32.不運

『この先 道路陥没につき、通行止め』


「工事中」ではない。「陥没」だ。

狭い道路の半分ほどが、青のビニールシートに覆われ、べこんと凹んでいる。

見れば、ガードレールも「V」の字のように折れている。


よりにもよって、今か。というか、陥没って。 

ずいぶんさらっと書いてるけど、危なさすぎない・・・?


ずいぶん前に他所の駅前道路が陥没したときは大々的なニュースになったのに、

隣町という理由からか、規模のせいか、こちらには噂ひとつ入っていない。

というか2週間前にはこの道路を通っていることを考えると、逆にけっこうラッキーだったのかもしれない。


微笑ましい気分はどこへやら。

晴れ間の中、しとしとと降り続く雨に、陥没した道路。

仕方ない。迂回するしかない。

見上げれば、太陽は見えている。


どうせ天気雨だ。そう長く降ることはないだろう。

ハンカチで前髪を拭くと、けれど案外びっしょりと濡れていた。



「陰性ですね。解熱剤と、頭痛薬、それと、のどの炎症を抑える薬を4日分お出ししますので、様子を見られてください」


粘膜検査された鼻の奥が、まだひりひりと痛い。


ともあれ不幸中の幸いというべきか、不調の原因は、感染症ではないらしい。

けっきょく「風邪」ということになったけれど、今回は心当たりはありすぎる。

予想以上にだらだらと降り続いた雨を恨む気持ちになったけれど、雨宿りをせずに無駄に身体を冷ました自分の判断ミスを思うと、後悔の気持ちのほうが重い。


小さな異変は、昨晩から。

熱っぽさを感じ、夜中にのどが渇いて目が覚めた。


その時点では、少し頭が痛いかな・・・という程度。

念のため熱を計ってみたけれど、平熱のほんの少し上。

レンジで牛乳を温めて、ゆっくり飲んで眠った。


そして朝起きてみればあきらかに身体がだるく、頭も痛い。

今度こそ嫌な予感がして体温計を挟むと、37.3℃。


下火になってきたとはいえ、感染症が蔓延はびこるこのご時世だ。「濃厚接触」「自宅待機」の単語が真っ先に浮かんで、頭痛ではなく、くらっとした。

とにかくとぼわっとした頭で考えて、職場に連絡した。

8時過ぎに連絡したら、ちょうど出勤したばかりという須藤さんが出て、発熱外来の情報も添えて、販促部上司の赤坂あかさか課長へも代わりに報告してくださるということだった。


そして今。

とりあえず、須藤さんから情報をもらった発熱外来での検査を終えた。

病院から出て、急いで職場に連絡を入れた。


最初に電話に出たのは、周囲の電話の呼び出し音にまぎれた、聞き覚えだけがある男性だった。赤坂課長が席を外しているということで、電話口から聞こえてきたのは須藤さんの声だった。急ぎ、診察結果を伝えた。


「災難だったね。赤坂課長からは、急ぎの見込みもないから、念のため今日明日休んでくださいって。お大事にね」


「ほんと、ご迷惑をおかけしてすみません。あと長瀬さんにも、ご迷惑をおかけして申し訳ないですとお伝えくださいますか」


「大丈夫だと思うけど、それは私が言うことじゃないわよね。彼女、今いるから、繋ごうか?」


お願いしますと言うと、ちょっと待ってねーと保留音が鳴る。

数秒してから、長瀬さんの声が飛び込んできた。


「鈴原さん、大丈夫ですか!? 熱あるんですよね、大丈夫です?」


「ありがとう、まだちょっと微熱あるけど、大丈夫です。それより長瀬さんにご迷惑おかけしてしまって、すみません・・・」


「とんでもないです! 課長が言ってるとおり、とりあえず今日はわたし一人でも普通にいけますし、明日は明日で、べつになんとかなりますよ!」


「ほんと・・・助かります・・・」


「ていうか鈴原さん、のどもやられてません? お見舞い行きたいですけど、今はだめですもんね・・・」


しゅんとした声。その気持ちがありがたくて、お礼を言った。

仕事のことで念のためのことを伝えて、再度「お大事にされてください」と言われて通話を終えた。ああ、本当にやってしまった・・・。

時給制なので収入面でもまずいことになったけれど、それよりも周りにかけた迷惑が最悪だ。せっかく長瀬さんとも少し会話が増えたというのに、変なかたちで甘えることになってしまった。


菓子折りはどこで買おうと思いながら、マスクをきっちり鼻の上まで上げた。



本音を言えばさっさと家に帰りたいところだけれど、一人暮らしだとそうはいかない。

昨日は自炊うんぬんで迷っていたけど(けっきょく、余っていた冷凍うどんを茹でた)、今日は今日で、家にあるはずの食料を思い出すと、風邪ひきの身にはどうにも頼りない。


土日は曇りのち雨となっているが、今日までは晴れ間が続くらしい。湿気の中で寝込むのも嫌だし、今日中にできるだけ回復したい。


昼に近づく陽の光が、明るい。道行くひとたちの溌溂はつらつさが、まぶしい。

診察を受けた病院近くの調剤薬局は、ドラッグストアの店舗に隣接しているタイプだった。ちょうどいいので、そちらに寄ることにした。


店舗のテーマソングががんがんにかかった店内を、かごを持って移動する。

ドラッグストアなのに、音が頭に響く。

経口補水液を何本か。レトルトおかゆ、ゼリー、インスタントのきつねうどん、冷えピタ、あ、1本売りのバナナもあるのか。

二度手間をかけたくないので、ストックも併せて少し多めに買っている。なので、軽く頭の中で計算しただけでも、安くはない金額になってしまっている。


人間というかわたしなんだけど、ひとつ思いつくと次から次へと余計なことを思いついて、しかもそれも気になってしまうもので。

そういえば替えのシャンプーはあったか、ティッシュはあったかと、寄り道ばかりしてしまう。


(あー、ボディーソープ切れそうかも・・・)


なるべく早く出ようと思ってはいたけれど、変なタイミングで生活必需品が切れてしまって、身体を引きずって再度ご来店では元も子もない。


そろそろ重たくなってきたかごに詰め替えのボディーソープを落とし、ようやくレジに向かう。二台あるレジはどちらも並んでいた。

片側ではたくさんの品物がスキャンされている最中。もう片側のレジでは、電子マネーの支払いが上手くいかないらしく、「研修中」の札を下げた女の子が、白衣姿の店員さんの指示を受けながら四苦八苦している。


(ああ、ついてない・・・これ、バチじゃないよね? 勘弁してよ)


とりあえずかごを床に置き、「間隔を空けてお並びください」のスペースに立って待つ。マスクの中で小さくため息をつき、なんとなしに売り場を見渡す。

店内は昼の買い物中の、主婦の方やお年寄りがちらほら。


ぼんやり眺めていると、そこに意外な顔を見つけた。


※須藤さんと長瀬さんの一人称を、各自のキャラクターを考え、交換しました。



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