第八話「虎穴と虎子」
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「敵襲! 敵襲ッ!」
警鐘が鳴り響く中、いよいよもって竜魔の群れは宿場町へと雪崩込んできた。
「竜魔は本命一匹、端くれが十匹以上! 西門方面より接近中!」
「こちらの頭数はわずか十数名、か……」
宿場町を取り仕切る代表者、宿役人の元、今この宿場町にある主要な現状戦力が集結している。
宿役人のソンジューロウは年老いた犬のケモノビトであり、中級程度の武士である。
ちいさな宿場町に代々任官されている地元の有力者とはいえ、せいぜい単一の町の長にすぎない。
「皆のもの、此度はよくぞ集ってくれましたな。我らが町を守るため、どうかお力をお借りしたい」
ここで今更に、決起集会を遠巻きに見守っているウコンはあることを思い出す。
宿役人のソンジューロウとは一度、脇本陣を借りるために挨拶をしている。ウコンは一切言葉をかわしていないが、この老犬は、奥方の正体と事情について知っている側なのだ。
(……我々は一宿一飯の恩義がある、というわけか)
脇本陣に寝泊まりでき、温泉にも浸かることができたのはソンジューロウのおかげでもある。
ウコンはそれだけのために命をなげうつ気にはなれないが、しかし武家の道理でいけば、自分は世話になっておいていざとなれば見捨てるというのはますます不心得者とみなされてしまう。
当然、台帳に宿泊記録があるので、追求されると言い逃れしづらくて困る。
(他の白虎族はなし、か)
ウコンは町娘の格好ということもあって、戦力外とみなされる。
一方、奥方はもう有効戦力として、侍衆の輪に組み込まれてしまっている。
「では、各自持ち場についてくれ。武運を祈る」
「応ッ!」
ソンジューロウが手短に事の成り行き、戦う意義、そして作戦と配置を伝え終える。
武士達の多くは威勢よく、士気も高々に沸き立ってみえた。
「我らには雪代家の益荒男がついていらっしゃる! 赤槍様もじき駆けつけるであろう!」
「そうだ! 我らも勇猛なる白虎族の若君につづけ!」
「うおおおおおおーーーっ! わおぉおおおーーーんっ!」
(……あ、暑苦しい)
ケモノビトの武家は往々にして、興奮すると野生じみた雄叫びをあげる者が少なくない。
とりわけ犬や狼はよく吠える。
犬狼のケモノビトは下級武士に多く、一般に集団行動や忠義に長けているとされている。
この場に集っている十数名の武士の八割が犬や狼である。しかも兄弟だとか、親戚だとか、ちいさな宿場町の下級武士を集めた結果ほとんど同じ一族揃いだ。
――で、そこにたったひとり、白虎族の若武者がいれば、どうしても目立ってしまうわけだ。
奥方の背丈はうんと高い。女人ながらに、それでも犬族の侍らより一回り大きいのだ。
装束や脇差もなまじ上等なために、財力が数段劣る下級武士より強そうに誤解されてしまうのだ。
「期待が、期待が過大すぎる……!」
どうにかこうにか犬狼たちの集団から抜け出してきた奥方は物陰に逃げ込むなり、涙ぐむ。
弱音を吐く。
「あやうく大将に祭り上げられそうになったのよ!? この臆病者の私が!」
「奥方様が大将になれば後ろでどっしり構えていられたものを」
「負けて責任を問われるのはイヤなの!」
「……惨敗を喫すれば、あざやかな掌返しからの非難轟々ワンワンキャンキャン大合唱ですかね」
「ああ、そうなるくらいだったらまだ一兵として戦った方がマシだわ」
奥方はその場にうずくまって、憂鬱そうにぼやく。
ホントに情けない人だ。
しかしながら、ウコンはその弱さについつい共感してしまう。
「奥方様は自ら戦われることよりも指図ひとつで個人の生死を決定づけることが怖いのですね」
「……だって、だって、これは囲碁や将棋じゃないのよ」
「ご安心ください。彼らとて、いかに忠実であったとしても、命じられるままに動く木彫りの駒ではないのです。それに奥方様はひとつ、下々について誤解なさっている」
「へ、誤解?」
目尻に浮かべていたぽろぽろ涙を拭いながら奥方はきょとんとウコンの顔を見つめてきた。
純真な人だ――。
その世間知らずさえもウコンには長所に見えてしまうのは少々贔屓目というものだろうか。
「竜魔狩りには報奨が伴います。竜魔の本命を倒せば、竜玉という財宝を得ることも夢ではない。奥方様のようにさも当然のように最上級の竜魔刀を与えられる者には理解しがたいでしょうが、上等な竜玉や竜魔刀は下級武士にとっては末代までの家宝たりえます。立身出世の好機なのです」
「好機……」
「わたくしとて、手元の竜玉は貸し与えられたものでございます。紛失すればどうなることやら」
奥方は大小二振りの竜魔刀にそっと触れて、黙考する。
下級武士には一生涯を費やしても得られるか否か、という上等の竜魔刀が二本ここにある。
下級武士には“端くれ”から得られる小竜玉を用いた下等の竜魔刀があったとして、それでもまだマシな方だ。おそらく数名は、通常の武器しか所持していない。
ここで活躍すれば恩賞や竜玉を得る機会がある、そう己を鼓舞して犬狼たちは雄叫びをあげる。
家族や地域を守りたい。
出世や報酬を勝ち取りたい。
そうした武士たちの心境を理解した時、ようやく熱狂的な、むしろ竜魔の襲撃を心待ちにしているかのような勇ましさ、士気の高さに合点がいく。
「……ウコン、貴方の言いたい誤解というのはつまり」
「彼奴らは己が身命よりも“手柄”を欲している、ということでござします。そこを履き違えますと、お互いのためになりません」
「そうね、私には“手柄”なんて要りませんもの」
奥方は、ふらふらと立ち上がった。
希望と勇気を宿して戦う勇敢な侍たちにまぎれて、奥方は恐怖の狭間で戦う臆病な侍になる。
ウコンの見るに、そうした覚悟は決まった様子であった。
「そういえば虎穴に入らずんば虎子を得ず、と申します。まさに武士の功名を言い得ております」
「……え!? あ、そのような意味だったの!?」
それなりに凛々しく侍らしさを醸していた奥方が不意にいつものまんまるおとぼけ顔に戻る。
おまけして、奥方はなぜか赤面していた。
ウコンは不思議でならず、奥方に「できれば説明を」と小首を傾げながら問うた。
「うー、がー、ううう」
「うなっていてはわかりません、この疑問、墓場まで持っていかれても困るのですが」
奥方はうつむき、視線をそらして、指先をつんつく突き合わせながら。
――大いに恥じらいつつ告白する。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、というのは私はてっきり、色恋沙汰にまつわる話だと……」
迂遠。
色恋沙汰、という言葉選びはあきらかに嘘をついている。尻尾がそわそわしすぎている。
しかし本当のところを暴き立てるのも野暮だと考えて、ウコンは苦笑して――。
「なるほど、武功も恋路も失敗をおそれぬことが大事とは、さすが奥方様は聡明でいらっしゃる」
そう話の辻褄を合わせてやることにした。
しかし口にしてみてウコンがどうにも釈然としないのは――。失敗をおそれず決断する、という教訓が今はまだウコンには共感しがたいものであるからだろうか。それとも――。
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