序章 1/2

 『実入りのよい長期の仕事』とはいかなるものか。


 端的にいえば、要人警護と情報収集である。

 黒狐のウコンは護衛を、銀狐のサコンは諜報を担当することになっている。


 『仇討ち旅に赴くことになった武家の奥方様を影に日向に手助けせよ』


 そう上役に命じられている。

 そして本日、晴れて奥方様との旅立ちの日と相成った。


 先んじて武家屋敷に赴いたウコンは使用人にあれやこれやと聞き及び、あたかも長年仕えている奥方の侍女であるかのように振る舞えるよう下準備をした。


 しかしながら未だ、護衛すべき奥方様とまともに会話をこなしたことはない。

 遠巻きに眺め、軽い挨拶をした分には清廉楚々としておとなしそうな良家の姫君という印象だ。


 雪代家ノ奥方は、入婿を亡くして日も浅い。

 これから入婿の仇討ちに赴こうという長い旅路に出るにあたって、心の準備が必要なのだろう。

 そうこうしているうちに旅立ちの日がやってきてしまった。


 季節は春。

 風はうららか、日はぽかぽか。


「くわっ……ふぅ」


 豪奢な武家屋敷の正門前で、ウコンは奥方のことを待ちわびている。

 ぽっかり開けた狐口にひらりひらひらと蝶々が迷い込んでしまいそうなくらい退屈していた。

 否、これはこれで心地がよい。

 このまますっぽかされて居眠りして過ごすのもウコンのぐーたら性分には願ったり叶ったりだ。


 天下泰平、戦国乱世は幾星霜。

 合戦は絵物語と成り果てたこの時代に、仇討ち騒動というのは珍しく血と刃の匂い立つ話だ。

 その刃傷沙汰にこれからウコンは付き添わねばならない。いっそ依頼人の都合で“なかったことに”と取りやめになってくれれば苦労がなくてよい。


 ウコンにとって、この長旅は“やれと命じられたので仕方なく”のことに過ぎない。

 せめて願うは、身命を賭して仕えるべき奥方様が“マシなやつ”であることだ。

 ウコンは期待と不安をあくびに込めて、春空にたゆたう蝶々とした。




 雪代ノ奥方がおいでになった。

 それは奥方様――であるはずだ。しかしいでたちが大いに想定と異なっていた。


 男装である。


 若侍の風体だ。上は羽織、下は旅路の武士が用いる野袴(左右に分かれ、動きやすい)を着ている。大小の刀を帯びており、長い髪も不自然でないよう総髪(ポニーテールのこと)にまとめてある。


 そして正面から相対してわかったが、雪代ノ奥方はうーんと背が高かった。

 白虎族というケモノビトでも体格に恵まれやすい血族のためか、小柄なウコンは見上げるほどだ。手を伸ばしてもつま先立ちせねば頭に届かないほど差がありそうだ。


 サラシでも巻いてあるのか、奥方の豊かなはずの胸元もうまいこと着物越しには目立たない。

 よって、外見はよしとしよう。

 不安点をあげるならば、雪代ノ奥方の仕草や雰囲気はてんで男らしくはないことか。


「奥方様、わたくしは本日これより貴方様にお仕えいたします黒狐のウコンでございます。どうぞ大願成就のその日まで、お頼りいただきますように」


 ウコンは恭しく頭を下げては忠誠を示す。

 すると奥方は左右に視線を泳がせ、頼りなくも不安げな声をこぼす。


「あの、あの……」


 自信なさげな、木の葉が小川を流れるようにふらふらとした調子で、雪代ノ奥方は言葉する。

 こころなしか、涙ぐんでさえみえるのだが――。


「逃げます! ごめんなさい!」


 そう宣言して一礼するや否や、なんと全速力で走って逃走を図ったではないか。


「……えぇ」


 あまりに意表を突かれてしまい、ウコンは出遅れる。

 これから仇討ち旅にいざ行かんという初日初っ端に、奥方は脱走しようというのである。

 奥方の初速は早い。ぐんぐん遠くに去っていく。


 見失っては事だ、とウコンは「やれやれ」とため息をつきつつ、やや小走りになって追いかける。

 ウコンが全速力でない理由は二つ。

 全力疾走なんてものは長続きしないので疲れたところに追いつけば事足りるという点がひとつ。

 そして、そもそも奥方の逃走にはおそらく目標や計画性がない。ただの衝動的逃走だ。


「えほえっほ」


「ぜぇぜぇはぁはぁ」


「奥方様、この鬼ごっこはいつまでつづけるおつもりで」


「無論、逃げ……けほ、きる……けふ、まで……」


 そして奥方は早くもバテる。じつにあっけない。

 しかしこれには避けがたい理由がある。白虎族、またネコに類するケモノビトは瞬発力には優れているが持久力がない。その点、イヌに類する狐族のウコンは持久力において大いに有利なのだ。重ねて、体格の大きさや重さも疲れやすさにつながっている。


 城下町を離れて、田園地帯に差し掛かったところでヘロヘロ奥方は観念して木陰で休みはじめた。


「はぁはぁはひはひ」


「いささか運動不足ではございませんか、奥方様」


 涼しい顔して悠然と追いついたウコンは、逃走を咎めたりもせず、扇子を手に扇いであげた。

 体熱の上昇と疲労によって朦朧としてる奥方は「うーうー」とうなって、もだえている。


(なぜ逃げたのか。それを聞いても無意味に責める形になるか)


 ひらひらと扇子で扇いであげるだけ、そうやって待っていると奥方はおずおずと言葉した。


「あの、お叱りにならないのですか?」


「わたくしウコンは奥方様にお仕えしているのです。警護役であり補佐役です。けれども監視役ではありませんので、奥方様がどこかへ不意にお逃げになったとしても叱責する道理がありません」


「さ、左様で」


 不思議なものを見る目だ。


「それに」


 ウコンは少々、気取って言ってみることにした。


「逃げ隠れは忍びの本領にございます」


 ちゃんと上手いこと言えた様子で、雪代ノ奥方は「あ」と口元に手をあてて目をまんまるにした。

 そして緊張が解けたのか、くすりと笑った。

 内気そうな、なにかに恥じるような奥ゆかしくも可憐な笑い方だった。


(……お姫様、って気がする)


 年上のはずながら庇護欲をそそられる妹分のような印象は、裏を返せば手がかかるということだ。

 虚仮威しの男装や見掛け倒しの体格を踏まえると、さながら飾ってよしの張子の虎だ。


「わたし、じつは仇討ち旅なんてイヤだったのです」


「イヤならちゃんと断ればよかったのではないですか、奥方様」


 冷淡に指摘されて、奥方は「うう」と弱々しくうめく。眉を「八」の字にして縮こまる。


「仇討ちは武家の重んじる“忠孝”にとって欠かせぬものだと皆、口々に申します。妻が夫の無念を晴らさぬことは雪代のお家にとって末代までの恥になる、と」


 忠孝。

 忠義と孝行。


 この天下泰平の世にあって支配階級となる武家をも支配する規範である。

 主君に尽くせ、父母に尽くせ。


 この国この時代においては基本的道徳観念であり、そこにウコンも大きな矛盾はおぼえない。

 主君や父母もまた忠孝を尽くす者には報いてくれるという相互の信頼の上に成り立つからだ。


 しかし例外的にウコンも違和感をおぼえる時はある。

 そのひとつがまさに“仇討ち”という制度だ。

 仇討ちという忠孝を果たさないことには、奥方や雪代ノ家は不道徳とみなされるわけだ。


(……おかあさん)


 過去の因縁を忘れて生きようとするウコンはまさに不道徳だという話になってしまう。

 だからなのか到底、ウコンは奥方のことを責める気にはなれなかった。


「……しかし、どうなさるのですか。初日に何もせず逃げ帰ったとあっては奥方様は立つ瀬がない」


「それは、わかっているのだけれど……」


「無計画な人ですね」


「はう」


 浅慮この上なくも図星のようだ。雪代ノ奥方はでかい図体でちいさく縮こまっている。


 ウコンは思案する。


 忍び里として鑑みた場合は『長期の実入りのよい依頼』が中止になるのは損失だ。違約金を取り立てるのもむずかしい。なるべく長引かせるに越したことはない。


 ウコン個人として鑑みた場合はどうか。

 この任務が中止になったとて、ウコンはまた別の任務をこなさねばならぬ。それは難儀だ。


「……困った。わたくしも“竜魔狩り”の任務をふたたび与えられる日々は面倒でなりません」


「え! あなたも、夫のように竜魔狩りを?」


「未熟ゆえ小物相手にですが、幾度か」


 淡々と口にして、ウコンは武勇を誇るよりもまず、寒気を抑えるように片腕を握りしめた。


 竜魔は“災厄にして最悪”だ。


 ウコンの母親を殺めたのは竜魔の類ではないか、そう大人たちは言っていた。

 その竜魔の端くれと対峙した時、ウコンは心底に感じてしまった。


『コレを恨んで一生を捧げるなんて、イヤだ』


 この天下泰平の世において、竜魔狩りの役目を果たすのは武家の務めだ。武家は自ら、あるいは戦力を率いて竜魔を討伐する。忍び里も当然、その役目の一端を担うことがある。

 しんどくて、危なくて、汚くて、痛くて、寂しくて、それに悲しくなる仕事だ。


「奥方様、わたくしに妙案がございます」


「妙案とは……?」


 ウコンはちいさな図体でおっきく胸を張ってはしれっと言ってのける。


「旅は道連れ、世はなまけ――でございます」


「なまけ?」


 奥方はきょとんとした顔つきで首をかしげる。


「仇討ち旅をつづけるフリをして、全力を出さず、ゆっくりと、なまけになまけて何事も後回しにしてしまうのです。表向きはあきらめていないことにしておけば、旅が続いている限りは雪代家の面子は保たれます。私も別のイヤな任務を押しつけられずに済みます。一石二鳥です」


 ウコンの言い草に、奥方はぽかーんと口を開けてしまう。

 虚を突かれている。


「よ、よいのでしょうか。そのような、ふまじめで自堕落な、ずる賢いことをしてしまって」


 ウコンはフッと不敵に笑った。


「バレたら大いに叱られます」


「ですよね」


「よってバレねばよいのです」


 ウコンは言い切った。

 上司や同僚、いや相方のサコンにさえ内密にせねばならない豪胆な悪巧みだ。

 バレてはいけないのは雪代ノ奥方にとっても同じこと。ふたりは一蓮托生の共犯関係にならねばならない。その覚悟がなければ、人目を気にして真面目にやるしかないのだ。


 動揺して目を泳がせ、うーうーとうなる奥方。

 ウコンはぐいと迫って、問う。


「さぁ奥方様、今ここで決めてください」


「今、ここで……」


「わたくしと共にこの仇討ち旅を――サボるのか、否かを」


 真剣な問いかけだった。

 ウコンにとってはこれ以上なく、人生を左右する問いかけだった。


 元々長旅になるであろう仇討ち旅を、さらにサボってなまけて長引かせてしまうのだ。

 一年二年の旅が、四年五年と長引くことになるとすれば、まさに人生の一大事だ。


 本当に、この情けない奥方様に何年と仕えて過ごすだけの魅力や価値があるかといえば疑問だ。

 しかし、だがしかし。

 ウコンは熟考を放棄したのだ。ぐーたらしたい一心で。


「わたし、決めました――」


 緊迫のひととき。

 重苦しい表情で苦悩する雪代ノ奥方は、やがて、ウコンの真剣な眼差しを見つめ返した。


「全力で! ふたりで共にサボりましょう!」


 それは誠に勇ましい決断だった。

 かくして、ふたりの仇討ち道中記は幕を開けるのであった。

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