36.ヒマワリ

「あ、この前の」


振り向くと、ドラッグストアで会ったあの子がいた。

私服姿で、今日は黒のワンピースと、黒のレギンス。

この前会ったときとはまた違った印象で、格好いい美人という感じだ。


「この前お会いした方ですよね? あの後、大丈夫でしたか?」


あ、笑うとえくぼができるんだ。人懐っこい笑顔。

って、いい大人が、そんなことを考えている場合じゃない。


「はい、おかげさまで。ただの風邪でしたし、あの後すぐに治りました。今日は、お仕事なんですか?」


だから来ているんだろうとすぐに思ったけれど、口元に人差し指を立てた彼女の答えは、違った。


「半分オフレコのつもりです。というか、そのつもりでした」


「オフレコ?」


「はい」と言って彼女が指さしたのは、さっきの眼鏡の女の子だ。

今はレジにいて、慣れない手つきでお札を数えている。

目の前の彼女が、小声で言う。


「最近人が辞めちゃって、新しく入ってくれたんですけど、ちょっとあがり症というか。まあ、緊張するのは当然ですけど。昨日ちょっとミスしちゃって大変そうだったから、予定もないし、様子見に」


「優しいんですね・・・・・・」


この子のような目立つ子ではオフレコも何もないだろうと思ったけれど、それはそれで思ったままを言うと、「わたしが教育係だっていうだけの話ですよ」と笑って返された。あ、ちょうどいいや。


「あの、先日は助けていただいてありがとうございました。これ、おわ・・・じゃなくて、お礼です」


カバンからリボン付きの紺の包み紙を取り出す。まあ当然だけど、「そんな!いいのに」と申し訳なさそうにしていたから、軽く賞状の手渡しみたいに差しだす格好になった。実際、あのときの一人で弱りに弱ったわたしにとっては、さすがに人命救助とまではいかないけれど、家に帰れる気力を持たせてくれた、尊い行為だったのだ。


「じゃあ、お言葉に甘えて。いただきますね」


そう言って彼女は袋を受け取り、ふと机のうえに目を止めた。


「ライターさんか何かですか?」


あ。ノートを広げっぱなしだった。

しかも、「ぺとぺと」だの「小松菜」だの「色調?」だの、てんでわけのわからない項目を並べては二重線だったり、繋げてみたりといった、意味不明のノートだ。

これは・・・・・・控えめにいって、恥ずかしすぎる!!


「ち、違うんです! これはその・・・・・・」


ミステリーうんちゃらとは、これも恥ずかしくて言えない。もっと言えば、それを言ってしまうと、うちの店にもそんな魂胆こんたんで・・・・・・?なんて思われてしまった日には、少なくともわたしとしては、もうここに来れなくなる。まずいことに、初回は本当に「そんな魂胆」だったから、うしろめたすぎる。

考えろ、登理、この局面をどう乗り切るか・・・・・・!


卒論の期限ぎりぎり以来じゃないんだろうかというくらいの思考回路を回していると、無情にも、彼女の頭の回転のほうが速かった。


「もしかして、覆面調査っていうやつですか? このまえyoutubeで見ました!」


最悪だ。たぶん、ノートにわざわざ「店名」と見出しをつけて本当に店名を書いていたのと、これもまた「総合評価」なんて、わざわざ書いていたのがいけなかったんだろう。几帳面なのかもしれないけれど、今回は完全に裏目に出た。

そんなわたしの雲行きを知ってか知らずか、彼女は無邪気に笑みを浮かべている。


「最近流行ってるらしいですね! 私もやろっかなー」


いや、それはどうなんだろう・・・・・・と思っていると、「来ていただいておいてなんですが、よかったら相席させてくれませんか?」と、まさかの言葉。

え・・・・・・?


「ああ、大丈夫ですよ」


ぜんぜん大丈夫じゃない。実家に残した日記を発見されたときのような気分だ。

「失礼します」と言って向かいに座る彼女はぜんぜん失礼ではないのだけれど、

むしろわたしのほうが失礼をお詫びしたいくらいだ。ああ、わたしの顔は今、白いのだろうか、赤いのだろうか。それとも、灰色なのだろうか・・・・・・。

「ありがとうございます!」とイスに座った彼女は、メニューを広げている。


「私はケーキ頼んじゃいますけど、今日はマドレーヌがお勧めですよ。お返しのお返しに、よかったら召し上がってください」


「ああ、じゃあ」


「いえいえ、私の分ということで」


「え、そういうわけには・・・・・・」


そんなに大したものを・・・・・・とごにょごにょ言っているうちに、彼女はさっきの眼鏡の子を呼んでいた。


「アイスのカフェラテと、チョコ・クラシックお願い。あと、マドレーヌ。えーと・・・・・・」


ちらっとこっちを見ているので、つい「レモンで」と、頼んでしまった。


たどたどしい口調で注文を繰り返した女の子に、「大丈夫だよ」と彼女はウインクしてみせる。女の子の顔つきが、ようやく少し柔らかくなった気がした。

ぱたぱたと厨房に向かう後ろ姿は、「店員さん」までほんのあと少しだ。


「そういえば、お忙しい中なのにすみません。つい。私、中村明日香なかむらあすかっていいます」


「あ、鈴原・・・・・・登理です」


「鈴原さん。よくここに来てくださってますよね。いつもありがとうございます」


ニコニコとした笑顔は、接客のときも、こうして席を囲んでいるときも変わらない。

きっとそういう子なのだろう。

わたしはといえば、いつもの「めずらしい名前ですね」が飛んでこなくて、内心ほっとしていた。

やがて運ばれてきたカフェラテからは、コクのある甘い香りがした。


「中村さんは、学生さんですか?」


無難な質問をしてみる。そうですと答えて彼女が名前を挙げたのは、わたしも知っている県内の国立大学。中村さんはそこの、福祉学部の2年生だという。


「福祉・・・・・・。っていうと、介護系のほうですか?」


「それもありますね。介護福祉士とか、社会福祉士とか。わたしは、精神保健福祉士のほうでやっています」


「精神保健福祉士?」


私も、上手く説明できるか自信はないんですけどと前置きして、中村さんは言葉を続けた。


「精神疾患を患っておられる方と、病状だったり、退院後の生活とか、地域の中でどういう制度を利用して、どんなプランを作成すると、その方が生きやすく過ごせるんだろうかとか、そういうことを考える仕事です。他の医療スタッフとカンファレンスで意見を出し合って、治療の方針を話し合ったり、デイケアなんかにも参加する場合もあります。ようするに、医療系のサポート業です」


「へえ・・・・・・」


まだ二十歳くらいの子が、そんな具体的な将来に向かって歩んでいることが、驚きだった。ただただ単位を気にして、バイト先の人間関係に汲々きゅうきゅうとしていたわたしの大学時代とは、雲泥の差だ。それどころか、わたしといえば26歳にして、先のことがまだ見えないモラトリアム状態なのだ。卑屈に思うわけではまったくないけれど、その姿勢にはなんだかこうべをたれたくなる。


「すごいですね、もうそんなに先のことまでしっかりと・・・・・・」


「そうかもしれないですけど、たぶん運がよかっただけですよ」


そういえば、中村さんの話し方はすっきりはきはきとしていて、話がすっと頭に入ってくる。本人はぜんぜんそんなそぶりを見せないけれど、立ち振る舞いを含めて、頭の良さがわかるというか、香っているというか。

ヒマワリはヒマワリだなぁと、どうでもいいことを思った。

もうすぐ梅雨つゆが始まるというのに。




















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