第一話「おにぎりと昼寝」 1/2
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「ウコン、おかわりを」
「奥方様、おにぎりはもうございません」
「……え!?」
仇討ち旅の初日、山中にて、はじめての昼食時でのことである。
この時代この国では移動といえば徒歩、大なり小なり山越えせねばならないのが常であった。
一山越えるのに一日を費やすので、昼食はどうしても山中の街道沿いで手弁当となってしまう。
そして予想通り、でっかい図体らしく奥方はよく食べるのだ。
大きなおにぎりがひとーつふたーつみっつよっついつつむっつななつ。具材はひとつひとつ異なる。梅干しにおかか、昆布の佃煮に塩漬けした野菜、川魚のほぐし身、煮玉子、それに煮つけた鶏肉だ。海苔も巻いてある。武家らしい豪勢なおにぎりといえる。さぞ美味しかろう。
一方、ウコンは普通の大きさのおにぎりが三つ。ただの塩むすびに、副菜として山菜漬けと煮玉子がひとつ。しかしウコンに文句はない。
精白した上等な白米をちゃんと食べられるのは平民の弁当としてはちょっぴり贅沢なくらいだ。事実、これはこれで十二分に美味しかった。
雪代家に仕える女中たちに奥方好みの料理の手ほどきを受けたが、これだけ愛情深い食事をいつも食べていたら、白虎族という種族ぬきにしても背丈も伸びて肉づきもよくなるのは納得だ。
――逆に、つい喜ばせたくて張り切るだけの“食べ上手”というのもある。
雪代ノ奥方の食べっぷりには特徴がある。
まず勢い任せに早く口に放り込むわけではなくて、よく食べはするが、よく味わっている。
それだけでなく作った当人がここに居る訳でもないのに――
『この煮玉子は絶品ね。黄身がほろほろ、あまじょっぱくて。あ、これ、鷹の爪かしら』
と空に向かって褒めたりする。
行儀という点でいえば、食事中に味について語るのは武家の作法としては叱られてもしょうがないことである。しかし庶民感覚でいえば、あるいは作る側としては素直にうれしいものだ。
おにぎりの粘り気や塩気を含んだ指先をはむっとくわえて、舐め清める仕草もなんだか艶かしい。
『ん、あむ、あむ』
奥方の食事模様を眺めるのに夢中で、じつはまだウコンはおにぎりを一個食べ残してるくらいだ。
ダメだ、この一個は死守する。
「日持ちのしない食料は今ので最後でございます。金銭や非常食はあるので、このまま日が暮れる前に人里へと辿り着けば夕食にありつけますので、しばしご辛抱を」
「あはは……。いつにもまして美味しくて、つい……」
しょんぼりと、そして気恥ずかしげにする奥方。
ほっぺたにごはん粒がついたままなのがウコンはどうにも気になった。
「誰だって美味しくてたまりませんよ、野山を歩いて疲れていたら」
「そうね、遠出はいつ以来だか――」
奥方は少し、遠くの山々へと眼差しを向けていた。
春の青峰はとりわけ美しく、雄大である。
この広大な山々の中にあって、ふたりは碁盤の上の碁石にも満たないちっぽけな存在である。
山はしずやか、日はうららか。
このような一時こそ我が人生の宝である、とウコンは最後のおにぎりを食みつつ感じていた。
「さて、休息はこれまでにして先を急ぎましょう」
「すぅ……すぅ……」
寝ている。
奥方様、寝ていらっしゃる。
ウコンとてサボり魔だとか、怠惰にかけては悪い自信がある。しかしこう井戸の底に桶を滑り落とすようにすとーんと眠りにつく才能まではない。
(いや、そうか思い出した。白虎族はむしろ昼寝をするのが正しく健康的だった、はず……)
ケモノビトは種族によって得意とする活動時間帯や睡眠時間が異なっている。
そもそもケモノビトには大きく分けて二つ、肉食と草食という原種の差がある。この世界にはケモノビトそれぞれの原種となる動物がどこかに実在している。ケモノビトの種族性質は、その原種に似通っている点が多い。一般にケモノビトは自らの原種を大切にするが、何らかの系譜を引いていると漠然と感じているものの、別種だとも理解している。
(※我々人類の感覚でいえば、猿と人類に関係性を見出しつつも同一視しない程度の間柄である)
白虎族の場合、その原種の睡眠時間は一説に半日どころか十五時間に及ぶとされている。
雪代家では昼寝するのはごく自然なことで、他人より多めに睡眠をとらないと不調をきたすと、ウコンはあらかじめ使用人に教えられていた。
使用人は草食系のケモノビトが大半だったので、逆に睡眠はやや短くても平気だと言っていた。
(とはいえ、この山中で寝てしまうのは……)
無防備すぎる。
――という警戒心がある反面、きっと大丈夫であろうという根拠もある。
ひとつ、白虎族は夜目が効く。もし日が暮れても光源に不自由しないということ。
ふたつ、白虎族の武士の眠りを妨げるケモノビトは稀だということ。それは命懸けの蛮行だ。
みっつ、このためにも護衛のウコンがいるということ。
肉食系の狐族であるウコンもやや夜型と長めの睡眠が必要ながら、忍者としての訓練の甲斐あって、活動時間の制御はそれなりに得意としている。
となれば、ここは無闇に起こしたりせず、奥方の昼寝を見守るのが正解だ。
「おやすみなさいませ、奥方様」
そう告げて、ウコンは黙々と山のざわめき、風のそよぎに耳を傾けながら番をした。
奥方の寝顔は健やかにみえた。
――入婿を早くに亡くして、かえって不自然なほどに元気だ。あるいは、空元気なのか。
(……それとも、いっそ死んで清々するような人でなしの旦那だったのか)
雪代ノ入婿について格別の悪評は聞き及んでいない。
人伝には当たり障りのない好青年、竜魔狩りの役目をこなす勇猛な黄虎族の若武者だそうだ。
家禄(※)を継げない四男という点を除けば、申し分のない家柄と人柄だということだが――。
(※主君が家臣に与える報酬で、世襲的に家単位で引き継ぐ。世襲は主に嫡男がする)
(……よそう。過去のしがらみを詮索したっていいことはない)
ウコンは心を無にして、それでいて眠ることなく一時を過ごすことにした。
退屈を友として愛するウコンにはさして難しいことではなかった。
三時間ほど過ぎた頃、かれこれ数十名の人々とすれ違ったことだろうか。
山中とはいえ整備された街道だけに、行商人なり旅人なり農民なりとすれ違うものである。
その大半は、遠目に見かけた白虎族の寝姿におそれおののき、何歩も距離をとって過ぎ去った。
(まるで猛獣だなぁ……)
じっくり近くでみればあどけない表情の乙女だと気づけても、若武者の男装に白虎族の体格とあっては寝顔を覗き込もうだなんて無謀な勇気も湧いてはきまい。
「すぴすぴ」
(よく寝るお人だ)
すぐバテる、よく眠る、大食らい。そして恐れられる。
白虎族は気高くも難儀だ。卓越した武力を誇り頼られる希少種族であるがゆえに、仇討ちという形で名誉を守らねば子々孫々の暮らしぶりに関わる。
その一大事を“サボる“というのはまさに悪巧みだ。気楽な聞こえと裏腹に、ある意味、まっすぐに仇討ちに勤しむよりも過酷な道を選んでしまったかもしれない。
(――深く考えるのはよそう。どうせこの命、そのうちつまらないことで落とすに決まってる)
ウコンは刹那に生きている。
十年二十年と先のことを考えたりしない。する意味もない。忍び里に属す以上、先々のことを自分では決められないのだ。そしてこの地上に生きる大半の民草がそうである。
この天下泰平の世において、農家は農家を、武家は武家を、商家は商家を継ぐと決まっている。
そのいずれにもなれず、忍び里においても所詮は拾われ子、立身出世の目もありはしない。
ウコンは気楽に生きている。
何ら背負うものがない人生を、そう悪いものだと思わないので、今の自分が気に入っている。
(だからかなぁ……)
雪代ノ奥方のことをウコンには哀れに思えてならないが、しかし当人には不本意であろうか。
「むにゃむにゃ、まだたべられるわよぉ~」
私の哀れみを返せ。
ベタな寝言に対して、そうウコンは毒づいた。
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