43.雲行き

長瀬さんに、連行された。

宮原さんとの遭遇した一件をぽろっと話したら、なぜかランチを一緒にすることになったのだ。


これはあれかな、何かいい感じのハプニングでもなかったんですか的な。

とは思っていたんだけど、どうも長瀬さんの様子がおかしい。

頼んだカルボナーラを前にした彼女の手も口も、進んでいるようで進んでいない。

ああ、この流れは・・・・・・と思っていると、案の定だった。


「鈴原さんは、宮原さんのこと、どう思います?」


「べつに、普通にいい人だと思うけど。それ以上は、ないかな」


念のために、「いや、ホントに」と付け加えると、嘘はないと見て取ったのか、長瀬さんは目に見えて安心した顔をした。


「信じます。登理さんって、嘘はつかないタイプですもんね」


「時と場合によるけど、まあ今はついてないね」


「そういうところですよ、安心感ありありです」


いつのまにか、『鈴原さん』から『登理さん』に昇格している。大学時代には唯一の交際相手を除いてほとんど呼ばれなかったその呼び名を聞くと、なんだか高校時代を思い出す。


「その・・・・・・つまり、そういうことなんだよね?」


「そうなんです! 恋です、恋!」


あまりいい思い出がないからか、それとももとから鈍感なのか、わたしは『恋』という言葉を口にするのがちょっと苦手だ。

けれど、それを全力で言い切る女の子は、いつだってカワイイと、ひそかにわたしは思っている。まあ、よほど変な相手じゃない限りは。

それにしても・・・・・・。


「それで登理さん、相談があるんです・・・・・・」


ああ。この流れに行っちゃうか・・・・・・。


「ストップ。わたしそういうの疎いから、いいアドバイスとかできないよ?」


聞く前から断ってしまうのもどうかと思うけど、昼休みの残り時間を考えると、変な期待を持たせてしまうのも悪い。と思っていたら、長瀬さんの顔がみるみる曇ってしまった。


「やっぱり登理さん、宮原さんが・・・・・・」


「ないないない!! わかった、わたしでいいなら聞く、聞きます!」


こうしてわたしは、残りの昼休み時間ギリギリまで、長瀬さんのコイバナを聞くことになったのだった。


不思議なもので、きっかけはあれど、どちらかと言うと苦手意識を持っていた長瀬さんと、最近はそれとなく仲良くなっている。相変わらず仕事に手を抜いているようにも見えるけれど、じつは抜き加減をわかっているんじゃないかと思うこともあり、繁忙期でもないのにわりと肩肘張ってデスクに座っているわたしには、いい勉強なのかもしれない。

そういう雰囲気が伝わるのか、長瀬さんからの関りもいい感じに砕けたものが増えてきて、前みたいな終業間近の業務の『お裾分け』も、ひっそりなりを潜めている。

急なノルマが終わらないとたまに泣きついてくるのは、相変わらずだけれど。


ちなみに、長瀬さんの話を聞けばこうである。

『自分のような仕事ができない派遣が、バリバリの正社の宮原さんに、ほぼ接点なしの状態からどうアプローチしていけばいいか』。


長瀬さんのことがどうこうという前に、そもそもが『恋愛』自体が難問だ。わたしの『恋愛』経験なんてそれこそ一度しかないし、あとはたまーに読む流行りの恋愛小説の受け売りくらいだ(というか、それすらうろ覚えだ)。

高校時代に親友の友美に教えてもらった数学のほうが、こうすればこう!と、バシッと正解があるだけ、簡単だったかもしれない。

いや、それこそ誰かは『正解』を持っているのかもしれないけれど、少なくともわたしには見当がつかない。白旗もいいところだ。


「ごめん。何にも思いつかない・・・・・・」


正直に言った。てっきり呆れられるか役立たずだと軽蔑されるかと思ったけれど、意外にもとうの長瀬さんはにこにこして、アイスコーヒーにストローを差した。


「いいんですよ。登理さんならそう言うと思ってました。裏表ないですもんね」


「そうでもないと思うけど・・・・・・」


一歩勘違いされたら相手を怒らせそうな前半部分の発言だったけれど、そこは指摘しないでおいた。


「わたしって、そんな単純に見える?」


「単純っていうか、マジメですよね。前はわたし、登理さんのこと、いい子ぶってるって思って嫌いでした。ごめんなさい」


突然の爆弾発言。まあ、薄々勘づいてはいたけれど、ここまで直球で投げ込んでこられると、心臓が締まる。わたしの沈黙をいきどおりと見て取ったのか、長瀬さんがまた泣きそうな顔になる。


「ほんっと、ごめんなさい! わたしが仕事できないのに嫉妬しちゃって、ちゃんとして、難しそうな仕事も任されてる登理さん見てると悔しくて」


難しい仕事というのは、たぶん校正のことだろう。

あれは本来、契約違反なんだけどな・・・・・・。


「いや、別にいいよ。ていうか仕事くらいしか、わたしやれることないし・・・・・・」


そう言うと、「そこなんですよお!」と、長瀬さんが今にも震えそうな声で続ける。


「わたしとぜんぜん違うタイプじゃないですか! それで、宮原さんみたいなバリバリ仕事できる人って、絶対マジメな人のほうが好みですって。わたしみたいなちゃらんぽらんなんて、眼中にないですよう・・・・・・」


「うーん・・・・・・。こればっかりは分かんないけど・・・・・・」


現に、高校時代の仲良しメンバーの中で、「え!この人!?」という相手と結婚した子もいる。じつはバリバリの本好きだったかなえという子は、読書の「ど」の字にも興味がない、キャンプ大好きな旦那さんと、けっこう仲良くやっているらしいし。


「そう思うなら、今からでも遅くないんじゃないかな。遅くなっても頑張ってる姿って、悪いものには見えないはずだし」


ありきたりなことを言ったはずだけど、長瀬さんはなにかご神託でも受けたようなキラキラした目でこちらを見ている。


「なるほどです! わたし、頑張ります! さすが登理さんです! 相談してホントよかったです!」


「い、いえ・・・・・・。それならよかった・・・・・・」


・・・・・・のか? 

自分の発言とはいえ、そこのところは大いに疑問ではある。

まあ、本人がそう言うのだから、いいんだろう。


その後、お会計は自分が持つという長瀬さんの申し出をなんとか断って、残り少ない時間を時計を見ながら会社に向かった。6月の空は、つかの間の晴れ間を打ち消すように、どんよりとした雲がしのびよっている。


「そういえば、登理さん、聞きました? 例の人の話」


「例の人? 誰だろ」


「登理さんの後任ですよ、編集長の親戚とかいう」


「ああ」


思い出した。わたしの『後任』。正しくは、編集長の先輩の、確か娘さん。

派遣のわたしに代わって、来年から校正業務を引き継ぐ人だ。


「その人がどうかしたの?」


訊くと、長瀬さんは心底うんざりした顔で、歩きながらため息をついた。


「たぶんその人だと思うんですけど、登理さんが休みの日に来てたんですよ。下見的なやつだと思うんですけど。編集長とか須藤さんと話してて、トイレですれ違ったからあいさつしたのに、無視されて。派遣って分ったのかな。とにかくすっごい、やな感じでした」


「そんなに・・・・・・?」


「あと、めっちゃ香水臭かったです。わたし、匂いに弱いんですけど、ほんと酔いそうでした。なんか金持ちそうだったし、須藤さんとも相性悪そう」


(うわぁ・・・・・・)


半ば押し付けられたていであるとはいえ、わたしは校正の仕事は嫌いではない。けれどわたしの身分は派遣だ。更新をしてもらって社員登用させてもらえれば一番よかったし、実際そういう話もあったらしい。けれどその話は件のその人の登場で、流れる格好になってしまっていた。わたしとしてはもちろん悔しいけれど、せめて後任の人が良い人だったらと期待していたのだけれど・・・・・・。


「あーあ、登理さんがそのままいてくれるのが絶対いいですよね? あんなのやって来られたら、マジ最悪」


曇り空を見上げる長瀬さんに、わたしは曖昧あいまいな笑みを返すことしかできなかった。












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