第六話「蕎麦屋とうさぎ」 2/2

「へい、おまちどうさま」


 いざ卓上に並べられた白虎そば、いかなるものかと申せば白と黒の白虎柄には相違ない。

 冷やしざるそばの上に白いとろろいもと黒い海苔を盛ってあるわけだ。


「なるほど、とろろに海苔で白黒縞模様……」


「お武家さんみてーな白虎族はここらじゃ有名でございやすからご高名にあやかろうって訳でさぁ」


 看板娘の栗毛兎はきつねと天ぷらのそばを配りながら朗々と喋る。


「ここにゃ竜魔狩りのご一行がよくお役目のために御城下からやってきやす。“雪代ノ赤槍”様の武勇を聞けばついつい食べたくなるのが白虎そばでござい」


(赤槍様……?)


「ああ、叔父上のことね」


 ぽやーっと何も考えてない発言をしてウコンに睨まれ、はっとした奥方はあわてて言い直す。


「お、叔父上のことでござるわね!」


「叔父上だって!? 一瞬聞き間違えかと思ったが、こいつぁー驚いた……」


 口調の不自然さをごまかせたのか、看板兎はピンと耳を立てて口をお盆で隠している。


「ご親類くらいは想像ついたが、赤槍様が叔父上たぁー、あんた何者でい」


「な、名乗るほどのものでは……」


 色々とややこしい話になりそうな気配を感じて、ウコンは助け舟を出す。


「旦那様、せっかくのそばがのびてまずくなってしまいます。お早くお召し上がりを」


「そ、そうでござるね!」


「いっけね、確かに無駄話で飯の邪魔しちゃとっつぁんにどやされらぁ。そんじゃごゆっくり」


 気っ風のよい飯処の看板娘は春風のように去っていく。


「いただきます」


 丁寧に拝み、奥方はまず天ぷらそばに箸をつける。

 奥方はほわほわと白く湯気立つかけそばをふーふーと冷まして、つるるとそばをすする。つゆの撥ねぬほど所作は丁寧なれど、ずずるずるると勢いのある食べっぷりである。


 つゆ濡れて黄金色に輝く野菜の天ぷらを大きく口を開けてぱくりと食む。

 さくさくと丸顔を上下させては堪能する。

 天ぷらは人参がとりわけ鮮やかで、海老天の尾よりも赤くて香ばしそうにみえてならなかった。


「はふ、はむあぐ」


 よっぽど美味なのか、奥方にしては珍しく声を漏らす。あるいは若侍に扮する芝居の一貫か。

 ウコンが見惚れていると奥方は食べかけの天ぷらそばを差し出してきた。


「ウコンも食べてみる?」


「い、いえ、行儀がいささか……」


 困惑するウコン相手に、奥方はやや強引に海老の天ぷらをつまんで、食べてみてと目で訴える。


「そ、そこまでおっしゃるなら……」


 目上の申し出は一度ことわる、しかし二度も断るのは無礼になりかねない。そう言い聞かせて。


 さくっ。

 ぷりっ。

 そばつゆの染みた海老天の美味しさはウコンの庶民舌には贅沢が過ぎた。

 海老天は食感や甘みもさることながら、なんといっても蕎麦の風味に馴染んだ甘じょっぱくも香ばしい衣がたまらない。


 当世、天ぷらは家々で気軽に作れるものではなかった。上手に揚げるためには火力のために備長炭や専用の調理設備が必要、そして高温調理の火加減には職人の業がなくてはならないからだ。

 尻尾の殻まで丸一匹をついつい平らげると、今度はそばのあっさりとした味わいが恋しくなる。


「ん……」


 とろろの白と海苔の黒は目を、山と磯のかぐわしさはウコンのよく利く狐鼻をくすぐる。ちょんちょんとつけつゆに白虎蕎麦をくぐらせすすると、つるりとしたのどごしと噛みごたえにねっとりとしたとろろ芋のぬめり、そこに海苔のパリッとした食感が加わるとたまらない三重奏になる。


 白虎という洒落に終わらず、とろろ海苔そばとして見事に調和がとれているのだ。

 冷たくさっぱりとした白虎蕎麦の味わいが、熱々で濃い海老天の名残惜しさと混然一体となる。


 あたかも蕎麦色の山水画である。

 白と黒の濃淡で描かれた世界を、海老天をくわえた白虎が駆け巡るようであった。


(……もう食べきってしまった)


 途中、野菜の天ぷらも一口わけてもらったが、その時ウコンにはためらいの一つもなかった。


「ごちそうさま」


 気づけば、もう奥方はきつねそばも食べきっていた。きつねを食べてるさまは一切記憶にない。それだけウコンは白虎そばに夢中になっていたらしい。


(……待て、あの野菜のかき揚げ、奥方が半分お食べになっていたものでは)


 幼子やひな鳥のように「あーん」とウコンは口を開け、奥方に食べさせてもらっていた。

 傍目に見れば、とても恥じらって然るべき行いだったのではないか。


(ぬ、ぬっ!)


 右みて左みて、他人の視線を気にするが特別こちらを眺めている他の利用客はいなかった。

 ただし、看板娘の栗茶兎は例外である。


(下手なことを言ってくれるなよ……)


 とウコンは無言で念じるが、看板兎はさして反応を顔色に出すこともなく接客にまた戻る。


(くっ、不覚だ……)


「大丈夫よ、ウコンったら。こんなに美味しいお蕎麦屋だもの、みんな食べるのに夢中だわ」


「夢中すぎて素に戻ってらっしゃいますよ、旦那様」


「ふふっ、あら、いけない」


 くすくすと朗らかに笑っている奥方。

 ウコンが少々強がってみても、今回ばかりはどうにも奥方の方に分があるようでなんだか悔しい。


「あなたって美味しそうに食べるのね」


「いえ、旦那様ほどでは」


 意地っ張りなことをいってみるが、なんだか滑稽すぎて、どちらともなくふたりはまた微笑した。


「ウコンといっしょの食事はなんだか楽しくてならないの。旅気分のおかげかしら」


「光栄です。幸い、ここまでは美味なものが続いてくれたおかげでしょう。山中で携帯保存食に頼るような時はそうも言っておられませんよ」


「それはそうだけれど、私ね、久々だったのよ」


 奥方は少々言い淀みつつ、どこか気遣いつつも弱々しさを垣間見せて述べてくれた。


「“あの日”以来、家の者はみんな私のことを気遣ってくれたわ。やさしく、厳しく。どんな形であれ、私に変化を求めているの。同情と期待、かしら」


 あの日――。

 仇討ち旅のきっかけ、つまりは雪代ノ入婿殿の亡くなった日であろう。

 言われてみて、ウコンは気づく。考えてみれば、ウコンは格別に“未亡人”として奥方を哀れんだり、あるいは“仇討ち人”として武運を祈るようなことがない。


「けれど、ウコンはちっとも気遣ってはくれないでしょう? そこが違うのよ」


「格別、深い理由はございません。旦那様がお望みであればともかく、わたくしは人の機微に疎いといわれて護衛をやれと命じられている次第で。それに世話役ではありますが指南役ではなく」


「お気楽ですこと」


「お嫌いですか」


「いいえ、貴方のことは気に入っているわよ。まだここのお蕎麦の味ほどではないけれど」


「わたくしめも同感にございます」


 軽妙なやりとりはどこか小芝居のようでもあり、実際、ふたりは仮初の主従を演じている間柄だ。

 しかしウコンは単純明快に、このやりとりが楽しくて居心地が良かった。

 そして奥方にとっても居心地のよい一時であったであろうことを確認できて一安心してもいる。


 生来の気質もあって、ウコンは不好を買うことも多々あった。とりわけ忍び里での修行や任務においては熱意のなさゆえに疎まれがちだ。都合のよい駒であることが最上の忍者として、ぐーたらで面倒くさがりというのは好まれる道理がない。


 ウコンにとってこの主従ごっこは兎角、快適という他になかった。


「へい、お代は確かにこの通りいただきやした」


 潤沢な路銀にも感謝せねばならない、とウコンは支払いを済ませながら心に抱く。

 一方、奥方は金払いのよい上に「じつに美味でござった、と店主に伝えてくれぬか」等と賛辞を惜しまなかったので、店を出るときには手を振って見送ってもらうほど看板娘に気に入られていた。


「ところでおふたりさん、虎と狐、夫婦にゃ見えないが……」


 不意に投げかけられた疑問に、ウコンは軽く動揺してしまった。


「もしや恋仲かい?」


 虎と狐。

 身分違い、そして種族違い。

 ケモノビトは多くの場合、なるべく近似種と結婚する。身分も近いことが望ましいとされる。


 ふたりは表向き単なる主従という体裁であったが、少々仲睦まじく見えてしまっていらぬ誤解が店側に生じてしまったのだ。

 むしろ男装が明るみに出てないだけごまかせていると言えるが、しかしとっさに答えづらい。


 ウコンは機転の利いた返答をひねり出そうとして、かえって言葉に詰まった。

 まずい、そう焦っていると――。


「この者は拙者の“きつねそば”にござる」


 そう凛々しげに言葉するや否や、ウコンの肩を抱いて、ぐいと引き寄せた。

 強引な力加減にびっくりして奥方の表情を見ようとすれば、ウコンの目線はせいぜい胸元に及ぶか否かという身長差があって、真下から見上げる形になってしまった。


 そう演じているだけあって、この時の奥方は、まさに恋仲の殿方かのように見えてならず――。

 己の胸が高鳴るのを、ウコンは自覚せざるをえなかった。


「拙者、蕎麦屋に“そば”を連れてきてはならぬ決まりごとはないと存じるが、どうであろう?」


「――あ、いや、これは失敬しやした! えへへへ」


 茶栗の兎娘はほんのり頬を赤らめ、そそくさと店に戻っていく。

 一体なにをどう言いくるめたのか、ウコンには理解しきれず、小首を傾げる他なかった。


「旦那様、今のはどういう……?」


「武家の世界では正室でない妻を側室といい、側女(そばめ)と申します。身分違い、種族違いの恋仲とて、側女であればさして不自然でもないからそう言い繕ったのよ」


「きつねそば、とは左様な……」


 ウコンは途端、いつにない気恥ずかしさをおぼえて奥方の肩にまわしていた腕からすぐに逃れた。

 蕎麦屋の娘は、きっと白虎族の若き侍とまだ幼さの残る黒狐の少女との逢引を想像したのだ。


(誤解が! 誤解がいやらしすぎる!)


 しかしかといって無闇に否定しても余計に怪しまれるので、今この場だけはもう「奥方のきつねそば」という誤解を甘んじて受け入れるしかないことにウコンは猛烈に羞恥心をおぼえた。


 してやられた、という悔しさにウコンは地団駄を踏みたい心地をぐっと堪えて。

 ウコンは精一杯に上手な仕返しを考え抜いて、奥方にこう言ってやることにした。


「旦那様はきつねそばが大層お気に入りのようですが、しかし」


 店奥に消えた筈の看板兎の茶栗色の耳が、まだ暖簾の向こう側で聞き耳してるのを確かめて。

 ウコンはわざとらしく口をつんと尖らせて言ってのける。


「白虎そばも美味しゅうございましたよ、旦那様」


「――ん?」


 瞬時に意味が理解できず、奥方は硬直する。そして直に理解して、これまでになく赤面した。


「ななななな――ッ!」


 してやったり、と黒狐のウコンは白虎の奥方を盛りそばより冷たく笑いつつ店を後にする。

 見事な倍返しだ。


「ゆめゆめお忘れなく。復讐は恐ろしいものですよ、奥方様」

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