第三話「川湯ともふもふ大草原」 1/2

 当世、旅の楽しみといえば一つに温泉である。

 宿場町をはじめとした街道の整備に伴い、人々の往来が活発になり旅行も気軽なものとなった。

 規模の大小こそあれ、温泉のある宿場町は人気を得やすかった。


「――しかし、いささか遠いのでは」


 脇本陣より徒歩十分、外湯はそこそこに遠く、一行は真夜中にまだ歩くハメになってしまった。

 とりわけ眠たげな奥方は足取りものったりとして、うつらうつらとしている。


「ウコンは贅沢だなぁ。温泉ってのは昔はお偉いさんが独り占めしてたんだよ。下々も楽しめるだけありがたいと思わなくちゃ」


「温泉宿ごとに内湯あるような温泉郷はそんじょそこらにはないのは致し方なしか……」


「へふ、へふ、うみゅ、うみゅ」


 ウコンは転ばないよう奥方の手を引いて、隣を歩いてやっている。

 そういった様子を見て、サコンは少々不機嫌そうに口を尖らせていった。


「……それで、どう? 仇討ちは?」


「どうも何も、仇討ちに必要な要件は三つだ。仇を見つけること。仇を討つこと。そして規律を守ること。雪代家は公に願い出ていて仇討ちの許可証をもらっているわけだから、こうして各地で融通が利くし仇を殺めた罪にも問われることはない。ある意味、一番の難題は片付いている。そして仇を見つけるのは我らの仕事だ。それも護衛のわたしではなくて、諜報のお前のな」


「忍び里の情報網を舐めちゃあいけない。ちゃーんと仇の足取りは追ってるよ」


「ならいい……、“流離い”は全国どこに移動するか予測しがたい連中だ。見失ってくれるなよ」


 流離(さすら)い。

 竜魔狩り、あるいは魔境歩きを生業とする職業のことだ。


 流離いは身分や種族を問われず、荒事を解決するのにうってつけという点で、この秩序だった世の中では特例といえる職業である。

 各地にある関所も流離いの認可書があれば容易く通ることができ、統治者にとっても厚遇する価値があるので腕の立つものは武士のような振る舞いもできる。


 流離いは竜魔刀のような高価で所持の制限される武装さえ認められる。庶民には頼りになるが恐ろしくもあり、また実力ひとつで成り上がれるために憧れでもある。

 その一方、大いに危険が伴い、いつ死ぬともわからぬ仕事だ。ウコンやサコンのような隠密と同じくして、この平穏な世の中にあって数少ない死と隣り合わせの生業である。


「いやいや、問題は奥方様の“強さ”だよ。返り討ちにあっちゃ元も子もないのに、コレだよ?」


「むにゃ……もにゃ……」


 奥方と一日過ごしてみて、彼女がやったことは主に『食う』『寝る』『逃げる』だけである。

 どうにも『戦う』という想像図が浮かばない。


「――種族と家柄、道具は文句のつけどころのない一流だ。雪代家は男女を問わず、武芸の教練を積んでいる。いざ戦いとなれば、我々よりは強いに決まっている。――が、実戦経験はない、か」


「正々堂々と勝負の上ならば、返り討ちになって亡くなってしまっても構わない、とは雪代家の言質を頂いているけれどね。できれば勝ってくれなくちゃ」


「めんどくさい世の中だ」


 ウコンは考えていた。

 奥方は仇討ちをあきらめたいと願っている。ウコンは協力して、ひとまず仇討ちの実行を先延ばしにする牛歩戦術を選ぶという方針だ。

 問題は、相方である銀狐サコンには今のところ内密の悪企みだということ。


(……こいつを安易に仲間に引き入れるわけにはいくまい)


 仲間にできない理由は三つ。

 一つ、隠し事はなるべく最小限の人数で共有すべきという基本原則。

 二つ、忍びは上意に逆らわず忠実であらねばならないという基本原則。

 三つ、サコンに“弱み”を見せたり“貸し”を作ると後々厄介そうだという直感。


(お互い“ふまじめ”だが、こいつとわたしでは意味が違うからな……)


 ウコンのふまじめは、怠惰さ。

 サコンのふまじめは、強欲さ。


 鯉のあらい、紅葉のしぐれ煮、ささやかなふたつのごちそうに端的な強欲さが表れている。

 サコンは“欲しい”と思えば手段こそ選びつつも、最小限の危険や掟破りを侵すことをいとわない。

 しかも周囲を巻き込み、うまく丸め込んでくる。


 今現在はどうにか世間と折り合いがついているだけであって本質的には強欲で狡猾なのだ。

 もっとも、疑心暗鬼を生ず、という。

 ウコンが疑い深いせいで不必要にサコンを警戒しているという点も無きにしもあらずだ。


(それに比べて、この人は……)


 奥方はこっくりこっくりと船を漕ぎながら、ウコンに手を引かれて歩いている。

 強く気高い武家の娘に生まれたならば、こうも些細な疑いなく呑気に生きられるものなのか。

 なんだか、サボり魔として負けた気分だった。







 川湯。


 山林に囲まれて、ゴツゴツとした岩場の中にある川湯は誠に不可思議であった。

 嗅ぎ慣れぬ硫黄のにおい、白濁とした湯の色こそ温泉地ならばよくあるもの。しかし岩場を縫うように流れる小川が湯気を伴い、天然自然の石造りの湯船を織りなすさまは神秘的だ。

 無論、温泉の岩場はそれなりに入浴しやすいよう手が入っているとはいえ、源泉と川の水が合わさった温泉がひとりでに流れ出てくる野湯は自然に生じたものである。


 星明かりだけの照らす夜闇の中、三匹は息を呑んだ。


「なんともはや、荘厳な」


 そっと川湯に指を浸けると、奥方は「熱っ」と手をひっこめる。


「奥方様、この川湯は上流ほど熱くなっておりますのでお気をつけて。ほどよい湯を探しましょう」


「そうね、トラの味噌汁になるのはいやですもの」


「茹で上がるのは理解できますが、誰ですか温泉に味噌を入れるのは」


「おいしそうかなーと」


「ご自分で……」


 不覚にもウコンは、奥方のふとましい肢体を想像するに、美味しそうといわれて納得しかけた。


「おーい、こっちこっちー、いい感じだよー」


 サコンの手招きに呼ばれて行ってみれば、少々手狭だが三人ちゃんと入れる程度には広く、それでいてほどよいあたたかさの湯溜まりがあり、ここに入浴することに決まった。


 当然このような川湯に脱衣小屋などあるはずもなく、衣類は岩場にひっかけて置く他にない。


「あら、ウコンは脱がないの?」


「全員が一度に湯船に浸かっては無防備になりますので、せめて護衛役のわたくしは見張りに徹したく。後々、サコンと交代いたします」


「そう、ウコンは賢いのね」


「警戒心が人並みにあるだけです、そこのアホキツネと違って」


 ちらと見やれば早速、すぽーんと装束を脱ぎ散らかした銀狐のサコンが湯船に飛び込んでいた。

 お子様か。


「ふわーあったかーいっ! ひろーい!」


 一番風呂を独り占めして、湯溜まりが広いのをいいことにサコンは水飛沫をあげてはしゃいでいる。

 これではあったかいだけの川遊びだ。


「桶風呂より断然広いよ! 手足も尻尾も思いっきり伸ばせる! あーきもちいーっ!」


「うるさいアホギツネ」


 ウコンとサコンの自宅にも家庭用の風呂はある。それが桶風呂だ。

 桶風呂は原理がほとんど鍋と等しく、井戸水を木桶の浴槽に注いで鉄の底部を熱して温める。なるべく少ない湯量で済むように、一人がようやく入る程度のちいさな作りなのだ。

 川湯よりよっぽど桶風呂の方こそ味噌を入れたらキツネの味噌汁ができたとて不思議がなかった。


「これから奥方様も入られるのだからおとなしくすることだな」


「へーい」


 さて、サコンのことばかり見ていたのは奥方の着替えをまじまじ見るのも失礼か、というウコンの配慮もある。見慣れたサコンのすっぽんぽんに比べて、正直にいえば、白虎族の裸体という稀有なものにはウコンでさえも興味があった。


 興味があるからこそ、普段そのようなことに気恥ずかしさをおぼえることもないのに、ウコンは奥方の着替えるさまを眺めるのは気後れしてしまった。


 もう一つ、奥方は男装をしている。女人だとわかっていても、脱ぐのは若侍風の男の装束なので、あたかも異性の脱衣を覗いてしまっているような錯覚をおぼえてしまうのもある。


「ああサコン、お前のなだらかな大草原のような双丘をみてると心が落ち着くよ……」


「不意にひどい!?」


 ケモノビトは被毛が濃い種族が多い。長毛かつ胸が慎ましい場合、衣服を脱いでもどこに胸があるかもわかりづらい。もふもふしかない。それを言わしめて『大草原』というわけだ。

 幼子じみたサコンほどの大草原ぶりだと上半身真っ裸でうろついても誰も気にしないだろう。


 そこにあるのは銀狐のもふもふ大草原である。


「あ、あの、ウコン、ちょっと手を貸してほしいのだけれど……」


「はい、何でしょう奥方様」


「サラシの巻き方がきつくて、自分で解けなくて、おねがい、手伝ってもらえる?」


 そう言われて、ウコンは不注意にも奥方の胸元をサラシ巻き越しとはいえ直視してしまった。


 ――胸だ。丸い。


 もふもふ大草原ではない。中途半端にサラシが緩み、押し潰されていた豊かな胸元が本来の曲線を取り戻そうとしている瀬戸際の、はちきれんばかりの双丘がある。


 特大級だ。

 大山脈だ。


 黙っていれば凛々しくもみえる若武者姿の奥方が、不意に、艶やかな裸婦に生まれ変わったのだ。


 ウコンは混乱した。

 緊張した。そして己でも気づかぬうちに興奮もしていた。


 いや、老若男女を問わず、思わず言葉を失い、見惚れてしまうほどに奥方は色艶やかなのだ。


「……ひゃい」


 なんて情けない返事をしてしまったのだろうとウコンが後悔しても、もう遅い。

 問題は情けなさではなくて、問いかけへの同意。


 断ればよかったものを、つい、奥方の脱衣を手伝うことに「はい」と答えてしまったのだから。

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