37.ランチ

コーディネートなんて、何百年ぶりだろう。

クローゼットの、動きやすさ重視のものを除いた少ない服を物色しながら、

思わずため息をつかずにはいられない。

というか、今年に入ってはともかく、去年にショップに行ったのなんて、数えるくらいだ。そこで何かを買ったのなんて、記憶すらあやふやだ。

クローゼットをひっかきまわしていると、何を血迷ったのか、大学時代に買ったショーパンまで出てきて、げんなりしてしまう。

あの頃は今より、ほんの少しとはいえ、アウトドアっぽい生き方をしていたからな・・・・・・。


個人的に、6月のコーデというのは、難しい。

春とも夏ともつかない、梅雨前の季節。

まだそれほどではないけれど、ちょっと暑くて湿った嫌な空気が近づいてくる日に合わせるコーデなんて、就職してからはスーツ、休日はほとんど眠るだけ、派遣生活になってからは年中デニム(と、あえて呼ぶ)に近いわたしには、26歳女子にしてそれはどうなのかと思うけれど、ほとんど見当がつかない。

とはいえ、あきらめるわけにはいかない。

中村さんはどうやらオシャレと言うかコーデが上手いタイプだし、そんな彼女の横でTシャツとデニムというのも、なんだかあからさまに見劣りするようで気恥ずかしい。おまけに、懐事情もあまりいいとはいえない。少なくとも新品を上下そろえるようなことは、できなくもないけれど、なるべくやりたくない。


ああでもないこうでもないと部屋の中を散らかしていると、ふと、奥深くにしまわれた焦げ茶色の紙袋が目に留まった。いちおう、開いた形跡はある。けれど見覚えがないその袋を開けてみると、白の五分袖と、グレイのハイウエストパンツだった。


「???」と、目が点になる。明らかに、わたしが進んで買うものじゃない。

なんじゃこりゃと思っていると、ようやく思い出した。少し遅れた就職祝いに、友美が贈ってくれたものだ。


友美は今や一児の母となって話す機会は減ってしまったものの、大学を卒業して就職するまでは、それでも月に1回か2カ月に1回か、とにかくたまに会う仲だった。


友美は大学で教員免許を取って、少し紆余曲折したみたいだけれど、普通の学校ではなく、中学生向けの塾の先生になっていた。


「完全に自由じゃないけど、自分なりに型にはまらないやり方で、勉強の楽しさを伝えたい」。採用の報告をする通話で、そう言っていたのを今もそのままに思い出す。

その頃のわたしは仕事仕事に追われて、その仕事が自分に向いているのか、そもそもできるのかどうかすら分からなくて、でも心から「おめでとう」を言えたと思う。

あの高校生活であったたくさんの出来事が、わたしの折れそうな心を支えてくれていた。


思えば、友美には申し訳ないことをした。お祝いをもらっておきながら、まもなくわたしはエナドリ中毒になり退職をするしかなくなって、その後の仕事も長続きせず、けっきょく二度も退職歴があるとなかなか正社員として雇ってくれる場所もなく、目標も展望もなく、場当たり的に派遣社員という立場に落ち着いて、細々なんとか暮らしている状態だ。今の仕事は、気に入ってはいる。いいように使われている面ももちろん否定できないけれど、校正の仕事も、だんだんと好きになってきたし、須藤さんや長瀬さんのように、親しくしてくれる人だっている。だから・・・・・・好きではある。あるのだけれど、いつまで雇用契約が更新されるのかは、わたしには分からない。あの佐藤編集長の言うことを考えれば、少なくとも来年の半ばは、わたしの席はなくならないのだろうけれど、今の「校正」のデスクには、いられなくなる。悪い言い方をすれば、部分的な「使い捨て」。


・・・・・・よそう。今日、そんなことを考えるのは。


心の迷いを無理やり消灯させて、わたしは紙袋の中身を手に取った。



「登理さーん! こっちです!こっち!」


オープンテラスで、中村さんが大きく手を振っている。

だいぶ恥ずかしいけど、道を間違えて遅刻したわたしが悪い。


「ミステリーショッパーっていうんですね。私こういうの初めてで、おもしろいです!」


「中村さん、それ、聞こえちゃまずいやつだから!」


「あ、そうでした」


めずらしく土曜日に休みが入ったという中村さんからラインをもらって、去年オープンしたカフェに行くことになったのは、例の覆面調査員の仕事に、なんと中村さんが当選したことがきっかけだった。お手頃価格なのにオシャレなランチがウリらしく、店内はけっこう混んでいる。正直、ここまで盛況なら、何も覆面調査員を使う必要性なんてないような気がする。


「ここ、ランチプレート選べるんですね。どうしよ、オムライスもいいけど、パスタセットも気になりますね・・・・・・」


真剣に悩んでいるようなのをいいことに、メニューを見ているふりをして、中村さんのコーデを観察してしまう。白シャツに、黒のジレとパンツ。それに黒のスポーツサンダルという、なんというか、アクティブで明るいファッション。少し大人っぽくて彼女のキャラクターに、よく似合っている。6歳の差とはいえ、とっさに「若いなあ・・・・・・」と、世にも悲しいことを思った。いや、キャラの違いか。


「わたし、オムライスにします! 登理さんはどうします?」


「え、ああ・・・・・・」


服装に見とれていてメニューなんて見てませんでしたなんて、言えるわけがない。

とっさに、「わたしも、同じので」と答えた。

てきぱきと注文する彼女を見ながら、この子は本当に仕事ができる子なんだろうなーと、ぼんやり思った。


「どうかしました?」


「ああ、いや。中村さんのコーデ、素敵だなーって思って」


「全部古着ですよー。登理さんこそ。その組み合わせ、似合ってますよ!」


自分で選んだのではなく、親友からの贈り物なので、素直に嬉しい。

「中村さんのも、古着なんてぜんぜん見えないです」と返すと、「明日香でいいですよ」と、にっこり笑われた。


「登理さんからいただいたハンカチ、めっちゃお気にになりました!」


彼女がテーブルに広げたのは、藍色染めの生地に桜の花びらが刺繍された、純和風のハンカチだった。洋風カフェで働く店員さんに、見るからに純和風の品物っていうのはどうなのかと、買ってから気がついたけれど、結果は上々だったようで、ほっとした。


あの日。ジェルモ―リオでどさくさにまぎれてようやく渡せた「お返し」に喜ぶ彼女―明日香さん―と、その場の勢いでラインをこっそり交換し、その中で覆面調査の話の続きが出て、今日のランチ計画が立ったのだ。


「でも、なか・・・明日香さんって、汗かかなそうですよね」


「それはないですよう。裏に入ったら、べしょべしょです。見せないだけです」


「ああ、やっぱりプロだもんね」


「いやいや、そんな大げさなものじゃないですよ。というか、そういう指導を受けてるだけです」


「あのお店って、厳しいの?」


「うーん。比べるほど他に行ったことはないですけど、そういう気配り的なところは、けっこう行き届いてる気がします。でも、スタッフ同士はわりと仲いいですよ」


「そっか。それはいいね」と言うと、「登理さんのところはどうですか?」と、わりとストレートな質問が飛んできた。


「うーん。ただの派遣だからね。でも、最近まあまあ快適かも」


「ええ、うらやましいです。私、実習先とかでけっこう裏の部分とか見えたりすることもあって、ああ、闇深・・・・・・って思ったりしたりしますもん」


裏の部分・・・・・・。どこも同じようなものなのかもと思いながら、今度はわたしから、明日香さんにいろいろ訊いてみることにした。




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