。


(……は?)


 信じがたい威力だ。ウコンの実戦経験において、弓矢を用いる竜魔狩りはいても、一撃で屠った例は見たことがない。奥方より正確無比な射手はいても、奥方より強力無比な射手はいなかった。


 否、これは一撃偶殺。威力よりも当たりどころのよさ、幸運のおかげか。


「あ、当たっちゃった……」


 それでいて奥方本人が一番、目をぱちくりさせ命中結果に驚いているのである。


「お見事でござる!」


「さすがは白虎の兵!」


 士気のあがる侍衆をよそに、奥方は目に見えてもう緊張の糸みたいなものが切れてしまっていた。


「第二射、構えーいっ! 放て!」


 弓隊の一斉射撃に乗じて、再び、奥方は力強く引き絞った弓矢を、竜魔へと撃ち放つ。

 風斬り音。

 奥方の第二射は今度こそ、狙い通りに飛翔した。


 そして向かいの建物の看板を真っ二つにかち割ってしまった。竜魔の端くれは動く目標、ほんの一瞬前までそこにあったはずの頭がズレて、射線上の看板を破壊したのだ。


「あっ、ああっ!」


(弓の名手――、というよりは弓の迷子では)


 弓術がドヘタなわけではない。

 威力は桁外れ、命中精度は上々、しかし“敵の動作予測”ができかねるらしい。それができるのはまさに達人であって、止まっている目標なら当てられるのは十分上手いのだが。


「第三射、構えーいっ!」


 指揮官のゲンパチの号令に対して、奥方は弓を握る手が震えて、もう射撃姿勢を放棄していた。

 ウコンにはすぐ理由がわかった。

 第三射に差し掛かった時、竜魔の端くれと地上部隊とはもう乱戦に突入していた。

 敵味方が入り乱れる状況下、比較的安全なように上手く狙うとしても、万一にも誤射すると味方に当たる可能性を否定できなくなってきていた。


「あわわわわわわ……!」


 視界の範囲内に味方の姿が映ってしまったが最後、もはや奥方に射手は務まらなかった。

 きっと想像の中で、あの看板のように味方の鎧兜を真っ二つにしてしまったのだろう。


(難儀なお方だ……)


 使い物にならない、と一瞬ウコンは思うがしかし大事なのは竜魔の撃退ではないと思い直す。

 一匹、偶然に。

 それでも最小限の戦いへの貢献はできた。

 端くれ一匹の戦力は、騎馬武者に相当する。この手柄があればあとは生き延びるのみでよい。


(ああもう、見ていてハラハラするお方だ……)


 ここで敵陣が動く。

 弓隊の陣取る屋根上を目掛けて、竜魔の端くれは約半数、猛然と登ってこようとしたのだ。

 端くれは強靭な後脚を使って大きく跳ね上がり、さらに前足や顎戸を使って、一階の屋根瓦に登り、さらに二階を這い登っては屋根上に。弓隊も接近射撃で迎撃を試みるが、やはり端くれの頑強な肉体は人並みの弓矢では即死させるほどに威力はない。


 なにより、竜魔は手傷を負い、血を流して、苦悶の埋め声をあげてもなお襲ってくる。

 死をいとわぬ獰猛さ、執念深さはケモノビトの侍たちを戦慄させた。


「こ、こっちに来るぞ!」


「落ち着け! 浮いた駒から喰われるぞ!」


 一致団結して怪物の群れに立ち向かおうという覚悟を決める弓隊は、半数が抜剣して迎撃体制に。

 そんな中、奥方は――。


「こ、来ないで、こな……。わ! きゃわああああーー!?」


 竜魔の端くれから距離をとろうと後ずさるあまりに、なんと脚を踏み外し、屋根から転落した。

 すってんころりん、転げ落ちた。


「奥方様ッ!?」


 坂道を転げ落ちるおにぎりのように奥方は景気よく転がって、乱戦状態の地上、表通りへ。


「ぴゃァァああ―――っ!!」


 地上では今まさに、竜魔の端くれにより命脈を断たれる寸前の若犬の弱卒が倒れ伏していた。


 竜魔の端くれは最後の一撃を浴びせようとする。


 刹那、回転する甲冑毛玉と化した奥方が落下してきたのだ。


 激突。

 激烈に衝突。


 奥方と鉄甲冑の無駄に重たい重量、さらに硬くて頑丈で角張った全身鎧がぶち当たったのだ。

 竜魔の端くれは強烈な衝撃に弾き飛ばされれば、そのまま勢い余って、拒馬の鋭利な木材の先端が深々と突き刺さって絶命に至らしめた。


 断末魔の叫びをあげて、竜魔の端くれは不運にも“事故死”する。


 そのさまは――何も知らぬ地上の武者たちには、あたかも落雷のような強襲にみえたであろう。


 ――白き稲妻が閃いた。


 雪代ノ白雷。


 当地の寝物語に語り継がれる、伝説の英雄の再来――。

 後にそう弱卒の若犬が言い触れ回る武勇の真相を知るのは銀狐のウコン、ただ一匹。


(なにをやってるんですか、あのダメトラは!!)


「はらほろひれはれ」


 ぐるぐると目を回してふらふらひよこと踊っている奥方を目にして、ウコンは覚悟する。

 いざとなればいっしょに尻尾を巻いて逃げよう、と。

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