35.困惑

(・・・・・・運が悪いのか、わたし・・・・・・)


土日の混雑を避けて休みの木曜日にやってきた、ジェルモ―リオ。

数組のカップルや、見るからに「奥様」なグループがいるほかは、基本的に店内は静か。外は夏の日差し、店内は適度な冷房と、綺麗な内装。相変わらず過ごしやすい場所で、入るなりすっかりリラックスした気持ちになった。


「えっと、カフェオレ、お願いします」


「は、はい、カフェラ・・・・・・すみません、カフェオレですね。少々お待ちください」


慣れない様子の接客をしているのは、初めて見る店員さんだった。


(あれ、あの子じゃないんだ)


毎回の木曜日、オーダーを取りに来てくれるのは、先日わたしを助けてくれたあの茶髪の綺麗な子。今日オーダーを取りに来たのは黒髪の眼鏡の女の子で、この前わたしを助けてくれた茶髪の子じゃなかった。

出されたカフェオレを飲みながらちらちらと店内を見ていたけれど、レジカウンターはもちろん、時折のぞくキッチンホールにも、彼女らしき姿が見えない。

人見知りなわたしが迷った末、けっきょくカバンに入れて持ってきたお礼は、どうやら今回は渡せないままになりそうだ。

残念なような、ほっとしたような・・・・・・。


次の機会は、2週間後か。

お客さんの多い土日を避けると、隔週仕事休みになっている次の木曜日に渡すのがいい(少なくとも、わたしは)。というか、いっそ今いる店員さんに預けてしまうか。とはいえ、たかだか飴一個のことで「お世話になって」と人づてに渡されるのも、今度は本人にしてみればどうなのか。わたしだったら面食らう・・・・・・。


やめた。今回は縁がなかったことにして、大人しく次回に会ったときにしよう。

ようやくそう決めると、一息ついてわたしはカバンからノートを取り出した。


久々にミステリーショッパーの、仕事用ノートだ。


一般客として来店し、サービスの質などを企業側に、消費者の立場から評価して報告する。わたしの公認の副業だ。とはいえ利益らしい利益と言えば、会計学の最大半額相当のキャッシュバックで、つまりは半額は自腹なのには変わらない。

それが弱点といえば弱点なのだけど、出不精でも自分の作る料理の味にはしっかり空きが来ているわたしとしては、たまには贅沢したいときもあるわけで。


当選した案件で指定された店は、近かったり遠かったりでたまにの非日常を味わうのにもちょうどよい。それに、移動にはなるべく自転車を使うようにしているので、出不精と運動不足、気分転換と、わたしにしてみればずいぶん旨味うまみのある商売なのだ。報告にあたってのレポートも、もともと文章を読み書きするのは苦にならないので、頭の体操にもなる、というわけだ。


それにしても。

いつもはノートを開けば進む筆が、今日はどうにも進まない。

思い出したくもないけれど、予備校の模試を思い出してしまうほどに。


なんというか、評価に困る店だった。

新規オープンした中華料理の店だったのだけれど、まあ外装は、可もなく不可もなく、よく言えば王道、悪くいえば特徴がない。カウンター席に通され、メニューの写真を眺めていると、不思議なことにあまり食欲がわいてこない。


別に特異な料理がトップバッターで大写真で載っているとか、脂ぎったページがやたらぺとぺとしているとか、そういうことでもない。なんというか、並んでいる料理がどれも平坦に見えて、味気ない感じがした。こんなことを言うとわたしが細かいことにまで何でもケチをつけているような気になるけれど、そう感じてしまったものは仕方がない。


そしてメニューには、本場っぽく見慣れない漢字の料理名がたくさん並んでいた。

そして当然その名前にはふりがなが振ってあり、下に小さく料理の説明が書いてある。けれど、いまいち文意が伝わらないというか、何をうりにしたいのかが、わかるようでわからない。けっきょく、「これ、美味しいの?」という気持ちになってしまって、並んでいる、手の込んでいるであろう料理は多かったのだけれど、けっきょく頼んだのがラーメンと、青梗菜ちんげんさいの炒め物という、しごくシンプルなものだった。


そして、そこからがまた頭痛の種だった。


「ようこそおいでくださいました。ご注文の品を繰り返させていただきます。イチオシの特製海鮮塩ラーメン、青梗菜の炒め、以上2点、お間違えないでしょうか?」


七三分けで肉屋さんの前掛けのようなエプロン姿の50代くらいの男性が、四角い顔でうやうやしくオーダーを取ってくれたのだけれど、「いちおしの」というのはメニューのうたい文句のはずで、それまで復唱するのが、なんというか、「変わってるなあ」という印象だった。


その後、「まだかな・・・・・・」とちらっと思ったところで、ラーメンと青梗菜が運ばれてきた。店内は混んでいるわけでもない。それなのに二品を一度に持ってくるものだから、見ていて危なっかしい。指なんて、ラーメンのスープに入りそうになっていて、そうなれば今度こそ食欲は消滅する。おまけに、運ぶ本人も熱いのだろう、そもそも手が震えていて、今にもいろいろこぼしそうだ。


テーブルにラーメンが置かれるまで、今にも目の前で中身をひっくり返されそうでわたしはけっこう身を固くしていたし、斜めに置くものだから、青梗菜の炒めから染み出た汁も皿のふちでぎりぎりこぼれずに済んでいたという、終始そんな感じで。


「こちら、ラーメンと青梗菜の炒めですが、お間違いないでしょうか?」


「・・・・・・はい」


「では、お水をお持ちしますので少々お待ちください」


「え」


飲食業って、水が第一では・・・・・・?

一言で言うと、ツッコミどころしかなかったのだ。


さらには肝心の「イチオシの」料理の味だけれど、特別美味しいわけでもなく、特徴があるような、ないようなで、なんとも評価に困る味だった。

わたしが料理研究家のような鋭敏な舌の持ち主なら、このスープのどこそこがこうとか、具材がどうとか気の利いたことが書けたのかもしれないけど、いくら食べてもかすかな違和感以外、何の感想も思い浮かばなかった。

けっきょく「?」マークがいっぱいのまま食事を終え、出口まで無表情で見送ってくれる店員さんの視線を背後に、店を出た。


(あれの何がどうかと言われると、とっかかりが困るんだよなー・・・・・・)


ミステリーショッパーとしてのわたしの仕事スタイルは、「中立性」重視だ。なので、例えば味で言えば、美味しいかそうでないかについてはわりとハッキリと書くけれど、その理由はできるだけ丁寧に添えておくようにしている。既定の範囲内の短くも、長くもない内容で。

そうした姿勢が評価されているのかいないのか、競争率が高いこの仕事の中で、それこそ可もなく不可もない程度に、案件もとい、小さな贅沢を手に入れることができている。


「つかみにくいなー・・・・・・」


イメージから書き出すタイプなのだけれど、絆創膏を丸めて作ったボールを書いてくださいと言われたような気分で、どこから書き出せばいいのかわからない。

せっかくのカフェオレもそこそこに、疲れた頭をひねっていると、そばで声がした。







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