33.助け

少し茶髪の入った、ショートボブ。

すらりとしたたたずまい。

マスクと髪に隠れて、横顔がわずかに見えない。

あの子・・・・・・だろうか。


今日は休みとはいえ、日ごろのパソコン作業で疲れた目では、確証が得られない。

といって、じろじろ見るわけにもいかず、けれど棚をのぞきこむ彼女をちらちら見てしまっていると、目が合ってしまった。

思わず会釈えしゃくすると、怪訝けげんそうな顔が、ぱっと明るくなった。


「お次の方、こちらのレジにどうぞー!」


慌ててかごを持ちあげる。

急に動いたせいか、少しふらつく。

動いたせいか、ぼんやりしてしまう。

たたたっと小走りの音がして、気が付いたら横に彼女がいた。


「大丈夫ですか? わたし、持ちますね」


言って、重くなったかごをささっとレジ台に運んでくれた。

慌てて後を追う。


「すみません、助かりました」


「いえいえ」


目の大きな可愛らしい顔がこちらを向く。

バーコードを読み取るピッ、ピッという音の合間に、彼女が言った。


「いつもご来店いただいて、ありがとうございます」


そう言って、ぺこりと頭を下げる。


やっぱりか。

近くで見ると、マスク越しでもわかる、その子。

今やすっかりお気に入りのカフェ、ジェルモ―リオ。そこの、いつもの店員さんだ。


「いつも、美味しいです。コーヒー、お気に入りになりました。あと、クッキー」


「わ、ありがとうございます。わたし、焼き菓子も焼いてるんですよ。クッキーとかも」


「そうなんですか。じゃあ、もういただいてるのかも」


「そうですね。あ、もう終わりますよ」


見ると、あちらのかごの中身はこちらのかごにほとんど移っていて、もうすぐレジの会計だった。わたしは素でぼんやりしているところがあるけれど、今日は輪をかけてそうなっている。急いで鞄から財布を取り出すのと、最後の商品がレジを通過したのは、同時だった。


小さい端数を出せる余裕がなくて、減らしたかった小銭が増えてしまったけれど、ひとまず目標は達した。親切なことに、会計後の商品も、彼女が入り口付近の一番端の台に移してくれた。


「なにからなにまで、すみません」


「いえいえ、いつも来てくださるお客様ですし」


クッキーまで褒められると、なおさらですよと、目を細める。

同性でありながら、目を合わせていると、なんだかこちらがドキドキしてしまうような子だ。

習慣で持ってきていた買い物用エコバッグを取り出すと、お手伝いしましょうかと訊かれたので、さすがにそれは遠慮した。


「具合があんまり良くないとかですか?」


買い物かごの中身と、わたしの様子から察したのだろう。彼女がそう言った。


「ちょっと熱っぽ・・・・・・あ、感染症じゃないです。さっき病院で確認してます。インフルでもないです」


「荷物、お持ちしたいですけど、それは難しいですよね・・・・・・」


できれば持ってもらいたいくらいにはきつくなってきていたけれど、お互い名前も知らない店員と客の関係だ。そこまでは頼めないし、できない。


「近くなんで、大丈夫です」


無理やり微笑んでみせる。

大変ですねと相槌を打ち、彼女はポシェットの中を探り始めた。

あ、あったと手渡されたのは、のど飴だった。


「この前買ったやつなんですけど、よかったら」


「あ、ありがとうございます」


どぎまぎしながら受け取る。心配そうな顔をしていたけれど、これ以上はどうにもならない。お気をつけてと、先に彼女は店を出て行った。

なんだか、不思議な子だ。なんというか、人をきつけるというか。

自虐とかじゃなくて、わたしとはほとんど反対方向のタイプ。


どこか凛としたその後ろ姿を目で追いながら、もしかしたら彼女の買い物の邪魔をしてしまったんじゃないかと気が付いたのは、もう少し後だった。


かごを返して、手を通したエコバッグはずしりと重たい。

できるだけ家から出る回数を減らしたいとは思っていたけれど、ちょっとやりすぎた。帰りの道中のことを、まったく考えていなかった。

まだ、たぶん数十メートルしか離れていない。

道路わきで休んでいると、目の前をかごつきリヤカーを押したおばあちゃんが通り過ぎていった。ああ、今に限っては、どんな低燃費の新車よりあれがほしい、いや、将来わたしもあれを使うことになるんだろうか・・・・・・。


馬鹿なことを考えて気を紛らわせていても、しょせんは一人暮らしだ。

後で後でと思って、自転車のタイヤに空気を入れなかったのも失態だった。

重いしふらついて転倒だとか接触するよりはマシだと、それはそうだったかもしれないけど。まあ、安全第一はけっこうだ。けれどそれにしても、今となっては、徒歩の選択をした先の自分が、恨めしくなる。


タクシーというのも大げさだし、以前、急ぎでワンメーター未満の距離をお願いしたとき、これみよがしに舌打ちされたことがあったので、できれば短い距離で使いたくない。かといって、バスも使えないし、そもそもバス停がない。正直、詰みだ。


ひとまず水分だ。

忘れかけていたけど、バッグから経口補水液を取り出し、口をつける。

こういうものは一日一本にしてというものが多いから少しだけのつもりだったのに、いつの間にか半分以上を空にしてしまった。続けてむせてしまうと、通りすがりの人から思いっきり見られてしまった。ああ、過ごしにくい世の中・・・・・・。


呼吸を整え、ふっと息をついて、気合いで立ち上がる。握りこんだ指に、荷物の重みが食い込んだ。一歩一歩って、こんなに重かったっけ・・・・・・。


そういえば山登りって、こんな感じかも。やったことないけど。

がんばれ登理、その名が泣くぞ・・・・・・。


今度こそ本当に馬鹿なことを考えながら、よそよそしいアスファルトの上に、わたしは一歩踏み出した。生ぬるい風が、熱くほてった頬をなでていった。


けっきょく、休み休みだったけれど、なんとか帰ることができた。

今日ばかりは、自転車の件とかは不問にして、自分をほめたい。

米俵こめだわらを置くように荷物を下ろすと、やり遂げたというより、ようやく苦行が終わったという、その安堵で、一気に気が抜けた。へなへなと玄関に座り込む。


籠城ろうじょうしてやろうか・・・・・・」


費やした労力の対価。買ってきたものをテーブルに並べ、ここまでしたら治るまでもう金輪際外には出たくないなと、ちょっと思った。や、出ると周りも困るんだけど。


こういうときほど、実家のありがたみを思い知ることはない。

部屋で寝ていれば、誰かが身の回りのものを持ってきてくれ、治るまでゆっくりできるのは、ほとんど保証されたものだ。こんな安アパートじゃなくて、一軒家だし。


両親に加えて薬剤師の姉、冴香の顔がよぎる。今日も今頃、薬局でバリバリと働いているんだろう。けどいちおう、話しておいたほうがいいんだろうか。

とはいえただのといえばただの風邪だし、何を訊くというわけでもない。けっきょくは身体にいいものを食べて、安静にといったところだろう。


わざわざね・・・・・・。

久しぶりに開いたラインの画面を、けっきょく閉じた。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る