ケモ奥方は仇討ちをあきらめたい ~ぐーたら忍者と最強武家一族の未亡人が往く復讐のんびり旅行記~

@kagerouwan

序章 1/1

 囲炉裏のかたわら、すやすやり。

 『 』はまどろみの中にいた。

 火煙の香ばしさに狐人らしい細長な鼻をひくつかせ、気だるげに寝返りを打つ。

 毎年寒い冬を味わうほどに囲炉裏の火のありがたみが『 』にも幼心に理解できた。昼間、雪にまみれて薪木を拾い集めるおてつだいはこの時のためだ。


 メラメラ、パチパチ。

 ぼんやりと火を眺めて、もう一眠りしたいと『 』は眼を閉じる。


 けれど、すこし気になった。

 『 』のそばで、やさしく子守唄を聴かせてくれていた母親の姿がどこにもなかった。

 眼を閉じたまま聞き耳を立てても、そばにいる気配がない。


「かかさま……?」


 不安に駆られて『 』は身を起こし、この寒さの中、戸口が半開きになっていることに気づいて、草履に足指を通し、おそるおそる外を見回した。

 寒村の家々はしんと静まり返っていて、表通りは暗闇と雪風に閉ざされていた。


(……こわい)


 母親がいないという『 』の不安を、火照ったカラダからまたたく間に奪われていく体熱が煽る。

 心細さに尻尾をぎゅっと抱いて、『 』は寒風に耐える。


(きっと、帰ってくるよね)


 母親はちいさな用事に出かけているだけだろう、と『 』は戸を閉めて中に戻ろうとした。

 その時だ。

 ザク、ザクと。

 深い雪を踏みしめて歩く音が聴こえてきたのだ。


(かかさま……?)


 ザクザク、ズルズル。

 足音だけではなく、何かを重たげに引きずる音まで『 』のふさふさとした黒毛の狐耳に届いた。

 『 』は戸を開けず、閉めず、ほんのわずかな隙間から外を見やった。


 囲炉裏の火と寒村の雪の冷熱が『 』のたもとで交差する。

 少しずつ、音は近づいてくる。

 いよいよとなって、それはゆっくりとした足取りで横切っていく。


 『 』は目撃した。

 事切れて、雪上に血を滴らせながら引きずられている女性――黒毛の狐人――。

 他の誰でもない、母親の亡骸だった。


(かかさま……!)


 『 』は口を塞いで、息を殺した。

 冷静だった。

 今そこにある惨状と喪失を、恐怖という安全装置が働くことで『 』は先送りにできた。

 母の亡骸を引きずっている、ソレ。


 絶対に、ソレに見つかってはならないと本能的に『 』は察したのだ。


 ザクザク、ズルズル。

 ザクザク、ズルズル。

 ザクザク、ズルズル。ザクザク、ザク……。


 囲炉裏の火はまだ絶えず燃えている。

 その火花散る音がやがて止むまで、『 』は火と雪の境目でうずくまっているしかなかった。




 囲炉裏の火を眺めてはうつらうつらとウコンはまどろんでいた。

 いつの日かの夢を見ていた気がする。


 ウコンは怠惰でありたい。

 世の常として、日々すべきことは山積みである。

 それに追われて生きるのは窮屈に他ならない。であるからして、願うことならばこのままもう一眠りしたいとウコンはそっと眼をつぶっては寝入ることにした。


「ウコンこーんこーんこんばんわー!」


 やってきたのは喧騒の権化。

 彼女に叩き起こされる前にと、渋々ウコンは目覚めることにする。

 銀狐のサコンは落ち着きなく尾をくねらせ、今かまだかとウコンを待ちわびている。


「お館様の招集だよ、早くいこっ! いこっ!」


 サコンのぴょんこぴょんこと小刻みに跳ねるさまは、年相応よりもなお幼い仕草である。

 ウコンとサコンは同世代同種族、背格好もさして変わらない。やや小柄で細身な少女である。

 しかし見たものの印象は大きく異なるはずだ。


 ウコンは静、サコンは動。

 黒狐と銀狐。

 正反対の気質に、正反対の毛色を有する。


「……急ぎ?」


「別に! でも善は急げっしょ!」


「じゃあ、あと半刻後に」


 ウコンはすぅすぅと二度寝しようとする。サコンが「おーい」と少々揺さぶっても応答なし。

 強硬手段に出るか否か、と様子をみると、サコンはあっさりあきらめて。


「あたしもいっしょ寝てあげるからちゃーんと起こしてね」


「わかった」


 とサコンは宣言し、横向きに寝そべってしまった。

 そして半刻(※約一時間)、囲炉裏を囲んでふたりうとうと眠って過ごしたのである。

 

 きっちり半刻が過ぎる頃、ウコンは先に目を覚ましていた。

 隣では、サコンがすぅすぅと寝息をたてている。


「……ふむ」


 姉妹のように見慣れた寝顔だ。半開きになった口が少々だらしなく、愛嬌がある。

 サコンとは、もはや本当の家族より過ごした時間が長くなりつつある。


 ウコンは物心ついて早々に母親を亡くし、故あって忍び里で拾い育てられた。ウコンという呼ばれ名も、この忍び里で与えられた名だ。

 互いに赤の他人のはずなれど、意図的に一蓮托生の仲となるよう育てられた為か、ウコンは上役の思惑通りにサコンのことを大事に思っている。


 きっと、サコンもまた大事に思ってくれているのだとウコンは無根拠に信じている。

 そうでなくては、ウコンには他に心のよりどころがないのだから。


「起きろ、サコン」


「ん、むにゃ、なんで……?」


「お館様の招集だと言っていたのはお前だろう」


「じゃあ、明日に」


「わかった。――と言える訳がないだろう」


「むにゃにゃむ」


 ウコンは怠惰にありたいが現実がそうは許してくれない。

 逆にサコンを起こす立場になり、ウコンは連れ立って忍び里の大屋敷へと向かった。


「よう来たねぇ、ウコン、サコン」


 里長のテンメイは庭の鯉にエサやりをしていた。

 テンメイは年老いた白いヤマイタチ(オコジョ)のケモノビトだ。テンメイが全身真っ白なのは四月末までは冬毛なせいである。あたたかくなると換毛し、栗茶色の体毛になる。

 テンメイがポイポイとエサとなる麦粒を投げ入れると、水音を立てて鯉が群がってくる。


「用事というのはね、実入りがよい長期の仕事をお武家様にいただいてねぇ。ウコン、サコン、あんた達に白羽の矢が立ったというわけさね」


 ウコンとサコンは庭砂利の上に片膝をつき、面を伏せ、黙して里長の言を聞く。

 里長はここでは誰より偉い。

 拾い子でありまだ幼いウコンとサコンは地位など無いに等しい下っ端に過ぎない。かといって忍び里の構成員はそう多くはなく、里全体でも千人前後ほど。隠密として実働する人員はさらに少ないので、ウコンとサコンは名前をおぼえられる程度には希少な戦力に数えられる。


「ウコン、承知いたしました」


「同じくサコン、かしこまりっ!」


「おや、細かいところはまだ言ってないのだけれどね。話が早くて助かるよ」


「はっ」


 ウコンは恭しく答えて、早々に「では、失礼したします」と下がっていった。

 詳細は後々、直属の上司に聞けばいい。

 どのみち拒否権はない。


 なにより、まだ寒さの残る二月の半ば、砂利石の上でじっとしているのは正直かなりつらい。

 テンメイ様には悪いが、どうしても老人の話は長くてテンポが遅くなりやすいので、一刻も早くここを立ち去ってしまいたいのがウコンの本音だった。


(下手に言葉を返して、また拾われてきた日のことでも振り返られてはたまったものではない……)


 ウコンは身寄りをなくして、忍び里に引き取られてきた。

 それはいい。

 それはいいとして、なにかのきっかけで「あれは雪の日のことだった――」と年寄りの回想がはじまるのは耐え難い。物心つく前後のことなど、七年近く経ちつつある今、もう今のウコンとはほとんど関わりのないことだ。


 今更、過去を顧みたとて、何も取り戻せはしない。

 過去なんて、こだわる価値はない。


「あーあ、晩めしにあの鯉を一匹ちょろまかせたらいいのになー。鯉のあらいが食べたいなー!」

「バカなことを」


 サコンの戯言に思わずウコンは笑ってしまった。






 晩飯の支度はいつもサコンがしてくれる。

 ウコンは家事や煮炊きを不得手とするわけではないが、美味しいものを食べたいという欲求よりも面倒さが勝るので、手間を惜しむ。

 料理は愛情というが、手間暇をかけずに画一的な食事になりがちなため、嫌気が差したサコンによって


『手軽でもいい朝昼はウコン、ごちそうが食べたい晩はサコン』と役割分担されている。


 ふたりは同じ屋根の下で暮らしている。

 忍者という仕事柄、家に帰らないことが多いので、ひとりひとつの家で暮らすのはもったいないし維持管理にも手間が大きい。複数人で暮らすのはやはり効率がよい。


 里に貸し与えられた小さな古い家でのふたりの生活は、もう七年に及ぶ。

 今回は、ともすれば一年二年という長い歳月、ここには戻ってこないことになる。

 ウコンはこう思った。


(……帰ってきた時、掃除がメンドーそうだ)


 一方、なにかと憂鬱なウコンとは異なって、サコンはいやに上機嫌にみえる。

 尻尾をふりふりふわんふわんとくねらせ、ふんふんと鼻歌ながらにかまどで調理している。


 サコンは愛嬌がある。

 媚びている、とさえいえる。人に好かれる努力を惜しまない手合だ。

 処世術としてはわかる。愛想なく人に嫌われてもいいといった態度を貫けるほど、拾い子という境遇は楽でない。愛想よくしていれば、多少のことは大目にみてもらえる。サコンは世渡り上手だ。


 ウコンのことを相方と慕ってくれるが、それも世渡りの一環にすぎないのではないかと疑いつつ、だとしてもサコンが笑顔を向けてくれるのは悪い気はしなかった。


「できたよー!」


 着物のたすきがけを解きながら声をあげ、膳を運んでくるウコン。

 でてきた料理の主菜は――この山中で、魚の刺し身にみえた。


 海魚ではない。かといってそこいらの川魚にしては大きい。やけに豪勢な食事だ。

 白桃色の魚肉は半ば透き通ってみえる。丁寧に湯通しされたド田舎に似つかわしくないこの繊細な料理は――。


 これは――、まさか――。


「鯉のあらい……?」


「ニゴイのあらいだよ」


 いけしゃあしゃあとサコンは言ってのけた。

 ぺろ、と舌を出して。


「おいサコン、これは里長様の……!」


「なあにこれも隠密の修行だよ。どうせ明日にはここを発つんだから心置きなく旅立とうよ」


「サコン、お前なぁ……」


「はい、あーんして」


 箸でつまんで、しょうゆをちょんちょんとつけて。

 サコンは何食わぬ顔して刺し身を口へ運んでくる。

 上品で新鮮な鯉の油と醤油が絡まって、魅惑の光沢を帯びたしょうゆがぴちょんと滴り落ちる。


(おいしい……これは絶対に美味しい)


「あ……んっ」


 恥じらい、ためらいながらも誘惑に負けて、ウコンは口を開く。

 にまっとサコンはいやらしく笑いつつ、数秒ほど焦らしてようやく鯉の刺し身を食べさせた。


 絶品だった。


 何に例えようと表現に苦心する暇があれば、とにかく舌で味わいたい。

 ウコンは無心になって、甘く、ねっとりとしつつも噛みごたえのある魚肉を堪能した。


 絶品だった。


 そして幸福なことに、その一口の刺し身を飲み込んでも、まだたんまり皿の上にあるのだ。


「はい、これで同罪ね」

「しまっ」


 ついつい食べてしまった以上、もう盗んだ鯉のことは黙っているしかない。

 ふたりは一蓮托生だ、と言わんばかりにサコンはいたずらげに笑った。

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