第六話「蕎麦屋とうさぎ」 1/2

「ふわっ~ふぅ」


 お口あんぐり大あくびの奥方。

 奥方は手近な飯処に連れてこられて、注文もままならずぽやぽやしている。


 ウコンは奥方に付き添っているが、サコンはもう一足先に隣の宿場町へと旅立っている。脇本陣の宿は引き払い、ここで食べ終わればすぐに出立する予定だ。


「ねむたいわー、ねむたいわー」


「旦那様、もう巳の刻の半ば(十時)でございます。食事の済み次第、ここを発たねばなりません」


 旦那様、というのはつまり今、人前であるためだ。

 旅装束として若侍に化けている奥方は表向き、事情を知らぬ相手には男性だと偽っている。


 いかんせん演技が不自然というか口調も声色も女らしいが、これでも背丈の高さや顔つきの凛々しさだけは男らしく見えなくはないので、遠巻きに眺められる分にはバレないものである。

 一応、直接やりとりするときは“旦那様”らしく振る舞うとのことだが――。


「だってだって昨夜がずいぶん寝るのが遅くなってしまったんですもの」


「……確かに、日誌に手こずっておられたようですが」


「それにほら、なまけ旅でしょう? あんまりそう急がなくても」


「お気持ちはわかります。わたくしとてのんびり旅したい。しかし出立の遅れは到着の遅れ、また日暮れになっても次の宿場町に辿り着けないというのは困ります」


「ウコンはふまじめなのか、まじめなのかよくわからないわ」


「わたくしは不真面目であるべくして真面目なのです」


「難儀ねぇ」


 奥方は品書きに目を通して、ようやくのんびりと何にしたものかと考えはじめる。


「私、こうした外のお店での食事はあまり経験がないのよねぇ」


「聞き及んでおります。ご身分上、外でもお弁当をご用意なされていたと」


「毒味だ何だと気にするのよ、筆頭家老のお家ともなると」


「お家柄については面倒事になりかねないので適時、伏せてくださいますように」


「ええ、心得ているわ」


 筆頭家老。

 当世、その地域ごとの統治者は藩主や大名といわれる。その大名に仕える家臣の最高位が家老、筆頭家老はさらに複数いる家老で一番に地位が高いということである。

 雪代家は代々家老を輩出している名家、言わばご領地での二番手にあたる。


 “筆頭家老の孫娘”

 これだけの高貴な立場であれば、みだりに外食する機会が少なかったことも納得だ。


「ウコン、あなたが注文してくれないかしら」


「そうは参りません。今後のためにも飯屋の使い方くらいおぼえてもらいます」


 当世、便利なもので飲食の場と品の提供を商いにする飯処が定着している。

 城下町や宿場町のような人の賑わいがあれば、旅人やひとり暮らしの者をはじめ、金銭によって手軽に食事をしたいという需要が生じてくる。

 飯の煮炊きはなかなかに重労働でひとりでこなすには手間である。


 往々にして、町の発展は分業化がその要である。

 個々人がそれぞれに共通の作業を行うより、分業化してしまった方が効率がよい。分業化は一定の人口なくして成り立たず、それゆえ農村など末端ほど飯処は少ない傾向にある。


「まず注文は品書きにある中から選ぶ、というのはわかりますね」


「ええ、それくらいは」


 この飯屋では壁面に複数の木札が掛かっていて、それぞれに品名と値札がついている。

『御膳大蒸籠 四十八文』『そば 十六文』『天ぷら 三十二』『きつね 二十四文』

 といった風だが、しかし奥方は小首をかしげる。


「そば以外、なんのことやら……。この御膳大蒸籠(ごぜんだいせいろ)というのは?」


「そばです」


「天ぷら、きつねは?」


「そばです」


「ウコンはお蕎麦だったの……?」


「わたくしお側(そば)にはおりますが、蕎麦ではございません」


「そばとは一体……?」


 目をぐるぐるさせ、奥方は混乱している様子。すこし意地悪だったとウコンはくすりと笑った。


「御膳大蒸籠は上質なそばの大盛りを蒸籠に盛りつけたもの、十六文のそばは基本となる普通のそばです。つまりこれらの差異は量と質にございます」


「左様で。では、天ぷらやきつねというのは……? きつねが盛ってあるわけではないのよね?」


 お品書きとウコンの顔を見比べて、奥方はなにやら考えている。


 もしや、蒸籠そばの上に乗っけられた黒狐ウコン銀狐サコンでも想像しているのだろうか。

 この上、空想上のウコンをこんがりきつね色の天ぷらにされてしまっては大いに困る。


 奥方のことだから、さぞ美味しそうにサクサクとウコンの天ぷらをお召し上がりになるだろう。


「天ぷらやきつねはかけそばの種類です。天ぷらは野菜や魚介の揚げ物、きつねは油揚げです」


「興味深い。じゃあ、その二つをおねがいするわ」


「では、手を挙げて店のものを呼びつけてください。声音に気をつけて」


「は、はい」


 奥方は少し緊張しつつ、ちょんと控えめに挙手する。もう一方の腕で片袖をつまみながら。


「た、たのもう!」


 やや威厳高くなるよう声を低めて、奥方は店員を呼びつける。

 やってきたのは小柄な栗茶色の兎のケモノビトである。ほんのり着飾った町娘の装いだ。


「はいよ、何にしやすかお武家さん」


「こ、この、天ぷらときつねを拙者はいただこうではないか」


「それと弁当がほしい。握り飯を九つ持ち帰りたい」


「へい、かしこまりやした! とっつぁーん、天ぷら一丁きつね一丁!」


 看板娘の栗茶兎が威勢のよい声で叫べば、厨房から「おーう」と野太い返事があった。


「して、そなたは何にする? ウコンや」


「……え?」


「あん?」


「拙者は注文を済ませたが、そなたはまだでござろう?」


 三者三様に不思議がる狐と虎と兎。

 そして合点がいった。今しがた注文した「天ぷら」と「きつね」は奥方ひとりの分なのだ。

 看板兎はカラカラと大いに笑って、おっといけね悪いね旦那と口をお盆で塞いだ。


「なんでいなんでい良い食いっぷりだね武家さん、気に入ったよ! で、お連れさんは何に?」


「では、この白虎そばを」


「へい、かしこまり! とっつぁん白虎をひとつ!」


 看板兎が去っていったところで奥方は不審げに「白虎とは?」と質問してくる。

 ウコンは簡潔に「見ればわかります」と少々悪巧み顔になりつつ答えた。


 今頃、奥方は想像していることだろうか。

 白虎族である奥方の盛りつけられた特大のざるそば等という見当外れのものを。

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