第三話「川湯ともふもふ大草原」 2/2

 ウコンは緊張しつつも的確に手を動かして、サラシを解いていった。

 雪代家の使用人に教わった手順を思い出してみるが、ウコンにとって問題は、奥方の素肌に直に触れながらやらねばならないということだ。


 指先を動かすたびに、少しずつ、若武者を装っていた凛々しい姿が、高貴な令嬢である奥方本来の美しくたおやかな女らしさに変わっていくのは不思議な心地だ。


「ごめんなさいね、普段はサラシなんて巻かないものだから……」


「いえ、奥方様の身の回りのお世話はわたくしの仕事のうちですから」


 そう、これは単なる仕事の一環にすぎない。

 脱がせて着せて、という一連の身支度の世話もこの先ウコンは毎日やることになる。


(……慣れるのか? これに?)


 お召し物を丁寧に取り去って、また着られるように丁寧に畳んでいく。


(なんでこうも恥ずかしがってるんだ、わたしは……)


 胸の高鳴りをおぼえてならない。

 なぜそうなるか自己分析してみても、ウコンは合点がいかなかった。

 男女を問わず、これまで誰かの裸体にウコンが胸熱くなったことはない。着付けの練習に雪代家の使用人とあれやこれやとやった時も特別なにも感慨はなかった。


 美貌と気品。

 縁遠いものに触れる行為は、そう、高価な美術品を手渡されたような心地だろうか。

 そう考えれば、家が建つほど高額な茶器や絵画を手にして興奮し緊張するのは自然なことだろう。


(……なんだ、この心地は)


 あるいは、ウコンは亡き母のことを重ねてみてしまっているのやもしれない。

 もし母親が生きていれば、このように孝行をできただろうか。

 そういう感慨深さもあるにはあるが、無性に沸き起こる正体不明の衝動には説明がつかない。


「ねえウコン、あなたもしかして……」


「ぴゃい!」


 不意に奥方に声をかけられて、冷静と評されるウコンらしくもなく頭が真っ白になった。

 一体、何をおっしゃろうとしているのか。

 この不可思議な心地を見透かして、咎めたり、笑ったりされてしまったらどうすればいいのか。


「こういうの、はじめて?」


「は、はい」


「ふふっ、よかった。わたしもはじめてよ、あなたのそんな顔つきを見るのは」


「……からかわないでください」


 顔を隠すためにちらっと銀狐のサコンの方を見やれば、ぽやぽやと湯船でうたた寝している。

 すこし安心した。

 山林に囲まれた岩場の川湯、夜鳥のさえずり、冷たい夜風。

 今、盗み見ているのは月だけだ。


「はわ……」


 一糸まとわぬ奥方の肢体を目にして、触れて、驚いたことが三つ。


 その美しさ。その逞しさ。そのしなやかさ。

 白虎族の浮世離れした初雪のように清らかな白毛はなんといっても目を奪われる。


 輪郭は太くて丸く、柔らかくも曲線で形作られている。この一見して愛くるしいまでの外観に反して、肉食系のケモノビトでも一二を争う膂力を秘めているとは信じがたい。

 ウコンやサコンの細く小枝のような手足に比べれば、まるで丸太だ。力比べをするまでもない。種族と年齢の差だけでなく、食生活や鍛錬の差もあるだろう。


 そして何より、女人らしい豊かな肉づきに目を奪われる。まだ育ち盛りといったところのウコンやサコンとは、それこそ天地の差だ。いや、順調に育てばこうも豊満になるとは考えがたい。

 格別、奥方は美獣であった。


「……お美しゅうございます、奥方様」


「そうであれば伏し目がちにならなくてもいいのではなくて? 慣れてくれないと困ります」


「な、なにゆえ」


「だってウコン、あなたがこれから毎日わたしを着替えさせるのよ」


「……さもありなん」


 冷静になってみれば、赤裸々な姿に右往左往するウコンに比べて、奥方当人は余裕綽々だ。

 従者に着替えさせるのは日常茶飯事、初対面に等しいといえど、同性の使用人に裸のひとつやふたつ見られようが触られようがさしたる特別性もないのだろう。


 なれば尚更に、たったこれだけのことでめまいがしそうになっている自分がウコンは滑稽だった。

 滑稽すぎて、腹立たしくて、なにか言い返してやりたくなって。

 ウコンはつい口走る。


「左様なことをおっしゃるならば、わたくしめが慣れるまで練習させていただかねば」


「れ、練習?」


 戸惑いがちな声をあげる奥方。ウコンは糸口を見つけたと悪巧みする。


「見て、触って、わたくしの心ゆくまで存分にお体を確かめさせていただければ、こちらとて慣れもしますとも。お望みとあらば、一晩でも“練習”いたしますが」


「あ、いえ……!」


 鈍感そうな奥方も察したようだ。そして想像もしたことだろう。

 練習にかこつけて、ウコンに仕返しとばかりに裸体を弄ばれてしまう自らのあられもない姿を。

 冷淡な言葉遣いでささやき、責め苛むさまを。


「さ、左様なことは! 困ります!」


「わたくしの心境が少しでもご理解いただけたようでなによりです。恥ずかしいのはお互い様です」


「は、はい、反省しましょう」


 どうにか綱引きに勝ったウコンは気が晴れたところで改めて、我に還る。

 『練習』とは恥ずかしい思いをさせ返そうという意味合いにすぎないはずなのに、あれではあたかも、ウコンにそうしたいという願望があるかのように誤解されはしないかと。

 真に受けられても困るが、しかし釘刺しするのもかえって真実味を増すようで結局は黙る他ない。


(……いや、でも、しかし)


 そうやってウコンが葛藤してるうちに奥方も湯船に浸かり、一息をつく。

 ほどなくしてサコンが目を覚ますと開口一番こう言ってのけた。


「でっか!!」


 失礼を通り越して、純真にさえ思える一言だった。


「なにそのおっぱい! え、ずるい! 揉ませて!」


(……は?)


「え、え、あ、いい、ですけど」


「やった! わーいわーい」


(……勢いに流された!?)


 永遠にも思える時間を苦悩していたウコンをよそに、サコンは奥方の胸元に一直線に迫った。

 そしてためらいもなく桃源郷を堪能する。


「あわわ」


「はぁ~、……母上が生きてたらこんな風に今でも甘えられたのかな」


 サコンは上目遣いになって、瞳を潤ませながら奥方の胸元に潜り込んでいる。

 天真爛漫ゆえなのか計算高いのか、サコンは人に媚びを売ることに長ける。愛嬌を振りまき、甘えることに恥じらいがない。教育と才能のおかげだ。

 奥方ははじめ困惑していたものの、じきに優しげにサコンを受け入れて、頭を撫ではじめた。


「左様であれば、さぁ、存分に」


「うん!」


 筋書きの巧妙さゆえか、奥方の胸元にウコンが頭をうずめても微笑ましい光景だと錯覚しかける。

 母虎と子狐。

 奥方はなまじ未亡人だけに甘やかし上手なのか、すんなり順応してしまっている。


(……何を見させられているんだ、わたしは)


「今日はあなたのおかげで素敵な食事に温泉に、色々と楽しませてもらったんだもの。これくらいはお安いご用よ、甘えたい時はいつでも言ってね、サコン」


「えっへへー、どういたしまして! こやーんこんこん!」


 サコンは狐のクセに甘ったるい猫なで声をあげる。これも処世術とはいえ理解しがたい。


 いや、むしろ称賛すべきかもしれない。


 ウコンが護衛と世話役を仰せつかったのは情緒表現力に問題があったからだ。

 もし、ああして自由自在に人を虜にできる芝居が打てたならばとウコンは時に羨ましくもなる。

 ああも己に素直で強欲であったならば、そして愛想よければ、今頃はウコンとて――。


(……よそう。あいつはあいつ、わたしはわたしだ)


 今は護衛として、雑念を払って備えるべきだ。

 ウコンは交代の頃合いまでそう自分に言い聞かせて、ふたりの入浴を見守ることにした。










 見張りは交代、いざウコンの入浴する番だ。

 侍女の旅着を脱ぎ、生来の姿になってみて改めてウコンに突きつけられるのは自らの貧相さだ。

 ウコンは起伏に乏しい幼さの残る体つきに、我ながら少々物悲しさをおぼえてならなかった。


(くっ、もふもふ大平原……)


 奥方は特例的としても、まだ少女といえる年齢を言い訳にするにしても発育に疑問をおぼえる。


「……ウコン、それは」


 長い付き合いになればいずれバレる。隠しても仕方ないと、ウコンは複数の傷跡を晒した。

 大小の傷跡は治りきらず、そこだけ体毛が生え変わらずに剥げてしまっている。

 しかし奥方が気に病むほどに、ウコンはこれらの傷跡については気にしてはいないつもりだ。


「わたくしは忍者です。閨事で人を謀るには不便なれど、奥方様をお守りする上では任務に差し支えることはございません。ご不快であれば、なるべく隠して過ごしますが」


「いえ、不快だなんてことは……」


 突然のことに言葉を失う奥方に、不器用なウコンもどう接すべきか迷う。

 すると軽妙に、岩場に座って見張り番にまわったサコンがこう述べた。


「かっこいいでしょ」


「は? サコン、何を言い出すんだお前は」


「だって名誉の負傷だよ? ほら、右脇腹のやつはあたしのこと守ってくれた時のだし」


「ただの不始末だ、あんなのは」


 あれもこれもと一つずつ、サコンは傷の由来を言っては得意げに奥方へ話してみせる。

 奥方は興味深そうに耳を傾け、質問し、なにか考え込んでいた。


「ウコン、あなたは誇らないのね、名誉の負傷」


「奥方様はバカバカしいとは思いませんか、怪我や傷などありがたがるもんじゃない」


「……本当に、そうよね」


 沈黙し、夜空を見上げる奥方。

 いつもの丸っこくて何を考えているか一目瞭然という顔つきが、すこし違ってみえた。


「次なる目的地を今、決めました」


「は!?」

「へ?」


 ウコンとサコンはお互いに拍子をあわせ、奥方の突拍子もない発言に驚いた。


 いやに楽しげな表情を見るに、どうやら奥方は彼女らしい悪巧みを閃いたらしい。


「湯治の旅に出ましょう、一月ほど」


 奥方は仇討ちをあきらめたい。さしあたって、まずは一ヶ月の間でも。

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