第二話「宿場町とアホギツネ」 2/2

 脇本陣での宿泊は事もなく順調に進んだ。

 

 銀狐サコンの手配で先約済みだったので、貸主に目通りして軽い挨拶をするだけでよかった。

 雪代ノ奥方はひとつ隣の宿場町では有名人であった。

 貸主曰く、雪代家は藩内の筆頭家臣であり竜魔狩りの率い手としてこの宿場町にもよく滞在する。そして竜魔征伐を行ってくれるので、いわば常連かつ互恵関係にあるとのこと。


「旦那様には生前、ご縁がございました。どうか、奥方様にご武運のあらんことを……」


 が、そのような長話にはさして興味のないウコン。

 食事の支度について使用人にたずねてみれば、なにやらお連れ様のサコンが準備している、と。

 そこでウコンは炊事場へ。


 台所ではサコンが煮炊きを行っている。尻尾を左右にふわふわさせ上機嫌だ。

 銀狐は夜闇の中、竈門に点った火に照れされている。

 見慣れた光景でこそあるが、時折、あの美しい体毛が羨ましくなることがウコンにはあった。


『黒はよい、闇に馴染むからのう』


 ウコンが忍び里に拾われた理由のひとつが黒毛だ。つまり長所ですらある。

 しかしないものねだりというべきか、月明かりに濡れた銀毛の妖艶さには度々見惚れさせられる。

 パチパチと薪木が燃えている。

 虫や鳥のさえずり、火の粉の爆ぜる音に包まれて、サコンは調理に勤しんでいる。


(……こいつはきっと幸せになれる。わたしと違って)


 台所に踏み入ることなく、そのままウコンは忍び足で去ることにした。

 ウコンがつい無意識にも物音を立てずに動いてしまうのは悪い職業病かもしれない。






 八畳一間の客室に膳を運んできたのもまたサコンである。

 夜分遅くのために使用人も借りれず、食事とて、食器や台所を貸してもらえるだけ感謝すべきというのは平泊まりなのだからしようがない。


「はいはーい、お待ちかねのおゆはんだよー」


 三人分の膳を運んで、サコンも腰を落ち着けると、ウコンと奥方もいっしょに手を合わせて――。


「いただきます」


 と夜更けにようやく食事をはじめることになった。


 当世の食事は『膳』という個人用の台を運び、並べて行うことを基本として行われる。

 同一の卓に座って食べるちゃぶ台の類をあまり使わないのは上下関係を重んじる武家社会によるところが大きい。


 『膳』はどこにどう置くかによって序列を乱さず並べることができ、個々人の距離も保つことができる。一方、ひとつの食卓を囲むというのは序列や関係性がわかりづらく雑然としがちだ。当然、武家の泊まるための脇本陣には膳しかない。


 それに個人用である膳は軽くて運びやすく片付けもしやすい。畳の上で食事して、同じ空間で布団を並べて寝ることを考えれば、大きくて重い食卓をいちいち片付けるよりは効率がよい。

 であるからして、主従の明瞭な都合上、奥方は上座に、同列のサコンとウコンは下座に向かい合い、ちょうど正三角形を描くような配置での食事風景となる。


 またこの食事風家に欠かせないのは『行灯』だ。

 『行灯』は当世の照明器具だ。木や竹の枠に紙を貼り、中心に置いた油皿の灯心に火を灯す。安価な菜種油などを継ぎ足せばいいだけなので一般にも広く普及する光源である。


 この場の三者は皆、夜目が利くとはいっても、やはり真っ暗な中で食べるのは味気がない。食事の味わいは味覚だけでなく嗅覚や視覚に左右される。品質の悪い油を行灯に使っていれば嫌な臭いがする、光源そのものがないと色味がわからないので、この場において行灯の役割はとても大きい。


 そして本題ともいえる料理なれど、これは空腹を裏切らない品揃えであった。

 なにより第一に、湯気立つほどの炊きたて白米である。


「サコン、お前……わざわざこの時間に炊いたのか」


「そりゃ朝に炊いて昼と夕飯は冷やごはんで済ますのが日常茶飯事だけど、これが脇本陣での一食目なんだもん炊くっきゃないよ」


「それもそうか」


 等とウコンサコンのやりとりする間に、もう奥方は白米一杯目を平らげていらっしゃった。

 電光石火の食べっぷり。

 それでいて箸も鳴らさぬほど静かな所作、上品さも損なっていない。


「サコン、おかわりを。それにしてもこのおかずは何でしょう、はじめての味だわ」


「はいはいただいま。ああ、紅葉のしぐれ煮ですよー」


「これが紅葉……」


 呑気なやりとりをするサコンと奥方をよそに、ウコンは冷や汗を流していた。

 紅葉。

 膳に並んだ主菜の茶褐色の佃煮を、いけしゃあしゃあとこの銀狐はそう言ってのけたのだ。

 思わず脳裏に浮かんだのは昼間にすれちがった行商人――鹿のケモノビト――である。


「奥方様、たいへん申し上げにくいのですが、紅葉といいますのは」


「知っているわよ、秋に色づく紅い葉っぱの……肉? けれども、獣の肉、よね、これは」


 不思議そうに眺めつつ、奥方はまたぱくりと一口たべてはうまうま堪能する。


「“鹿”の肉にございます」


「鹿!?」


 二杯目の白米をこれから平らげようというところで奥方は驚いて箸を止めた。


「生類憐れみの令以降、我らケモノビトは一部の獣肉を食することを禁じております。即ち、民草にもおりますところの草食系の“原種”は公に口にしてはならぬ、と。令は廃止済み、それに処罰こそありませんが……」


「わ、わた、わたしが鹿を……」


 奥方は青ざめているが、しかし気分を悪くするような素振りもない。

 本質的に、白虎族という種族の性として、獣肉を食することに倫理以外の抵抗がないのだ。


「サコン! お前はほんと掟破りだな! せめて事前に相談しろ!」


「雪代家は“薬食い”はしてると伺ってるから、ご存知なかった奥方様の方が例外なんだってばー」


 薬食い。

 獣肉食をするにあたって、これは「食事」ではなく「治療」の一環だとして食す方便のことだ。

 鹿肉のことを「紅葉」と称する隠語も鹿肉を植物だとして売り、買い、食すという方便である。

 公には食せぬはずの禁じられた獣肉が出回るのは『本音と建前』というものである。

 実情として、忌避こそされるが社会通念上認められる。今回は奥方が世間知らずなのだ。


「奥方様、鹿肉と申しても、何も“飢え狂い”の所業ではございません。原種は原種、鳥や魚を食すると同じこと。野獣とケモノビトは違いますゆえ皆、それはわきまえて暮らしております」


「さ、左様で……」


 雪代ノ奥方は箸を握ったまま、戸惑っていた。このままというわけにもいくまい。

 ウコンは自ら、紅葉のしぐれ煮を食してみせた。

 生姜の風味に甘辛い味つけ、そして柔らかい赤身の肉は旨味がありつつさっぱりとしている。


(……うまい)


 何者にも代えがたい肉食種の、狐族の本能的欲求を満たすような肉の味わいがある。

 噛みしめるごとに適度な弾力があり、じゅわっと歯牙で断ち切られた筋繊維から滋養が湧き出る。

 現実に“薬食い”というのは嘘八百ではなくて、とりわけ狐族をはじめとして肉食の原種を有するケモノビトはやはり肉を食わねば調子を崩すところがある。鳥や魚でもまかなえるが、獣肉が恋しくなるのは生来のことなのだ。


 少々濃い味付けや生姜の利いた風味は、鹿肉の臭みをうまく和らげている。常食しない食物はなんであれ不慣れな臭いに戸惑いがちだが、うまく工夫してあるものだ。


 そしてここに炊きたての白米を口にする。


 ウコンはこの時、もはや奥方の罪悪感を和らげる云々という建前を忘れてしまった。

 今日一日のあらゆる疲れをも忘れて、夢中になれた。

 ウコンは今、一匹の野狐に還っていた。


「おいしゅうございました」


 ウコンは鹿肉のしぐれ煮と白米一杯を平らげて、すっかり他の汁物や副菜を忘れてしまうほどの食べっぷりをみせ、改めて奥方を言いくることにした。


「これで、わたくしめも同罪にございます」


 誰かさんを真似るように、ウコンはいたずらげに微笑んでみせた。

 奥方は観念したようにため息をつく。


「ウコン、あなたさてはずる賢いきつねね」


「そこなアホよりはマシと存じます」


「それはそう、かしら?」


 元凶のサコンに視線が集まれば、ごまかすように「てへっ」と笑ってこう言った。


「お二方とも、そうお“叱(鹿)り”にならず」


「ほれ、座布団一枚」


 ウコンは言葉通り座布団を一枚、手裏剣のようにサコンの顔面に直撃させるのだった。

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