46.通り道

「明日香せんぱーい! お疲れ様でっすー!」


ビニール傘に激しく打ち付ける雨音を蹴散らして、飛び込んでくるこの声。

木村奈都きむらなつちゃん。今年入学したばかりの、わたしの後輩だ。


お疲れーと手を振ると、子犬のように飛びついてくる。

晴れの日ならまだしも、こんな日に飛びかかられては困る。

わたしは駆け足の彼女をひらりとかわして、学食のほうを指す。


「昼、まだでしょ? 食べてかない?」


「はい! 行きます!」


これまた元気のいい返事。わたしもわりと元気のいいタイプだと思うけど、彼女ほどではない。もう、全身がきらっきらして、エネルギーが有り余ってる感じ。


雨の学食は、空ごと淀んだ空気に当てられ、曇り空のようになってしまった学生で埋まっている。とはいえいつもに比べれば空いているほうだ。

わたしが『とんかつセット』の食券を買うと、なっちゃん(と、わたしは呼んでいる)もそれに続いて、『肉丼』『大盛』の二枚の券を手にしていた。


「なっちゃんさ、いつも思うけど、それちょっとヘビーじゃない?」


「明日香先輩が少ないだけですって」


なっちゃんと『肉丼大盛』は、見慣れた光景になりつつある。

わたしもけっこう食べて動くのが好きなタイプだけど、この子には適わない。朝夕に5kmずつジョギングして、学校やバイトが休みの日にはスポーツセンターに入り浸っているというのだから、入る大学を間違えたんじゃないかと思う。


いただきますと二人して手を合わせてから、あつあつの料理をほおばる。


「なっちゃんは何だったの、午前」


「『社会学』ですー。相変わらず難しくて、分かるようなそうじゃないようなって感じでした」


「試験大丈夫なのよ、それ」


「わっかんないですよ。でもいざとなったら、明日香先輩に教えを―――」


「ギリギリ。限界になってから出直してきな」


話しながらも箸が止まらない彼女。潔いベリーショートの髪を見ていると、この子そのものだなと思う。似合っている。育たないままの少年みたいで、可愛い。


「そーいえば、明日香先輩は?」


「食べ終わって喋りなよ。わたしは『精神医学』。とりあえず、入口は出たっていうところかなー」


少し濡れてしまったトートバッグの中身を思いながら、わたしはからりと揚がったカツの一切れを口に運んだ。


私の名前は、中村明日香。精神保健福祉士を目指している、大学2年生。


精神保健福祉士とは、ざっくり言うと、『精神的な困りごとで社会生活に支障をきたしている人に、その人個人だけではなく、環境や社会の影響を加味しながら、問題を解決していけるよう支援する』仕事だ。


似たような仕事に、いわゆる「カウンセリング」のイメージの強い『臨床心理士』『公認心理師』があるけれど、精神保健福祉士は、その人を取り巻く環境や状況に、いろいろな制度を駆使して働きかけることが多い。ただし、もちろん『相談』業務も含まれるので、「カウンセリング」のような深堀りはしないけれど、「ヒアリング」などでその人の困りごと、そしてニーズ(必要としているもの)を聴き取っていく作業とスキルも要求される。


これもまたざっくりなのだけど、主に心理学的な知識に基づいて精神疾患の方を支援するのが『臨床心理士』『公認心理師』の人たちで、『精神保健福祉士』は、主に社会福祉制度についての知識をもとにして要支援者(困っている人)への支援を行う。


こういう『支援』の内容は被っているところもあり、それぞれ得意分野が違うので、ひとりの人を支援する際に、精神保健福祉士を含め、医師や看護師、社会福祉士など、多職種の人たちと連携して仕事をすることも多い。その内訳は、現場によってまちまちだ。精神保健福祉士の活躍の場は、精神科病院だったり、児童福祉施設だったり、就労移行支援事業所だったり、地域包括支援センターだったりと、幅広い。


『困っている人が、地域で暮らしやすく』。

と、そういうお仕事だ。そして、実習や試験を経て初めて有資格者になれる、国家資格でもある。


「それにしても」


8割がたを食べ終えたなっちゃんが、初めて箸を置いた。セルフで汲んだ水を一気飲みしてから、ぽつんと言った。


「あたし、知りませんでした。『精神』の世界って、けっこう残酷だったんですね」


「ああ、『歴史』? そうだね。初めて聞くと、滅入るよね」


なっちゃんが言っているのは、『精神保健福祉の歴史』のことだろう。わたしも1年生のとき、入学してからまもなくその話を講義で聞くたびに、陰鬱な気持ちになったものだ。


「あれ、響きました。なんとかっていう精神科医の・・・・・・」


呉秀三くれしゅうぞうでしょ? 試験、絶対出るからね、それ」


明治時代の初めまで、精神疾患や精神障害は、単なる侮蔑の対象であったり、「狐憑き」と呼ばれ、祈祷などが必要とされ、「治療」の対象としてはまったく見られていなかった。そのため、多くは治安上の理由をもとに、「家庭内監置」をされるばかりだったという。


明示半ばに入りようやく、今でいう精神科病院の萌芽ほうがのようなものが出現し始める。けれど、その内実はまだまだ「治療」には程遠く、けっきょくのところ従来までの「治安維持」「私宅監置」の域を出ず、真に精神疾患が「医療」の対象として認められるようになったのは、戦後のことだ。


そして、なっちゃんが言っているのは、大正時代に「私宅監置」の様相を調査した精神科医・呉秀三らが提出した、報告書の一節のことだろう。


要約すると、「我が国の十何万の精神病者はこの病に罹った不幸のほかに、この国に生まれた不幸を重ねて背負っている」。

当時、「精神疾患」を患っていた人たちを取り巻く状況の劣悪さを指摘し、その改善が国にとっても急務である旨を記した、有名な記録だ。


もちろんその後、特に現在では精神疾患の知識も広まり、医療や福祉制度の対象として、正式に認定されている。けれど、まだまだ偏見や差別は根強い。そのうえ、それらを一人で抱えたまま生活をしていくには、病状的にも、社会的にも、個人の力ではかなり厳しい問題が出てくる。


「病は病であり、その人自身ではない」。

こういった言葉をあちこちで目にする一方で、目を覆いたくなるような罵詈雑言が、公衆の面前で、あるいはネットという匿名の世界で、陰の部分として溢れている。


「病を抱えていても、その人がその人らしく生きる」。この権利は、理想論ではあっても、誰にも侵害されてはならない。そういう「理想」にそれでも携わりたくて、

わたしはこの仕事を目指している。


「先輩」


「ん?」


「頑張ります、あたし」


「ん、頑張れ。ていうか、わたしも頑張る」


「それにしても先輩、スケジュール詰め詰めじゃないですか? こんな時期から、OG訪問まで行ってるんでしょ?」


「あれはたまたまそういう機会をいただいただけだし、わたし自体はそうでもないよ。疲れすぎないように、やってるつもり」


知識と体力、相手を尊重する心、そして距離感。

わたしには、少し距離を詰めるのを急いでしまうようなところがあるので、できれば早めにその感覚を研いでおきたかった。無関心は人を傷つけるし、反対に入れ込みすぎてもけっきょく共倒れになって、誰のためにもならないし、余計な傷が増える。

そんなことには、もうなりたくなかった。


ふと、登理さんの顔が浮かんだ。

なんだかいつも申し訳なさそうにしているのに、一緒にいるとこちらが許されているような気持ちになる。何を話したわけでもないのに、自然と。


週末、空いてるかな。登理さん。


誘いすぎかと迷っている前で、なっちゃんは最後の一口を豪快に頬張った。



※参考文献

・横倉聡(2017)「わが国の精神保健医療福祉施策、100 年の歴史から学ぶこと」東洋英和女学院大学『人文・社会科学論集』第35号.












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