第七話「早鐘と撃竜軍」

 カンカカンッカンカカンッ!


 早鐘が鳴り渡る。


 宿場町は騒然とした。


 火の見櫓に詰めている見張り番がなにか異常を見つけ、警鐘を鳴らしている。早鐘はあらかじめ鳴らし方によってなにを意味するかを決められているので、たちどころに緊急時の情報伝達ができる。


 “火の見櫓”というように最大の役割は火災の早期発見にあるが、洪水のような他の災害、平時にも時報を告げる目的で使われる半鐘であるが、その刻みの早さは明確に危険を示唆していた。

 それはふたりが蕎麦屋を出てほどなくして宿場町を出立しようかという矢先のことであった。


「竜魔が、竜魔が出たぞー!」


 誰彼となくそう叫んでは告げまわり、宿場町に暮らす者たちはそれぞれに走り回った。

 即ち、家にこもってやり過ごそうという者もいれば、半鐘に気づかぬ知人に伝えに行く者、家族親類を守ろうと防備を整える者、我先にとどこか町の外へ逃げそうという者、様々である。


 ウコンは早々に奥方の手を引いて、まずはと民家の陰に隠れて事の成り行きを見定めようとする。


「ウコン、もしや昨日の竜魔がこの人里に?」


「だとすれば竜魔の本命は端くれを伴って、襲撃してくるやもしれません。竜魔は血を好みます。遅かれ早かれ、彼奴らが一度どこかで姿を見せたならば、いずれは我らケモノビトに牙を剥く。噂では、とうにご城下から撃竜軍が征伐に山へ入ったとのことでしたが……」


「……撃竜軍」


 不安げに表通りの混乱ぶりを眺めていた奥方は、重々しくその名を口にした。

 撃竜軍とは、竜魔狩りに赴く軍勢のことだ。

 撃竜軍は上級武士を指揮官として、下級武士や郷士を率いて戦い、勇猛に役目を果たす。

 この地において、撃竜軍には必ず白虎族が関わっていることは白虎そばひとつとっても明白だ。


「いかがしましょう、奥方様」


「いかが、といわれても……! 逃げる? 隠れる? でも、私は……」


 ウコンも判断を決めかねていた。

 逃げるにせよ隠れるにせよ、竜魔の脅威から確実に逃れられる保障はない。

 無論ウコンは護衛として、何としても奥方の身の安全を確保せねばならないのだが。


「戦える者を集めよ! 皆で一致団結して迎え撃つのだ!」


「よし、我らも加勢するぞ」


 そう勇ましく名乗りをあげる武士らしき声が騒乱の中、聴こえてきた。


 武家の心得として、このような時に逃げ隠れすることは到底許されるものではなかった。


 病人と子供は例外にあたるが、この時世、武術の心得がありまともに戦えるのであれば、老人や女人であるといったことは戦闘に協力しない正当な理由たりえない。


 つまり、竜魔刀を有して白虎族という戦闘種族である奥方は、もし男装を解いたとしてもなおこの局面では有効戦力とみなされてしまう。

 臆病風に吹かれる振る舞いをしたとあっては後々、処罰や悪評に繋がりかねないのだ。


(私ひとりだったら、いくらでもごまかせるが……)


 竜魔と戦うのか。

 それとも世間と戦うのか。

 その決断を下すのはウコンではなくて、護衛対象であり決定権のある奥方でなくてはならない。


「た、戦いましょう」


 それは勇気と責任感から発せられた言葉ではないとウコンには一目瞭然だった。

 奥方は怖じ気づいている。

 何の気配もないのにお守りのように刀に添えている手が、明らかに震えている。


「……武士としての不覚悟を問われて、市中引き回しの刑を受ける者を見たことがあるの。ご城下ではたまにあるのよ、そうやって惨めで哀れな末路を辿る人をみて、みんな怖がる。自分もああなってはならぬよう、善良に生きよう、と」


「窮屈な話にございます」


「戦乱の世では、逃げ出した兵を将官が切り捨てては見せしめにして、敵軍に立ち向かわせたとも聞き及びます。道理はわかるのです。誰彼かまわず逃げ出すことを許してしまえば、すぐに軍は散り散りになる。逃亡は裏切りに等しい。そして逃げた兵の属する伍も連座して罰したといいますし」


 伍。伍人組。

 末端の兵の最小単位であり、また農民や町民の互助組合でもある。

 伍人組は互いに助け合い、監視し合い、そして連帯責任が生じる枠組みである。

 伍人組の誰かが犯した不始末は、その監視を怠った残りの全員にも責任があると処罰されるのであれば、伍人組は当然、そうならぬようにお互いを見張ることになる。


 組織維持に欠かせぬ規律の遵守は、ウコンにとっても他人事ではない。伍人組でこそないが、ウコンとサコンもまたお互いに連座とみなされているからだ。

 もしウコンが、あるいはサコンが無断で里抜けでもすれば、もう片方が責任を負う羽目になる。


 天下泰平。

 平穏な世の中はこうした相互監視によって支えられているのだから窮屈だがよくできてもいる。

 もっとも、戦乱の兵隊に比べれば、農民町民の伍人組はゆるやかでおおらかであるが。


「望んで戦いたい訳ではないのよ。けれど、今はそうしないと一族に迷惑がかかる。私みたいな臆病者をも戦わせるようにできてるなんて、ああ、よくできた世の中ですこと」


「……心中、お察し致します」


 恐怖に勝るのはより強い恐怖である、という簡潔な真理。


 仇討ち旅とてそうだ。仇討ちを果たさねば、返り討ちにあって死ぬより恐ろしい目に遭うのだ。

 奥方にとって、恐怖に打ち勝つだなんて世迷い言でしかない。

 恐怖に従順だからこそ、奥方は今ここで戦うことを決意せざるをえなかったのだろう。


「……夫や叔父上とは大違い、わたしはダメなトラなのです」


 暗がりに身を潜めていた奥方はおそるおそる、土埃の舞う宿場の表通りへ。

 勇ましき光の中へと追い立てられていく。

 ウコンにはとてもそれが物悲しく、情けなく、そして哀れにみえた。


「ダメでもよいではありませんか、奥方様」


 ウコンは奥方の三歩後ろに立って、真昼の光差す中、奥方の影に隠れて付き従っていく。

 侍の衣を借る虎。

 虎の衣を笑う狐。


「ダメなところは治さずともごまかせればよいのでございます。その似合わぬ侍装束のように」


 ウコンの言葉に、奥方は凛々しさのかけらもなく、へにゃっと笑った。

 さぁ戦いがはじまる。

 ――これよりはいかに戦わずして戦うか、だ。

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