第5章
41.影
「中学生くらいの男の子、ですか・・・・・・」
明日香さん(と、呼ぶことになった)はそう言って、運ばれてきたティラミスにフォークを差した。ちなみに、彼女は「小腹が空いて」先にコンビニで軽く間食を済ませてきたらしいけれど、注文したランチのセットもさっきあっさり完食している。一応ギリギリ同年代なのに、若いっていいなあと思ったあたり、意外にわたしもどこかしら疲れているのかもしれない。誓って言いたいけれど、焦りだとか、ましてや嫉妬とかではない。いろいろあったとはいえ、そこまで性格はねじ曲がってない(はずだ)。
迷ったけれど、何回目かの「デート」の後、佑都くんのことを打ち明けてみることにした。彼女なら、真剣に聴いてくれる。まだほんの短い付き合いだけれど、それは確信に近かった。
ジェルモ―リオの店内は、題名は分からないけれどどこかで聴いたようなクラシックの音楽が流れていて、控えめにかかった冷房が心地いい。もうもうと蒸し暑い、湿気が出てきた外気でうっすらにじんでいた汗が、いつのまにか引いていた。
「何年生でしたっけ、その子」
「分かんない。たぶん、中学生だと思うけど。1年生か、もしかしたら2年生くらいかも」
ちょっと難しい時期ですねと、明日香さん。
「その子がどこまで考えているかはともかく、今は義務教育だけど、その
「だよね・・・・・・。わたしもそれ、気になってはいた」
福祉の勉強をしているからか、それとも今どきの子は時代的にそのくらいの発想になるのか、明日香さんの着眼点は的を得ていた。
もっとも、それはわたしも漠然と思っていたところだ。いつの間にか学校から姿を消した同級生の存在が、またわたしの脳裏をかすめた。ちりっと、胸の奥でこすれるような
相談と言うより、わたしが吐き出したかっただけなのかもしれない。だとしたら、わたしは佑都君に対して、ひどくアンフェアなことをしたことになる。
少しの後悔を感じながら口をついて出たのは、けれど方向違いの言葉だった。
「折り紙って、そんなに変なことなのかな・・・・・・」
千代紙。あのときの佑都君の笑顔が、そこだけ鮮やかに
ティラミスをもぐもぐと
「まあ、そもそもが渋い趣味だし、男子でそれは、控えめに言ってもかなり少数派でしょうね。けどわたしの元カレ・・・・・・って言っても高校生のときなんですけど、あいつなんて、そのくらいの年にBL同人誌の手伝いやってたらしいですけどね」
飲んでいたアイスコーヒーを、危うく吹くところだった。というか、ちょっとむせた。とうの明日香さんは、「あ、書いてたのはわたしじゃないですよ」と、涼しい
「すごい話だね、それ・・・・・・。え、その人、何者?」
「手伝ってたほうなら、べつに、普通のひとですよ。書いてた子がフリマの締め切りに間に合わなくなりそうだったから、特にBLに興味があるとかじゃなくて、1回1000円で雇われて、トーン貼りとか製本させられてたらしいです。ちなみに、中3のときの話らしいですよ。あ、意外と性格悪かったんで、すぐ別れましたけど。そう思うと、案外変なやつなのかもしれないですね」
・・・・・・ツッコミどころが多すぎるのを通り越して、なんだかすごい世界、下手をすれば異世界交流の一歩手前だ。白いテーブルクロスをコーヒーで真っ黒に染めなかった自分を、正直ほめてやりたい。
「なか・・・・・・や、明日香さんってさ・・・・・・」
「はい?」
「変わってるって、言われたことない?」
「どうですかね。陰口ならそこそこありましたけど、死ぬほどどーでもよかったです」
それはたぶん、何かしら周囲の女子の嫉妬をかったからじゃないかと、ちょっと思った。
容姿からも想像してたけど、明るくて人懐っこい、それでいて芯があるこの子は、たぶん男子の隠れファンがけっこういたし、今もいるんじゃないかと思う。
いろいろ訊き出したいことが浮かんできたけれど、いやいや、本題はそこじゃない。いったい何をしに来たんだわたし。冷静になれ、というか、今くらい大人になれ、登理。
「そういう子って、あれかな。スクールカウンセラーとかかな」
月に何度か学校にいるらしいけれど、一度も姿を見たことがなかった“カウンセラー”のことを思い出して言うと、意外に明日香さんは、「うーん・・・・・・」とアイスコーヒーのストローをくわえた。友達情報ですけど、と明日香さんは話し始めた。
「スクールカウンセラーっていうのもありと言えばありなんでしょうけど、ああいう人ってけっこう非常勤の掛け持ちで、わたしもよく知らないんですけど、仕組みとか制度的に月に1度しか来校できないとかいう場合も多いらしいんですよ。まあその分、人によってはスケジュールみっしりっていう場合もあるみたいですけど」
「え、そういうものなの?」
そう言われてみれば、たしかに存在感が薄かったのも納得できる。
「そこなんですよ。べつに批判するとかじゃなくて、めったに来ないのに、それで心の内を話す関係になれるのって、わたし的にはけっこうレアケースだと思うんです。そもそも、保健室登校とかじゃなくて、学校に行っていない時点で、たぶんその子と接点が生まれないですよね。親御さんが来校、みたいな話は、そこそこあるみたいですけど、けっこうそれを嫌がる人も多いらしいです。分からないけど、もしご両親が共働きなら、なおさら難しいでしょうし」
なるほど・・・・・・と、何も考えずにつぶやきながら、頭の良い子なんだな・・・・・・と、改めて思う。さすがは、専門資格を目指しているだけのことはある。たしか、「精神保健福祉士」だったっけ・・・・・・。
今の職場が気に入らないとかそんなことはないんだけど、なんだかな・・・・・・。いやいや、やめよう。こんな感情なんて、まさに嫉妬みたいじゃないか。
「それっきり、その子には会えてないんですよね? だとしたら、冷たいですけど登理さんがそこまで気にする必要はないんじゃないんですか?」
遠慮がちにだけれどしっかりとこちらを見て話す明日香さんの言葉は、まさに正論だ。というか、わたしもそう思いたいとかじゃなくて、正直そう思っている。
こんな気持ちだって、佑都君にしてみればありがた迷惑なだけ。そんな可能性のほうが、よっぽど大きい。けれど。
「わたしさ・・・・・・」
言いかけたところで、ベルの鳴る音して、隣の席にカップルが座った。
こくんと、喉が鳴った。
「登理さん?」
「ううん、そうだよね。よその子のことにわたしが首つっこんでも、しょうがないよね。過ぎちゃったことだし、気にしないようにしないと。ありがとう。聞いてくれて」
いえいえ、という明日香さんは、けれど不思議そうな眼をしていた。
わたしは、飲み込んだのだ。
「わたしはたぶん、あの子に自分を重ねちゃってる」という、その言葉を。
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